【インタビュー】CORONA、傾奇者が音楽シーンに叩きつける挑戦状…1st EP『イチコロ』

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新型も旧型もねぇな、ヤツの名前はCORONA、よく覚えときな──。大阪は南河内、次世代レゲエシーンを担う才能が集うガブリスタジオ所属、南河内の傾奇者ことCORONA、これが待望の1st EP、その名は『イチコロ』。歯切れのいいボイス、多彩なフロウ、ダンスホールからメロディアスなバラードまで、笑いのセンスとシリアスなメッセージのミクスチャー、そして人好きのする明るいキャラ。自己紹介にしていきなり傑作、CORONAが語る『イチコロ』の世界、そして波乱万丈のプロフィール、耳を傾けてくれ。

  ◆  ◆  ◆

■「殺される」と思って歌ってました(笑)。
■でもそこが始まりで、負けん気が歌詞になって


──CORONAさん、平成生まれですか。

CORONA:平成4年生まれです。

──ということは、第七世代ですね。

CORONA:あはは、そうですね。

──お笑いだけじゃなく、レゲエにもあると思うんですよ。第一世代からの長い歴史がある中で、今はどういう世代の意識があるのかな?と。

CORONA:三つ四つ上ぐらいの世代までは、世代の区切りがあったと思うんですよ。APOLLOくんとかTAKING OVER CREWぐらいまでは、たぶん世代的なことがあったんですけど、それ以下は全部一緒な気がします。芸歴何年とか、そういう概念があんまりないんで。もちろん年上の人にはちゃんとしますけど、そう思ったほうがみんな楽しくできるかな?と思うので。

──ガブリスタジオ、めちゃくちゃ仲良さそう。

CORONA:男子校みたいな感じです(笑)。

──どんなふうに出会ったんですか。

CORONA:個々で出会っていった感じです。みんな個々で動いていて、イベントとかで出会って意気投合して、一緒にやり始めたのはつい2、3年前ですね。僕はずっとフリーで動き回ってたんですけど、仲良くやってるうちに仲間に入れてもらえたという感じです。

──それ以前とは、やっぱり気持ちが違う?

CORONA:全然違いますね。一人でやっていた時は、何が正しくて何が正しくないのか、音楽知識も理論もわからずに、ただガムシャラにライブするだけの人やったんで。そこで手取り足取り教えてもらったというか、それこそ男子校の感じで、なあなあではなく、刺しあうぐらいの気持ちで言葉をもらえるんで。そこでケツ叩いてもらって、燃え上がるって感じです。今、最高の環境だと思ってます。


──さかのぼると、レゲエとの出会いは?

CORONA:レゲエとの出会いは、地元の友達がレゲエ大好きで、中学生の時にカラオケに行ってレゲエを歌うんですよ。FIRE BALLの「アンジェリータ」とか「999RULAZ」とかを聴いて、「なんじゃこの歌は!」と思って、レゲエを知りました。それから<ハイエストマウンテン>とかに遊びに行って、めちゃめちゃハマりましたね。わりと普通に入った感じです。

──大阪は、レゲエ文化が根強くありますよね。

CORONA:入口はいろんなところにあると思います。ミナミに行くとショップもいっぱいあって、CDもすぐ買えるし。大阪で良かったと思いましたね。

──そこからすぐにディージェイに?

CORONA:最初は、その友達たちが歌詞を書いてきたんですよ。それをFIRE BALLのリズムに乗せて披露して、「何それ? 面白そう」ってなって、自分も歌詞書くようになって。中学校、高校終わる頃までは、みんなで歌詞書いて、カラオケで発表会してました。

──それ、めちゃめちゃ楽しそう。

CORONA:楽しかったです。で、「作ったからには外で披露したい」と思ったんですけど、やり方が全然わからなくて。周りにやってる人が一人もいなくて、俗に言う「ビッグダンス」(大規模なレゲエイベント)にしか行ってない、ただのレゲエファンでした。で、ずっとやりたいなと思いながら大学へ進学して、阪南大学なんですけど、そこでレゲエを歌っている人が一人だけ同じ学年にいてはりまして、連れて行ってもらって歌いだした感じです。初めて歌ったクラブは、すごいところでしたよ。堺の「アトランティス」という場所なんですけど、カラオケボックスの中の、言うたら受付カウンターに機材を置いて、待合室でイベントしてるみたいな。

──あはは。それはすごい。

CORONA:いらっしゃるお客さんも、言い方が難しいですけど、すごい不良の方々ばかりで(笑)。そういう場所に初めて行って、レゲエ・ディージェイの方々と知り合って、「僕も歌いたいんです」と言って歌わせてもらったんですよ。めちゃめちゃ怖かったですね。先輩もお客さんも「何やお前?」みたいな目で見てくるんで、「殺される」と思って歌ってました(笑)。ヘタクソやったら「ヘタクソ!」って言われるし。でもそこが始まりで、負けん気がだんだん歌詞になっていって、積み重ねで、今回のアルバムにも繋がってると思います。

──それが18、19歳の頃?

CORONA:20歳ですね。大学の2回生、3回生ぐらいから歌い始めて、そこからクラブ漬けの日々を送ってました。就職活動もして、合格させてもらったりもしたんですけど、寮に入るという話になって、「それやったら音楽できへんしな」というので悩んだりして。親にも反対されて、大ゲンカして、そのまま家を飛び出す形で一人暮らしを始めて、就職も全部蹴りました。音楽が楽しすぎて、それに就職が勝てなかったという感じですね。「音楽の中にずっとおりたい」と思っていたので、週4,5回クラブに通い詰めて、ずっと楽しかったです。ちなみに親は警察官なんですけど。

──それは厳しそう。

CORONA:竹刀でよく殴られてましたけど(笑)。殴られるのが怖くて、そそくさと逃げました(笑)。ちゃんとしてる両親でしたね。ゆえに、わかりあえたり、わかりあえなかったりしたんですけど、優しい人たちなんですよ。今思うと、めちゃめちゃ本気で向き合ってくれたんやなと思います。

──いい話。今は、両親はわかってくれている?

