【インタビュー】OHTORA「何か新しいものを」、令和に目覚めたシンガーソングライター

ツイート

令和という時代の始まりとともに目覚めたアーティスト、OHTORA。今年9月にリリースされた彼の配信シングル「ドラウニングヒル」は日本のみならず海外からも注目され、その名をじわじわと、でも確実に浸透させている今注目のシンガーソングライターだ。R&Bやファンク、オルタナティヴにシティポップなどから影響を受けた柔軟性の高いDNAと、聴けば一瞬で恋に落ちること間違いなしのファルセットを武器に、現在も精力的に楽曲を産み出し続けている。インタビューはまだまだ不慣れということで言葉を探しながらではあったが、意外な音楽遍歴から今後の曲作りについてなど、興味深いエピソードを語ってくれた。

  ◆  ◆  ◆

■救いの場だった

──今年9月に発表された「ドラウニングヒル」ですが、YouTubeやSpotifyの再生回数が順調に伸びていますね。

OHTORA:嬉しいことです、はい(笑)。

──先ほどお聞きしたらこういうインタビューを受けるのは今日が初めてということですが、自分のことを話すのは苦手ですか?それとも全くオープンな感じですか?

OHTORA:どうだろう?普段そんなに自分のことを話すような機会がないけど、さっきお世話になった番組収録は人生最悪だったかもしれないです(笑)。歌は大丈夫だったんですが、トークは頭が真っ白になっちゃって(笑)。

──自分の気持ちを話すのが苦手だから音楽をやっている、という方も多いですよね。

OHTORA:あ、そうかもしれません。これまで、自己表現できる場が音楽の作詞の部分でしかなかったですから。

──なるほど、作詞は何かきっかけがあって始めたんですか?

OHTORA:高校3年生くらいから、自然と自分の言葉を書き溜めるようになって。自己表現する場って音楽以外にないなと思うので、全部詞にしてきた感じなんです。自分にとっては、それが救いの場だったというか。

──それほど、音楽は欠かすことのできないものだったと。

OHTORA:はい。ちゃんと音楽に興味を持ったのは、中学3年生くらいでした。それまであまり褒められたっていう実感を得たことがなかったんですが、学祭の時にバンドでステージに立った時、ちょっと認めてくれた人が周りに何人かいて。そこで、こういう表現方法があって、自分を表現していられるならきっと救いがあるなって思ったんです。

──その時からボーカルだったんですか?

OHTORA:ボーカルとギターでした。

──中学の文化祭で、バンドで、ギター&ボーカル。青春としての王道じゃないですか。

OHTORA:(笑)。

──そこにはやっぱり、女の子にモテたいみたいな気持ちもちょっとはあったんですか?

OHTORA:もちろん、もちろん!それが8〜9割占めていたと思います(笑)。何かこう、ひとつ秀でたものを持ってやりたいなというのはありましたけど。

──そのバンドではカバーをしていたんですか?

OHTORA:今とは全然ジャンルが違いますが、当時地元の仲間内で流行っていたJanne Da Arcのカバーをやっていました。

──ちょっと意外ですね。しかし文化祭とはいえ、ステージに立つってかなり度胸のいることのように思うのですが。

OHTORA:いや、その頃はもう何もお構い無しだったので(笑)。特に物怖じすることもなくって感じでした。ギターも、軽い好奇心で弾き始めた感じだったんですよ。ちょっとだけ教わったけど、ほぼ見様見真似で。


──ひょっとして、子供の頃からピアノか何か音楽の英才教育を受けていたとか?

OHTORA:それは全くないです。ただ義理の姉はプロのピアニストなので、そういう血がちょっとはあるのかなとは思いますけど(笑)。でも今思えば、親の影響はありましたね。子供の頃は車で遠出をすることが多かったんですが、その時にいつも高橋真梨子さんの曲が流れていたんですよ。父が好きだったのもあって、とにかく四六時中っていうくらい耳にしてた。そのことは、今の自分にとってもデカかったなというのはありますね。

──「桃色吐息」などのヒット曲で知られる、あの高橋真梨子さんですよね。

OHTORA:そうです。もちろん影響を受けたアーティストは他にもたくさんいますけど、自分の芯の部分にあるのは高橋真梨子さんなんです。人生で初めて行ったライブも高橋真梨子さんだったんですが、度肝を抜かれたみたいな感触が確かにあったんですよ。それがたぶん、小学1〜2年生の頃だったと思います。

──特に印象に残っている曲があるそうですね。

OHTORA:高橋真梨子さんがカバーしていた曲なんですが、上田正樹さんの「悲しい色やね」とか井上陽水さんの「いっそセレナーデ」。オリジナルでは「裏窓」という曲が自分の中にすごく残っていますね。

