【連載】Vol.109「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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【プリンセス天功 ザ・イリュージョン2021(にいまるにいいち)~withコロナの日々に、魔法の瞬間(とき)を~】公演迫る!


▲(C)TENKO

引田天功a.k.a.PRINCESS TENKO(以下プリンセス天功と表記)のドラマティックかつエキサイティンでスレンダーなイリュージョン・ワールド、僕らを何時もドゥリーミーな世界へ誘う。日本は勿論のこと海外でのショービズでも脚光を浴びるそのパフォーマンス、ステージングは20世紀から21世紀にかけ多くのファンを魅了してやまない。


▲(C)TENKO

そんなプリンセス天功が2021年3月6日、東京・有楽町よみうりホールで【プリンセス天功 ザ・イリュージョン2021(にいまるにいいち)~withコロナの日々に、魔法の瞬間(とき)を~】を開演する。今回は音楽ファンからも注目されるだろうという前評判を耳にしていた。実はもう30年位前になるけど僕は軽井沢プリンスホテルでの彼女のイベントでMCしたことがある(その時の僕のトーク相手はデーブ・スペクターだった)。


▲(C)TENKO

そんなこともあって何故か親近感のあるプリンセス天功によみうりホール公演への意気込みをインタビューしたくなった。
2月13日都内某所でプリンセス天功にいろんな話しをじっくり聞かせて貰った。

Mike:この1年、コロナ禍の中で世界中の人々がもがきながら生活を送っています。貴女自身、活動を延期したり中止したりと大変な日々が続いたと思います。その時期どういったことを考え、そしてどんなモチベーションですごしていたんですか。


▲Pic.by K.SATO

PRINCESS TENKO:私の場合は公演が有る無しに関わらず、朝5時に起床してからはきちんとプログラミングされたいつも通りの規則正しいライフ・スタイルを送っていました。ステージがキャンセルになったりはしたけれど、前に進む意気込みでポジティヴに淡々とした日々を送っています。

M:そして貴女は果敢にも3月6日【プリンセス天功 ザ・イリュージョン2021(にいまるにいいち)】を開催します。タイトルに敢えて“with コロナの日々に、魔法の瞬間(とき)を”と明記してあります。

PT:コロナ禍以前からいろいろオファーもあり多くのステージが計画されましたが、この1年余りはその公演は国の判断でキャンセルになったり延期に……。そんな動きの中で昨年、スタッフとの総合判断で3月6日に今回のパフォーマンスを実現することを大決定したのです。


▲Pic.by K.SATO

M:そのよみうりホールでの【ザ・イリュージョン2021】勿論貴女の原案・主演、そして総合演出。今回の企画意図、そしてステージの流れ、注目点などを語ってください。

PT:小さなお子さんからご年配の方まで、ファミリー層に楽しんでいただけるステージにします。そして音楽にいつも以上に力を入れます。米米CLUB/ジェームス小野田さん、世界的に活躍している三味線バンド/THE SYAMISENISTらが出演します。生の演奏は何と言っても観客の皆さんの心がときめきます。イリュージョンと音楽の融合、ドラマティックな世界を楽しんでいただけると思います。


▲THE SYAMISENIST

M:この1年コンサートなどは殆ど開催されていませんので、そういった意味でも音楽ライヴを導入することはグッド・アイディアです。

PT:音楽ファンにもアピールしたいです。イリュージョンは夢のある世界、近未来的なジャパネスクみたいな要素もあると思いまいます。あと海外志向テイストも加味します。皆さん最近は海外旅行が出来ていないでしょう。公演後お家に戻ってからあれはハワイだった、オーストラリアだったと思い出して頂ければと思うのです。

M:僕らが現在、リアルな体験出来ないことが今度のザ・イリュージョン2021で体現出来るのですネ。

PT:まだ公演まで日数があります、いろいろとリサーチして新たな展開をステージ構成に加えてみようかとも思っています。

M:改めて共演者ご紹介ください。先ずは東京魔術団……。


▲東京魔術団 (C)TENKO

PT:彼らは以前から私をサポートしてくれています。メンバーは中国拳法の達人、役者とかイリュージョン・プラス・アルファ、何かを持ってる面々。単なるアシスタントではなく各人が素晴らしいアーティストです。彼らにもしっかり注目してください。

