【連載】Vol.103「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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ミスター・レジェンド 小坂忠!半世紀以上ジャパニーズ・ミュージック・シーンを闊歩し今日も夢を追い続けながら素晴らしい音楽を生み出す!2021年早々レジェンドはBillboard Live OSAKA & TOKYOでLIVEを敢行!!!


ジャパニーズ・ミュージック・シーンのレジェンド、小坂忠。彼のソウルフルでファンキーな“歌”はハートフルで心に沁み素晴らしい。半世紀以上に亘って音楽道を闊歩、その間には様々な苦難とも直面、自身大病もした。しかし小坂忠は“夢 DREAM”を追いかけながらアグレッシヴに歌い続ける。また彼は秋津福音教会の牧師としても多くの人々と手を携えながら明るく楽しく日々を送っている。その人生感に僕は共感する。年齢も近く1960年代からとても似たミュージック・ライフを送っていた、音楽の話になるとエンドレスになってしまう…。実は彼が牧師を務めるAkitsu Gospel Churchはマイ・ハウスから徒歩2分、なのでよく路上で出会う。このインタビューだってスタンド・チャッティングで決まったんだ(笑)。二人とも陽気な所沢住民である。


2021年1月、小坂忠のBillboard Live OSAKA & TOKYOでのライヴが決定した。今号ではそのライヴに向けての意気込みを聞いた。でも彼とは前述したように音楽話となるとエンドレスで盛り上がってしまう。最新活動から段々と彼のロック&ソウルフルな足跡も聞きたくなってしまって予定をはるかにオーバー。途中からはまさにトーク・ライヴのような展開の中で彼の素晴らしいミュージック・マインドがエクスプロージョンしていく。CHU& MIKEが喋り倒す、MUSIC TALK BATTLE@Kamiyasumatsu!!!


MIKE:こんにちは。
CHU:ヤァ。元気してる!?
M:ありがとうございます。忠さんも顔色グッド!
C:バッチリ。二人で140オーバーだけど楽しく頑張ろう。
M:来年1月、Billboard Live OSAKA & TOKYOでの“小坂忠 The Beginning of 2021”が決定しました。今からワクワクなんだけど、どういった経緯でこのステージが決まったの?
C:今年の9月、中津川でのTHE SOLAR BUDOKAN 2020のライヴ・ステージ“小坂忠 with SOLAR JAM”がとても上手くいったことから発展して来年1月のステージとなったんだ。中津川でのバックは佐藤タイジ(gtr)、KenKen(bs)、Dr.kyOn(kbd)、沼澤尚(ds)。彼らはリハサールで実にバカデカイ音を出すんだ。たまげたよ。リハ後Dr.kyOnが3人を集めて回りも考えたヴォリュームにしようと提案したらしいんだ、その結果本番ライヴは大成功。三世代に亘り時空を超えて一つの世界が構築された。
M:1月は若干メンバー・チェンジ…。
C:タイジとKenKenはそのままでキーボードは斎藤有太、そしてドラムスは屋敷豪太というライン・アップ。
M:各メンバーとのなれそめとか聞かせてくれる?
C:タイジとは4~5年前に彼のインターFMの番組にゲスト出演して以来の付き合い。その後、何度か彼のライヴにジョインした。KenKenと一緒に演奏したのは中津川が初めて、でも最初に会ったのは金子マリ還暦パーティだった。
M:そして僕ら洋楽ファンにはシンプリー・レッドのメンバーとしての活躍が特に印象に残っている屋敷豪太。最近では葉加瀬太郎ツアーでも頑張っている。


▲屋敷豪太と筆者 After HORO LIVE @ BLT 2018

C:僕は豪太はじめ鈴木茂、小原礼、Dr.kyOnらとよく一緒にステージに立ったりスタジオに入ったりするんだけど、豪太はそんな一人。有太も仲良し、BLTでの“ほうろう”LIVEでも一緒だったネ。
M:セトリはもう決まってるの。秘密だったりして(笑)。
C:別にシークレットじゃないよ(笑)。中津川では「People Get Ready」で始まって「Everyday Angel」「Hot Or Cold」…、「機関車」「ほうろう」も取り上げた。これが基盤になると思う。
M:グッド・チョイス。
C:でもネ、聞いてよMike。豪太が新曲書いて来たんだ、詞を付けろって。それも7曲!ウ~ン、出来るかな!?
M:1曲でも3曲でもいい、新作聴きたい!ひょっとして2月以降もこのプロジェクト続けるの?


