【対談】DAISHI [Psycho le Cému] ×綾小路 翔 [氣志團]、地元とファンへの愛を語る「僕ら20年選手がやっと辿り着く場所」

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■僕らの復讐感をなくすには
■姫路でフェスを立ち上げないとダメ

──たしかに(笑)。二人とも、地方からバンドで出てきたわけじゃないですか。若いときは、東京で一旗揚げようって精神が強かったと思うんです。でも、氣志團は地元の木更津で<氣志團万博>を立ち上げました。

綾小路:フェススタイルで始めて、今年で10年ですね。

──Psycho le Cémuも、コロナによる影響で何度か延期になっていますけど、8月14日に<理想郷旅行Z〜二十年後の僕たちへ…〜>を地元・姫路市文化センター大ホールで行なう予定です。バンドを始めて20数年、今、それぞれが地元に対して思うことも違うものですか?

綾小路:僕なんかは強烈にレペゼン(代表する/象徴するの意)を打ち出してきたので。というのは、もともと木更津の先輩たちがやっていたイベントに影響を受けてきたんですよ。その先輩たちがスローガンに揚げていたのが、“地元から若者を流出させない”みたいな、“木更津だって楽しいんだぞ”ってことで。それで先輩たちは“洋服屋を作ろう”とか“バーを作ろう”とか“ライブハウスを作ろう”とかって、木更津を誇ってもらいたいという想いのもとに、いろんなことやっていたんです。僕は高校3年間ぐらいまで先輩たちにくっついてイベントを一緒に盛り上げようと躍起で。ところがあるとき、“待てよ”と。“このままこの田舎に居続けても、なかなか新しいものが生まれない。やっぱり俺は東京に行って勉強して、経験を持ち帰りたい”と思ったんです。そうしたら、「オマエ、木更津捨てんのか」と先輩たちからクンロク(脅迫にも似たキツい説教)入れられまして(笑)。木更津から東京まで、その頃は無かったアクアラインを使わなくても2時間半ぐらいの距離なんですけどね(笑)。

DAISHI:先輩たちコワッ(笑)。


▲<氣志團万博2019 -房総ロックンロール最高びんびん物語->9月14日(土)+15日(日)@千葉県・袖ケ浦海浜公園/撮影◎上山陽介

綾小路:「いやいや、そうじゃないです。僕たちは外から木更津を盛り上げたいんです」って言って出てきたんですね、氣志團は。とにかく“木更津だ!木更津だ!”って騒ぎながらやってきましたけど、そもそも20数年前なんて、木更津というワードを誰も知らないわけですから、“アイツらは何を言ってんの?”っていう受け取られ方だったんです。でも、少しずつ周囲に木更津が浸透していって、最終的にそれが『木更津キャッツアイ』というドラマに発展したという。

──木更津という街にとって、氣志團と『木更津キャッツアイ』の存在はとても大きいですよね。

綾小路:『木更津キャッツアイ』の脚本と演出を務めた宮藤官九郎さんと、僕らの初代マネージャーである明星真由美さんが、過去一緒に舞台をやっていたというご縁があったんですね。そんな経緯もあって僕らのインディーズ時代に宮藤さんがライブを観に来てくれたり。そのタイミングで「TBSでドラマを作る」という話があり、出演者の阿部サダヲさんが松戸出身だったので、当初の予定では『松戸キャッツアイ』だったらしいんです。でも松戸が教育市だったこともあってうまくいかなくなり、『西船橋キャッツアイ』になりそうだったんですけど、それも行政とうまくいかなかったらしくて。で、「明星さんのバンドはどこだっけ?」という話から「氣志團は木更津」と。「だったら木更津に聞いてみよう」となり、木更津は「何でもOK」だったので、あのドラマは最終的に『木更津キャッツアイ』になったそうなんです。

DAISHI:すごーい! そんな紆余曲折があったとは知らなかったです(笑)。

綾小路:当時の記憶だけなんで、ちょっと盛っていたらすみません(笑)。でもあのドラマ制作は僕らのデビュー前に進んでいたんですね。「2002年にドラマがスタートするから出演してね」ってことも言われていたんですけど、僕らはてっきり、デパートの屋上で演奏しているバンドの役とかな”と思ってたんです。『ビーバップ・ハイスクール』における、A-JARIのポジションというか。そうしたら『木更津キャッツアイ』第7話で、そのまま丸ごと氣志團としての出演ですよ。僕らはまだデビューしてない頃でしたから、宮藤官九郎って人はホントにバリヤバな天才だと(笑)。結果、ドラマのおかげで木更津は全国区になりましたし、出演したことで僕らを知ってもらえるきっかけにもなって。ただ、あの頃は地元への恩返しという気持ちを持っていると同時に、どこか復讐めいた気持ちもあったんですよ。先輩とか、あの頃相手にされなかった女の子とかへの。木更津にいろんなものを持ち帰れば、みんなが見直してくれるんじゃないかって淡い期待を秘めながら、“木更津だ!木更津だ!”って騒ぎ続けてきたんです。

