【インタビュー】Little Black Dress、「路線とか音楽に関係ない。やりたいことは山ほどあるんだから!」

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Little Black Dressが本日9月1日、メジャー2作目となる配信シングル「雨と恋心」をリリースした。

◆撮り下ろし画像

高校在学中の2016年9月にMISIAのライブのオープニングアクトに抜擢されるなど、数々のイベントに出演して注目を集める弱冠22歳の彼女。2021年7月には、川谷絵音が作詞・作曲・編曲およびプロデュースを手がけた1stシングル「夏だらけのグライダー」でメジャーデビュー。先日は<FUJI ROCK FESTIVAL '21>への初出演も果たし、ますます活躍の場を広げている。

今回のインタビューでは、前作「夏だらけのグライダー」に引き続き川谷が楽曲プロデュースを手がけた2ndシングル「雨と恋心」についてはもちろん、BARKS初登場となるので、Little Black Dressのルーツや幼少期の話、事務所の先輩であるMISIAとのエピソードなどなど、じっくり語ってもらった。

なお、「雨と恋心」についてのインタビューは今回が初めてとのこと。これを読んで、ベールに包まれていたLittle Black Dress(以下、 LBD)の人となり、素の部分などが伝わってくれたら嬉しい。

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■日本語でしかできない独特の表現を
■ロックのサウンドに落とし込みたい


──実際にこうやってお会いしてみると、きりっとしたアーティスト写真の印象よりも柔らかい雰囲気の方なんですね。

LBD:それ、よく言われるんですよー! 七変化させてもらってます(笑)。

──お話しするときって、なんてお呼びしたらいいですか? SNSなどでは、RYOさんと呼んでいるファンの方も見かけますけど。

LBD:MISIAさんのオープニングアクト(2016年9月に奈良・春日大社で開催された<MISIA CANDLE NIGHT>)を初めてやらせていただいたときは本名で出ていたから、そう呼んでくださる方もいるんですけど、私としてはLittle Black Dress推しなので、LBDさんとかがいいですかね。

──わかりました。Little Black Dressとして活動し始めて約5年だそうですが、アートディレクターの信藤三雄さんが付けたこのソロプロジェクト名義、LBDさんはもうだいぶ馴染みましたか?

LBD:はい。すっかり自分の色になった感じです。地元の岡山にいたときはICHIという名前で活動していて、もともと本名でやろうとは思っていなかったので。Little Black Dressが今はとても気に入っています。

──では、まずはLBDさんのルーツについて聞かせてください。昭和歌謡が大好きというのは伺っているんですけど、楽曲のアプローチが非常に幅広いじゃないですか。たとえば、インディーズ時代の音源で言うと、R&Bやアーバンなテイストを感じさせる「Mirror」、元・男闘呼組の成田昭次さんとのインパクト抜群のデュエット「哀愁のメランコリー」、ガレージロック的ですごくチャーミングな「ちょーかわいい」、演歌に負けず劣らずの沁みる曲調で情感たっぷりに歌い上げる「心に棲む鬼」があったり。

LBD:音源を聴いてくださった方、きっとびっくりしますよね(笑)。本当にいろいろな曲を歌っているから。




──そうそう、音源を聴いただけじゃ掴み切れない部分もあって。歌謡曲を好きになった最初のきっかけや時期というのは?

LBD:まず、昭和歌謡が自分のルーツだと気付いたのは、音楽活動を本格的にスタートさせてからなんですよ。昭和歌謡を意識して曲を作ってたわけじゃなくて、自然と生まれたものにそのテイストが滲み出ていたみたいな。高3で転校をして音楽のレッスンも受けられる東京の学校に通ったんですけど、そこの先生や曲を聴いてくれた周りの方たちに「なんか懐かしい感じがするね」と言われたときに、ルーツだということを認識したところがあって。

──なるほど。

LBD:音楽の夢を追う人たちが集まる学校の中でも、自分の曲はなぜか懐かしい感じがしたり、同世代の子たちとはちょっと方向性が違うのに気付いて、“私のルーツって何なんだろう?”と知りたくなったんです。で、あらためて考えてみたんですけど、幼稚園から小学生くらいの時期に祖母の車でグループサウンズやフォークが常にかかっていたのが最初のきっかけですね。母の車でも中島みゆきさんとか、久保田早紀さんの「異邦人」とか、マイナー調の曲が流れていることが多くて。小っちゃい頃は、この世にはそういう音楽しか存在しないと思ってました(笑)。

──幼少期に独特な環境があったんですね。

LBD:しかも、私はすごく妄想少女だったので、歌謡曲の持つキャッチーさに惹かれまくっちゃって。たとえば、寺尾聰さんの「ルビーの指環」とか。ああいうロマンティックな詞の世界観を脳内にめいっぱい広げて遊ぶのがルーティンで、車の助手席に乗ってボーッとしながら聴くのを楽しむような子供でした。

──歌謡曲の言葉に惹かれたということですか?

