【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.128「こどもとフジロック」

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筆者には一人息子がいる。彼は5歳で、ケロポンズやザ・イエローモンキー、Queen、MIYAVIが好きな園児だ。そんな彼は母の仕事に付き合う形で1歳の頃から<FUJI ROCK FESTIVAL>に毎年参加し、2年前からは「暑くなったらお山に行って、フジロックに行って、ケロポンズやイエイイエイをみるんだよね!」と自覚して参加している。だがしかし周知のとおり、今年の夏は<フジロック>が開催されないことになった。(ちなみに「イエイイエイ」とはライブを意味する彼の造語である)


今年の<フジロック>開催を巡っては、正式な延期発表前に音楽メディア以外の情報機関による誤報道やスクープ的に扱うフライング報道が顕著だった。特に、某新聞社がその先陣を切って開催中止と誤って流した日の朝にはそれを鵜呑みにした息子が通う園の保護者から「フジロック、中止なんだって?」と開口一番に言われたこともあったりもして、幸か不幸か、実際に何かが発表された場合に息子にどう伝えるかを考える事前シミュレーションができていたりもした。誰かに聞かされるぐらいなら自分からきちんと伝えようと決めていたので、延期が発表された時はいの一番に彼に伝えたところ、母の口から良からぬ一報を突如知らされた5歳児の第一声は「えええーっ?! フジロック、やんないの?!」というものだった。


「なんで? どうしてなの?」と間髪入れずに聞いてきたのでオフィシャル発表された内容をかいつまんで伝えたのだが、聞き終えた彼は少しも納得していない面持ちで「ケロちゃんとポンちゃんに会いたかったのにっ! くっそ~、コロナめ~っ!」と絶叫後、しばらくプンプンと怒っていた。そんな彼に「フジロックって、どんなところ?」と聞いてみたら、「たのしみがあるところ」という答えが返ってきた。






それから2週間が経過したけれど、その間も彼はケロポンズのCDを聴いては歌い叫び踊りながら「森で踊りたかったのになあ」とぼやき、石ころを見ては「ゴンちゃん探せないじゃん」と嘆き、花火を見ては「葉っぱの花火、見れないんだな~」と苗場にある電飾で飾られた木を思い出して憂い、壁に飾った写真の中の自分が得意げに持っているぐるぐるウインナーを見ては「食べたかったのにな~」と恨み節を呟いたりしている。


中でも胸を打たれたのは我が家の壁に飾られていたメタルアートのカブトムシが壊れた時のこと。昨年、<フジロック>のワークショップで彼が作ったものなのだが、今年は里に帰れないことを察知したのか突然パカーンと割れてしまった。それをぼんやり眺めていた母を尻目にスクッと立ち上がった彼は、工具箱から電気ドリルやドライバーを取り出してきて「フジロック行けないから、ここで修理しなきゃね」と言い、長いこと作業に勤しんでいた。思い出に浸りながらのメンテナンスというのがなんだかすごくいいと思えたのは、<フジロック>で過ごした時間が今に繋がっていることが素敵すぎたせいだ。


最初は親の勝手で巻き込まれる形で始まったものの、今では自分の楽しみが点在する特別な空間として<フジロック>を認識し、恒例行事として彼の心に根付いているのは健気な姿からも明らかで、彼は五感すべてで<フジロック>を感じ、<フジロック>が開催されないことをとても悲しんでいる。そして彼の一連の言動を違う側面から見ると、自分が好いと捉えているものを我が子にしかと伝承できていることを実感できるものでもあるので、親としても、人生の先輩としても、これ以上の喜びはない。しかしながら、今年<フジロック>は開催されない。感情は浮いたり沈んだりとジェットコースターのように波形を描いて忙しく動き続けるから本当に困る。




そしてこれは、けして我が家に限ったことではない。以前、<フジロック>には何人の子どもが参加しているかについてSMASHに取材した際、正確にはカウントされてはいないものの、2018年開催時に用意したキッズ用リストバンド3500本は完配したと聞いたことがあった。ということは、日本全国、或いは海外の何処かに<フジロック>が開催されないことを悲しんでいる子どもたちが数千人もいることになる。彼らの親御さんたちはそれぞれどのようになだめ、説明しているのだろうか。自分の気持ちよりも子どもの心のケアを優先し、今年参加するために準備したものもすぐにサイズアウトして来年には使えなくなると溜息を漏らしているであろう数千の同志の心情を思うとやるせない気持ちでいっぱいにもなる。


