【インタビュー】丘みどり、キャリアの集大成となるデビュー15周年記念ベストアルバム

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デビュー15周年を迎えた演歌歌手の丘みどりが、自身初となるベストアルバム『丘みどり 15周年ベストアルバム』をリリースした。デビュー曲「おけさ渡り鳥」から最新曲「五島恋椿/白山雪舞い」までのシングル表題曲に加え、ファン投票で選ばれた2曲も収録された全16曲。今回はキャリアの集大成となるこれらの楽曲にまつわるエピソードだけでなく、数々の民謡コンクールで優勝してきた子供時代や、アイドルを経て念願だった演歌歌手への転向という興味深い経歴などについてもうかがった。

■悔しい思いもしたけど今があるのはそういう時期もあったから
■15年、色々あったけど楽しかったなって今は思えます


――デビュー15周年、おめでとうございます。改めて、今のお気持ちを聞かせてください。

丘みどり(以下、丘):決して“早かったな、楽しかったな”だけじゃない15年でした。振り返ると悔しい思いもたくさんしたけど、今があるのはそういう時期もあったからこそ。“15年、色々あったけど楽しかったな”って今は思えます。

――10周年を迎えた時とはまた違う感覚ですか?

丘:はい、全然違いますね。10周年の時は、もうやめようと思っていたので。

――え!?

丘:10周年だし、30歳ということでキリもいいし、この先このままやっていても何も変わらないだろうし、もうやめようって決めて(当時お世話になっていた)大阪の事務所にお話をしたんです。もう最後だから何も背負わずに楽しもうと思ってやっていたら、ちらほらと東京からお仕事の声がかかるようになったんです。カラオケの番組や関ジャニ∞さんの番組とか。で、“あれ?やっぱり楽しい!辞めるの、やーめた!”と(笑)。それで東京に出ることにしたんです。

――そうだったんですか!

丘:でも東京には知り合いが誰もいなかったので、番組でお会いする徳光(和夫)さんや美川(憲一)さん、ちょっとした知り合いの方たちにも“事務所、紹介してください!”ってお願いをして、今の事務所に所属できることになりました。今思えば、あの時のエネルギーとかパワーは自分でもすごかったなって思いますね(笑)。同じことが今できるかって言われたら、きっとできないと思うんですよ。失うものが何もないというか、だからこその強みみたいなものがあって、どんな人にも頭を下げてお願いできましたし、断られて当たり前みたいな感じでしたからね。

――そんな時期を乗り越えて、この15周年なんですね。ちなみにこういう周年の時期は色々と振り返ることも多いと思うのですが、やはりデビュー当時のエピソードを聞かれることも多いですよね。

丘:そうですね。

――正直なところ、当時はあまりに慌ただしくて覚えていないとか、あっという間に時間が過ぎていたとか、そんな感じかなと想像するのですが。

丘:いや、そうではなかったんですよ。デビューをすると当たり前のようにテレビに出ることができて、当たり前のようにコンサートができるって勝手に思っていたんですが、実際は全然そうではなくて。毎日5軒くらいカラオケスナックやカラオケのサークルに行くんです。だけどそれはお客様が待ってくださっているわけではなく、“歌わせてください”ってお願いをして、30分から1時間ほどそこに滞在して手売りでCDを1枚ずつ売っていくという毎日だったんです。デビューしたばかりで歌も全然上手ではないし、当時は衣装も奇抜だったから受け入れてもらえないことの方が多かったんですよ。しかも大阪だったので、(関西特有の感じで)直接怒られたりすることもたくさんあって、悔しい思いの方がダントツで多かったんです。

――こんなはずじゃなかったのに、みたいな。

丘:はい。思っていた歌手生活と全然違うって(笑)。当時、通天閣が上から下まできれいに見えるマンションに住んでいたんですが、毎日通天閣を見ながら唸っていました。演歌歌手になるのは小さい頃からの夢でしたから、“こんなはずじゃなかったのにな、悔しいなぁ!”って。


――ちなみに演歌歌手としてスタートを切る前は、アイドルとして活動されていた時期があるんですよね。当時の経験は、その後のお仕事にも何か反映されていたりしますか?

丘:アイドルグループではあったんですが、あなたはグラビア、あなたは女優、あなたは歌って踊りなさいという感じで、いろんな担当があったんですね。その中で私は“喋りができるから、体を張ってバラエティーに行きなさい”と。オーディションに合格し、翌月からくりぃむしちゅーさんの番組のアシスタントを務めることになったんですが、警察犬に噛まれたり、冬の海に突き落とされたり、バンジージャンプをしたり、本当に過酷だったんです(笑)。いきなりそういうところから入ったので、芸能界は大変な世界だと痛感しました(笑)。

――(笑)。

丘:“そういうの、できないです”なんて言うことは許されないし、“どう思う?”って聞かれた時にすぐ答えないと怒鳴られるっていう鬼のようなディレクターに育てられましたから(笑)、今いろんなお仕事をさせていただく中で本当に役に立っているなと思います。

――そこから夢だった演歌歌手に転身されたわけですが、デビュー曲「おけさ渡り鳥」の衣装は演歌らしからぬ奇抜さだったわけで。

丘:私も、あの衣装には驚きました(笑)。とにかく(当時の自分には何も)特徴がなかったから、見た目だけでも、“おヘソ出して歌っている子や”って覚えてもらうことも大事だと。でも演歌の世界ではかなりアウェーでしたから受け入れられないことの方が多かったですし、雪がちらつく中、その衣装で歌っていたら“見ている方が寒いから上着を着て”とお客様に言われることもありましたね(笑)。頑張ればなんでも受け入れられるわけじゃないんだなということも、そういう中で学んでいきました(笑)。

――今ではすっかり着物姿も定着してきましたが、着物を着ると、改めて演歌歌手としての気合いが入るようなところもありますか?

