【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.125「“音楽に政治を持ち込むな”の不思議」

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緊急事態宣言発令中でデモや集会ができない今、政治への抗議手法としてSNSが活用され、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけて投稿するツイッターデモと呼ばれる投稿ムーブメントが起きた。ただ、この一件は渦中の黒川検事長が賭博をしていた問題で辞任するという予期せぬ展開となり、検察庁法改正案、国家公務員法改正案の廃案を決定した政府がどう引責するのかを注視する案件へと転化したわけだけれども、ここで目を向けたいのはその顛末ではなく、この問題について声をあげたアーティストやクリエイターが誹謗中傷を受ける事態が起き、「音楽に政治を持ち込むな」という論が再び浮上したことについてである。

■必ず巻き起こる「音楽に政治を持ち込むな」論

日本には「音楽に政治を持ち込むな」という論調が存在して久しい。近年では2016年に当時SEALDsのメンバーとして活動していた奥田愛基さんが<フジロック>の<ザ・アトミックカフェ>におけるトーク企画にゲスト登壇することが発表されるや否や、「<フジロック>に政治を持ち込むな」と槍玉に挙げられたのが記憶に新しい。だが、国内における音楽と政治を語るときに外せないのは忌野清志郎さんにまつわる話だろう。

1988年、忌野清志郎さん率いるRCサクセションがカヴァー・アルバム『COVERES』をリリースしたが、発売元の東芝EMIが急遽発売を中止。直後にRCの古巣だったキティレコードから再リリースするという事件が起きた。これは核と原子力発電を問題とする訳詞をつけた「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」が東芝EMIの親会社であり、原子力事業を推進する親会社の東芝から問題視されたためだった。その翌年、忌野清志郎さんは覆面バンド、ザ・タイマーズを結成。フジテレビ『ヒットスタジオR&N』に出演して予定外の曲でラジオ局を罵倒したFM東京事件を起こし、己の表現のためならメディアとの戦いもいとわなかった。2009年にこの世を去るまで<フジロック>などの音楽フェスにも参加し続け、音楽ファンへメッセージを送り続けたキング・オブ・ロック。その魂は今でも同フェスで歌い継がれ、次世代へと伝承されている。

さて、今回の「#検察庁法改正案に抗議します」ツイッターデモでは「歌手が、芸能人が政治に口を出すな」といった論が湧き起こっていたが、一般人同様に、これまでには見られなかった数多くのアーティストやクリエイターが様々な言動を示していた。中でも毅然と投稿し続けているキョンキョンの潔さに好感を抱いた。自分の軸がぶれない人の言動には信念と魅力が滲み出るからその表現活動にも目が離せなくなる。そして、後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の言葉にも普段から注目している。以前インタビューをさせていただいた際にも感じたことだが、彼の言葉はすんなりと耳に入り、スッと腑に落ちる。それはきっと物事の本質を的確、且つ丁寧に語る彼特有の物腰によるところが大きいのだろうし、同性代であることも少なからず作用しているかもしれない。自分と同世代のアーティストが社会問題をどう捉えているのかは気になるところだし、彼のような聡明なアーティストが同世代にいることは単に嬉しい。それから、「納税者が、政治がおかしいって言うの当たりめえだろっ」と言い放った泉谷しげるさんは相変わらずパンクでスカッとする発言をされていた。ブレることなく市民の声を代弁し続けてきたアーティストは御年72歳! もちろん本人にはそんな意識はないだろうけれど、それがロックの在り方なんじゃないだろうか。そして、最も注目されたアーティストは、きゃりーぱみゅぱみゅさんの投稿とその後の一連の言動であったわけだが、声を挙げたこと自体はけして悪いことではないし、それを自身で消してしまうこともまた彼女の姿勢であり表現のひとつ。そう捉えれば何ら問題はないように思うのだが、政治評論家が彼女に対して送りつけた無礼極まりない発言や一般の投稿にも見られるように激しく叩かれてしまった。まるで“アイドルがトイレに行ってはダメ論”と同種のアレルギー反応にも見られたこの騒動。日本で政治や社会問題を語るとき、職業や立場によって自由な言論が許されないのはなぜなのだろう?