こどもを<フジロック>に連れていくことに対して批判的に見ている人もいるようだけれど、他の数千にも上るファミリー同様、私たち親子も<フジロック>という年に一度しかないスペシャルな3、4日間を、音楽と自然が溢れる非日常的な空間に身を置き、他では体験できない家族の思い出を積み重ねて大きく育んできた。きっかけは私が学生だった頃から<フジロック>を唯一無二の空間として特別視していること、そして<フジロック>が20周年を迎えた2016年に始まった子どもを連れてフジロックに参加する人たちを応援する情報発信プロジェクト“こどもフジロック”のメンバーとして活動し始めたことにある。

これまで出演アーティスト、DJ、俳優、芸人、医師などの幅広い分野で活躍する著名な人たちのインタビューを担当してきたが、保育界を代表するりんごの木こどもクラブ代表の柴田愛子さんの「親が自分を失ってしまうことほど怖いことはない。自分の好きなことを失わないほうがいい」という言葉には仕事を忘れて涙がこぼれるほど勇気づけられたりもした。5年目を迎える今年は親子で参加する人たちと一緒に楽しめるような企画を実現したいと密かに考えていたけれど、話し合いも何もできないまま終わってしまったのはとても残念だが仕方がない。昨今ファミリーでフェスに参加することが広く浸透してきてはいるけれど、音楽フェスの中でも<フジロック>は最もタフな環境であるし、コロナ出現によってこれまでには必要とされていなかった準備や知識、対策も必要となるはず。それらをうまく情報収集して、皆でシェアし、参加者同士が助け合いながら楽しめたらいいと思っている。


さて。来年、息子は小学生になるのだが、<フジロック>の場合は保護者同伴に限り中学生まで入場無料なのでその頃ぐらいまでは一緒に遊んでくれたらと希望を抱いている。だが一方で、中学に入ると部活や習い事、塾などで親子共に<フジロック>への参加が難しくなると周囲の人たちやインタビューに答えてくださったフジロッカーたちのリアルな声も聞いている。子どもの成長は早い上、今回のコロナ禍のような疫病などのせいでライフワークとして大切に捉えている文化的な活動を一気に失うこともあると知ってしまった以上、「いつかやろう」はナシにして、やりたいことは実行できるときにやっておくべきだと改めて肝に銘じた春となった。


それからもうひとつ。SNSでも話題になっていたが、<フジロック>は来年に限り、高校一年生まで入場を無料にするということを公式サイトのQ&Aに明記しているのをご存じだろうか。要するに、今年の中学3年生もその親御さんも皆、平等に対応するという意思表明、「今年ダメでも来年来てね」ということだ。こうした細やかな配慮には、ひとりひとりの客と柔軟に向き合う姿勢と人の情けを感じ取ることもできて単純に嬉しくなってしまう。この世知辛い世の中でもそうした心遣いができる主催者と、その心意気を受けとった人々がフェスのファンとなり、こぞってグッズを購入し、来年までチケットをキープするなどしてフェスの存続を願い、応援するのだろう。グッズの受注販売も始まったばかりだが、そうした動きを見ても主催者とオーディエンスとの間には良好で健全な関係が<フジロック>にはあると思う。

それでもやっぱり、音楽フェスに対する一番の応援は「参加」することだ。来年も、その先も参加できるように、健やかに日々を過ごして来年に備えていこう。そして、コロナ禍では大人以上に我慢を強いられた子どもたちのことを忘れてはいけない。園にも学校にも行けず、公園で遊ぶことも許されず、テレワークする親からは邪魔にされ、家では騒げず、家の事情で連れてこられたスーパーでは見知らぬ大人たちから冷たい視線を浴びせられていた上に<フジロック>がないのだから。<フジロック>に変わるものはないけれど、キャンプやプレイパーク、公園などの安全が保たれた場で子どもと一緒に思いっきり外遊びをして心豊かに過ごさないと彼らも帳尻が合わない。


▲BARKS統括編集長と


▲BARKS編集部の人と

カバー写真◎西角郁哉(BARKS編集部)
文・写真◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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