丘:そうですね。着物を着て歌うようになって、ようやくスタート地点に立てたような気持ちになりました。そして個人的には、着物を着て歌っている姿をおばあちゃんに見せることができたことがすごく嬉しかったんです。おばあちゃんはヘソ出しの衣装にすごく反対をしていて、うちの近くにはキャンペーンなどで来ないで欲しいって言うくらいショックを受けていたみたいなんですね。そんなおばあちゃんに早くきれいな着物を着て歌っている姿を早く見せたいなと思っていましたから、東京に出てきてようやく着物で歌えるようになった時はすぐに電話をしました。

――おばあちゃん、喜ばれたでしょうね。しかし見た目のインパクトに頼らなくなるということは、歌の実力や個性だけで勝負していくということになりますね。

丘:そうなんです。特に私は声に特徴があるわけでもないので、何か個性を身につけたいなという思いはあったんですが、(振付師の) 花柳糸之先生に初めてお会いした時、“何か人とは違うものを身につけないと、ここから先は厳しいと思う”と言われたんです。そこでどうしたらいいか相談したところ、まず私は本名の“岡美里”のままステージに立っているから照れが見えるし、普段の人見知りな性格が出てしまっているんだと。だからそういうのは全部やめて、歌の主人公になりきるようにしなさいと言われました。それで初めて「佐渡の夕笛」という曲で振り付けを付けていただいたんです。


――「佐渡の夕笛」は2017年の作品ですね。

丘:イントロの部分なんですが、最初は左手で顔を隠していて、そこから“岡美里”でも“丘みどり”でもない、歌の主人公としての顔を見せるという振り付けになっているんです。女の情念を込めた主人公として歌う、つまりあなた自身ではないんだから恥ずかしいことは何もないし、思い切り歌えるでしょ?ということで、そこから、ステージに立つ時の気持ちなどが自分の中で大きく変わっていきました。まだまだ先は長いですが、“歌いながら演じて魅せるのは、丘みどりだよね”と言っていただけるように、もっともっとそこを磨いて極めていきたいなと思っています。

――ということは、恋愛も含めて人生いろんな経験が必要になってきます。

丘:そうなんですよね。先輩方に比べるとまだまだ人生経験が足りませんから、そういった部分は全てドラマを見て補っています(笑)。

――ドラマで(笑)!

丘:私、どんなに忙しくても毎日3本ドラマを見るようにしているんですよ。明日の準備やお肌のお手入れなどで時間が足りないという時は、早送り(笑)。3倍速ぐらいで見ても内容が分かるようになりました(笑)。

――すごい特技ですね(笑)。

丘:それこそ女の情念とか、殺したいほど憎いとか(笑)、割とドロドロした感じのドラマを中心に見ながらいろんな気持ちを学んでいます。

――自分の性格とは真逆だからこその憧れみたいなものもあるんでしょうね。

丘:あります、あります。私の性格は、演歌の世界とは真逆。演歌は“待って、耐えて、忍ぶ女性”というイメージがあると思うんですが、私は待たないですから(笑)。白か黒か、好きか嫌いかも割とはっきりしている感じなんです。

――それは子供の頃からですか?

丘:はい。例えば“これ、食べる?”と聞かれて、いるかいらないかははっきりと言える子供でした。自分の中で“どうしようかな”はなかったですね。

――私はこうしたい、自分は自分というはっきりした考えが小さい頃からあったんですね。

丘:母がすごく極端な子育てをしたせいなんですが(笑)、人と違うことをすると褒めてくれたんです。みんながこれを持っているから私も買ってと言うと買ってくれない。でも、みんなはこうしていたけど私はこうしたよと言うと“偉い、偉い”ってすごく褒めてもらえる。きっと、父も母もすごく平凡で、どちらかと言うと人前に出るのも苦手な人見知りタイプでしたから、この子までそうはなって欲しくないという思いからだったと思うんですけどね。


――だけどみどりさんも人見知りが激しく、それがきっかけでおばあちゃんと一緒に民謡教室に通い始めることになったと伺いました。

丘:地元の民謡教室だったので周りはおじいちゃんとおばあちゃんばかりだったんですが、上手になっていくとみんなが褒めてくれるんです。それに、学校では自分から手を挙げて発表したりできない子供だったのに、ステージに立っている時だけ別人になれるようなあの感覚がすごく楽しかったんですよ。小学5年生の時にコンクールに出て優勝したんですが、その後は、紹介していただいた有名な先生のもとで習うようになりました。

――ずいぶん早い段階で、自分の進むべき道を見つけられたんですね。

丘:高校3年生の時、進路指導の先生に“将来は演歌歌手になりたい”と言ったら“いやいや、真面目に考えて”と言われましたが(笑)、自分の中では何の疑いもなく“なるんだ”と思っていたし、親も応援してくれていましたからね。迷いは一切ありませんでした。

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