M:米米CLUB ジェームス小野田、彼とはどんなコラボですか。


▲ジェームス小野田

PT:ジェームスは私の良き友人、香港や台湾でも一緒に公演したことがあります。今回は私からジェームスにこういった作風の楽曲を生み出して欲しいとリクエストしました。その曲を彼が歌い私がイリュージョンするのです。ジェームス はまさにプロフェッショナル、海外でも多くの観客から注目を集める大きな魅力を持ったミュージシャンです。

M:そしてサックス、コーラスも加わり音楽監督も控えています。改めて3月6日公演に貴女が如何に音楽を重要視しているかが分かります。


▲Pic.by K.SATO

PT:公演をディレクションしていく上で、イリュージョンの前に私は先ず音楽から組み立てるのです。一番最初に音楽、大切なんですよ、音楽は!単なるBGMではオーディアンスの心は響きません。ジェームス小野田、THE SYAMISENISに加えサックスが笹本真由、コーラスがYoko “Princess”Yamazaki 、そして音楽監督がTakashi Yamazaki 。過去にも前田憲男さん、大江千里さんに音楽監督をお願いしたことがあります。演者は音楽の波動、エネルギーによってより生きた動きになっていくのです。

M:そういえば貴女は初代・引田天功さんに師事し、その後“朝風まリ“でCBSソニーからシングル「ザ・マジック/恋はマジシャン」(1978年)、「くせになるから/海に来た女」(1979年)の二枚のシングルをリリースしています。


▲シングル「ザ・マジック」 (C)TENKO

PT:あの時代のアイドルの楽曲が最近もコンピレーションCDとしてリリースされたりしています。当時のファンの方から“朝風まり”宛にファン・レターを頂いたり、また歌ってくださいなんて言われるととっても嬉しいです。丁度ピンク・レディー全盛期、歌って踊る時代だったんです。私は歌って踊ってマジックもしちゃうステージングを演出していたんです。


▲朝風まり時代…(C)TENKO

M:音楽との出会いは?

PT:母が音楽や芸能が大好きで、私は幼い頃から三味線、お琴、端唄、小唄、日本舞踊に親しみ、将来はピアニストを夢みていたんです。小学校に入学してからはいろいろな習い事をしていて、帰宅するのは毎日夜の10時だったんです。でもそれが全く苦にならず、一生懸命でした。それが今日の私の基本になっていると思います。

M:普段はどんな音楽を聴いてすごしてますか?


▲プリンセス天功さんと筆者 Pic.by K.SATO

PT:音楽はボーダレスに楽しんでます。各部屋サラウンドにしてここはクラシック、こっちはハード・ロック、あっちはマイケル・ジャクソン全盛期時代の楽曲…といった具合。音楽大好きです。

M:ラスベガスはまさに音楽の宝庫、いろいろなショーが気軽に観れると思うんですが、実際ショーに行ったりしますか?

PT:この1年はコロナ禍で行けませんでしたが、それまではラスベガスに居る時には毎日の様にお誘いがありました。特に素敵だったのはセリーヌ・ディオンのショーでした。

M:マイケル・ジャクソンと交流がありましたよね?


▲キャプテンEO (C)TENKO&MJ46

PT:ハイ、マイケルはとても素敵な友人、仲間でした。私はアメリカに活動の場を移し、ウォルト・ディズニーのTVにレギュラー出演、アニメやバービードールでも頑張りましょうといった動きの中で活動するようになった時でした。その少し前でしたでしょうか、マイケルと私のクライアントが同じということもあってその関係者から某国王族から
マイケルと私が呼ばれてショーをすることになったのです。最初は1980年代初めだったかしら。ドバイとかいろいろなところに行ってマイケルと共演、皇太子の誕生パーティとか……。その後マイケルとは会うこともなかったんですが、『マイケル・ジャクソンTHIS IS IT』の少し前から彼と再び交流するようになりました。そしてツアーもままならぬうちにマイケルがこの世を去ったのです。そして個人的な繋がりの中で2009年【マイケル・ジャクソン遺品展 MJ46 JAPAN TOUR】をプロデュース、日本のマイケル・ファンと彼の冥福を祈りました。このイベントは大好評でファンの皆さんのご要望に応え翌年にも開催しました。


▲MJ46会場(C)TENKO&MJ46

M:天功さんはMJコレクターとしても有名です。どのくらいコレクションしてますか。一番のお気に入りというか自慢のお宝は!?

