【レポート】日暮里からのインドネシア旅行、影絵芝居とガムランの夜

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夏が近づき寝苦しくなってきたある日、自宅のポストにジャワ・ガムラン・アンサンブルグループ“ランバンサリ”の自主企画公演<青銅音曲XXII ジャワの影絵芝居ワヤンとガムラン>のチラシが届いた。

◆公演写真

ガムランはインドネシア、主にジャワ島やバリ島で愛されている青銅製打楽器アンサンブルである。そう聞くと、日本人の頭の中には熱帯のリゾートの風景や、アジアン雑貨店のお香の匂いがぼんやり浮かぶ。

今回の公演が行われた東京・日暮里サニーホールは、雑居ビルが立ち並ぶ京成日暮里駅近くの奥まった場所にあった。開場前に窓の外を覗くと、居酒屋やファーストフード店が幾つも軒を連ねているのが見える。とてもじゃないが、南国のイメージとは程遠い場所だ。

しかしひとたびホールに入ると、そこに並ぶ豪華絢爛なガムランの楽器たちの迫力に圧倒される。ホールの中央、ざっと15畳ほどのスペースに広げられた不思議な形の鉄琴や鉦、太鼓に弦楽器。大きな銅鑼の上には煌びやかな龍の彫刻が施されており、観客の口からは感動の声が漏れる。


さらに目を惹くのは横幅5メートルほどもある影絵芝居用のスクリーンと、色彩豊かな影絵人形たちだ。白い幕の傍には大小様々で繊細な装飾が施された影絵用人形が立ち並び、それだけでも一枚の絵画のように美しい。

今回の公演では、影絵芝居“ワヤン(ワヤン・クリ)”が行われた。ワヤンはユネスコ無形文化遺産にも登録されているインドネシアの伝統芸能。“影絵芝居”自体は日本人にとっても藤城清治の作品などで親しみのあるものだが、ワヤンではガムランを伴奏に、「ダラン」と呼ばれる人形遣いがひとりで全ての人形を操り、語りや効果音、歌声も披露する。


現地インドネシアの子どもたちは、ワヤンから哲学や道徳を学ぶという。今回の公演では影絵芝居が演じられるスクリーンを正面から見据える位置と、演者やガムランが見える位置(一般的には「裏手」の位置)とで座席が選べたのだが、9割の観客は演者やガムランが見える側に着席していた。

インドネシアの風景を写すスライドショーが終わり、照明が落とされると、いよいよ公演がスタート。熱波のように湧き上がるガムランの音量は空気をビリビリと揺らし、靴底にも心地よい振動が伝わってくる。生ガムランの迫力と音量は、ロックコンサートのそれにも匹敵する。


今回ワヤンを演じるローフィット・イブラヒム氏は、インドネシア・ジョグジャカルタに生まれ、インドネシア国立芸術大学を経て、現在は大阪に暮らすダラン(人形遣い)である。ちなみに今公演では大阪のローフィット氏と東京のガムラン奏者とでリモート練習が行われたらしく、思わぬところでの伝統とテクノロジーの融合が感じられた。

荘厳な序曲とともに、扇子のような形をした生命の木“カヨナン”の人形が舞い踊ると、影絵芝居の幕が開ける。ガムランを担当する“ランバンサリ”は、日本の音楽研究史に名を残す音楽学者・小泉文夫氏が、東京藝術大学で行っていた講義をきっかけに発足したグループだ。結成36周年を迎えた熟練のアンサンブルは、聴く者の心を一気に南国の夜へと誘う。


演目に選ばれた『スマントリとスコスロノ』は、美しく強い兄・スマントリと、醜く心優しい弟・スコスロノという双子の兄弟を巡る物語で、現地では一晩から二晩かけて演じられるという。醜い姿に生まれつき、兄の困難を助けるも、その容姿から怪物と誤解されてしまうスコスロノの姿には、この時代だからこそ考えさせられるものがある。