C:世の中こんな状況なのではっきりとしたプランニング立てにくいけど、一つ言えることはタイジやKenKenといったロックなミュージシャンと一緒にプレイすることによって今までとは異なったエネルギーを体感した、いろいろと触発されたことは確かだ。そして実に面白くもある!僕のサウンド・ワールドがどう変幻していっているか、そのあたりも楽しみにして欲しい。
M:ファンとしてはこのパーソネルを基盤にしながら勿論、礼ちゃんや茂忠の鈴木選手らにもジョインしてもらってブラン・ニュー・アルバムをレコーディングしてくださいませ、ませ、というのが忠さんへのお願いですネ!

M:ところで話しはいきなり大昔に飛ぶけど、生まれは東京の練馬区だっけ。
C:そう、下赤塚生まれ。小学校の頃には埼玉県の志木に移った。


M:音楽に最初に触れたのは?
C:親爺が純邦楽の謡が趣味で、周りの友達は外で野球したりしているのに僕だけ座らせられて謡をやらされていた。嫌で嫌でしょうがなかった。まだ家にポータブル・プレイヤーもなかったんで、僕はラジオからアメリカの音楽に親しむようになったんだ。ずばりアーリー・シックスティーズ、小学校高学年の頃からFEN!
M:エイト・テン・オン・ユア・ダイヤル、NHK第二放送とTBSの間。僕もFEN派、毎週土曜の夜はBillboard/TOP10。
C:日本にいながらUS最新ヒットが楽しめちゃう、素晴らしい。ホントFENをよく聴いていた。そんな中で最初に好きになったのがレイ・チャールズ。あのなが~いイントロの「What’d I Say」は大好きだ。
M:「What’d I Say」は長尺のためシングル盤A&B面にPT1とPT2というフォーマット。AB同楽曲でのシングルはこれが世界最初だとか。日本で初めて「What’d I Say」リリース時に邦題がついていたの知ってる!?
C:知らない。
M:鮎川誠に教えて貰ったんだけど「なんと言ったら(その1、その2)」。


▲提供:鮎川 誠

C:ウへェ~!!そうなんだ。とにかく僕はレイとか黒人の“声”声が好きだった、今でも変わらない。ナット・キング・コールも好きだったなぁ。
M:「Mona Lisa」「Ramblin’ Rose」だよね。
C:彼が東京・赤坂のラテン・クォーターに出演した時のライヴ音源持ってるよ。
M:それはスゴイ!
C:とにかく僕はUSヒット・チューンが好きだった。あと小学生の頃の思い出曲としては♪She wore Blue Velvet♪…(二人でコーラス♪)。
M:ミスター・ブルーことボビー・ヴィントン!ずっと後の1980年代だけど韓国ソウル音楽祭・関係者懇親会で一緒にディナーしたことが…。
中学に入るとイギリス勢、そう所謂マージー・ビートとかベンチャーズには行かなかったの?
C:ビートルズは聴いていたヨ。でもベンチャーズには行かなかった。ビーチ・ボーイズやピーター&ゴードンも好きだった。「サーフィンUSA」「アイ・ゲット・アラウンド」「愛なき世界」。


▲from Mike’s Collection


▲from Mike’s Collection

中学生時は世田谷に住んでいて、近所でカントリー・バンドを組んでいた大学生のお兄さんの家によく遊びに行って練習を見ていたんだけど、そのうちにキミも奏ってみるかってエレキを持たされた。これがギターとの出会いだった。ハンク・ウィリアムスの楽曲を演奏したりしていた。でもここでカントリー&ウエスタンとレイ・チャールズがクロスしていく。
M:レイはカントリー・アルバムを発表している。大ヒット「I Can’t Stop Loving You」は最初ドン・ギブソンで話題を呼んだカントリー・ナンバーだもんね。
C:カントリー・バンドでギターを演奏させて貰っているうちに自分のギターが欲しくなった。そこでアルバイトしておカネを貯め、質屋さんのショーウィンドウに吊るしてあったアコギを購入したんだ。店のオヤジさんに教則本をサービスで貰いそれでコードを覚えたんだ。高校時代は音楽好きの仲間とピーター・ポール&マリーの曲を演奏していた。ブラザース・フォーでもキングストン・トリオでもないヨ。
M:PPM、そこがその後の忠さん音楽活動をしっかり感じさせるんだよね。


C:そして大学入学、その時代はまさに学園紛争真っ盛り。授業はすぐロックアクト、つまりヒマなのよ。そこで仲間誘ってバンドやろうということになった。最初僕はサイド・ギターでリード・ヴォーカルは先輩、何故かというと彼はクルマを持っていたんです(笑)。
M:クルマを持っているメンバーを大切にするということはバンドにとってとても重要なことです!そうローリング・ストーンズ結成当時のメンバーでレコード・デビュー直前にグループから外されたイアン・スチュワートのことを想い出す。
C:このバンドに途中から柳田ヒロが加わった。彼は最初ギターを得意としていた。
M:ヒロと僕は長いこと仲良しなんだけど、彼はベンチャーズが大好き。数年前にMCしたイベントで一緒になった…。スミマセン、インタビュアー喋りすぎです(汗)。


