【インタビュー】シキドロップが示す、『イタンロマン』という生き方

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四季は巡り、人は出会いと別れを繰り返し、たった一つの人生を懸命に生き抜いてゆく──。シキドロップのミニアルバム3部作の完結編、サードミニアルバム『イタンロマン』のテーマは「自認」。1枚目『シキハメグル』は「喪失」、2枚目『ケモノアガリ』は「再生」と続いてきたドラマの終わりは、ハッピーエンドか、それとも悲しい結末か? そして「異端」と「浪漫」を組み合わせた『イタンロマン』というコンセプトは何を意味するのか? 宇野悠人(Vo)、平牧仁(Key)がすべてを語る3部作完結インタビュー、それは予想を超える深い思索と仕掛けに裏付けされた、とても意味深いものだった。

  ◆  ◆  ◆

■愛と夢に真っ向から向き合って、汗をかくこと

──アルバム、良かったです。当たり前だけど毎回違っていて、今回は音の骨格がシンプルに太くなった感じがするのと、明るいというか、明快な曲調が増えた気がしています。

宇野悠人:そうなんですよね。今回は簡単に言えば「ポップ」みたいな、明るい感じの曲調が多いのはなんでだっけ?

平牧仁:もともと僕はポップな曲調が大好きなので、「初心に返った」ぐらいのニュアンスですね。だから、サウンドやメロディはもしかしたら、この3枚目が一番僕の好みかもしれない。

宇野:仁ちゃん、もともとそうだもんね。前回までのアルバムでは、僕がそれをはじいていた部分がたぶんあったんですよ。もっと暗めなクールな曲で揃えたかったんですけど、今回はすんなり耳に入ってくるキャッチーさが欲しかったというか、僕の趣味が変わったのかどうかわからないですけど、言われてみれば明るい曲が多いなと思いますね。

──ただ明るいという意味ではなく、肯定的というニュアンスなんですけどね。そして今回は「3部作の完結編」であるというふうに発表されているわけですけど、シキドロップは「後付けの天才」を自称しているので…。

平牧&宇野:(笑)。

──果たしていつ頃から考えていたのか?というところから話を始めますけど、1枚目が喪失、2枚目が再生、そして3枚目が自認という、3枚の流れは頭の中にあったものですか。

平牧:それが全然なくて…そもそもシキドロップとして最初に作った「おぼろ桜」という曲からすべてが始まったんですけど、「だったら春夏秋冬の曲を作ろう」ということで、作っているうちにアルバムの話が出てきて、せっかくだからコンセプトアルバムにしようということで、“喪失”をテーマにして曲をまとめたのが『シキハメグル』だったんですね。それがすごく楽しかったのと、ミニアルバムは世界観を作りやすいので、「2枚目もコンセプチュアルに行こう」ということで作ったのが『ケモノアガリ』で、そうすると「3枚目もそうなるよね」という話になったというか。

──そうなりますよね。

平牧:しかも、見え方としてわかりやすいと思ったんですよ。カタカナ6文字のタイトルで、7曲入りのミニアルバムが3枚並んだら、「シキドロップってこういう人たちなんだ」というものを世間に提示できると今は思いますけど、当初はまったく、僕も事務所の人も思っていなかったと思います。

──そんなふうに「喪失」「再生」と来て、3枚目のテーマはどんなふうに考え始めたんですか。

平牧:『ケモノアガリ』を仕上げている段階で、僕は曲を書いたあとは手が空くので、次のことを考えていたんですね。まずタイトルがカタカナ6文字で、ダブルミーニングにして、3枚目に出すにふさわしいコンセプトは何だろう?と思った時に、映画をたくさん見たりして、言葉をどんどん吐いていったんですよ。「キズナ」「ハカイ」「イタイ」「ナミダ」とか、3文字のものをひたすら書いていって、その中に「イタン」「ロマン」も入っていたんですけど、それはある意味で自分をトランスモードにするというか、紙の上でウワーッとわめき散らしたものの中から、コンセプトをすくいあげた感じです。それが『イタンロマン』になったんですけど、最初にそれを言った時に、プロデューサーの方が「え? 今さらじゃん」と言ったんですよ。

