【コラム】ブライアン・メイの誕生日、あなたは何聴く?

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ブライアン・メイが誕生日を迎えると、ブラック・サバスのオタクたちが騒ぐ。私がTwitterをやっているのは、その様子を眺めるのが好きだから、と言っても過言ではない。

本日2020年7月19日に、ブライアン・メイは73歳の誕生日を迎えた。新型コロナウイルス感染症による外出禁止令の発令中も、精力的にInstagramで動画発信するショートパンツ姿の70代。実にロックだ。5月には「軽い心筋梗塞で入院」というショッキングなニュースが世界中を駆け巡ったが、つい先日もエアロバイク自撮り動画をアップロードするなど、順調にご回復されているようで何よりである。

ブライアン・メイというギタリストは、非常に象徴的な性質を持っている。職人気質とスター性を併せ持ち、個性と伝統をバランスよく組み込む“あの”感じ。加えて、サウンドについては超個性派なのだから隙が無い。


また、愛機が手作りってとこもろイイ。「廃材から自作したギターをコインで爪弾き、世界を股にかけるギタリスト」なんて、キッズの憧れ全部盛りである。そこまで来れば、数々のギターヒーローがブライアンに憧れる理由もわかる。

加えて、上手いけれども技巧派すぎないところが親しみやすい。クイーン自体が「技術」を見せつけるというよりも「音楽」を聴かせるスタイルだから、ブライアンのソロはメロディックで心地よく、万人ウケするのだ。加えて、“楽しい範囲”で爪弾くこともできる。

じゃあブライアンそっくりな音が出るかって、出ないのだ。世界中でいろんな人が真似しようとしているけれど、あのブライアン独特の音は出せない。これは素人が真似してるからではなく、トニー・アイオミも「同じ機材使ってもブライアンはブライアンの音が出るんだよな~」的なことを言っていた。なんというか、これに関しては「アイオミが言うんならガチだろう」感が半端ない。

要するに、ブライアンは「親しみやすいが、絶対に手が届かない」存在なのだと思う。とても近くにいるけれど、神髄に触れるのには難しい。それってなんだか、夜空に輝く星のようだ。

さて、さすがは天文学者というだけあって、ブライアンの曲の中には宇宙をテーマとしたものが幾つかある。2019年の元日に発表された「New Horizons」もそのうちのひとつだが、初めて聴いたときには歌声の表現の豊かさに何より驚いた。雄大なリズムは、巨大な円を描きながら星の間を航る探査機の軌跡を表現しているのだろうか。


だが、ブライアンの最も優れているのは、彼が「ファクトを重視する科学者」でありながら、「格調高い文学から大衆向けのファンタジーも愛するロマンチスト」でもある、という所だと思う。

科学的事実のみで曲を構成する知識があっても、ブライアンはそうしない。ウラシマ効果を扱った名曲「'39」だって、主題は「相対性理論ってすげえだろ!」ってところじゃなくて、「時空を超えたラブソング」の部分だ。ウラシマ効果は壮大なラブストーリーを表現するための手段に過ぎない。これは知的かつ上品な表現技法である。


余談だが、「クイーンの中でブライアンのヴォーカル曲が特に好き」という方には、『星の王子さま』などの翻訳でも有名な芥川賞受賞作家・池澤夏樹の小説をお勧めしたい。ブライアンと同世代(ちなみに同じ7月生まれ)の池澤は、物理学を学び世界中を旅した作家で、作品の題材や文章から漂う雰囲気がブライアンの楽曲とよく似ている。

池澤の短編小説『星に降る雪』は、ブライアンの歌う「ロング・アウェイ」とほとんど同じ題材で書かれている。「ロング・アウェイ」は難解なナンバーだが、池澤の小説を読めば、楽曲で描かれた心情が感覚的に理解できると思う。


そんなインテリ派の曲がたくさんありつつ、頭を空っぽにして楽しめる曲も多いのが、ブライアンの何よりの魅力だ。「ウィ・ウィル・ロック・ユー」に「タイ・ユア・マザー・ダウン」、「ファット・ボトムド・ガールズ」「ティア・イット・アップ」なんかは、ロック本来の狂騒的な姿を思い出させてくれる。