PT:150~200くらいあるでしょうか、日々増えてます(笑)。中でも一寸自慢したくなるのがドア一枚位の大きさのメイク・ボックス、レシートとかサインしてあるカード払い控えシート等。そこにはよりパーソナルなものがいろいろ詰まっているんです。涙が出てくるほど悲しいものもあります。何かは言えないんですが…。
マイケル・ジャクソンは誰にも真似の出来ないプロフェッショナル、全てがプロフェッショナル!それが彼の魅力なんです。


▲MJライフ・マスク OZ (C)TENKO&MJ46

M:マイケルの素晴らしさを後世に伝承する意味でも、是非とも貴女の原作・主演・監督で【MJ WORLD】を誕生させてください。

PT:いろいろプランニング中です。

M:天功さんはマリリン・モンローのコレクターとしても知られています。


▲モンロー ヘアウィック(C)TENKO


▲モンロー ブラシ&コーム(C)TENKO

PT:マリリン・モンローだけではなくエルヴィス ・プレスリー、チャールズ・チャップリン、ジュディ・ガーランドらアメリカのスター達のグッズ・コレクションも楽しんでます。マリリンは櫛やドレス。そしてルイ・ヴィトンのMMトランク、ここにはマリリンが使っていたバッグやお人形が入っていて、後年ルイ・ヴィトンに鑑定書を発行して頂きました。エルヴィス ・グッズも多くコレクションしていますが、面白いのは床屋さんがカットしたザ・キングの髪の毛、これは貴重です。


▲LV5代目当主パトリック・ルイ・ヴィトン氏とプリンセス天功さん。モンロー・トランクを通じて公私ともに交流を深めた。(C)TENKO

M:よみうりホール以降、どんな活動を考えていますか。


▲(C)TENKO

PT:先ず今度のよみうりホールでのパフォーマンスは、後日配信もします。そしてその映像撮影にはVRを駆使します。いろいろ実験してみようと思案中。そして当日はコロナ対策もいろいろやらせて頂きます。この対策方を多くのアーティストに参考にして貰いたいとも思っています。
そして6月からの全国ディナー・ショー・ツアーの計画も練り始めました。またサークル別、クラス別などぐっと絞り込んだリミテッド・オーディアンス・オンリーなステージも実施したいです。
先ずは皆さん、3月6日お会いしましょう!!

http://international-culture.co.jp/tenko2021/

【ロックンロール・プレジデント: ジミー・カーター 大統領のロック交友録】



2月初頭WOWOWで大変興味あるドキュメンタリー映画『ロックンロール・プレジデント: ジミー・カーター 大統領のロック交友録』(2020年作)が放映された。ジミー・カーターは第39代アメリカ合衆国大統領(在任期間1977~1981年)。1924年10月生まれで現在96歳、彼の妻ロザリンは1927年8月生まれの93歳でお二人とも元気である。近年合衆国大統領ではローリング・ストーンズとも交流のあったビル・クリントンや映画『メーキング・オブ・モータウン』にも登場したバラク・オバマが音楽好きとして広く知られるが、ジミーは彼等に負けず音楽に造詣が深い。彼は、ジョージア州プレーンズ生まれで、1960年代初頭からジョージア州上院議員として政界に足を踏み入れ、大統領直近まで1971~1975年ジョージア州知事を務めていた。

本作はジミー・カーターが自らターン・テーブルのLPに針をおとすシーンから始まる、曲はボブ・ディラン「Mr.Tambourine Man」だ。彼はボブをはじめウィリー・ネルソン、ジューン&ジョニー・キャッシュ、オールマン・ブラザース・バンドetc多くのミュージシャンと親交が深い。ボブ、ウィリー、キャッシュ夫妻の娘/ロザンヌ、グレッグ・オールマン(2017年逝去)&チャック・リヴェール(ABB、1982年からストーンズ のバックを務めている)はじめナイル・ロジャース、U2のボノ、ポール・サイモン、トリーシャ・イヤーウッド&ガース・ブルック夫妻(ガースは僕の大好きなカントリー・シンガーでライナーノーツも書いたことがある)、ラリー・ガトリンらがジミーの“素晴らしさ”を証言している。当時多くのミュージシャンが彼を応援し、そのファンがフォロワーとなってジミーを大統領に押し上げたのだ。


