【楽器フェア】リコーダーという、世界一カッコイイ楽器の話がしたい

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リコーダーは多分、日本人にとって最も身近な管楽器である。100均にも売ってるし、どの家庭にも1本くらい眠ってるし。小・中学校の近くを通ってリコーダーの音色がしてきたら、誰もがノスタルジックで甘酸っぱい気分になることだろう。

けれど身近なようでいて、私たちは意外とリコーダーのことをよく知らない。キミはどこで生まれたのか。どんな歴史を歩んできたのか。みんなが持ってるキミは一体何者なんだ。

私は高校・大学で音楽科を選択したガチガチの音楽人間だが、ハッキリ言って学校のリコーダーの授業は嫌いだった。だって、「今日は“ファ”の音を練習しますね~、せーの、“ファ~♪”」で、貴重な週1回の音楽の授業が終わっちゃうんだもん。こんなのやってられるか。

そんな感じで“リコーダー嫌い”になった方は、きっとたくさんいると思う。だが、罪深いのはリコーダーに魅力を見つけられない我々人間のほうである。リコーダーに罪は無い。


ちょっと調べてみたところ、リコーダーが小・中学校の音楽の授業に導入されているいちばんの理由は「演奏が比較的簡単で、ピアノやギター等よりも親しみやすいから」らしい。確かに、それはわかる。リコーダーは数ある笛類の中でも最も音が鳴らしやすく、「1曲をなんとか形にする」のが他の楽器よりも簡単である。

ついでに、学校用のリコーダーは頑丈な樹脂製なので、滅多に折れることが無い。落としたりして汚れたら丸洗いできるのも魅力的だ。構造が単純なので壊れにくいのも良いし、お小遣いの範囲で新品が買えるのも良い。

また、お手入れ用品を大量に必要としないのも長所だろう。たとえばトランペットでは、指で押すところ(バルブ)に差すオイルや、チューニング管の滑りを良くするクリーム、全体を磨くための研磨剤とクロス、管内の水分を拭き取るスワブ、管内部を掃除するためのブラシ、マウスピースの細い管をシャカシャカするミニブラシが必要になる。これらを一式揃えると、5,000円が軽く飛ぶ。

対して学校で使うリコーダーに必要なものは、内部の水分を拭き取るガーゼ1枚に、それを巻き付ける棒、そして管の接続をスムーズにするクリーム、たったそれだけ。小・中学校の授業で扱うには、まさに理想的な楽器といえる。

だから、たまに聞く「リコーダーなんていう小・中学校でしか吹かない楽器を教えるより、ギターやトランペット、サックスなどを教えればいいのに」という意見は、あまり現実的ではないのだ。ギター系の弦楽器は落としたら割れるし、弦もしょっちゅう切れる。授業のたびに「先生!弦切れました!」なんてたまったもんじゃない。

トランペット等の金管楽器や、フルート等の木管楽器も難しい。これらの楽器は安くて1本5~10万円はするし、落とせば修理に数万円、手入れにも毎回手間がかかる。そんな楽器を45分程度の授業で扱うのは、あまりにハイリスクである。

そんなわけで、リコーダーは極めて理想的な“学校教育向き楽器”なのだ。理想的というか、この好条件は奇跡的ですらある。ちなみにリコーダーの運指や呼吸法はフルートやサックス、クラリネット等にも転用できるので、管楽器の入門編としても大変有効である。

まあ「そもそも学校で管楽器教えて何の意味があるの?」というツッコミはあるかもしれないが、小・中学校っていうのは広く浅くいろんなことをして、自分の適性を探す場でもあると思う。あなたや私が「つまんねー!」と言っている裏では、「もしかして私、管楽器の天才かも……」と気付く子がいる。それが、学校で管楽器を教える意味である。


ところで、リコーダーがいつごろ生まれてどんな歴史を歩んできた楽器なのか、皆様はご存知だろうか。この楽器、実はけっこう完成時期が古く、分類としては「古楽器」となる。つまり生きる化石的な楽器なのだ。