■世界ではアーティストが政治に言及するのは当たり前

視界を広げてみよう。世界的に人気の高い海外アーティストが政治や社会問題について発言した場合はどうなのかと言えば、その内容についての意見は賛否様々に噴出するけれど、発言をする行為そのものをバッシングされることはまずない。もちろん政治的なことを口にしないアーティストもいるし、自分の支持政党や支持する政治家を公言して応援をする人もいればファンに投票を呼びかけるアーティストだっている。

例えば、2016年のスーパーボールでのビヨンセによる黒人差別問題に言及したステージは歴史に残るセンセーショナルなショーであったし、テイラー・スイフトも2018年以前は政治的意見を明らかにしてこなかったが「考えが変わった」として候補者支援を表明。すると、トランプ大統領含む多数の政治家や候補者から厳しく言及されたりもしたけれど、フォロワー数1億人以上の自身のInstagramで投票を呼びかければ25万件以上もの有権者登録がなされるなど絶大な影響を人々に与えていることは明らかだ。アリアナ・グランデは2019年に開催したツアー中にアメリカの選挙で必要な有権者登録ができる場をコンサート会場に設け、若年層の投票への道をアシストしたり、支持する候補者とのツーショット写真を公開するなどして積極的に政治に参加している。

また、トランプ大統領を巡っては、リアーナやレディー・ガガ、ケイティ・ペリー、アデル、グリーン・デイ、ロッド・スチュワートなどが公に批判しており、ニール・ヤング、エアロのスティーブン・タイラー、ガンズのアクセル・ローズ、ブルース・スプリングスティーン、ザ・ローリング・ストーンズ、クイーンらが選挙キャンペーンにおける楽曲使用禁止を求めた例もある。少し前の話だが、これらに挙げたアーティストがもし自身が発信した動画を自国の首相や大統領に「うちで踊ろう」のような扱いをなされたとしたら、きっと真っ向から抗議していたことだろう。(文化を重んじる他国のトップはやらないだろうけど)

コロナ禍では、政治、文化だけではなく、自分や家族、仕事、生活の在り方などにおいて、これまで見えていなかったものが見えた奇妙な時間だと感じている。特に政治は自分の暮らしに直結するので、よりよい暮らしを求めるとき、自分の意向や価値観に近しく志のある人に政治を司ってほしいと願い、それを政治家に託すのは当たり前のこと。しかし、どの業界でも同じであるように、政治家の中にも初めの頃にはきっとあったはずの志がいつしか消えてしまう人や、その役職には向いていない人がいて、周囲を混乱させ、問題を大きくしてしまうことがある。当初は筆者や貴方が大切に思う文化やその界隈で生きる人々をないがしろにしている点に憤慨していたが、3ヶ月経過した今では議決したはずの給付金も、市場に出回り始めたマスクですらも未だ届けられずに、国民の命よりも利己と経済を優先し、私たちの頭上であぐらをかいている日本政府のやり方には正す必要性を感じさせるものが明確にあったと冷静に事実を受け止めている。

その中のひとつの問題が検察庁法改正だったわけだが、小さな声をかき集めれば大きな山を動かせることが今回のツイッターデモで分かった。黙るのが美徳という日本古来の考えも嫌いではないけれど、それで良い場合とそうではない場合とがあるので、今後も大きな問題に立ち向かうときには影響力のあるアーティストやクリエイターが自身の考えを明確に発信し、願わくは皆を引っ張るリーダーシップを発揮してくれたらとても心強い。それというのも、難しい局面に立ったとき、停止した思考を再始動させたり、冷えた心を暖められたり、考えるきっかけを与えられるのは音楽や映画、本などのアートであることが多いし、身近な人よりも遠くの憧れの人の言葉であったりもする。時には、星となったロックスターに思いを馳せて「あの人ならどんな行動をし、どんな言葉を私たちに投げかけただろうか」と考えたりする。アートの源はアーティストだ。だからこそ、アーティストには従来の通りの音にすべてを込めるやり方でも、SNSを使った表現でも何でもいいので表現することをやめずに声を聞かせ続けてほしい。そして他国には既にあるように、日本でも様々な分野のアーティストたちの声が他の声と共にサラウンドし、それを個人の声として受け入れ、共感するものを後押しできる社会になったらいい。


文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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