▲ウィリー・ネルソンとジミー・カーター

黒人が多く暮らす地域で育ったジミー・カーターは自然にゴスペル・ミュージックを聴き歌って育った。つまりロックンロールのルーツが彼の体内にしっかり根付いているのだ。ビル・ヘフナーと「I'll Fly Away」を歌うシーンは注目だ。10代の頃まで水道も電気もない生活だったけど、彼は電池式ラジオでカントリー・ミュージックやグレン・ミラー・オーケストラを楽しんでいたと言う。息子チップ・カーターはこう語る、「父は貧困時代だったけど600ドルも叩いてステレオを買ってくれた」。ジョージア州生まれのレイ・チャールズ、同州育ちのジェームス・ブラウンのライヴ・シーンも登場。ジミーは早くから公民権運動を推進して、州知事公邸に移るとすぐにマーチン ・ルーサー・キングの肖像画を飾った。チャックはこう語る「ABBのドラマーは黒人だった、彼は政治の世界でこの編成を目指した」。大統領選運動にはABBはじめデラニー&ボニー(彼らのライナーも書いた)としてスワンプ・ロック・ファンには懐かしいボニー・ブラムレット、ディッキー・ベッツ、マーシャル・タッカー・バンド、チャーリー・ダニエルズ、ハンク・スノウ、トゥーツ&ザ・メイタルズ、ジョン・デンヴァー、ジミー・バフェットも協力した。



勿論キャプリコーン・レコード創始者/フィル・オルデンが陰でその活動をディレクションした。そんなムーブメント中に“Rolling Stone ”紙1976年6月3日号(Vol.214)でジミーは表紙を飾り特集が組まれた。表紙といえば1970年代に発行されていたオピニオン雑誌“New Times ”1976年9月3日号でもフロント・カバーを飾り“Jimmy's friends in rock ”という特集が組まれた。





大統領就任コンサートの客席にはジョン・レノン&ヨーコ・オノが列席していた。その時のステージをアレサ・フランクリン、ポール・サイモンが見事に披露している。そしてホワイト・ハウスにはグレッグ&シェール、ダイアナ・ロス、ドリー・パートン、クロスビー・スティルシュ&ナッシュ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ウラディミール・ホロヴィッツetc多くのミュージシャンが招かれてた。ライヴもさかんに催された。ディジー・ガレスピー/ハービー・ハンコック/デクスター・ゴードン/ロン・カーター/ジョージ・ベンソン/トニー・ウィリアムスの共演は圧巻だ。ジミーはジャズやブルースも大好き。セシル・テイラー、チック・コリアもここで演奏、チャーリー・ミンガスも招待された。


▲ライヴを楽しむジミーと妻ロザリン

ディジー&トニーとジミーは共演、「Salt Peanuts」をジャムった。因みに彼は1950年代、父親の死後退役しピーナッツ栽培に従事し成功している。共演といえばウィリー・ネルソンのWHコンサートでは妻ロザリンが「Goodnight, Irene」歌っている。彼女も音楽大好きで、WHライヴのプロデューサーとして活躍したという。ロレッタ・リンが歌う「Coal Miner's Daughter」にも感動させられる。彼女の1970年ヒット、マイ・フェイヴァリット・カントリー・ソング。コンウェイ・トゥッティ、トム・T.ホールもWHで歌った。カントリーといえば大統領時代に中国アメリカ大使をナッシュヴィルに招いてのカントリー・ミュージックをフィーチャーしたパーティ・シーンもワクワクさせられる。そこではバーバラ・マンドレル、ジューン&ジョニー・キャッシュが見事なパフォーマンスを見せる。またイラン皇帝夫妻のディナー・パーティにはサラ・ヴォーンがステージを務めた。

大統領退任後は生まれ故郷に戻りジミー・カーター・センターを設立し人道主義者としてギニア虫症、エイズ撲滅に取り組んだ。2002年、国際紛争の平和的解決に貢献したことが高く評価されノーベル平和賞受賞した。そのノルウェー/オスロでの受賞パーティでウィリーは「Georgia On My Mind」を熱唱した。またカーター夫妻は貧困者に住居を提供する活動を40年続けそのうち35年は夫妻が実際に建築作業もしたのだった。ハイチでのその建築作業にはトリーシャ&ガース夫妻も参加した。


