【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.136「孤独は敵。不安を呼ぶ子育て妄想に封印」

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少し前に「調子が狂う」と感じる日が多くなっていた時期があった。はじめは「これが俗に言うコロナ疲れなのかもしれない」などと考えてみたけれど、特殊な環境になってから8ヶ月が経とうとしている今も音楽イベント関連の仕事は見込めないままだから仕事や経済面での不安から生まれるストレスは多分にあるだろう。でもそれは今に始まったことではないし、普段から思い詰めるようなタイプでもない。気のせいだろうと思ったけれど、暫くしても気分が晴れることはなく時よりぼーっと考え込むようなことが続いた。

いずれにせよ良い兆しとは思えなかったので、心の平穏を取り戻すために原因を追及してみようと試みた。結果として思い当たったのはある俳優の訃報で、それを耳にして以来、将来をより悲観的にみるような不安が頭の中にひどく浮かんでいたような気がする。そこで初めて自分は思いの外、その人の逝去に心を乱していると自覚した。さらなるゴシップをインプットしないようにネットニュースを極力見ないようにしてから1週間ほど経つが、以前のような心持ちになることはほぼなくなった。それでもスマホやパソコンを開くたびに“情報”とやらは否が応でも瞬時に流れ込んできて勝手にアップデートされてゆく。これは現代文明の甚大な害だと思う。

それはさておき、調子が狂い始めたきっかけは分かったのだが、画面越しにだが好感を持って見ていたとはいえ好きなミュージシャンに抱くような熱烈な思いはなかった。他の俳優の訃報と何が違い、どう作用してこうなったのか。自分のことながら関心は止まずに考え進め、それはきっと膨らんだ私の妄想によって生み出された不安感と結論づけるに至った。というのも、彼女に注目していたのは単に素敵な俳優だからという理由ではなく、同世代で、シングルペアレントとして育児をした経験を持つ同性という自分と共通する点にあった。彼女の姿を目にするたびに美しさを保ちながら仕事に励む姿からは勇気を与えてもらっていたが、同時にその裏にある見えない独り身での子育てについて妄想していた。彼女が死を選んだ理由は分からないし、作品の中の彼女しか知らない。ただ、幼い子どもを残して自死を選ぶとき、その人の思考回路や判断能力は破綻していた可能性は高いだろうと思う。

これから書くことは見当違いなことかもしれない。けれど、どんな苦悩が彼女を死に追いやったのかと在らぬ想像を膨らませ、「自分もいつかはそうなるかもしれない」と連想し、自分自身を不安にさせたのは事実。もし同じように考えてしまう人の不安を少しでも和らげることができたらという望みで書き進めようと思う。


子育てが“弧育て”になると二進も三進もいかなくなることがある。私が弧育てに陥ったのは子どもが新生児から乳児の頃だった。育児も十人十色だが、産後はホルモンバランスの影響などで精神的不安定になりやすく、体力も回復できないまま育児がスタートするという人も多いが私もそうだった。おむつ替え、ミルク、お風呂で一日が終わっていく毎日はひたすら睡眠不足で「この子を死なせちゃいかん!」という責任感はプレッシャーとなって疲労困憊を極めた。当時の夫は手伝いをしてくれてはいたけれど、彼がどうしようとて私の疲労は一向に回復しなかった。そんな中、大きな不安感に突如襲われたことがあった。社会と自分との距離はどんどん離れていき、自分なしでも世の中は回っていて、誰からも忘れ去られ、自分だけが狭い家に取り残されたかのような恐ろしい感覚。いくら努力しても就職活動が上手くいかずに将来の不安をひしひしと感じたあの不安感ともよく似ていた。これが心に大きなダメージを与え、あらゆる自信を無くさせた。

そして、寂しさや孤立は時として人によからぬ考えを与えることがある。コロナ禍における育児は平時のそれよりも計り知れない孤独を引き起こしているだろう。妊婦たちも同様に絶え間ない不安が押し寄せているかもしれない。そんな考えや自分の辛かった経験が彼女の訃報によって呼び覚まされたのだろう。もし彼女の育児が精神的に孤立したものだったとしたらと考えると胸が痛むが真相は分からない。

孤立問題は育児だけではないし、孤独死に繋がる問題だけでもない。地元に帰省できなかった人や基礎疾患のある人、大学に通えない独り暮らしの人など自主隔離を余儀なくされた人たち皆に言えることでもある。渦中にいると本人は気持ちを和らげる術や解決方法をハンドリングできずに苦しんでいる場合もあるので周囲の見守りや手助けが必要なのだが、コロナは人々の関係を分断させたまま、いまだに猛威をふるっている。どうしたら孤立は防げるのだろうか。


私が最終的に鬱々とした日々から抜け出せたのはたわいもないことで、自ら友人に電話をかけ、久しぶりに家族以外の人と会話したことにあった。社会との接点を自ら求めて繋がったと思えた瞬間、パッと目が覚めたのだけれども、その電話1本をかけるのにもバカみたいに何日も悩んでいたので我に返った時には本当にバカらしく思えた。だから、もし貴方が辛いと感じているなら誰でもいいので電話してみてはどうだろうか。会話という行為はほんの数分でも効果絶大で、ボタンひとつ押すだけで誰かと繋がり、孤独にサヨナラできる魔法のアイテムだ。現在も相手のリスクを考えると「手を貸して」とは簡単には言えない状況が続いているが電話なら問題ないだろう。「調子はどう? 元気?」と気軽に連絡をしてみてほしい。相手は意外と喜んでくれる。

それから、話したい相手がいない時にお薦めなのが「大声で歌うこと」。好きな曲を熱唱するのもいいし、派手なロックチューンを子守歌として活用するのも悪くない。とにかく声を出すことが大切で、気分もあがって簡単にすっきりできるのでお薦めだ。これらは実際に孤立育児をしていた私が実践し、幾度も救われた例なのでぜひ試してみて欲しい。

今回のことでは、自分の心の異変に気づいて自己防衛するための自己観察が大切だと感じてもいる。何事も気づくことで、自分の心情や物事の見方、捉え方を良い方向に転じさせることができるからだ。特に今はコロナのせいで負の感情に引っ張られやすい状況下に自分が置かれていることを自覚し、自分と家族、周囲の人のためにも無用な妄想はしないようにと不要な情報の遮断や情報源から距離を取ったことが効果的だった。

ポジティブな自分をキープするために必要なことを探すことは、自己肯定感のまるで低い自分にとっては修行みたいなものだが、こんな時期だし、のんびりとやってみようと思う。

文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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