【インタビュー】MUCC、ミヤが語る『惡』と新境地「死をポジティヴに捉えるというコンセプト」

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1曲目の「惡‐JUSTICE‐」が鳴った瞬間、今という時代のど真ん中を射抜く極めてメッセージ性の高い作品だと身震いした。新型コロナウイルス感染症の影響による発売延期を経て、6月10日にリリースされるMUCCの15枚目となるオリジナルアルバム『惡』だ。前作『壊れたピアノとリビングデッド』(2019年2月発表)がホラー感というコンセプトのもと、構築的につくり込まれた作品であったのとは対比的に、今作は驚くほどに生々しい。

◆MUCC 画像 / 動画

パーソナルな感情をそのまま歌に封じ込めるフォークソング的方法論を基軸に、ミクスチャーから歌謡曲、讃美歌、ラウド、ジャズなど、ジャンルを横断的に生成される元来のMUCCらしい多彩な曲想とサウンドがひしめき、同じ場所に留まろうとしないという意味では正真正銘のロックアルバムでもある。歌詞も明暗・硬軟の二極ではなくその間のグラデーションを豊かに深化。コロナ禍で混沌とする世情を斬るような鋭い言葉もあれば、多くの人々が今、抱いているであろう不安感に寄り添うような希望の言葉もあり、破壊的に幕開ける16曲というフルボリューム作を聴き終えた後に残るのは、静かな浄化の感覚だった。

今作の世界観がお披露目されるはずだったぴあアリーナMMでのライヴ<蘇生>は現在、やはりコロナ禍で開催見合わせとなっている。しかし常にアイディアを繰り出し、表現し続ける彼らには停滞の気配が一切無い。アルバム誕生の経緯と今現在感じていること、そしてこれからについて、リーダーのミヤ(G)に聞いた10000字越えのロングインタビューをお届けしたい。

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■フォークというもので全曲繋がっている
■ジャンルやサウンドのことではない

──今の状況にピッタリと合う、驚くぐらい予言的な作品だという印象を受けています。“惡”というテーマが芽生えたのは、コロナ禍がここまでの状況にはなっていない時だったわけですよね?

ミヤ:いや、3月末まで作業はしていたので。ツアーが終わってからつくった新曲「惡‐JUSTICE‐」と「アルファ」、「DEAD or ALIVE」「眩暈feat.葉月(lynch.)」の4曲は、コロナ禍で追加された曲ではあります。それ以外の曲は全くそうではなくて、去年10月には出来上がっていました。でも“肝になるような曲がないな”と俺は思っていたから、「全員、アルバムの表題となるような曲のつもりで書いてきてくれ」とメンバーに言って、もう一回新曲づくりをしたんですよ。結果、できてきた4曲は、それぞれにいろいろ表現したいと思う部分があったので、当初1曲しか入れない予定だったのを4曲すべて入れることにして。それで曲数が増えてしまったという感じではありますけど。

▲ミヤ (G)

──全16曲収録という特大ボリュームです。

ミヤ:この2年間を通してずっと曲をつくっていたんですけど、古いものが多いと気分的に良くないんですよ。しょうがないことなんですけど。だから、シングル曲も入れる予定だったものの、盤には入れず、ダウンロード版だけにして。新譜には新曲が入ってる、というのが好きなんでしょうね。

──前作『壊れたピアノとリビングデッド』はコンセプトに沿って綿密につくり込まれたサウンドや、虚構の世界観の凄味がありました。それに比べて、今作は生々しさが身に迫ってくる感じがします。このモードは自然になっていったものでしょうか?

ミヤ:前作は、そういうコンセプトを決めてやらないとネタがなかったんです。ファンタジーを妄想の世界でつくり上げて楽しんでいたという感じで。それが“やったことのないもの”だったのでチャレンジしたというのが大きい。でも今回はもう、フォークソングを歌っているような感じだし、MUCCというバンドの根本スタイルは元々こっちなんですよ。やっぱり、その時思ったものをそのままその瞬間に訴えたいし、それが今回はできた。前回の作品に若干ストレスがあったところといえば、そこで。“やっぱり向いてねぇな”という感じはありましたね(笑)。

──前作のクオリティの高さが各方面から賞賛を浴びていましたし、ライヴも素晴らしいものだったので、意外な自己評価のように感じます。では、今作の音楽性がいつにもまして多岐にわたっているのも、自然な成り行きだと?