かつて「フルート」という単語は、現代のリコーダー、つまり“管に切れ込みを入れて音を出す縦笛”のことを指していた。この「フルート(リコーダー)」はヨーロッパで広く愛され、宮廷舞踏の伴奏にも使われていたそうだ。つまり、映画に出てくるような絢爛豪華なお城では、リコーダーの音色を伴奏に、華やかなドレスを纏った貴族たちが踊ったり、語り合ったりしていたのである。

しかし時代が進み、楽器が改良されて音楽の音量が底上げされていくと、一定以上に音量が出せないリコーダーは活躍の場を失うようになる。他の楽器の音量に負けちゃうし、音量の下限・上限の幅が狭い楽器は「劇的な感情表現」に向いていないからだ。そうしてリコーダーは音楽史の表舞台から姿を消して行った。

それから数百年が経ち、20世紀に「古い音楽に光をあてよう」という運動が広まったことと、学校教育に取り入れられたことにより、リコーダーは奇跡の復活を果たす。そして現在では、その演奏の手軽さや身近さ、素朴で温かな音色から、広く親しまれる楽器となったのである。

こんなふうに、いちど絶滅しかけた楽器がここまで再普及する例は、他になかなか無い。人間の音楽の好みの変遷に巻き込まれ、暗黒の時代を経て数百年の歴史を渡り、私たちの手に届いたリコーダー。今後彼らの活躍を見かけたら、「きみも苦労したんだねえ」と声をかけてやってほしい。


ここまで読めば、「リコーダー、おまえってそんな奴だったんだな」と親しみが湧いてくることだろう。それでも世間には、「ダサい楽器」の代名詞のようにリコーダーを持ってくるひとが多いし、「リコーダー“だけど”カッコイイ」と褒めるひともいる。酷いときはオモチャの一種だと思って馬鹿にするひともいる。

ちょっと待ってくれ。リコーダーはそもそもカッコイイ楽器だ。リコーダーに「素朴で子どもっぽい音色」というイメージがついたのは、この楽器が主に小・中学校で演奏されており、音色を聴くだけでノスタルジックな気分が喚起されてしまうからに過ぎない。私たちは「小・中学校で吹く楽器」という先入観ありきでリコーダーの音を聴いてしまっているのだ。

多くの日本人は、「リコーダーのために作曲された曲」や「リコーダーのプロの演奏」を、ろくに腰を据えて聴いたことが無い。まあ、プロ奏者の数が少なく、専攻生もひとつの音大に数人程度なので、それは仕方ないことかもしれない。しかし、その楽器のために作られた曲や、プロの演奏を聴かないまま「ダサい」「幼稚」「カッコ悪い」と批判するのは、サッカー選手に野球をやらせたり、パティシエに寿司を握らせたりして「下手」と言っているようなものである。

実をいうと、街中を歩いたり、テレビを観てたりすると、結構な確率でリコーダー(や、同じ構造の楽器)を使った曲を聴くことができる。しかし、プロ奏者の音色は多くの人がイメージする「リコーダーの音」と異なっていることもあるので、リコーダーだと知らないまま「かっこいい曲だなあ」と聞き流している人も多いだろう。第一、スーパーや雑貨屋のBGMの楽器構成をいちいち分析するひとは少数派だ。

それでも、NHK『ピタゴラスイッチ』のメインテーマは、日本で最も有名な「リコーダーのために作曲された曲」である。この曲を聴いて「子どもの頃によく聴いたなあ、懐かしいなあ」と思う人はいても、「幼稚」と思う人はいない。むしろ「こんな上手にリコーダー吹けたらカッコイイよな」と憧れる。

同曲を演奏している栗コーダーカルテットは、おそらく国内で最も有名なリコーダーアンサンブルのひとつだ。洗練された演奏技術で作られたサウンドは、柔らかく温かく、純朴で懐かしいのに、返って前衛的でもある。「リコーダーのイメージをガラリと変えるような音楽」ではなく、「リコーダーのイメージをリスナーと共有し、より芸術性を深めた音楽」。それが彼らの作品のイメージである。



それでは、音楽史上でリコーダーが花形楽器として活躍していた時代の作品はどんな感じかというと、これがなかなかヤバい。楽器としてのポテンシャルは大爆発。“掠れ”の少ない楚々とした音色が音楽を真っ直ぐ突き刺し、小鳥のさえずりのようにメロディを歌い上げる様は「圧巻」の一言に尽きる。リコーダーは本来、こんな楽器なのだ。