DAISHI:一躍全国にその名が轟きましたよね。

──<氣志團万博>という名称でのイベントは2003年にスタートしましたけど、それが氣志團主催のフェス形態となったのは2012年でした。

綾小路:その復讐めいた気持ちは、<氣志團万博>をフェススタイルで始めてから、ちょっと変わってきたんです。先輩や同級生を見返したいって気持ちじゃなくなった。それよりも、僕らがあの頃に経験したかったけど、できなかったことってあるんですね。たとえば、当時のバンドの公演って、どうやったって千葉市までしか来てくれなかった。木更津まで来てくれるホスピタリティ精神溢れるバンド御三家は、ベンチャーズとアルフィーとハウンド・ドッグ。普通はありえないんですよね。だから、地元の子たちとか、あの頃の俺みたいなヤツらに貴重な体験をして貰いたいなって。今はそう思って<氣志團万博>を続けているところもあります。昔の復讐感とか、自分がよく見られたいとか、そういうドヤ顔感はなくて(笑)、“俺らの街に新しい文化を”という気持ちに切り替わりました。


▲Psycho le Cému有観客+配信ライヴ<NEW BEGINNING>2021年3月12日(金)@KT Zepp Yokohama

──木更津の花咲かじいさんみたいな(笑)。1999年当時、姫路では<SWEET TRANCE 1999 IN HIMEJI 姫路城スーパーライブ'99>が開催されましたよね。これは姫路城の敷地内で姫路城をバックに2日間の規模で実施されたイベントでした。

DAISHI:その当時は僕らがSweet Heartという事務所に所属する以前で、その事務所と姫路市が実施したイベントでしたね。地元でそんなライブがあるのに、当時の僕らは結成したてで。むちゃむちゃ悔しかったので、観に行かずに地元のスタジオで練習していた記憶があります。Psycho le Cémuはまだ復讐感みたいなものがありますね(笑)。僕らの復讐感をなくすには、僕らが姫路でフェスを立ち上げないとダメだと思っているんですよ。この話はプライベートでもしましたよね。

綾小路:それこそ去年、僕が一番会ってる人ってDAISHIくんなんですよ。トレーニングしながら話相手になってくれたり、僕のメンタルもフィジカルも鍛え上げてくれた。そのときにいろいろな話をして、「いつか姫路でフェスやりたいね」って話もしたし、「姫路でやるときは何でもお手伝いさせてください」ってことも言ったしね。

DAISHI:もともと今回の姫路市文化センター大ホール公演も、“地元・姫路でフェスみたいなものをやりたいな”ってところから企画が始まったんですよ。翔さんから毎年<氣志團万博>の裏話をいろいろ聞いているし、そういう話を聞くたびに、夢じゃなくて現実にしたいなって気持ちが湧いてくるんです。姫路でバンドといったら僕らがやらないといけないという気持ちもある。せっかく姫路城という綺麗な世界遺産もあるし。あそこに“次のバンドは…”ってバンド名が映ったら、かなり映えるんじゃないかなと思って。

綾小路:以前、(森山)直太朗が姫路城をバックに歌っている姿を観たことがあって、やっぱり圧倒的なんですよ、画が。こんな場所でフェスって、あるようでなかったというか。是非やってほしいし、ご協力できることあるなら我々何でもやりますから。チケットのもぎりとか、会場の入り口から盛り上げていきます。僕らの持っているノウハウみたいなものがあるとするならば、いくらでも提供しますし、お手伝いできることあると思うので。

DAISHI:氣志團先輩がそう言ってくれたら心強いです。いや、またひとつ大きな夢と目標ができましたね。とにかく姫路市文化センター大ホールを皮切りに、姫路とズブズブの関係になってやろうと思ってます(笑)。

綾小路:はい、そこ大事ですから(笑)。僕らもPsycho le Cémuもファンタジーの世界で生きている者ですが、生まれてからだいぶ経つなと。その間にはいろいろなこと……、生活のこととか将来の不安とかいろいろ考えたと思うんですよ。でもね、もう楽しいことしかしたくないなと思ってるんです。

DAISHI:ええ、分かります。

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