──ほおーっ。

平牧:「今までもずっと“異端”な“浪漫”を書いてきたじゃん?」と。それで一回はじかれそうになったんですけど、僕は逆にその言葉を聞いて、なおさら『イタンロマン』だなと思ったんですね。3部作で一回完結させるために、「ザ・シキドロップ」みたいなことがやりたかったので、「ずっと『イタンロマン』じゃん」と言われたことで、僕の中では決まりましたね。

宇野:その話をしていた時は、もちろん僕もいたんですけど、確かに『イタンロマン』だなというか…僕らはミュージシャンなので、ずっと異端なんですけど、それが浪漫だというのが面白いなと思います。その時はそう思いましたけど、歌う時に特にそれをイメージしたわけではなくて、歌詞の内容を気にせず、自分の思った感じの歌い方に仕上げた感じですね。だからコンセプトに関しては、仁ちゃんが仕上げてくれた最終章だと思っています。

──じゃあ1曲目のタイトル曲「イタンロマン」は、アルバムタイトルが決まってから書き下ろしたものですか。

平牧:そうです。コンセプトを決めたあとにがっちり書いたので、とても書きやすかったですね。「イタンロマン」の曲も歌詞もすぐに書いて、2,3時間で作りました。

宇野:めっちゃ早かったよね。

平牧:早かった。目的が決まると、僕は何事も早いタイプだと思います。決まるまでが大変ですけど。



──「イタンロマン」は、アルバムのコンセプトをスタートさせるテーマ曲になっていると思うんですけど、登場人物が二人いますね。ここに出てくる少年と少女は、どんな二人なんですか。

平牧:この曲は「はみ出し者の賛歌」というつもりで書いたんですよ。今までの『シキハメグル』も『ケモノアガリ』も、主人公は一貫して一人のつもりで書いていたんですけど、今回のアルバムは群像劇というか、オムニバスっぽい感じで、1曲1曲独立しているアルバムにしたいという思いが最初にあって、その中でこの「イタンロマン」は俯瞰して歌詞を書きたかったんですね。これから出会うであろう少年と少女、という感じです。タイトルを見てもらうとわかるんですけど、1曲目と7曲目が対になっていて、「イタンロマン」は「ふたりよがり」のことを歌っていたりするんですよ。「ふたりよがり」で“回り道で出会う”と歌っていて、「イタンロマン」ではそれを予感させる、という感じで、少年少女を登場させています。

──そこはアルバム全体が本当にうまくできていて、1曲1曲独立しつつ、全部つながっていると思っていて。僕は何度か聴いて、アルバム全体がめぐり逢いの物語になっていると思いました。

平牧:そう思ってもらえるとうれしいです。

──つながりを感じる理由の一つとして、同じ言葉が複数の曲にまたがって出てくるんですね。たとえば「イタンロマン」の“プログラムエラー”が、2曲目「エラー彗星」につながっていたり。

平牧:この間「エラー彗星」のミュージックビデオを発表しましたけど、実は最初はミュージックビデオの構想も違っていて、今っぽく「AIとか使えたらいいね」とか言っていたんですね。生きる自由はあるけど、死ぬ自由はどんどんなくなる時代の中で、「生きるとは何ぞや?」というようなことを、AIを通して語るのはどうだろう?と。そういう話が出た時に、「それは面白い」とキャッチアップして、僕が先回りして歌詞に仕込んだんです。なので“プログラムエラー”とか、3曲目「新世界」に出てくる“バグる制御装置”とか、コンピューター系の単語があちこちに出てくるのは、そういう裏話があるんですよ。

宇野:最初はそうだったんだよね。前回みたいに「ストーリーもののミュージックビデオを作ろう」と思った時に、最初に上がってきたイメージが“AI”“近未来”とかで、それと同時に“機械”“工場”とかが出てきて、ふたを開けてみたらAI寄りではなく、廃墟とか工場とか研究とか、ミュージックビデオはそっちの方面にシフトしていった感じです。