ただ、改めて考えると「引っかかる」作品も多い。「ドラゴン・アタック」なんか好例だ。この曲、流し聴くだけならば普通のハードなナンバーなんだけど、歌詞をよく読むとかなり意味不明で、一貫性と説得力のある解釈を何通りも作ることができるのである。


筆者は最近、「セイヴ・ミー」を聴いていて引っかかった。同曲は紛うことなき失恋ソングだ。それは疑いようもない。アニメーションの効果が美しいミュージックビデオも、失意に打ちひしがれた女性の姿を描いている。


何でソレに引っかかったかといえば、この曲ってなんか、「失恋」というありふれた主題の割に曲が壮大すぎるのだ。いやまあ、私は恋愛経験が無いし、恋愛モノの映画やドラマにもあまり共感できない人間なので、そのあたりがいけないのかもしれない。

でもやっぱり、ちょっと重すぎやしないだろうか。この曲聴いて「そんなに重い性格だからフられちゃうんだよ」と言いたくなった人は私以外にもいると思う。リアルに考えると、友達がこの勢いで失恋の愚痴をこぼしてきたら「お、おう……」としか言えない。

何より不思議なのは曲調だ。この曲、歌詞の内容は一点の光も見えないのに、長調で書かれたメロディはエネルギーを徐々に高めていき、サビでは爆発的なパワーを放出しているのだから面白い。ヴォーカルの表現も決然としており、勇ましさすら感じられる。

そういうところから、「実はこの曲、ただの『失恋の曲』じゃないのでは?」と考察することもできる。たとえば、恋人とは信仰していた何か(学問でも、宗教でも、こだわりでも何でも)のことで、この曲はそれを疑ってしまう自分を嘆いているのだ、という説。これは結構、筋道が通った解釈が作れそうだ。

あるいは、元となっている何かの物語がある「イメージソング説」。または「死別の歌説」等々。そういう解釈じゃなくても、歌の主人公が「どんな恋愛をしていたのか」「どんな相手だったのか」を、いろいろ想像することができる。

支配的な解釈が作者側から提示されていない場合、芸術の捉え方は受け取り手の自由だ。ブライアンの作ったものを含むクイーンの曲は、リスナーの解釈が入り込む「余裕」が多めに取られているものが幾つも存在する。

前述した「ファット・ボトムド・ガールズ」も、単純なセックスソングのようでいて、もう少し踏み込めば「望郷の歌」となる。“架空の妹”のインパクトが強い「スウィート・シスター」だって、ここで歌われている「妹」が何を指しているのか、何かの比喩か空想か、それを考えるだけで楽しい。


歌詞を読むだけにとどまらず、「どうしてこのメロディはこの単語を強調しているのか」「なぜこの歌詞にこのメロディなのか」「元ネタはあるのか」なんて考えだしたらキリが無い。自分が言葉にできずとも、音楽を聴いて「この曲のココって違和感ない?」と発信すれば、考察好きな人が何かの解答をくれるかもしれない。そうやってSNS時代の音楽の楽しみが広がれば、音楽は永遠に色褪せることがない。

アーティストの誕生日は、多くのひとがそのアーティストの曲を聴き、楽しい思い出を語る日である。その日には、錚々たる顔ぶれの“同業者”たちが発表する祝福メッセージを読むのはもちろん、普段はそのアーティストの話をしていない方が語る「実はウン十年前の初来日公演のとき、最前列で見てて……」「イギリス旅行したときにマーケットですれ違って……」みたいなウラ話を捕捉するのも楽しい。

そんなこと言うと、「おまえは何かエピソード無いのか」と言われそうだが、残念ながら私は何のエピソードも持っていない。せいぜい、2016年のクイーン+アダム・ランバートの来日時、会場入りするブライアンと手を振り合ったという程度だ。生で見るブライアンは後光が差していた。マジで。

世の中にどんなことがあっても、いちどこの世に生まれれば、誕生日は毎年おなじ日に巡りくる。誰かが祝う限り。ブライアンの74年目の旅にも、たくさんの幸せがありますように。


文◎安藤さやか(BARKS編集部)
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