【インタビュー】DURANが語る、新曲に込めたアイデンティティ「プレイヤーではなくアーティスト」

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6月29日、DURANの新作「Echo (Electric Gospel)」が配信で公開された。稲葉浩志/スガシカオ/小袋成彬/RED DIAMOND DOGS (EXILE ATSUSHI)…といった錚々たるアーティストのステージをストラト1本で掌握し、まさしくワンアンドオンリーなプレイで観るものを圧倒させるDURANだけに、ギタリストとしてのアイデンティティがどう表現されているのかとても気になる作品だった。

◆DURAN 画像 / 動画

だが蓋を開いてみれば、攻撃的なストラトサウンドは身を潜め、そこにはローファイでチルアウトな、そしてそこはかとなく湿った香りとドープな質感をも漂わせる作品が誕生していた。ギタリストである以前に、シンガーソングライターであるというDURANの本質に迫るべく、本人をキャッチ、その類まれなる才能の源泉を探ってみた。

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■“僕は死んだ”みたいな
■変なマインドに陥ってました

──新型コロナウイルスは世界中で様々なダメージを与えましたが、DURANにとって得たこと/失ったことはどういったものでしたか?

DURAN:自分が一番輝ける場所や準備していたものが、いきなりぶっ壊れて、“僕が生きていける場所はないな”って感じになっちゃって。僕にとって“ライブ=生きがい”で、それができないのは死んだも同然なんです。YouTuberやらInstagramerミュージシャン的なやり方もあっただろうけど、僕はやっぱりライブステージで映える人間なので。配信ライブとかもあるけど、いくら映像や音を最高なものにしても、生の体感には勝てないでしょ? オフラインだからこそ体感できるものを、オンラインで表現しようと近づけるのって僕的には意味がわからなくて。全くの別物としてやるならわかるけど、それって結局”ライブ”とは別物だから、解決策が自分の中になくて、“このまま終わっちまうのかな”みたいな感じでどんどん堕ちちゃって。

──気持ちが?

DURAN:そう。ライブがあってこそな動きだったし、それがなくなると、だんだん“これ…生きてる意味あんのかな”って、どんどんやばい方向へ陥っていった。

──世情に振り回されず、DURANは“ギターさえあれば無敵でいられる人”だと勝手に思っていました。

DURAN:ははは(笑)、いろいろありますよ。人とも会ってなかったし、会話もなかった。メールも全部無視してたし。

──仲のいいミュージシャンとの交流は?

DURAN:まったくしてないです。その時は、こうなってもみんなうまくやってるように見えたし。“僕は死んだ”みたいな(笑)、なんか変なマインドに陥ってましたね。

──ステージを失うことがそれだけショッキングな出来事だったんですね。

DURAN:だいぶ喰らってましたね。

──とはいえ、そこから這い上がり、結果的には6月29日に新曲「Echo (Electric Gospel)」を発表したわけですが。

DURAN:なんか無理矢理にでも状況を変えてやらないと、このまま腐って朽ち果てそうで。一度空っぽにリセットして、音楽のこととかいろいろ考えるのをやめて。でもやっぱりいつも頭に浮かぶのは、応援してくれる人達の顔や歓声だったり、ステージで音を出してる自分の姿で。

──そうなんですね。

DURAN:早く音源を出して動かないとダメだなと思って。いろいろ考えててもしょうがない状況だし、とにかく出せば、何か見えてくるものがあるんじゃないかって。

──どんな曲を作ろうと思ったんですか?

DURAN:ずっと1人部屋で思ってたことを正直に書こうと思いました。トラックや演奏とか、先行的になりがちになってたこともあるけど、もうその辺はどうでもよくなっちゃって。恥ずかしい部分も正直にちゃんと残したいなぁって。“やるしかない”ってなってからは、とんでもないスピードで仕上げました。

──なるほど。ということは、限りなくピュアな作品なんですね。

DURAN:そう。カッコいいトラックを作って、いい演奏してっていうのは、死ぬ気で努力すれば誰でもできると思うんですよ、多分。でも、人生を丸裸で歌うって誰にでもできることじゃない。僕の人生は僕だけのストーリーだし、ダメでいいっていうか。情けなくて恥ずかしいなって思うことも全部歌にしてしまえばいい。誰でも家でトラックを作れちゃうからこそ、“それって別に他の人がやればいいじゃん”みたいな音楽を、僕がわざわざやる必要ないし。僕がいきなり文学的な歌詞を書いても気持ち悪いし、それはそれをできる人がやればいいでしょ。例えば、出てきた楽曲がたまたま時代にハマってようがなかろうが不細工だろうが、自分らしかったらなんでもいいっていうか。どうせ死ぬなら生きてた証を残したい。だって音楽は僕が死んでも残るでしょう?

──ええ、たとえ作者が亡くなっても、楽曲は未来永劫生き続ける。

DURAN:いわゆる“本場のサウンド”とか“本物の演奏”みたいなのも、どうでもいい。逆にどんどんつまらなくなっていく気がして、面白さの話でいうと。自分らしさが欠けると楽曲が一気に、演奏自慢が集まる夜のセッションバー感になるなって。

──ギタリストとしての側面以上に、シンガーソングライターとしての素が出ているんですね。

DURAN:もちろん僕のアイデンティティを表す楽器はギター。だけど僕が音楽を始めたきっかけは、プレイヤーよりもアーティストに憧れて。プレイヤーっていい音でいい演奏をすればいいと思うんですけど、アーティストってそれだけじゃないじゃないですか。音楽以外の、例えば発言やビジュアル面、文の書き方から、細かいことを言うとフォントまで(笑)。当たり前だけど全てがアートであって、そこからも音が聴こえてくるし、その人を表現している。

──DURANの研ぎ澄まされたプレイスタイルを見る限り、逆にプレイヤー気質のギターバカなんだと思い込んでいました。

DURAN:もちろんギターは大好きだし、だからこそソロとしての活動をメインにしてるのは、もっと僕の“音楽”を聴いてほしいから。僕の場合、ずっとギターだけの曲って聴いてられなくて。例えばジミ・ヘンドリックスだと、彼の歌や楽曲、ルックス、アティテュード、思想、そして足下にファズがあって…トータルで好きなんですよ。

──ダラスのファズフェイスが足元にあってのジミヘンね。

DURAN:そう。そういうのにときめくし、いくら「このエフェクターは音がいい」って言われても、なんか見た目がダサかったら僕は使わない。

──面白いなあ。

DURAN:「これいいっすよ」って言われても「はあ…やっぱり丸くないと。あれが足元にあるからカッコいいんじゃん」って。ライブ写真とか、そこも一緒に残してほしい。アーティストの匂いや人が見えてくるような。わかってないライブカメラマンってやたら顔だけとか撮るでしょ。“そうじゃないんだって!”って思う。

──まるで発言が、1960〜1970年代を生きてきたオヤジですよ(笑)。

DURAN:あははは(笑)。

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