【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第110回「立花山城(福岡県)卓偉が行ったことある回数 数えきれないほど」

ツイート

我が故郷、福岡県にある山城、立花山城の紹介である。この城のすぐ近くの古賀が私の育った町である。香椎にも住んでいたので福岡県の東側育ち、礼儀正しい奴はだいたい友達、そんな中島卓偉である。地元の人間からすると立花山城は城という認識よりもトレッキングで愛されている山である。城というより近所のナイスな山、そんなところだろう。

そんな私もガキの頃に良くトレッキングで連れて来られていたわけなのだが、ある日兄貴が買った城の本に立花山城が紹介されていて、「うわ~!あの山は城やったとかいな~!」とびっくりしたわけなのであった。古賀方面から立花山を見ると大きな山が同じ高さで二つ飛び出ていたので、兄貴と二人で「おっぱい山」と呼んでいた。よって、本当は「うわ~!おっぱい山は城やったとかいな~!」が正しい。親父もその城本を読むなり、「だから頂上は本丸ということであんなに平べったい曲輪になっていたんだな」と納得していた。中島家もそれまでは地元のトレッキングで行く山という感覚で立花山を捉えていたのである。ずっと単なる山だと思って登っていたのがある日、城だとわかった、なんかそれってずっと好きでいてもらっていたことに気付けなかったうぶな俺っていう80年代のドラマっぽい感じやないか。「脚本テリー伊藤」的な感じやないか。


近年この城の評価も高まり、今では城ファンの見学も増えたことにより、掲示板にも「石垣はこちら」などといった説明もされている。当然ながら私の時代にはそれはなかった。道もずいぶんと整備されたと思う。当然ながら私の時代にスマホはなかった。ポケベルもずいぶんと忘れ去られたと思う。城として歴史を学ぶためも良し、トレッキングで体を鍛えるも良し、一石二鳥の最高の山、最高の城、立花山城なのである。


築城は古く、立花氏により1330年頃と言われている。367メートルの山の峰に100以上と言われる程の曲輪が設けられており、城内も相当な大きさを誇る。たくさんの争いがこの城で起きたが、1500年代後半に小早川氏が入城、そこでいくらか整備されたのが今の形とも言われている。今でも残る石垣は小早川氏の手によるものだそうだが、1601年、博多を黒田氏が治め、時代が山城から平城に移り変わる中で立花山城は廃城となる。耳寄りな情報としては福岡城の石垣は立花山城の石垣を用いて作られているとのこと。現在残っている立花山城の石垣は土砂崩れを起こさない場所にだけしっかり残っていて、主要部分は土塁に戻っているので、おそらくこの土塁に打ち込んであった石垣を福岡城に持って行ったのだろう。とても興味深い話である。俺が若い頃からずっと愛用し使い続けてきたラジエター、そして踏み心地最高なクラッチペダル、良いから持っていけよって引退したドライバーが若い奴にくれてやる時の感じやないか。その日から瞬きを1回したらポールポジションだった、やないか。

立花山城の城内には石切場もある。戦国時代は石の収集は相当なお金が必要だったので廃城になった城から持ってく来ることはマストだったのであろう。だが、もし石垣が当時のまま残っていたら今よりももっともっと評価の高い城になっていたのではないかと思う。地元の人間として誇りである。




はっきり言ってこの山を登るのは体力がないときつい。先月(2021年7月)にtvkの私の城番組コーナーのロケで30年ぶりくらいに来城したのだが、実に大変なトレッキングだった。普段から鍛えているので私的には平気なのだが、カメラを抱えながら一緒に登ってくれたスタッフは本当に大変だったと思う。感謝である。考えてみたらこんな山に保育園の年中くらいから登らされていたのだからうちの親父はスパルタにも程がある。ことある度に登らされた。山登りが大好きだった親父はしょっちゅう「おい!今からおっぱい山登るぞ、準備しとけ!」そう言ってきた。ひどい時は剣道の練習でくたくたに帰ってきた日でもそう言われた。天気が良いと立花山に登らされるんじゃないか?といつもひやひやしていたのを覚えている。本丸からの景色も素晴らしいので本丸まで駆け上がり、本丸でホカ弁を食うというのがお決まりだった。登り始めたら兄貴と僕と親父の競争になる。それがまたきついわけだ。私のMV「3号線」でも兄貴と立花山を登る写真、頂上での写真が使われているので良かったら見てみてほしい。再生回数が伸びると喜ぶのはそう!我が事務所である。




この山はいろんな登城口があり、親父は毎回登る道を変えていたように思う。この山で私は山の登り方の基本を覚えた。木や石の掴み方、足の踏み締め方、滑った時の対処、怪我した時の対処、すれ違う人との挨拶。下山する時に足が笑っている場合の降り方、天才テリー伊藤の脚本の奥行き、短気な女性のなだめ方、などなど。ひどい時は親父がロープを出してきて、私の腰に巻き、それを親父が自分の腰に巻き、それで引っ張られながら登るという鬼のようなトレッキングをしていた。すれ違う方々に気を揉んでもらえるかと思いきや、当時の福岡の山好きは私に厳しかった。「あらら~僕~、あんたがお父さんを引っ張ってやらないかんやないね~」と言われる始末。いやいや僕まだ保育園に通ってるんですけどと何度思ったことか。場合よっては「僕~お父さんと機関車トーマスみたいやね~」と笑いかけてくる老夫婦もいた。トーマスとエドワードの違いがわかりづらい、パーシーは良い奴。知らんがな。

そんな厳しい山の印象があったが、途中には湧水もあり、これがまためちゃくちゃ美味い。休憩を重ねてゆっくりマイナスイオンを感じながら登っていただきたい。そんな中、石垣が突如現れる。膨らみが出てしまっているが今もこれだけ残っていることに感動。曲輪からの移動は虎口が続いており、道幅を狭める。雑草で石垣が見え隠れしているが細かくチェックすると実にたくさんの場所に石垣が用いられていたことがわかる。崖を覗くと薄っすら空堀だったり堀切を発見出来る。井戸の跡もあり、山城だけに水の確保が大事。それでもずいぶんと山の上の方に掘られた井戸だ。当時の生活の様子が窺える。本丸周辺も石段の跡や虎口、門跡などが残っている。本丸は曲輪の中で一番大きなスペースがあり、御殿までは建てられなかっただろうが、博多湾も見渡せるし、物見櫓などがあったのだろう。実に眺めが素晴らしい。3号線も見える。この本丸に訪れて立花山が城だったことがはっきりとわかる。城が大き過ぎて、登山口がたくさんあることでローマよろしく1日にして成らずの立花山城だが基本は立花山口から登ると良いだろう。


福岡県民の東側方面で育った子供達は小学生や中学生の時に遠足や授業で立花山に登ることが良くある、同じ事務所の福岡出身の田中れいなにそのことを聞いてみると「え~そんな山ありました~?今はもうそんな山ないですよ~、れいな福岡タワーしか登ったことないけん~」と言っていた。

田中れいなは山を消せるらしい。

あぁ 立花山城 また訪れたい…。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
この記事をツイート

この記事の関連情報