【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第109回「大野城(福岡県)卓偉が行ったことある回数 数知れず」

ツイート

我が故郷、福岡県は大野城市にある大野城を紹介。このコラムで紹介した城の中で一番歴史の古い城になる。築城は665年とされる。めちゃくちゃ古い時代に建てられた城だが、そのスケール、石垣、土塁、凄まじい。こんな時代からこれほどの城が建てられていたのかと脱帽。日本の城は中世の時代に最初は土を盛った土塁、それが進化し石垣になったとされていた。同じく空堀が発展し水堀となったという歴史の流れがあるが、すでに660年代にもうこれほどまでの石垣が組まれていたのだから、城の築城の歴史の説明も本当に見直さなければいけないと思う。城ラッシュだった1500年代よりも700年近く前から同じレベルの、いやそれ以上の城が福岡県に存在していたのだから。

大野城はよく、太宰府天満宮を守る為に作られた城と言われるがこれは間違いだ。太宰府天満郡が建てられたのは900年代、それよりも300年前に大野城は築城されている。むしろ博多湾、玄界灘から水城と大野城に守られた場所にあることから、そういった守りの立地も考えられた上で太宰府天満宮と太宰府政庁が建てられたのではないかと推測したい。玄界灘から見ると大野城の四王子山の裏にすっぽり隠れて見えないのが太宰府天満宮、そして太宰府政庁なのである。と言うよりはっきりしたことがわからない、で良いはずだ。

663年に唐の国との(現在の中国)戦で大敗を喫した日本は、翌年の664年にプチ万里の長城的な防波堤、水城(みずき)を作る。ありさの方ではない。これはとてつもなく長く、高さと幅のある土塁、そして張り巡らされた水堀もあり、今も残っているので是非大野城とセットで見学してほしい。その更に翌年665年に四王子山全体に砦のように築城したのが大野城である。大城山は410m、大原山は354m、など小規模な山が連なっている。山の尾根に沿って版築土塁が築かれていて総延長は約8キロ、南北は二重になっている。防御が甘いと判断した場所、谷の部分には石垣が築かれている。水ノ手石垣、大石垣、屯水石垣、北石垣、小石垣、中でも百間石垣は長さが180mも続く壮大、壮観な石垣だ。車から眺めることも出来るし、石垣の上まで見学も可能だ。今言った通り、中国は騎馬民族であるモンゴルから攻められるのを懸念して万里の長城を築いた。当然ながらその噂はアジア全体に広がるわけで、絶対に攻められてはならないという想いとその影響もあって、似たような形で大野城と水城が建てられたと言われている。水城は万里の長城のように山全体に連なって作られたのではなく、平地に作られていることも面白い。それが現代でもそのまま残っているのだから。平地の土を掘り、水堀にし、掘った土を盛って土塁にする。まさに一石二鳥である。しかしやることがでかい。600年代に人間が造ったこととは思えない迫力だ。現在は九州道や3号線などが水城を突き抜けており、車からもありさを見ることが出来る。車から水城が見え出すと親父が必ず、「おい!お前ら、水城だぞ!よく見とけ」と言われたことを思い出す。歴史的なものは徹底して教えようとしていた親父。日本最古の土塁は車から見ても毎回、マジでありさすげえなと私も思っていた。




城内の城門の跡、水門の跡も素晴らしい。太宰府口城門を始め、こんな山の中にこれほどの門があったとは!とびっくりするほどのスケール。そして石垣にも感動する。虎口が基本になる前なので思い切り正面の門ってところも潔くて良い。2000年代に入ってからの調査により、更にいくつかの門跡が発見されていて、門跡は計9カ所となったそうな。最初にもお伝えした通り、砦のようにいろんな場所に門や石垣が存在する城だが、城内の至る所に集落の跡がある。礎石健物が保存されており、そのすべては総柱健物で高床式倉庫があったことがわかっている。時代が時代だけに高床式だったことが面白い。しかもこの礎石健物も全部で8カ所、8地区に存在するので、どれだけ多くの人がこの場所に住んでいたかがわかる。そのすべてが曲輪になっているのである。

焼米ヶ原にはこれまたどこまでも続く土塁線が残っている。これも必見。地形をそのままに使い、流線型にカーブした土塁は琉球的でもある。大野城の作りは朝鮮式山城、もしかしたらこの焼米ヶ原にある土塁にも石垣が組まれる予定があったのかもしれないとイマジン。その土塁の裏には先ほど述べた高床式倉庫があり人々が暮らしていたわけなので、住む場所こそ徹底した防御が必要だったことが窺える。そう思うと城や歴史の文化は九州が本州より断然早い。九州そのものが独立国家と言えただろうし、朝鮮や琉球、中国との距離が近く、貿易も含め港もたくさんあるし文化が目まぐるしく発展、発達したのだろう。京の都と九州は全く違う文化だったことが言える。