ケルト音楽でも、リコーダーの親族楽器“ティン・ホイッスル”がよく使われている。この楽器は音を出す仕組みがリコーダーと同じだが、ケルト音楽のメロディを吹きやすいように穴の位置が工夫されていたり、主に金属製だったりする。

リコーダーの本場・ヨーロッパでは、基本構成にリコーダーやティン・ホイッスルが入るバンドが見られる。日本人には「学校で吹く楽器」の印象が強いリコーダーだが、あちらでは「伝統楽器」のひとつ。日本で言うと、尺八や篠笛がバンドに入っているイメージに近いのかもしれない。



クラシック音楽の世界では近年、イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズによって、リコーダーの音色の特徴を存分に活かした神秘的な作品が創作された。これはまさに「リコーダーのイメージを変えるような曲」である。この絶妙な透明感とサウンドの深みは、他の楽器で演奏しても作れない。


ところで、世間一般でいう「カッコいい楽器」の代表格はギターだろう。私は珍楽器マニアだが、やっぱり何だかんだ言って、エレキギターのカッコ良さには痺れる。大学生になって初めて世界的なギタリストの演奏を生で聴いたときには、「これまで音楽科で学んでいたことって何だったんだろう」と数日塞ぎ込んだ程だ。

でも、よくよく考えると、どうしてギターは「カッコいい楽器の代表格」なのだろう。もちろんギターは表現の幅、音色の幅、弾き姿のどれを取っても良い楽器だ。けれどおそらく、一番は「出会い」なのである。私たちはギターと出会うのと同時に、「物凄く巧くてカッコいいギタリスト」とも出会っている。これがきっと、何より強い。

たった2音で構成されたリフ、3コードで作られた曲で何万もの人間を熱狂させるミュージシャンは、驚異的なカリスマ性を持っている。そんな彼らが持つ楽器は、そりゃあもうメチャクチャ魅力的に映る。だからこそギターは、世間一般に言う「カッコいい楽器の代表格」になるのだ。

しかし本来、楽器に優劣は無い。楽器の音色というのは「絵具の色」と同じで、「曲に合う・合わない」「使い方が上手い・下手」はあれど、「それ自体が良い・悪い」なんてものではないのだ。実際、ギターはカッコいい楽器だが、「そこにギター入れるのはダサくない?」という曲は幾らでもある。また、世間一般には「幼稚園児が叩く楽器」なカスタネットやトライアングルだって、吹奏楽やオーケストラ、民族音楽の世界では最高にクールな楽器なのだ。

たとえば、1990年代に一世を風靡したバンド・たまは、木桶を叩いてリコーダーを吹き、『紅白歌合戦』に出場している。同バンドのメンバーふたりが所属するパスカルズは、バンドマスターが鍵盤ハーモニカを担当し、基本構成にオモチャやトイピアノ、リコーダーが入るバンドだが、その芸術性は海外でも高く評価されており、生で聴くと圧倒的なサウンドの迫力に息を呑む。

それはまさに「適材適所」ということである。「さよなら人類」のリコーダーソロをエレキギターで弾いたって、原曲以上にカッコ良くはならない。逆に、クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」を木桶とリコーダーで演奏しても、やっぱり原曲以上にカッコ良くはならない。このように楽器は適材適所。それ自体に優劣など存在しないのだ。


さて、世の中にはピアノやヴァイオリンといった有名なものから、スルントゥムやハーディ・ガーディといった、名前を聞いても音や姿が浮かばないものまで、数え切れないほどの楽器が存在している。私は割と楽器マニアなほうだが、YouTubeで動画を漁っていると、詳細不明・系統不明の民族楽器に出くわすこともよくある。

それらの全ての楽器が「ダサい」と馬鹿にされたり、「〇〇“なのに”カッコいい」「〇〇“だけど”カッコいい」と言われないように。全ての楽器に輝く姿があることを知ってもらえるように。インターネットが発達し、世界中の楽器の音色を手軽に聴けるようになった今だからこそ、普段は陽の当たらない楽器たちのことを思い出してほしい。

文◎安藤さやか(BARKS編集部)

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