【スペシャル対談】葉月(lynch.) x 河村隆一、先輩・後輩という関係を超えたヴォーカリストが構築する信頼関係

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■歌と少ない楽器の中で自分がどこでいい乱れ方をするか
■1月のライヴでは、最後の「ETERENITY」で訪れたんです


――翌日のことを考えずに突き抜けてしまおうと思っても、そこで理性や自制心が働く部分があるわけですよね。野性を解き放つこととそれを天秤にかけるというか。そこでの折り合いをつけるのも難しそうですね。

葉月:まずその日の自分の歌があんまり良くなかったら、そこに行けなくないですか?

RYUICHI:うん、行けないよね。やっぱり、いろんな満足が積み重なっていかないと、そこには行けないかもしれない。

――つまり、明日のことまで考えずにいたいと思えているということは、その日の自分が本当の絶頂に近付けている証拠。だとすればそこは野性に任せたほうが良かったりも?

葉月:僕はそうしてますね、正直。自分の歌に酔いしれて、「今日の俺、最高。カッコいい!」っていうマックスの状態を超えた時に僕はそうなるのかもしれないです。あとはまあ、ファンとのやりとりの熱の高さとかももちろんありますけど、そこで納得できてない状態で最後まで行っちゃうと、多分その状態に達することはないですね。

RYUICHI:今の答えですごくはっきりするのは、つまり、自分のなかで満足するクオリティに達しないと、何かを与えられてないんじゃないかって感じることになるんだと思う。僕もそうだし。だから結構、葉月もストイックだってことだと思いますよ。

――ストイックさと臆病さ。掛け離れているようでいて実はすごく近い関係にあるんだな、ということも興味深いです。

RYUICHI:うん。多分、ナルシシズムとかストイックさ、臆病さ、それから、何かを破壊してしまうほどの瞬間的な爆発力みたいなものっていうのは、根っこにあるスタート地点がおそらく一緒だと思うんですよね。多分その裏表でひとつのキューブみたいになっていて、お互いが支え合っているというか。たとえばそこで葉月が、オペラ歌手のようになりたいのかっていえば、それは違うだろうと思うんですよ。ただし、やっぱり、外タレでも誰でもやっぱりすごいんですよね。ピッチだったり、音の抜けとか、ヴォーカリストとしての〈ああ、この音域でこんなに声が抜けていくんだ、この人〉みたいな驚きがあるというか。でもその裏側で、彼らも実はすごくいろんなことをやってると思うんですよ。


――海外の人たちは生まれつき身体の構造が違うから、みたいなことを言う人たちもいると思います。でも、そうじゃないんですよね。

RYUICHI:うん。そう思うんです。だって絶対、ミック・ジャガーの話とかを聞いていてもめちゃくちゃストイックじゃないですか。ポール・マッカートニーだってあの年齢で、全世界であんなにツアーをやってきて。まあ確かに全盛期の頃に比べれば声は枯れたかもしれないけど、あんなに歌ってるんですよ。

――70歳を超えてドーム公演で何時間も、というだけでも驚異的ですよね。

RYUICHI:そう、2時間でも3時間でもやれちゃうじゃないですか。あれはストイックじゃなきゃ絶対できないことだと思うんです。

――そういう意味では大半の歌い手にはそういうところがあるし、努力していることを公言していなくても実はストイックじゃないと務まらないというのがあるわけですよね。ところでRYUICHIさんは葉月さんのソロ公演にも足を運んだそうですけど、その時の印象の違いというのはどうでしたか?

RYUICHI:あれは……去年の年末?

葉月:いや、今年の1月ですね。

RYUCHI:ああ、そうか。正直、僕、葉月のパフォーマンスについてはまったく心配もしてないし、そこに葉月が出てくれば、もうそれですべて整ってくると思ってるから、そんなに細かいところは聴いていないんですよ。なんかそういうのは嫌だし。

――審査員じゃあるまいし、みたいな?