▲柳田ヒロと筆者

C:ノー・プロブラム(笑)。大学生バンド活動していたら、1967年だったかな、友人から新人バンド/オーディションがあることをインフォされ出場した。主催はピクチャー・レコードを制作していたミュージカラーレコードという会社。その時演奏したのがストーンズの「サティスファクション」だった。でもこのオーディションでバンドは採用されず、僕とヒロだけが“合格”。ヒロが杉山喜一、義村康市を引っ張ってきて、レコード会社が菊池英二を紹介してくれた。この5人でザ・フローラルが結成されモンキーズ・ファン・クラブからGS誕生というストーリーでデビューとなった。
M:1968年2枚のシングル・リリース。



C:「涙は花びら」「さまよう船」。ビュジュアル&アートを宇野亜喜良が担当。もうその衣装がたまらなくイヤだったナ!ヒロなんか白いドレス(笑)。義村はピーター・パン、菊池はジミ・ヘンドリックス…。僕は星の王子様、恥ずかしかった(笑)。
M:そして68年10月には日本武道館でライヴですネ。
C:モンキーズ日本公演の前座でザ・フローラルが出演したんだ。その時観たモンキーズのマイク・ネスミスは素晴らしかった。
M:彼は1970年代にカントリー・ロックのファースト・ナショナル・バンドを結成して活躍した。MTV発案者としても知られる。


C:ザ・フローラルは百貨店の屋上とかディスコテックで活動していたんだけど、アンプや楽器類は贅沢だった。台湾の電気メーカーがスポンサーだったの。そこは日本でレコード会社を創りたいという野望があって、僕らをいろいろ面倒みてくれた。贅沢なバンドでアンプは特注。でもメンバー内がしっくりいかずグループは1969年2月に解散。事務所はアイドル志向の杉山と義村を残し、ヒロ/菊池/僕の3人はクビかなと思ったら逆だった。
M:そして69年春、三人に新たなメンバー二人が加わりニュー・グループ誕生。
C:細野晴臣、松本隆がジョインしてエイプリル・フール結成。直ぐにレコーディング、ボブ・ディランのカバーも収録したアルバム『APRIL FOOL』を秋にリリースした。


M:僕はその当時コロムビアレコードの洋樂宣伝担当・高久光雄からテスト盤を渡されじっくり聴いた、気骨溢れたサウンド展開がとても印象的だった。虎ノ門/日本消防会館(通称:日消ホール)でのデビュー・コンサートにも行ったよ。
C;アルバムの写真撮影はアラーキーこと荒木経惟。
M:モノクロのロック・ショットだ。
C:実はアルバム・リリース前にはもう解散寸前だった。でも少しは活動したさ。TBS/ヤング720出演したり、パニックではゴールデン・カップスとよくセッションした。島倉千代子の前座を務めたのもこの頃だったような…。でもエイプリル・フールはあっけなく解散してしまった。


C:僕は音楽のほかアートや映像などのアバンギャルドな世界にもとても興味があった。東由多加の店に出入りして“ヘアー”のオーディション情報を知ってAUDを受けたんだ。細野くんにバックを頼みゴスペル「Motherless Child」を歌って合格したんだ。
M:今の忠さんを感じさせるエピソード。
C:“ヘアー”オープニングで「Aquarius/Let The Sunshine In」をチェットと歌ったんだ。
M:憶えてる、憶えてる。「ヘアー」僕も観に行った。実はチェット・フォーチューンとは1967~68年頃から何度か会っていたんだ。彼は米軍基地バンド、ハウス・ロッカーズのメンバーだった。このバンドにはもう一人のヴォーカリスト、ギルことギルバート・コールマンがいて彼らはサム&デイヴ楽曲を得意としていた。MUGENとかにも出演して僕は立川基地内のクラブでも何度もそのステージを楽しんだ。日本ビクターからLPが4枚もリリースされていた。チェットはこの10年は日本人奥さんの実家/群馬県桐生市に住んでいる。おっと横道に逸れちゃった、軌道修正。


