【連載インタビュー #1】叶~Kanae~、パニック障害を持つシンガーソングライターが歌う理由「伝わるってこういうこと」

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叶〜Kanae〜が7月21日、3rdシングル「低気圧ガール」以来、約2年ぶりの新曲「ピアニスト」をリリースする。同楽曲を第一弾として配信シングルを6ヶ月連続リリースすることに加え、奇数月には無観客配信ライブを実施するなど精力的だ。

◆叶~Kanae~ 画像 / 動画

都内ジャズバーを中心に本格的な音楽活動を開始したのは東邦音楽大学声楽学科で勉学に励んだ後の2007年のこと。同時に国立音楽院音楽療法学科在学中から介護施設や養護学校などで演奏活動もスタートした。これまで、3枚のシングル、アルバム1枚をリリース。着実に活動を重ねてきた叶~Kanae~には、音楽を奏でる理由がある。

家庭や学校での人間関係に悩み、カーテンで閉ざした暗い部屋でひきこもっていた14歳のとき、音楽に出会った。不信感と恐怖感からパニック障害になり、電車にも乗れなくなった彼女を救ったのは歌うことであり、殻にこもっている自分を心から叱ってくれた友人だった。音楽大学で声楽を学び、専門学校で音楽療法士の道を目指し、シンガーソングライターとして活動するようになった今に至るまでの道のりは決して平坦なものではない。歌で誰かになにかができるかもしれないという希望を見つけた日もあれば、親友たちを亡くし、絶望と無力感に打ちひしがれた日もあった。居場所がないと思っている人たちの心に音楽で寄り添いたいという叶~Kanae~が、これまでの人生を赤裸々に語ったインタビューをお届けしたい。

   ◆   ◆   ◆

■学校に行く電車には乗れないのに
■ほかの場所に向かうときは乗れた

──まず、シンガーソングライターを志すまでの道のりをお聞きしたいと思います。学生のころは不登校だったとか?

叶~Kanae~:はい。中学2年生の頃から、行けたり行けなかったり。高校に入ってもそういう状態を繰り返していました。

──要因となったものはなんだったんでしょうか?

叶~Kanae~:父親との関係が大きかったです。父は朝から夜まで仕事一筋の人で、私が子供の頃はほとんど家にいなかったんです。週に1回、家族で食事をするかたちになったのが中学生のときで。私にしてみれば、途中からお父さんができたような感覚だったんですね。それまでは母と妹2人の母子家庭のような感じで過ごしていたから、父親が家にいることですごく緊張して、食事していても“見られている”というか、監視されているように感じたんです。そのことがきっかけで電車に乗ってもまわりの人が自分のことを見ているように思えて、そのうち電車に乗れなくなったんです。

──お父様はあまりしゃべらない方なんですか?

叶~Kanae~:無口で威厳がある人ですね。

──家庭環境に変化が生じたことで不登校になってしまった。“消えていなくなってしまいたい”と思っていたそうですが、その時期ですか?

叶~Kanae~:中学、高校のときは特にそうでした。しつけといえばしつけなんですけど、度が過ぎるほど厳しくて、父から言葉の暴力を受けたことも多々ありましたし、目の前で母がひどい目にあったりだとか。“自分なんか生きている意味がない”と思って、泣きながら裸足で家から飛び出したことや電車のホームから衝動的に飛び降りたくなることもありました。いま思えば父は家にいなかった分、家族の関係を修復したかったと思うんですけれど。

──恐怖感から不登校になった面もあったんですね。

叶~Kanae~:あとは、“あるある”ですけど、中学で女子のグループから仲間はずれにされていたんです。昨日まで仲がよかったのに急に無視されて、“なんでなんだろう?”って。人がなにを考えているのがわからないから不安になって、新しい友達ができても、女子たちがなぜ私のことを避けているのか怖くて聞けなかったし、父親も口数が少ないからなにを考えているのかわからない。そういう気持ちが募りに募って不登校になったというのもあります。

──思春期にいろいろなことが重なってしまったんですね。電車に乗ろうとするとドキドキしたり?

叶~Kanae~:過呼吸になることが多かったです。修学旅行もどうしたら行かないで済むか考えて、早朝、自分の部屋の机の下に隠れていて、お父さんが出勤するのをひたすら待っていたりとか。

──叶~Kanae~さんが本当の気持ちを打ち明けられたのは、お母様ですか?

叶~Kanae~:母がいたから救われた面はありました。ただ、自分の気持ちの持って行き場がなかったので、どうしたらいいかわからなくて、母に当たったりとか、毎日キレてました。ちょっと強めの反抗期というか、悲しさが怒りに変わっていたんでしょうね。妹たちもいつも怒っている私を怖がっていたと思います。完全なひきこもりではなかったんですが、部屋に閉じこもって音楽を聴いてましたね。

──学校に行かなきゃならないことはわかっているから、自分を責めたり、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになっていたんでしょうね。

叶~Kanae~:そうなんです。寝る前に“明日は絶対、学校に行こう”って決めるんですけど、朝になると“やっぱり行けない。ごめんなさい”って。学校に行ってないことを母に打ち明けるまでは、行くふりをしてサボっていたんです。学校に行く電車には乗れないのに、ほかの場所に向かうときは乗れていたんです。

──学校が苦痛だったから。

叶~Kanae~:はい。河川敷に行ったり、ひとりで遠出していました。行けるときは保健室登校をしてたんですよ。自分のように授業を受けられないコたちは保健室に通うっていう学校の決まりがあって、そこで友達ができたり、担当の先生と話すようになったり。


──クラスメートからどんなふうに思われていたと思います?

叶~Kanae~:“口数が少ない静かな子”だったのかな。ただ、保健室の先生や友達からは“明るい”って言われてました。

──叶~Kanae~さんが歌手を志したのは14歳のときだから、ちょうど反抗期で不登校の時代ですね。

叶~Kanae~:はい。保健室の先生から「なにか趣味を見つけてやってみたら?」って言われて、思い浮かんだのが音楽だったんです。もともと洋楽が好きで聴いていて、曲を覚えて歌うことも好きだったので、声楽を習おうかなって。

──クラシックも好きだったんですか?

叶~Kanae~:あまり知識がなかったので、歌の基礎といったらクラシックなのかな?って。家の近くに音楽教室があったというのもあって。

──部屋にひきこもっていたときは、どんなツールで音楽を聴いていたんですか?

叶~Kanae~:母にCDショップで借りてきてもらってました。ジャケット写真を見て気になったものが多かったんですけど、ザ・ビートルズとかスティーヴィー・ワンダー、ABBA、ジャクソンファイブだったり。

──叶~Kanae~さんの年代にしては渋いですね。1970年代の音楽ってリアルタイムではないじゃないですか(笑)。

叶~Kanae~:はははは。たまたまそのCDショップの品揃えがそうだったんですよ。流行っている音楽を聴くのはもう少し後のことになりますね。

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