▲詩集「Always A Reckoning And Other Poem」

ボノはジミー著「Always A Reckoning And Other Poem」を朗読して元大統領の人柄を賛辞したり、ウィ・アー・ファミリー・ファンデーション賞のセレモニーでメッセージを述べ、そしてナイル・ロジャースと「Pride(In The Name Of Love)」(U2のキング牧師に捧げた作品としても知られる)を披露している。


▲左からボノ/ジミー・カーター/ナイル・ロジャース

では作品紹介の最後、特に印象に残っている出演者の言葉を記す。
※ジミー・ガトリン……シェークスピアは“音楽は愛の言葉”、ロード・フレッチャーは“美しい国家を書くことができたら法律などいらない”と語っている。10年も20年も愛される歌は時代を映し出したものだ。
※ボブ・ディラン……ジミーはレーナード・スキナードの「Simple Man 」のようにとてもシンプルな人物。彼はゆっくり進むんだ。
※ウィリー・ネルソン………ジミーは信念を貫く人、だから皆んなついていくんだ。
※ジミー・カーター……音楽は辛く困難な時期の後も人々の心を繋ぐ架け橋となるはずだ。



◆「ロックンロール・プレジデント: ジミー・カーター 大統領のロック交友録」3月以降もWOWOWOで放送予定。
◆作品からの写真提供:WOWOWO/Courtesy The Jimmy Carter Presidential Library

【Mike's Treasure Box VOL.4】

☆キース・リチャーズ直筆サイン ウクレレ


▲from Mike's Collection

1997年秋キース・リチャーズは素晴らしい作品集をマインドレス・レコードからリリースした。『WINGLESS ANGELS 』、ジャマイカ・レコーディング。1970年代初頭レゲエが注目を集めた(我が国では最初レギー、レガエと表記された)。そんなジャマイカイカ・サウンドをキースはいち早く気に入り、オーチョ・リオス近くに別邸を構えた。ミック・ジャガーもレゲエをとても気に入りローリング・ストーンズがインスパイアされた楽曲を1974年から発表している事は周知の通り。そしてキースは長きに亘っての音楽仲間であるキングストンのミュージシャン、ウィングス・エンジェルスの演奏をレコーディングし一枚のアルバムとして完成させたのだ。アルバム・アート・ワークもキースだった。


▲from Mike's Collection

このアルバムについてキースへのインタビューを日本での発売元/マーキュリー・ミュージックエンタテイメントを通じて依頼していたけれど、丁度その頃ストーンズはBridges To Babylon North American Tour 中ということもあって延び延びになっていた。一方で僕は1998年1月のストーンズ25年ぶりのハワイ公演2回を楽しむ計画をたて、その旨をキースのマネージャーに連絡しておいた。その25年前のハワイ/ホノルル・インターナショナル・センターでのライヴ三回が僕にとってのRS初体験だった。1998年は1月23&24日@アロハ・スタジアムでのステージだ。22日、成田空港に向かう2時間前、自宅の電話がなった。MMEのWA担当YT女史から。「キース・インタビューOKでました。24日のライヴ前、アロハ・スタジアムでお願いします。通訳とフォトグラファーは今からでは手配できないので、一人で頑張って!テープ・レコーダー&カメラを忘れないでください」。質問事項は前々からある程度作成していたので機内で纏め上げた。3月には三度目の日本公演が控えているので、WA関連Q他ファンへのメッセージも貰おう。

ここで横道マイク、いつもの脱線話しを少し……。三度目の来日公演は招聘が東京ドーム、会場は同ドーム&初となる大阪ドーム。東京ドーム主催コンサートは後援は日本テレビというのが慣例、そこで初来日前に僕は同局“11PM”に出まくった(汗)。大阪初登場は通常なら後援は読売テレビになるところだが、大阪公演後援はフジテレビ系列の関西テレビになった。これにはちょっとしたストーリーがある。当時関テレ事業勤務のYNくんは数年前からのマイ・ストーンズ・パル。彼からどうしてもRS大阪公演を手がけたいと緊急連絡が入る。そこで1989年以来の飲み仲間でもありRS公演を担当していた僕と同年齢の当時東京ドーム興行部、故KH氏とYN氏の二人をお見合いさせ、このビジネス案件はトントン拍子に進んだのだった。そんな仕掛人の様な仕事への褒美としてか、関テレの情報番組に出演したり、同局RS大阪公演スポットのナレーションを担当させてもらったりした。

