【インタビュー】特撮・大槻ケンヂ「時代を象徴するんじゃなく今を象徴しないとね」

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前作『ウインカー』以来、約5年3ヶ月ぶりとなる特撮のニューアルバム「エレクトリック ジェリーフィッシュ」がリリースされる。すでに配信されていた「オーバー・ザ・レインボー~僕らは日常を取り戻す」と「I wanna be your Muse」を含む全11曲が収録された本作。取材時はまだ制作の途中段階ではあったが、全曲の歌詞を手掛ける大槻ケンヂが、<コロナ禍での作詞>という視点から各曲にまつわるエピソードを語ってくれた。

■僕は特撮をこの期間にソフトロック化してしまおうと思っていた
■でもそれは、あまりメンバーには好評を得ず(笑)


──大槻さんのソロ、筋肉少女帯、特撮、オケミスなど、コロナ禍においてもいろんな形で発信をされていましたね。YouTubeチャンネルの「オケミュー!」も、楽屋の話を聞かせてもらっているようで、あのプライベート感はすごく面白いなと思って見ていました。

大槻ケンヂ:あれは早すぎたClubhouse(クラブハウス)でしたね(笑)。でもYouTubeは、企画・編集チームがいないと個人では出来ないなと思って断念しました。ステイホームになって、それまで全くアナログだったんですが、これはもうネットを利用するしかないと思い、YouTubeもそうだし、Instagram、note、Twitter、個人でもツイキャスとか17LIVE(イチナナ)とかいろいろ試したんですよ。結局、noteとTwitterが主になっちゃいましたけど。

──そんな中で、特撮の曲作りも少しずつ進めていらっしゃったんですか?

大槻ケンヂ:いや、今回のアルバムに関しては今年に入ってからだったと思います。たぶんそれくらいから、デモテープをみんなにもらったりして。歌詞は、今回すごく難しかったです。

──というと?

大槻ケンヂ:先が見えない、終わりがわからないでしょう?日常の光景をコロナ以前のものとして書くのか、今のものとして書くのか、あるいは何を書くにおいてもコロナがある状況で書くのか、それともそれは全く無視して、ないことにして書くのか。作詞をする人は本当に、コロナ禍以降大変だと思います。自分のスタンスを決めなきゃいけないから。そんなに私小説的なものじゃない人はいいかもしれないけど、まぁ、そういう人にしても、例えば「人の群れ」「群衆」というような言葉をたやすく使えないと思うんです。


──単純に「一緒に盛り上がろうぜ!」っていうムードすらどうだろうみたいな。

大槻ケンヂ:そうそう。今そのムードで書いてしまうと、数年後には「これ、何を書いているの?」みたいなことになるじゃないですか。人間はすぐに忘れてしまうから。例えば、荒井由実さんが作ってバンバンが歌った「いちご白書をもう一度」なんて、学生運動の思い出ありきで泣ける曲なんですよ。「いちご白書」という映画があってね。でも僕なんかは学生運動なんて幼稚園の頃で、物心ついた頃はもうそんなに表沙汰になっていなかったわけですよ。だから「いちご白書をもう一度」の曲の意味だ何だは、情報としてはわかるけど、いまだにその空気感というのは共有できないんです。だから今この状況の中で歌詞を書くのも、非常に難しい。例えば今回の「電気くらげ」という曲で「もうそろそろ、またやろうぜ」みたいなことを言っているんだけど、ひょっとしたらこのアルバムを出す頃にまた緊急事態宣言が出ていたりすると、意味合いが変わっちゃうじゃないですか。まさにこれからワクチンが広がって、収束に向けていく中での「そろそろまたやろうぜ」だったらみんな「なるほど!」って前向きな気持ちになるけど、また第5波とか第6波なんかが来ている中で「そろそろ始めようぜ」なんていうと、下手したら不謹慎になる。とはいえ、書かなきゃいけないんでね。

──難しいですね。

大槻ケンヂ:「I wanna be your Muse」で「やつら密パしているらしいぜ」って歌詞とかも、コロナが収束してみんなそういうムードを忘れて、後の世代の人たちが聴いたら何だかわかんないと思うんですよね。何でそんな、こそこそパーティーしてるの?って。去年や今年は、それこそネタは豊富だけどどう書くかというのもある。そこが自分へのハードルというか、そういうものがちょっと興味深いというか。だから、創作が面白くもありましたよね。

──かつてない経験ですからね。

大槻ケンヂ:いや本当にそうですよ。ちょっと賭けに近いっていうか。


──だからこそ、今の配信というスピード感はプラスに働いていますよね。今作にも収録されていますが、昨年4月に配信された「オーバーザレインボー~僕らは日常を取り戻す」も、まさにリアルタイムなムードを伝える楽曲だったと思います。

大槻ケンヂ:あの曲は、本格的にコロナ禍になる直前に作ったんですよね。その時はまだマスクをしている人もしていない人もいるような状況で、僕は何か予感めいたものがあってあの詞を書いたんです。これは、思っているよりもやばいぞって。でもたぶん、僕が小松左京先生の「復活の日」っていう、ウイルスで全世界が滅亡するみたいな本を読んでいた世代だったから、やばいなと思って書いたんだと思いますけど(笑)。

──それでも予感は当たってしまった、と。

大槻ケンヂ:嫌な感じで当たっちゃいましたね。僕個人としては、この曲を聴くたびに、何年経ってもコロナ禍を思い出すだろうなっていうことを感じました。あと、これは「なるほどなぁ」と思ったことなんだけど、『5年後の世界』というアルバムも、東日本大震災があって、原発事故があってその直後くらいに確か制作に入っているんですよ。今回もコロナ禍の、収束するかしないかみたいなところで作り始めたでしょう?なんか特撮というバンドの宿命というか、たまたまなんでしょうけど、ちょっと運命的なものは感じちゃいましたね。

──試されてる、みたいな?

大槻ケンヂ:でも震災と原発の頃は、大体意見が統一されていたじゃないですか。でもコロナの場合は、分断の時代になって意見が統一されないでしょう?その中でみんなに共感してもらう、楽しんでもらう詞を書かなくちゃいけないというのが、自分に課せられたハードルのようで面白かったですよね。

──実際、どういうアルバムにするか、どんな曲を収録するかはどんな風に決まっていったんですか?

大槻ケンヂ:最初はズーム会議だったんですよ。リモートってまだ慣れていない頃だったし、意思の疎通が取れなくて企画も二転三転。最初、特撮で映画を作るみたいな案があって、それをCDと合わせて3枚組とかにして、劇場公開も考えるみたいな話まで出ましたからね(笑)。いや待って待って、普通にアルバム作ったらどうですかと(笑)。

──(笑)。

大槻ケンヂ:僕はステイホームで、家の中ではあまり激しい曲を聴かなくなってきて。レイドバックしたものばかり聴いていたので、自分もそういうものがやりたいなという気持ちがあったんですよね。僕は特撮を、この期間にいっそソフトロック化してしまおうと思っていたんです(笑)。(アルバム『ウインカー』に収録されている)「荒井田メルの上昇」みたいな曲をメインにしていこうと思ったんですよ。いっそ。でもそれは、あまりメンバーには好評を得ず(笑)。

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