【インタビュー】KEN THE 390に聞く、『日本沈没2020』の可能性とラップの本質的体験

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──考え方が真逆でもバトル感を演出できるのって、KEN THE 390さんだからだとも思うんですね。たとえばご自身の楽曲「Nobody Else」では、“ディスリ合い 落とし合い より俺は俺の音楽したい”と歌ってらっしゃいます。独善的なように見えて、その立場は中庸。

K:僕、割とラッパーの中ではマイノリティなんですよ。高校出て、大学出て、社会人やって…って世の中から見るとまっとうなんですけど、ラップ界隈だと異質なんです。特に僕がソロアルバムを出した頃なんかは、社会人やりながらラップやるなんてギョッとされるレベルでした。だから当時は世の中のマジョリティと、シーンにおけるマイノリティを両方同時に経験してるんです。中庸な立場を取ることができるのは、そういう経験があるからかもしれないですね。

──ラッパー界隈におけるマイノリティ感は、先日リリースされた「Teenage Dream」を聴いても何となく分かるような気がします。“いつまでも似合わないニューエラキャップ”とか…。

K:ラップの面白いところって、そういう“キャラクターありき”なところだと思うんですよね。そこが“歌”と違うところで、“歌”って誰が歌っても良い曲なら良いんですよ。でもラップの場合は、その人のバックグラウンドによって聞こえ方が全然違う。たとえば「お母さんありがとう」ってリリックを、親孝行してきたヤツとそうでないヤツが歌うのでは重みがまったく違うんです。だからアニメのようなストーリーラインの上で登場人物がラップするのって、ラップの本来的な魅力を感じられると思うんですよ。それは僕も改めて実感しました。ひとくちに「アニメで使われるラップの監修」と言うと、僕がいつもヒップホップでやってることとは全然違うように見えますが、むしろ本質的な部分は物語の中にあります。

──いやもう、仰る通りですよ!その点で言っても、今回のラップの使われ方って完璧ですよね。何話目かは差し控えますが、ラップのシーンは結構終盤ですし。

K:そうですね(笑)。声優さんの演技としてもそれが活きているかなと思います。キャラクターがはっきりした状態でラップしているという点で。それと今回はDEVILMANの時と違ってラッパーでなく声優さんがラップしてるんですが、それも良かったですね。物語の中でキャラクターを背負った状態でラップするのなら、絶対に声優さんがやったほうがいい。テクニックを競い合うわけでなく、セリフとしてラップするわけですし。

──映画の『サイタマノラッパー』を思い出しますね。あの作品も劇中でラップするのは本職のラッパーじゃなくて、基本的には俳優です。

K:分かります分かります。かなり近いと思いますね。むしろ素人っぽさがあったほうが良い場合はありますよ。今回監修する上でそこも考えましたね。本当はもっと韻を踏めそうだけど、あえて緩くしてもらったりとか。いきなりフリースタイルのラップを振られてるのに、みんなバチバチに全部ライム落としてたらさすがにちょっと不自然過ぎるよなと(笑)。…でも視聴者にはちゃんと聴かせないといけないから、リズムはタイトにとってるんですけどね。そういった諸々のさじ加減には気を付けました。自分だったら絶対に韻を踏むところもあえて外したり、結構調整しました。


──少し話を変えてお聞きします。Netflixの強みは海外への波及力と即時性だと思います。『DEVILMAN crybaby』もCrunchyrollアニメアワード2019で最優秀作品賞を獲得し、湯浅監督も最優秀監督賞を受賞しました。今回は海外に向けたアプローチはあったのでしょうか?