話しを戻す。1月24日午後、タクシーでアロハ・スタジアムに向かう。その直前、煙草を切らしていることに気づき日系人が創業者でワイキキ・エリアには多くの店舗を構えるABC STORESに飛び込んだ。ここにハワイ土産のウクレレが10本位吊るしてあった。値段は7~8ドル、玩具だけどこれにキースにサイン頼んじゃおう!!と閃きモクと一緒にウクレレ購入。

アロハ・スタジアム入り口で当時RS広報担当の一見おっかなそうだけど実はとても優しいシェリル・コレッティと待ち合わせ、そして彼女に連れられスタジアム内のこじんまりしたミーティング・ルームへ。5分もしないうちにシェリルはキース、彼のマネージャーのジェーン・ローズと共に現れた。キース&ジェーンとは何度も会っている旧知の仲(僕がMCさせてもらった1995年のロニー・ウッド主催カラオケ大会@福岡にはロニー夫妻を中心に故ボビー・キーズ、リサ・フィッシャー、バナード・ファーラー、そしてジェーンも参加した)。ジェーンが僕にこう言う、「マイク、◯時◯分までに終わってネ」。ジェーンとシェリルはコンサート前で忙しいのかどっかへ。どこかの国のタレントとは違いまず海外アーティスト・インタビューにスタッフは同席しない。


▲Pic.by Mike

キースと二人りっきり、ゆっくりとインタビューを始める。ストーンズの面々はチャーリー・ワッツも含め全員が一つ質問するといろいろトークしてくれる。中でもキースはその傾向が強い。僕の拙い英語でちょこって質問を投げかけると、“おーお前か、また来たか、元気だったか””いい質問だネ“といったコメントを交えながら2分、3分……と語り続けてくれる。これにはインタビュアーは大助かり。途中で“キミはどう思う”とフレンダリーに聞いて来たりもする。

そんな1998年1月のキース・インタビューは「STONE PEOPLE」72に5頁掲載された。その他「ぴあ」大阪版、新聞などにも執筆。インタビュー終了後、『WINGLESS ANGELS』フロント・カバーに加えてウクレレにサインを求めた。キースは“一寸そのウクレレ貸してみろ”、ポロンポロンと弾き始める。“ウ~ン、チューニングがおかしい、これじゃ上手く弾けない。ピエール!そうか彼は仕事中か……、ワハハ “(註:ピエール=ピエール・ド・ビューポート)。


Pic.by Mike

こうしてこのウクレレにTo Mike入りサインをして貰った。ホノルルの楽器屋に行く時間がなかったので、ABC STORE で大きめのポリ袋を買い求めそれにウクレレをしっかり包んで機内持ち込みして帰った。帰国後、すぐに母校・中央大学の御茶ノ水駅近くの楽器屋を訪れた。どこだったかは忘れたが店内にはウクレレ・ケースは見当たらない。店員さんに聞いたところウクレレ担当の副店長さん、“あっマイクさん、僕RSファンで特にキースが好きなんです。ウクレレ弾くんです!?”。“実は是々然々、と言う訳でウクレレ・ケースが欲しいんです、これをしまっておきたいの“。本体の10倍くらいの値段だった(笑)。帰り際に副店長さん“ウクレレ 写真撮って良いですか?“、勿論ド~ゾ!あれから20数年、キース・リチャーズ直筆サインのウクレレはしっかりケースに入れ保存している。


▲インタビュー後のキース&筆者 Pic.by Arnold Dunn

【Mike's Work VOL.4】
☆ジョナサン・キング


▲from Mike's Collection

1960年代からヒット・チャートに興味があった。RSFCを運営していた頃はストーンズ販売元のキングレコードでBillboard、Cash Box、Melody Maker、New Musical Expressといったチャートがしっかり掲載されているアメリカやイギリスの音楽誌/紙を楽しんでいた。そんな頃だったかUK紙、NME1965年7月31日付Top30に19位で初登場してきたのがジョナサン・キングの「Everyone's Gone To The Moon」。ストーンズと同じデッカ・レコードからこのナンバーでデビューした。ジョナサン自作のポップ・テイストなロッカ・バラードのこのナンバーはその後8月7日付9位、14日付5位、そして21日付で3位に到達した。しかしその後チャート・ダウン、28日付8位、9月4日付11位(この週のトップはストーンズ『(I Can't Get No)Satisfaction』)、11日付17位、18日付28位そして25日付で圏外となった。