RYUICHI:そう。だけどそこで観たいのは、何をトータルで伝えたかったのかなとか、そういう部分で。やっぱりロック・バンドから少し離れて、オーケストレーションであったりとか、アンプラグドとか、ピアノと2人とか、和太鼓が出てくるとかいろんなシーンがあるわけですけど、弦との絡みにしても何にしても、ロック・バンドのファンというのはやっぱり勢いとか爆発力、疾走感やグルーヴを求めてるところがある。そこで、敢えて心のざわざわするようなところから始まって、ずっとざわざわさせられていった先になんと和太鼓が出てくる、とか(笑)。なんか、そういう大きな流れ……。4小節でわかるビートではなくて、ホントにもう何曲も何曲も続いていってからわかる「ああ!」みたいな。千何百小節目で、この物語はこうなっていくのね、みたいな景色の移り変わりがある。ロック・バンドのライヴの場合、1日の景色とか1年の四季をホントにたった2時間に収めてしまうところがあるんだけど、葉月のソロのライヴに対する僕の印象は、夕暮れ時から太陽が落ちて星が見えてくるまでみたいな感じとか、真夜中から朝方に向かっていく感じとか、そういう感じがしましたね。

葉月:カッコ良過ぎますね、なんか(笑)。

RYUICHI:いや、めちゃめちゃカッコ良かったよ。あとやっぱり、僕もやっているからわかるけど……まあ、試されるよね、ああいう場では。

葉月:いやホントに。

RYUICHI:やっぱり楽器もそんなに派手なことをしてくれるわけじゃないから。バンドの場合と違って、音圧や音量ありきのものではないので。その時の……それこそMC、少し笑わせるMCとかも含めて、そういうひとつひとつのことが、やっぱり舞台のような…….

――バンドの時以上に、葉月さんを主人公とする物語のように見えてくるわけですよね。オペラやミュージカル的に仕立てられたものではなかったとしても。

RYUICHI:そうですね。これは僕自身、ノー・マイクで教会でのライヴなんかをやりながら、ひとつ信じてる部分でもあるんですけど、ロックよりもロックな歌を歌わなきゃいけない場所というのがあると思うんですよね。

葉月:ああ、すごくわかります。

RYUICHI:今回の葉月のアルバムもそうだし。ホントにロックよりもロックな歌というのが感じられる瞬間が散りばめられてるな、と思ったんですよ。そういうものがないと、ただただ綺麗なばかりのものに……。ただ綺麗なものになったら、あの曲のこの箇所のピッチが良かったとか、あそこのリズムが良かったとか、声がすごく艶やかだったとか、そういう一般的な音楽の感想だけで終わってしまうんだけど、そうじゃなくて「あそこはグサッと来たよ」みたいな。それが彼の歌詞の世界だったり、パフォーマンス、歌には絶対あるから。それが先日のソロ・ライヴだったり、彼のニュー・アルバムが何を言わんとしてるかっていう部分ではないか、と。まあ僕は、勝手に思ってる部分がありますね。

葉月:確かにそうだなあと思いました。ホントに綺麗に歌ったら、そのまま終わってしまうんで。基本的に歌にしても楽器にしても、メロディ以外のものがあまりないライヴというか。勢いだとか、ファンの熱とか、空間に充満する熱気みたいなものはないじゃないですか、基本的には。そこで、歌と少ない楽器の中で、自分がどこで……壊れると言ったらアレですけど、いい乱れ方をするか。それが1月のライヴでは、最後の「ETERENITY」という曲のラストで訪れたんです。あそこはもう酷くて、ピッチももう全然合ってないし……。

RYUICHI:いや、そんなことはなかったよ。ただ、その感情の振れ幅がさ、もう自分で制御できなくなって、自分っていう身体のハコから感情が暴れ出すような瞬間だったんじゃないのかな。そこでリズムとかピッチが少しぐらいどうにかなろうが、聴いてる側はそんなことまったく考えてないね。


――葉月さん自身も歌っている最中にそう感じていたわけじゃないはずで。

葉月:そうですね。歌ってる最中はもう「行ってまえ!」という感じで、ピッチもリズムも無視して、もっと別のものを掴みにいった感覚がありました。

RYUICHI:そうだよね。

葉月:でも、その「行ってまえ!」という感覚になった記憶がちゃんとあったんで、自分でも楽しみだったんですよ、そこで自分がどんだけぶっ壊れたのかが(笑)。

――そのさまを、のちに映像チェックなどの段階で確認することになったわけですね。

RYUICHI:でも、壊れたのって意外といいでしょ?