▲左がチェット。 From Mike’s Collection

M:「ヘアー」の後ミッキー・カーチスと出会う…。
C:ミッキーのマッシュルームから『ありがとう』をリリース。1970年代からはソロとして活動していた。このアルバム、アコースティックな世界なんだけど、な、なんとニューミュージック・マガジンでは日本のフォークとして紹介された。
その頃だった、僕の人生のプロデューサーである高叡華と結婚。彼女は僕の全てを助け、励まし、そしてプロデュースしてくれている、50年!感謝の気持ちでいっぱいです。
M:素晴らしいことです。


C:ソロ活動をする展開で僕をサポートしてくれたのがフォージョーハーフ、松任谷正隆、後藤次利、林立夫…。
M:礼ちゃんは…。
C:オーディションを落ちた。1970年代に入ってずっと親しんでいたソウル・ミュージックをより積極的に楽しむようになっていった。モータウンからスタックスまで。
*余談だけどここで二人はiPadに保存してあるメンフィスのスタックス・スタジアムを訪れた時のメモリー・ショットを見せあって大盛り上がり。ライク・ア・ティーネージャー!アップビート!!YEAH!!!


▲メンフィス/スタックス・ミュージアムに展示されているスティーヴ・クロッパーの1960年代に使用したギター Pic. by Mike

C:そんなR&Bな世界を突き進み完成したのが1975年のアルバム『HORO』。細野くんのプロデュースで彼のほか茂、松任谷、林、矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎、大貫妙子…らがレコーディングに参加。今考えると凄いメンバーだ。


M:そして何よりも素晴らしい出来映えだ!日本音楽史に金字塔として輝くR&Bアルバムだと僕は思う。9曲とも好きなんだけど特に「夕方ラブ」が僕のお気に入り。アップテンポのファンキー・ビート・チューン。グルーヴ感溢れるゴキゲン・ナンバーで歌詞がとてもソウルフル、カッコイイ、You Gotta Love!(実はこのダンサブル・チューンを何度も何度も楽しみながらディス原稿書いている、YUP)。このアルバムは1990年代に再評価され、2001年にCD化。そして2018年には『HORO』LIVE、TV放映もされたのだ。


C:そして今度はトリオから『CHU Kosaka Sings』をリリース。ミッキー・カーチスのプロデュースでハワイ・レコーディング。その後、自分の事務所、トラミュージックを立ち上げスタジオも作った。
M:そしてキリスト教と出会いゴスペルを歌うようになったんですね。
C:クリスチャンになる前まで音楽は自分の楽しみでしかなかった。でも神に仕えるようになってからは、音楽に別の意味を見出した。音楽で人が励まされ、その人の人生が躍進したりと、音楽にすごいパワーがあることに気がついた。その力を何のために活用していこうかと考えるようになった。「Amazing Grace」を歌うようになってからゴスペルについていろいろ分って来た。以前歌っていたPPMのレパートリーにゴスペルを原曲としたものがあることも発見。そしてスタックス所属のステイプル・シンガーズもより近い存在になったのです。メンフィスに行ったときそこに住む人々から、ここではゴスペルもカントリーもブルースもR&B、み~んな親戚だということを聞きました。素晴らしいことです。
そして1991年から秋津福音教会の牧師としても活動させて貰っています。地元に何か役に立ちたいと気持ちでいっぱいです。


▲秋津福音教会

M:忠さんのその気持ちが僕らを元気にしてくれます。
C:そして所沢をミュージック・タウンにしたい、メンフィスにしたい!
M:YES!今年はアルバム『People』が復刻。そして茂忠の「まだ夢の途中」が登場。礼ちゃんも参加してるこのナンバー、じっくりと聴かせるとても素晴らしい作品です。忠さんからは“夢”というフレーズがしょっちゅう飛び出してきます。


C:僕は“夢”“DREAM”大好き。人間は夢を持たなかったらダメだ。ミュージシャンは夢を形にしている。これからの僕の夢はとにかくいろんなことをやっていこうということ。人との繋がりを大切にして、一歩一歩前進していきたいと思っています。今日はとっても楽しいインタビュー、ありがとう。


M:こちらこそありがとうございました!2021年1月22日のBillboard Live TOKYOでのステージ楽しみにしています!!
(文中敬称略)
◆Pic. by K.SATO

【小坂忠 The Beginning of 2021】
*2021年1月9日 Billboard Live OSAKA
ファースト・ステージ 開場15:30  開演16:30
セカンド・ステージ  開場18:30  開演19:30
http://billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=12445&shop=2
*2021年1月22日 Billboard Live TOKYO
ファースト・ステージ 開場17:30  開演18:30
セカンド・ステージ  開場20:30  開演21:30
http://billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=12444&shop=1

◆「まだ夢の続き 小坂忠・著」(河出書房新社)
ぜひぜひ再熟読してください!


▲from Mike’s Library

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