平牧:それをうまい具合にイラストレーターのsakiyamaさんが取り入れてくださって、素晴らしい落としどころになりました。

宇野:めっちゃいいですよね。僕もお気に入りです。sakiyamaさんの絵が、いつにも増して生き生きしている気がします。



──ここでちょっと変な質問をします。二人は自分たちが「異端であること」を強く自覚しているようですけど、「異端であること」って、人にお勧めしたいことですか。

平牧:いやー、どうだろう? 僕が思う「異端」って、区別とかじゃなくて、マジョリティでもマイノリティも関係なくて、「みんなが小さい異端を隠し持っているのかもしれない」と思っていて、僕はそこで開き直った人種というか、異端であることを肯定して進んでしまっているんですね。それはやっぱり、とても生きづらいことで、「長いものに巻かれろ」という感覚は僕の中にはないですし、巻かれたほうが生きやすいだろうなとは、いろんな人を見て思ったりはします。

宇野:でも、けっこうキツイんじゃないの? 巻かれたら巻かれたで。

──それが耐えられない人も、いるでしょうね。

平牧:まあ、どっちもあることを知ってもらった上で「選んでください」ということですかね。別に僕が異端の代表ではないですけど。

宇野:そうなの? 代表かと思ってた(笑)。

平牧:とにかく何事も、知ってもらうことは大事だと思うので。そういう意味で、僕は異端の見本かもしれない。

──異端であることは、芸能や芸術の世界では、むしろ必要なことだと思いますよ。それを生き方として『イタンロマン』と言い切るところに、強いメッセージを感じます。

平牧:何を美しいと思うか、何を幸せと思うかは、自分で定義することだと思うんですよ。それはある意味、思想や哲学にも近いかもしれなくて…僕が思う「異端な人」は、正解や不正解を飛び越えられる熱を持っている人のことで、何かを成し遂げられなくても、本当に自分が一生懸命笑って泣いて、かいた汗は、とても美しいと思うんですよ。僕はそれこそが自分の人生の哲学だと思っていて、それがなければ富も名声も、自分のことを絶対に救ってくれないと思うんですよ。愛と夢に真っ向から向き合って、汗をかくことでしか、たぶん僕は僕を救えないと思っているので、生きていく上でそこをすごく大事にしている、それが異端なのかな?と思っています。みんな、そこをうまく誤魔化したり、折り合いをつけていくと思うんですけど、僕の中には「ちょうどいい」という言葉がなくて、不器用だと思うんですけど、ちょうどいい塩梅に生きれたら、もっといいのになとは思いますけどね。

宇野:仁ちゃんは「マルかバツか」という感じだもんね。中間がない、サンカクがない男。

平牧:中途半端なら「やらない」ってなっちゃうんですよ。

──今言ったことは、“正解も不正解も / 価値なき場所で / 夢を見た”という、「ふたりよがり」の歌詞の最後の一行にも出ていると思います。これは平牧仁の生き方の哲学の、一つの究極の歌だと思いますね。悠人くんは、自分の中の異端性を肯定的に受け止めていますか。

宇野:僕は昔からそうなんですけど、「宇野くんって変わってるね」と言われるとうれしくなるタイプだったんですよね。「俺はみんなと違うのか、いいな」みたいな、軽いノリで今まで生きてきて、それが大人になって、異端という言葉があるということを知った時には…別に異端がいいとか悪いとかはないし、仁ちゃんに関しては、僕は逆に異端であるべきかなと思いますね。仁ちゃんが言うように、そもそも異端じゃない人はいないと思うんですよ。「普通の人」というものはたぶん世の中に存在しなくて、変な人たちがいっぱい集まっていて、その平均が「普通」と呼ばれるもので、極論するとみんな異端なんじゃないかな?と僕は考えていますね。だからケンカもするし言い合いにもなる、そこで中間の「サンカク」を選択肢に加えている人が世渡り上手なのかな?と思います。だから僕は、人は異端であるべきだけど、世渡りは上手であるべきかなと思っています。でも仁ちゃんはサンカクがないから、生きにくいなと思います。

平牧:ぶつかり稽古のような毎日ですから(笑)。

宇野:大変だよね。それは僕にはない感覚なので。おそらく仁ちゃんにも僕の感覚はないと思うので、毎回この話になっちゃいますけど、バランスの取れたいいチームだと思っていますね。

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