LBD:歌詞もそうですし、「ルビーの指環」だったらイントロのギターもキャッチーですよね。耳に残る曲だと、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」も好きで、童謡みたいな感覚で聴いてました。歌謡曲という認識すらなく、面白い曲だなあって。思春期には自然とフェードアウトしていって、ONE OK ROCKやサカナクションのようなロックに夢中になったりもしましたよ。私すごくミーハーで、いろんなものに興味を持つタイプなんです。

──そうだったんですね。ロックにハマった時期があるのは意外でした。

LBD:これまであまり伝わってなくて歯痒かったんですけど、ロックも大好きなんですよ! 高校の文化祭で組んだバンドでもワンオクやYUIさんのカバーをやったし、ワンオクのさいたまスーパーアリーナ公演に行ったときは、最前エリアでヘドバンして観ましたから(笑)。そのライブを経験して、花道をダッシュしながら歌うのが夢になったり。自分がキャッチーなものを生み出したい想いは、ロックの影響もかなり大きいです。どちらかと言うと、私にとってロックはポジティブ要素が強くて。歌謡曲って、よく聴くと空元気な感じが見えて、哀愁があるっていうか。たとえば、坂本九さんの「上を向いて歩こう」とか、明るい曲に明るい詞が乗っているようで、本当にやり切れない感情を歌っていますよね。そういう日本語でしかできない独特の表現を、ロックのサウンドに落とし込みたいんだと思います。

──今のLBDさんの感じからすると、ロックを好きになったあとで、また歌謡曲に惹かれる時期もあったんでしょうね。

LBD:そうなんです。上京後に大人の方としゃべるとき、「この曲、知ってる?」「こういう時代もあったんだよ」的な話が出るじゃないですか。だけど、私は昔の歌謡曲のことがだいたいわかるから、「なんで知ってるの!?」みたいな反応をしょっちゅうされてまして。

──カラオケで驚かれたり。

LBD:よくありました(笑)。松田聖子さんの話で盛り上がったり、誰かに「山口百恵っぽいね」とか言われてもニュアンスが問題なく理解できたんです。そんなときに「それだけ知っているんだったら、ラジオでパーソナリティーをやってみない?」とチャンスをいただいて、FM愛知で1年半くらい歌謡曲の番組(『TIME STRIPPER』/2018年7月より放送)を務めさせてもらったんですよ。ラジオをやらせてもらうなら、歌謡曲のことをもっとちゃんと知っておきたいなと思って、もう一度のめり込んでいった感じですね。ちなみに、今はInterFMで昭和歌謡を中心に発信する番組(『TOKYO MUSIC SHOW』)を担当しています。


──あと、R&Bやソウルも好きなんですか?

LBD:そのへんはまったく通ってきてなくて。洋楽をほとんど聴いてこなかったんです、上京するまでは。でも、歌謡曲は絶対に洋楽の影響を受けているし、音楽をやるうえでは知っておいたほうがいいってことで、事務所の社長や先輩のMISIAさんがいろんなライブに連れて行ってくださいました。エリカ・バドゥ、ジョン・メイヤー、キザイア・ジョーンズの来日公演を観たりして衝撃を受けて、「Mirror」はそういう刺激で生まれたのかもしれません。ジャズが好きになって、ノラ・ジョーンズのカバーをやるようにもなりましたね。

──そうやって楽曲のアプローチが幅広くなっていったんですね。

LBD:正直、ジャンルはそこまで気にしていなかったりもします。昭和歌謡が大好きと言っているんですけど、そもそも私は平成10年生まれで昭和を生きてきた人間ではないので、シティポップもニューミュージックも全部ひっくるめて歌謡曲という認識なんです。最近の音楽だと、YOASOBIやAdoも自分にとってはめっちゃ歌謡曲で。商業的にヒットを狙いに行くみたいな裏テーマも歌謡曲にはあると思っていて、そのためにプロフェッショナルが集まるとか、曲の生み出し方も、作家が書いてシンガーが歌う形も、歌謡曲っぽいなと感じるんですよね。もちろん、すごくキャッチーだし。

──確かにそうですね。平成10年生まれの方らしい感性だなとも思います。

LBD:MISIAさんがデビューされたのが、ちょうど平成10年(1998年)なんですよ。だから、すごくびっくりされました。「私がデビューした年に生まれた子が事務所に来た!」って(笑)。

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