▲from Mike's Collection

そしてこのジョナサン・キング「Everyone's Gone To The Moon」が1969年7月イギリスで再発された。その理由は、同年代の方なら直ぐお分かりかと思うが、同年7月21日午前11時56分(JST)、ニール・A.アームストロング船長ら三人を乗せたアポロ11号が月面着陸したのである。そう、この日人類が初めて月に到達したのだ。僕はこの時、ラジオ関東(現在・ラジオ日本)の地下にあったヴィスタルームで業界の先輩、故・小清水勇&故・和田栄司両氏とランチしながらこのホット・ニュースをチェックしていたのを思い出す。この素晴らしい快挙を記念して当時いろいろと記念盤がリリースされたが、再発とはいえジョナサンの「Everyone's Gone To The Moon」もそんなお祝いソングとして注目されたのだった。我が国でもキングレコードからシングル「(アポロ11号讃歌)月に立つ影」としてリリースされたのだ。このライナーノーツ、まだ19歳だった僕が書かせて貰った。


▲左から故・小清水勇さん 故・八木誠さん 筆者 1992年7月@東芝EMI Pic.by Hideo Seko


▲故・和田栄司さんと筆者 2018年7月@和田邸 Pic.by Masumi Wada

因みにジョナサンはジェネシス、ベイ・シティ・ローラーズ、10cc、ロボ、ファースト・クラスを手掛けたことでも知られる。

☆☆☆☆☆

【湯川れい子 洋楽裏話 千夜十夜 with マイク越谷】
“第二夜 マイケル・ジャクソン~冬の午後のマイケル秘話”



日本のポピュラー・ミュージック・シーンをリードして60年。数多くの洋楽アーティストと交流を重ねてきた湯川れい子さん。所属していた日本のレコード会社の社長も会ったことのないアーティストも何人か…。そんな湯川さんの長い歴史の中でも、これだけは話しておきたいという秘話を、今だから仲の良い友人やゲストを交えて、あんな話、こんな話、涙が止まらない思い出の数々などを貴重な音源や映像を交えながのトーク・セッションです。
第二夜は前回に続いてマイケル・ジャクソン!そう、11月の第一夜ではご紹介しきれなかった秘話がまだまだあります。その日ご来場いただいた皆さんから“アンコール”のお声を頂き急遽マイケル再登場。今回のゲストもすごいのです、1991~96年マイケルのバック・ダンサーとして活躍したユーコ・スミダ・ジャクソンさん。彼女はジェームス・ブラウン、ミック・ジャガー、プリンスほか多くのビッグ・アーティストとも“共演”しています。マイケルの素顔をじっくり語ってくれるでしょう。



そしてマイケル・ファンにはお馴染みソウル・ミュージック界の重鎮・吉岡正晴さんも第二夜に登場なのです。湯川さん&Mikeはミスター・アーリーバードと半世紀の付き合い、彼はマイケルの家にも行ったことあるんだってWOW、どんなマニアックなトークが飛び出すか、乞うご期待。



今回もteeプレゼント・コーナーで盛り上がりましょう!アルコールのいける人はお好きなお酒を手に。飲めない人はソフトドリンクで。お食事もありますヨ。そうそう「今のうちに聞いておかないと、損するよ!!」とれい子さんが言っていま~す。



◆ナビゲーター:湯川れい子 @yukawareiko
Mike Koshitani
◆お客様:ユーコ・スミダ・ジャクソン https://cellulam.co/yuko-sumida-jackson/
吉岡正晴 https://note.com/ebs
◆日時:2021年3月28日 日曜日
OPEN 13:30 / START 14:00
◆入場料:予約¥3000(+お飲み物¥600 アルコールもご用意してあります)
▲お食事もございます
◆予約サイト
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/reserve?event_id=167820
◆お問い合わせ:LOFT9 Shibuya
TEL: 03-5784-1239(12:00-22:00)
http://www.loft-prj.co.jp/loft9/

◆「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」まとめページ
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