K:ラップを監修する上では海外アプローチの話はなかったですね。ただ、監督と音楽のニュアンスを話し合った時にジャジーヒップホップを意識したかもしれないです。監督からは“今っぽい感じ”ってオーダーがあったんですけど、キャラクターが心情を乗せないといけないから無機質すぎるビートは避けました。この場面で音楽をかけるカイトはYouTuberだから何でも知っていて、彼自身も三連符でラップしてるんですけど、トラックをトラップにするのは合わないなと思ったんです。で、今っぽくもあり、エモーショナルな雰囲気にしたいと考えた結果、ジャジーな音色(おんしょく)に仕上がったんです。Lo-Fi ヒップホップが世界的に支持されているという意味では、図らずも海外にも訴求する内容になってますね。

──楽曲「シズマヌキボウ」でも同じトラックが使われていますが、こちらでこそジャジーなプロダクションは効いているように思います。

K:そうですね。やはりリリックの内容がそれぞれ繊細なので、それを引き出す上でもこの音色のほうが適切だったかなと思います。作っているときにnujabesを意識していたかもしれないですね。彼の世界観にはディストピア的なニュアンスと、希望を感じる暖かさの両方があるような気がしていて。「#キボウのマイクリレー」にも既に色々なアーティストが参加してくれてますけど、やっぱり両面あるような気がするんです。エッジーな問題意識を持ったリリックでも、ポジティブな意味を持って聞こえるというか。

──それこそLo-Fiヒップホップがネットミーム的に広がったことを考えると、予期せぬところから火が付く可能性もありそうですよね。「シズマヌキボウ」はミュージックビデオもYouTube上で公開されているわけですし。

K:DEVILMANの時は結構南米からリアクションがありましたね。どうやら向こうでは吹き替えでなく字幕がついて配信されていたらしいのですが、当然そこではラップも日本のラッパーのままなんです。だからその筋からは「あのラッパーは誰なんだ?」とか聞かれましたね。『日本沈没2020』が今後どう展開してゆくかは分からないですが、“シズマヌキボウ”も含めて、今作のほうがネットを介したコミュニケーションを誘発できそうな気はしてます。

──そういう意味でもアニメって優秀なプラットフォームだと思うんです。届けられる範囲が格段に広がりますよね。特にNetflixは作り手側の意図が尊重されると聞きますし、観ている側としてもそれに関しては実感があります。

K:そこには僕も期待してます。“日本沈没”ってそもそも良いテーマだと思うんですよ。否応なく自分の国家について考えるというか。普通に生きていると、大文字の”国家”って意識する機会があまりないじゃないですか。“日本が沈没する”っていう状況に対して、アニメを観た多くの人が自分の思想や感情をお互いにぶつけてゆくのは悪いことではないと思いますね。それこそ、劇中で歩や剛が実践していることですし。もちろん、過剰なものは良くないですけど。

──KEN THE 390さんには今後も様々なジャンルからお話が舞い込んでくると思います。その多動的なバイタリティの秘訣を最後にお伺いしたいです。

K:僕の場合は、自分が社会人だった経験がラッパーとしてのアイデンティティにめちゃくちゃ効いているんです。恐らくあの経験がなかったらここまで生き残れませんでした。さっきも言ったように、僕はラップやヒップホップの面白さは個人のキャラクターに紐づけられると思っています。だから、たとえその経験がヒップホップ的でなくとも、僕の作品には反映されるんです。そこで僕が感じたことは、良いことも悪いことも全部返ってくる。なので僕は、色んな経験をさせてもらいつつもアルバムをリリースするペースは変えてないんです。今回のラップ監修にしても、いずれ何らかの形で自分の作品やラッパーとしてのアイデンティティに反映されると思いますね。これからもそうやって、自分の音楽を追求するつもりです。

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『日本沈没2020』は目下配信中である。もちろん、“シズマヌキボウ”プロジェクトも継続中だ。KEN THE 390が言うように、“日本が沈没する”というエキセントリックなテーマに対しては、我々の秘めたる思想はむき出しになるのかもしれない。

それでも、それらをぶつけ合うのは時に必要なことだ。『日本沈没 2020』ではそのやり取りがフィクションとして提示されたが、“シズマヌキボウ”では我々も具体性をもってそこへ参画できる。「#キボウのマイクリレー」では言葉(ラップ)で、「#キボウの風景」ではイメージ(写真など)で。歩や剛、あるいは花譜やDaichi Yamamoto、小野賢章や向井太一よろしく、我々もキボウを紡ぐことができるのだ。

Text:Yuki Kawasaki

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