人形を巧みに操りながら、ローフィット氏は日本語でワヤンを演じる。登場人物の名前や所々の台詞、歌はジャワ語だが、物語が進み、ガムランの幽玄な旋律が身体の奥まで馴染んだ頃には、わからないはずのジャワ語にも心が震えるようになる。

一方で、ワヤンには“笑える”場面も多い。ローフィット氏はアドリブでジョークを連発し、時折関西弁でツッコミも入れつつ、軽やかに物語を進めていく。日本人にとって、ひとりで複数役を演じるスタイルは落語などで馴染み深いもの。木箱をダンダンと打ち鳴らしながら語る様子も講談と似た雰囲気があり、想像以上に文化の壁が薄い。

途中では人形たちが「コロナで仕事が無くなっちゃったんだよ」と時事ネタを披露し、「やること無いから最近は野菜育ててる」とローフィット氏自身の近況も語られて、ガムラン奏者たちも思わず肩を震わせた。新型コロナウイルス感染症対策の換気休憩の際には、3体の人形による漫才が展開。時勢に絡めて演者などをイジりつつ、インドネシア大使館からの来賓も紹介した。


物語が佳境に入り、戦いの場面になると、ガムランの演奏も激しく熱気を帯びて行く。ガムランは短い旋律を何度も繰り返す、いわばループ系・リフ系音楽であり、終盤にもなるとメロディが耳に染み付いて離れない。ふつう、ライブに行くときは曲を事前予習するものだが、ガムランの場合は「2種類の五音音階(スレンドロ/ペロッグ)を使う」ということを知っていれば十分に楽しめる。知らなくても楽しめる。

時折、歌と管楽器のメロディがずれたり、不協和音のように聴こえたり、打音が揃わなかったりする。ガムランではそれが熟練の技とされており、西洋音楽では忌避される音程の“うなり”も美しいものとして存在する。普段日本人が触れる西洋音楽とは全く違う美学が、ガムランの中には存在している。


民族音楽の中には、それが奏でられる地域の生活や気候、思想に哲学、そして美学が詰め込まれている。ポップスだって、アメリカ西海岸のロックは乾燥した響きを持つし、北欧のヘヴィメタルの音圧は肌を刺すように冷たい。湿度の高い国ではジメジメした音楽が生まれ、暑い国では屋外で踊り歌うような音楽が好まれる。

ガムランの響きは、熱気と雨の匂いを含んで肌を撫でる。豊かな倍音は辺り一面に湿度のようなうねりを生み、匂うはずもない異国の市場の匂いや、知らない言葉の街の喧騒を思い出す。目を閉じれば、そこはまるでインドネシアの祭りの夜だった。

物語の終わりに、主人公であるスマントリは怪物と誤解された弟・スコスロノを討つ。そして幾年か後、自らも怪物との戦いで命を落とし、弟の魂とともに人知れず天国へと昇って行く。語りが途絶え、ガムランの青銅の響きが溶けるように掻き消えると、息を呑む観客から万雷の拍手が贈られた。


ひとときのインドネシア旅行を終え、余韻に後ろ髪を引かれながら会場の外に出ると、そこはやはり京成日暮里駅前の雑踏だった。本公演はオンライン配信も行われており、アーカイブ視聴用チケットが7月11日まで販売される。ガムランの楽器は録音表現が難しいといわれているので、自宅から鑑賞する際には是非、なるべく良い機材で、大きな音で聴いてほしい。


撮影:熊谷 正
文:安藤さやか(BARKS編集部)

■公演情報

<「青銅音曲XXII」ジャワの影絵芝居ワヤンとガムラン>
ダラン(人形遣い):ローフィット・イブラヒム
演奏:ガムラングループ・ランバンサリ
解説:森重行敏

【オンライン配信チケット】
発売期間:2021年6月14日(月)~7月11日(日)
価格:2,000円
オンライン配信期間:2021年6月19日(土)10:00~7月18日(日)23:59
購入:PassMarket
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02kq88y520r11.html

◆ジャワ・ガムラン・アンサンブルグループ ランバンサリ オフィシャルサイト
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