──「裏窓」は、子供が惹かれるにはあまりにもディープな曲かと思うのですが(笑)。

OHTORA:ちょっと荒んだ感じの世界観ですしね(笑)。でもどこか暗いというか、哀愁が漂うような曲が「好き」だったというよりも、なぜかそういうものしか残ってないんですよね。

──なるほど。

OHTORA:今でこそ自分で作詞・作曲もやって、編曲とかもやらせていただいていますけど、最終的にはボーカリストにたどり着きたいっていうのが一番大きくて。自分の曲を歌うのもいいけど、誰かの曲のカバーでも自分のものにしている人の歌って、すごく胸を打たれるんですよね。この「胸を打つ」というワードがすごく好きなんですが、高橋真梨子さんはまさにそういう歌を歌う人だと思うし、呼吸とか吐息とかも含めて、全部音楽になっちゃう人だと思うんです。そういうボーカリストが理想であり、そういうところへたどり着けたらと思っています。

──今おっしゃった理想、まさにOHTORAというシンガーの魅力としても言い表していると思いますよ。

OHTORA:ありがとうございます。まだまだ自分では出せていないなと思いますけど、嬉しいです(笑)。


──では、自分でも曲を作ってみようと思ったのはどういうきっかけだったんですか?

OHTORA:きっかけ…。(しばらく考えて)自分で作詞・作曲をして、ちゃんと自分のものにして歌って、自己陶酔みたいなものができるくらいになれば、もっと磨きがかかるんじゃないかなと思ったんです。他のアーティストの曲をカバーするにしても、自分の曲を歌っていくにしても、もっといいものが得られるんじゃないかなって。ちょっと言葉にするのは難しいんですけど。

──もう少し具体的に、書き溜めていた言葉にメロディーを付けてみようとか、口ずさんでみようと思ったのは何かきっかけがありましたか?

OHTORA:実は以前、ボイトレに通っていたんですね。高校1年生から20歳になるくらいまで。そこで、延々と同じコード進行──2パターンぐらいのコード進行でスキャットをするということをやっていたんです。下地として流れている音楽があって、そこにいろんなパターンのメロディーを作って乗せるっていうことをすごく練習させられたんですよ。そこからかもしれないですね。

──耳が鍛えられますね。

OHTORA:そうなんですよね。そこから、フェイクとかの技術も全部得ました。

──そのボイトレは、自分の意思で行こうと思ったんですか?

OHTORA:親に行かされました(笑)。中3の文化祭が終わった後に「ボイトレとか通ってみたら?」って言われて。地元でシャンソン歌手をやっていらっしゃる方のところだったんですが、今まで出会った人の中で一番尊敬できる人だったなと思います。

──シャンソン!!個性って、いろんなところを経由して出来上がってくるんですね。

OHTORA:そうですね。そういう意味では、自分は雑種なのかもしれないです。で、高校3年の終わりくらいからはそのボイトレのところの人にトラックを作ってもらって、適当にメロディーと作詞をっていうことをちょこちょこやり始めました。

──じゃあそういう中で、初のオリジナル楽曲も生まれたと。

OHTORA:はい、「After Summer」がそうです。今YouTubeに上がっているのはぜったくんがリメイクしてトラックを作ってくれてたものなんですが、その前に自分の知り合いみたいな人に作ってもらって、そこに初めてメロディーと歌詞を乗せて作ったのが「After Summer」だったんです。



──いきなりあの曲なんですか!曲ができたということは、やはりいろんな人に聴いてもらいたいという風に考えますよね。

OHTORA:いや、最初の頃は誰かに聴いてもらいたいというより、そういう何かしらの自己表現したものを作品にして自分で聴きたいなっていう変な欲がありました(笑)。こんな言い方はアレですけど、その頃はまだ他の方の曲を歌わせていただけたらそれでいいかなと思っていたので。でも、2年前くらいかな?今はもう消しちゃいましたけど勇気を出してYouTubeに1曲目としてその曲をあげたら、周りから「いいね」みたいな反応があって、自分の曲を世に出してみるのも面白いかなと思い、そこからちょこちょこ上げ始めたんです。

──そうなんですか。

OHTORA:そこから自分で編曲もしてみたいなと思い、完全に独学でやり始めました。

──そんな短期間で、日本だけじゃなく海外からも注目される存在になられて。

OHTORA:確かに「ドラウニングヒル」は海外の方からの反響が多いですし、Spotifyの公式プレイリストに入れていただいたのもすごく嬉しかったですね。

◆インタビュー(2)へ
この記事をツイート

この記事の関連情報