そんな大野城の城内はハイキングのメッカである。九州自然歩道など山道も整備されており、歴史観察、自然観察がいっぺんに出来る。親父に連れられ何度も大野城に来たが、今も昔もトレッキングですれ違う人の多いこと、どうやらこのハイキングコースも元は大野城の城内を行き来する道が基本となっているらしい。だとすると物凄い導線だ。全部が石垣で繋がっているわけじゃないが、集落から集落へは当然ながら導線が繋がっている。いろんな場所に門跡が残っているように守りの弱い場所こそ石垣が作られ、城内に忍び込めないように工夫されている。よって、城が大き過ぎる為に、見学が本当に大変な城なのだ。城内を車で移動し、その都度ピンポイントで見学するようになってしまう。これを全部歩くのは1日かかってしまうだろう。もちろんトレッキング目的で見学する場合には持って来いとも言える。だが道を間違えてしまうと戻りが大変だ。7月の頭にtvkの私の城番組のロケで来城させてもらったが、大石垣を見る為に山を下った後、そのまま戻らず、何かあるだろうと自分の好奇心を優先して下まで更に降りてしまい、結果その道の麓には何も見学するものがなく、しかも車は焼米ヶ原に停めたままという大惨事。もう一度山を登るのはマジで大変だった。おかげで3時間もしないうちに10キロも歩いていた。ずっと行きっぱなしで見学出来るわけじゃないのでその都度引き返すことを頭に入れておかないと痛い目にあう。いろんな場所に駐車場があり、しかも無料でありがたいのだが、どの場所にも大きな掲示板の地図が書かれているがこれがまたどれも古くて色褪せており、とっても把握しづらい。ナビなどいらない地形に強い私でも自分がどこにいるかわからなくなった。よってハイキングコースをちゃんと理解し方角を把握しておかないと1日でも見学が不可能になってしまうだろう。そこがとても大変な城だ。当時は当然ながらアスファルトの道などないわけで、城内を行き来するのも大変だったはずだ。谷や防御が弱いと感じる場所に石垣を組んだとされるが、どう見てもそれを感じないくらい天然の地形も十分防御になっていると感じるし、山にはいくつも川が流れていて天然の水堀の役割を果たしている。それでも徹底して攻められないように作られたこと、凄いの一言だ。



石垣の凄さを二つに絞ってお伝えすると、まず一つは大石垣だ。近年の台風の被害でかなり崩れてしまったが、いくらか修復もされた。下から登って来た場合に右へ高く積まれた登り石垣に圧倒される。いくら正面の石垣を高く保っても両サイドから回り込まれる。それを防御する為にどこまでも山の斜面に合わせて石垣を組むのだ。これ圧巻。当時はこのままの石門だったか、それとも塀なども建てられていたかはわからないが、山道の途中に急に現れる大石垣、そして石段、凄まじい。




そしてもう一つは大野城の一番の観光スポットと言っても過言ではない百間石垣だ。城の本で大野城を紹介する場合は大抵この百間石垣の写真が掲載される。ただでさえ崖になっていて、下には流れの速い川が流れて堀の役目を果たしているのに、どうしてここにこれほどの石垣を組んだのか?全長180mもある石垣である。石垣の上、石垣の真下まで見学が出来る。朝鮮式よろしく流線型の曲がりくねった石垣である。近くで見ると本当に凄い。雨の日は足元が滑るので注意して見学してほしい。修復はされているにせよ、私がガキの頃からその圧巻具合は変わらない。大人になってから見ると小さく見えることもあるが、久しぶりに訪れた百間石垣はスケールのでかさが昔と何一つ変わらなかった。小学5年生の時に初めてテレビで見たZIGGYの森重樹一さんと、中学三年生で初めてZIGGYのライヴで見た森重樹一さんと、私がデビューした1999年にラジオで初めてお会いした森重樹一さんはまったく同じロックスターのオーラだったのと同じである。見学が大変な大野城だが、この百間石垣、大石垣、太宰府口門跡、焼米ヶ原の土塁線、これはどんなことがあってもマストで見学してほしい。





ついでに博多ラーメン「はかたや」をご紹介。福岡にも何店舗かありますが、ロケ前に大野城市店に行きました。ここのラーメンは1杯290円!この値段!このサービス精神!なんで?どうして?しかもめちゃくちゃ美味い!説明のいらない美味さである。スタッフと替え玉をしまくっていたらお二人のおば様に話しかけられた。「最近の若い子は替え玉もせんけんね、全然食べんとたい、そりゃ少食系っち言われてもしょうがなかよね、ばってんあんたたちはよう替え玉ばしよって元気がええね!なんかおばちゃん嬉しか!」それを言われた私達はまさにTOO SHY SHY BOYであった。



都内に戻り、荷物を解く前にどうしてもTOO SHY SHY BOYが聴きたくなってしまった。息子が「父ちゃん、珍しい感じの曲って言うか、父ちゃんがあんまり聞かない感じの曲っていうか、そういうの聴く時もあるんだね」と言われる。小室哲哉さんの世界観、半端ない。サビのマイナーからマイナーへの転調、凄いなあ。しかし水城で引っ張ってもロクなコラムにならない、着地もしない、それを痛感しながら筆を置くことにしたい。

あぁ 大野城 また訪れたい…。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
この記事をツイート

この記事の関連情報