葉月:そう……ですね(笑)。

RYUICHI:そんなに気にならないんですよ。やっぱりなんか、一本筋が通ってるんだよね。不思議なことでもあるけど、壊れた瞬間っていいんです、本気の場合は。そこで芝居で壊れるようになっちゃうと多分また違うタイプになっちゃうんで。それは野性じゃなくて、飼育された獣になってくるから。やっぱり天然の、野に放たれている獣感というのはあるよね。もしかしたら経験上、自分で野性に切り替わるボタンを押すぐらいのところまではもう来てるかもしれないけど、本当にそういう瞬間が来る。

葉月:そうですね。

――ある意味、葉月さんのソロ公演は、歌との付き合い方というのを改めて考えさせられるようなステージでもあったはずだと思うんです。そんな時に客席を見上げればRYUICHIさんの姿が、という環境でもあったわけじゃないですか。葉月さん自身としてはそれも緊張感に繋がったところがあったんじゃないですか?

葉月:ああ、そうですね。もちろんご自身のことをあれだけシビアな目で見られてるんで、僕らからするとRYUICHIさんの「ちょっと悪かったかな」はもう悪いに入んないんですよ(笑)。それぐらいの耳を持たれてる方に観られてるわけですから、そりゃあもう「恥ずかしい!」ぐらいの気持ちはあるんですけど(笑)。でも、あの日はなんか不思議とそこで臆病にはならず、RYUICHIさんが観てらっしゃるから、ヤバい、俺なんかが……とは全然ならなくて、「観ててくださいよ!」ぐらいの感じでできた記憶はあるんですよ。“「FOREVER & EVER」の時とか、特に。

――今まさにそこを訊こうと思ってたんですよ。当時者を前にその曲を歌うことになった場面で「ヤバい。今すぐ曲順変更したい」とはならなかったんですね?

葉月:ならなかったです(笑)。

RYUICHI:もうメールでもね、事前に知らされていたんで。でも葉月、全然あれですよ。「何月何日、空けておいてくださいね。俺、何処そこでライヴですから来てください」みたいな。そんなふうに声を掛けてくるんで。

葉月:いや、そんなラフじゃないですよ(笑)!

RYUICHI:いや、でもそういうのが僕は嬉しいんですよ。なんて言うんだろ。彼の距離感というのが、なんか、昔から知ってた仲間みたいな感じがやっぱりあるから。そういうところはやっぱり素直に嬉しいですよね。まあ、僕はやっぱり……葉月は唯一無二の存在だと思っているんで。葉月は僕に影響されてるみたいなことを言ってくれているけど、僕だって影響されてきた人はいるし、それはそれで置いておいて、やっぱり彼のパフォーマンス、彼の声、彼の楽曲とかというのは唯一無二と言っていいと思う。もうそういうものを確立してる人に、いちいちお互い言葉は要らないのかもしれないですよね。

――助言を与えたり、鑑賞する必要すらも?

RYUICHI:何かを訊かれたりとかしたら、気になったことはもうポイントとしては言うし、もちろん葉月もこういうやつなんで「どうでした?」「今日はちょっと行き過ぎてましたかね?」とか、そういう話は楽屋裏ではするんです。で、「全然全然」とかよく言うんだけど。まあ、そこでホントに気になることがもしもあったりすれば、たとえば「音響的にこうだったんじゃないか?」みたいなことを言うことはあるけども、当事者でもない人間があんまりあれこれ言うのも変な話なんで。あくまで自分の耳にはそう聴こえてるけども、というレベルのことしか伝えられないから。

――でも実際いかがでしたか? 葉月さんの歌う「FOREVER & EVER」は。

RYUICHI:良かったですよ。

葉月:……良かった(安堵の表情)。ははは!

RYUICHI:まず、僕の声じゃない時点で僕にとってはすごく新鮮だし。さらに、ああいうアレンジでLUNA SEAがやったことはないから。そういうのも含めてとても良かったですよ。

葉月:自分的にも結構納得はできてたんで。「よし、恥ずかしくない歌が歌えたぞ」というのはあったんです。

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