ミヤ:何も考えずにつくるとこうなりますね。今回は曲調どうこうより、メッセージ性のほうが強かったので、曲ができてきた時に“ロックンロールな曲だけど、乗せる歌詞はまた別のものにしたい”という遊び方もしたし。例えば、元はすごくネガティヴな事柄だけど、すごくポジティヴな曲調に乗せて「スーパーヒーロー」というすごいタイトルで歌う手法、それがうちらの旬の表現の仕方かな。だから、前回のツアーをしながら、新曲がどんどん増えていって現実味を帯びてくると、“早くこの世界観は脱ぎ捨てたいな”という気持ちもあったんですよ。もちろん、あの世界観はあの世界観で良かったし、つくり込むことは嫌いじゃない。むしろ好きなんですけど、まぁ、期間が長かったというのもありましたし。

──「自己嫌悪」などは、ライヴ会場で随分前に聴いた記憶も蘇ります。前作がリリースされるさらに前からある曲ですよね?

ミヤ:元々は2年前、デモテープを出して<収監ツアー>を廻ったんですけど、これは“ライヴの中で新曲を披露しつつ、CDとしてリリースをせずに、何年か後にそれがアルバムに入る”という、普段とは違う流れをやってみるための試みだったんですね。<北海道型収監6days>から始めて47都道府県を廻り、各地方ごとに新曲のデモテープ販売をしたんです。結果、その2年間の作品に加え、シングル曲もあったし、新曲も追加して今回のアルバムになった。コアファンは何度もライヴで聴いていた思い入れのある曲がCDになったと感じるだろうし、“久しぶりにMUCCのアルバムを買ってみようかな”という人には全部が新曲に聴こえるだろうし。いろいろな感想が出てきそうなアルバムではあるとは思います。

▲逹瑯 (Vo)

──『惡』というアルバムタイトルですけども、「自己嫌悪」で歌われている2年前の“悪”、あの時の苛立ちとか吐き出したいものの正体は、今作の「惡 -JUSTICE-」の“惡”と地続きなのか、全く異質なものなのか、どちらでしょう?

ミヤ:「自己嫌悪」はこのアルバムの世界観が生まれるきかっけになった曲ではあるんですけど、全く別ものですね。俺が実際にしたわけじゃないけど、例えば人に手を挙げちゃったとか、自分の起こした行動に対して自己嫌悪に陥ることがあるというくらいの単純でくだらない曲なんです。ただ、すごく人間味のある曲だから、そういう意味では繋がっているかもしれない。もう、そう思った瞬間にできた曲だったので、あれこそまさにフォークソングというかね。そう考えると、今回は全曲、フォークというもので繋がってるかもしれない。

──たしかに、先ほどお話しいただいた「スーパーヒーロー」にも逹瑯さんの率直な気持ちが出ていると感じますし、フォーク感というワードには納得です。

ミヤ:フォークってジャンルやサウンドのことではないと俺は思っていて。サウンドは何でもアリ。その人のスタイルというか、“ここまで赤裸々に歌わなくてもいいんじゃない?”とか“こんなに個人的なこと意味分かんないよね”とか、リスナー側がそう受け止められるぐらいパーソナルで、いろんな人に対しては歌っていないけどいろんな人に共感される、というのが一番フォークだと俺は思うので、『惡』もそういう感じであってほしいですね。

──冒頭の「惡‐JUSTICE‐」は作詞が逹瑯さんですが、ミヤさんから「こういうふうに書いてほしい」というのは明確におっしゃったのですか?

ミヤ:いや、最初は歌詞も俺が書こうとしてたんですけど、逹瑯が書いたほうがいい曲になると思ってワードを何個か渡しただけです。

──それはどの部分か、具体的に教えてもらうことは可能ですか?

ミヤ:兵隊と行進。あと、正義、洗脳とかもあったかな。

──“instant Justice”という表現が痛烈だなと。

ミヤ:それは逹瑯の言葉で、「今の時代に対してどう思ってるかを歌ってほしい」と伝えただけですね。俺とは違う考え方を持ってると思ったので、オファーしたんですけど。

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