CORONA:今やってる<ZUM ZUM CHANNEL CUP>(RED SPIDER主催のディージェイ・クラッシュ)に出る時も、去年の<ハイエストカップ>(MIGHTY JAM ROCK主催のディージェイ・クラッシュ)に出た時も、インスタグラムに「頑張れよ」ってコメントをくれました。「食べるのに困ったら帰って来いよ」とか言ってもらえますけど、でも「ちゃんとやれよ」ということは、ずっと釘を刺されてます。面白いのは、クラッシュで負けたらコメントしてくれないんですよ。勝った時だけ連絡くれる。「祝うことだけは祝ったるわ」という感じが、僕的にはうれしいです。それも含めて、いい環境です。

──その後、20歳から今に至るまで、いい出会いはあった?

CORONA:それこそ、今のスタジオメンバーに出会ったのはそれぐらいなんですよ。ただそこから6年ぐらい…昔から人の言うことを聞かないタイプで、その6年間は「音源なんか出さなくていい」と思ってたんですよ。「自分はライブで食っていくんだ」と。今思うと、ほんまに自分のことを殴りたいと思うんですけど(笑)。そこでブッキングが途絶えることがなかったんで、気づくのが遅れたんですよ。「俺はイケてるから呼んでもらえるぜ」って、勘違いするところがあって。

──そのやり方って、誰かお手本がいたんですか。

CORONA:いや、いなかったです。勝手に「ライブだけでやるんや」「音源なんて出さない、スタジオには入らない」ってなってました。なんでそんなふうに思ったのか、今ではわかんないですけど、あの時はそうなってましたね。それがあって、スタジオのみんなとやりだしたのが6年後ぐらいです。今回トラックを作ってくれて、1曲一緒に歌っているBLACKLINが、「飲みに行こうぜ」って誘ってくださって、そこで真剣に熱く話してくれて、「このままじゃお前は何もできへんぞ」と。それまでにも十何回ぐらい飲みに連れて行ってもらってるんですけど、そこで初めてBLACKLINくんの熱さにやられて、「一緒にやりたいです」とお願いして、今ここにいるDINOSAURさんとも出会って、スタジオメンバーと出会って、1年ぐらい修業したという感じですね。それでやっと作品を出せるという形になりました。

──なるほど。人に歴史あり。

CORONA:すごく遠回りしたと思います。でも今思えば、その期間があって良かったなと思いますね。自分の愚かさにも気づけたし、そのぶん今は道筋がちゃんと見えてるんで、全力でぶつかれる状態にありますね。僕は熱いのが大好きなんですけど、うちのスタジオメンバーはみんな、とにかく熱いんですよ。熱くて、面白くて、かっこいい、それに刺激を受けてます。歌詞も、僕は面白いのがかっこいいと思っているので、けっこう冗談っぽい歌詞が多いと思います。ちょっと漫才を混ぜたみたいな、「そんな歌詞ある?」って思ってもらえたらうれしいです。

──言葉遊びの面白さは、CORONAの大きな武器だと思いますね。

CORONA:自分はお笑いも大好きですし、かっこいいイケイケの曲も大好きですし、今回のアルバムはそういう曲が多いと思います。今までの自分を凝縮して、ブラッシュアップして出した曲たちという感じですね。

▲1st EP『イチコロ』

──今回の『イチコロ』に入っている曲は、ガブリスタジオと出会ってから、ここ最近の曲が多いですか。

CORONA:そうですね。ただ「アホボケカスナスボケナスタワケ」という曲は…曲名はすごいんですけど、これだけは昔からあったんですよ。それを何回も書き直して、今回の作品に至ったという形です。ライブでは感情むき出しの歌なので、それを音源にした時に言葉が汚なすぎるなと自分で思ったので、いろいろ整えたという感じです。

──これ、トラックがめちゃくちゃかっこいい。ヒップホップ系の、トラップのリズム。

CORONA:この曲だけトラックメイカーにお願いしてるんですよ。チークビーツスタジオというところにKOMYというラッパーがいて、昔から仲が良くて、その子にどうしてもお願いしたかったんで、作ってもらいました。それ以外は全部BLACKLINにやっていただいてます。

──がっつり二人で作っている作品と言ってもいいと思うんですけど、CORONAにとってBLACKLINはどんな存在ですか。

CORONA:兄貴です。あかんことをすると怒ってくれるんですよ。この年になって、怒ってくれる人なんてあんまりいないんで、そういうのも含めて兄貴やと思います。で、このアルバムができた時、俺のことを「相棒」と言ってくれたんですよ。今まで兄貴と思ってた人が、「俺はお前と相棒としてやっていきたい」という話をしてくれて、ちょっと泣きそうになりました。「認めてもらえた」といううれしさがありましたね。

──それ以前の6年間のことを知っているから、彼も感慨深かったんじゃないですか。

CORONA:BLACKLINくんは、6年前に出会ってからずっと僕に説教というか、アドバイスをくれてたんですけど、それを全部ガン無視で、右から左に受け流すのはこのことやという感じだったんですけど、6年間見てくれた上で、(ガブリスタジオに)誘ってもらえたのが大きいですね。無茶苦茶な自分も知ってるのに、「こいつやったらできる」って期待してもらえたと言いますか、それもあってひとしおうれしかったですね。

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