【インタビュー】the satellites「いつでも帰っておいでというのを、最後の曲で伝えたくて」

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二〇二〇年十三月ヨリ──。明かりが見え始めているなんて言葉はまるで絵空事のようで、変わってしまった日常が生み出す空虚な時間が延々と続いている感覚に陥っている今の自分にとって、その言葉は、歌は、心の最深部にまで届く強さと、優しさに満ちていた。

『二〇二〇年十三月ヨリ』は、4人組ロックバンド・the satellitesが完成させた1stフルアルバムのタイトルだ。エモやギターロックなどを軸にしてきた彼らだが、今作ではピアノやストリングスを取り入れるなど、楽曲のスケール感にしろ、バンドアンサンブルにしろ、すべての面でクオリティが破格的にアップ。よりドラマティックに、よりエモーショナルに聴き手の心を震わせる楽曲が並んでいる。白石亮太が(Gt&Vo)綴った歌詞もひたすらに生々しく、コロナ禍による変化や戸惑いはもちろん、人間の普遍的な感情にもしっかりと寄り添うものに。そしてそれは、“アルバム”という形態だからこそ、強い意味を持つものに仕上がった。“長崎発東京在住ロックバンド”という彼らのバイオグラフィーを紐解きながら、会心作について話を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

■ひとつの物語を描いていくアルバムにしようと思った。
■いつでも帰っておいでというのを、最後の曲で伝えたくて


──白石さんを中心に結成されたそうですが、どういう音楽をやろうと考えていたんですか?

白石:最初に考えていたものとは、だいぶかけ離れた感じのことを今はやってますね(笑)。最初はBUMP OF CHICKENみたいなことをしたかったんですけど、下手すぎて出来ないと思って、どんどん激しいほうに寄って行きました。

──メンバーチェンジもあったそうですが、オリジナルメンバーの方は他にもいらっしゃるんですか?

白石:もう僕だけですね。

──じゃあ、他のみなさんとは東京で知り合った?

レイ:いや、自分も地元が長崎で、一緒に東京に出てきました。

──元々仲がよかったんですか?

レイ:いや、顔見知りぐらいの感じでしたね。

白石:なんならちょっと嫌いでした(笑)。

レイ:あんまり言うな、そういうの(笑)。俺は別に嫌いじゃなかったですよ?

白石:俺は、なんかこいつ芯がねえなって。

レイ:まぁ、一般の高校生だったんで。

──高校生のときにバンドを立ち上げたんですね。

白石:そうですね。the satellites自体は高1の頃からやっていて。レイと会ったのは、高校生のコピーバンドを集めたライヴイベントがあって。そこで初めて会いました。


──そんな2人が一緒にバンドをやろうとなったキッカケというと?

レイ:自分はそのときボーカルをやっていたんですけど、元々はリードギターをやっていたから、なんか、ボーカル向いてないなと思って(笑)。そう思いながらふらふらしていたときに、the satellitesがギターを募集していて。前からライヴを観ていてかっこいいなと思っていたので、リードギターをやりたいと伝えて、スタジオに入って、OKをもらった感じでした。

──白石さん的にもスタジオでいい手応えがあったんですか?

白石:正直、そのときの流れをあまり思い出せなくて(苦笑)。当時はメンバーが全員辞めた後で、とにかく人の温もりに飢えていたと思うんですけどね。

──ちなみに、出会ったときのコピーバンドのイベントで、何をコピーしてたんです?

レイ:僕はRADWIMPSとか、DOESとか、ONE OK ROCKとかですね。

──その辺りの音楽がご自身のルーツや好きなものだったりされます?

レイ:そうですね。でも、一番影響を受けているのはELLEGARDENだと思います。あと、白石が言っていたバンプも好きです。

──白石さんはバンプが好きだったと。

白石:初めて聴いたバンドがBUMP OF CHICKENで、今でも好きですね。その後にamazarashiにハマってから、自分のやりたいことが変わっていった感じがしていて。メンバーみんな辞めちゃって、続けていて意味があるのかなと思っていた時期に、YouTubeをテキトーにシャッフルして流していたら、「ジュブナイル」が流れてきたんですよ。それを聴いたときに、すごく悲観的なことを歌っているのに、めちゃくちゃ力強くて前向きな曲だなと思って。俺もこういう曲を歌いたいなと思って、またバンドをやろうと思って動き始めたので。

──その次に出会ったのが、西岡さんとのことで。

西岡:当時、僕は京都に住んでいて、WOMCADOLEが好きだったんで、滋賀までちょいちょいライヴを観に行っていたんですけど、the satellitesが出ていたんですよ。途中から観たんですけど、包帯ぐるぐる巻きでギター弾いてる人がいるし、ボーカルはずっと叫んでるし、なんかめちゃくちゃヤバいバンドがいる!って(笑)。


──(笑)。レイさんはなぜ包帯ぐるぐる巻きだったんです?

レイ:バイト先で包丁を洗っていたときに、刃先を親指に刺してしまいまして。何本かライヴできなくちゃったんですけど、包帯にピックを巻きつけて初めて出たのが、そのときライヴでしたね。

白石:俺も俺で、人の心がなかったのかなって今となっては思うんですけど。レイから手を怪我したっていう連絡が来たんですけど、なんか、ヘラっとしてたんですよ。「手、怪我したwww」みたいな。それにめちゃくちゃムカついて(笑)。そのWOMCADOLEの企画が、復活して一発目ぐらいのイベントだったんで、これには絶対に出るから、ギター弾けないなら、お前はもうメンバーじゃないからって、まだ入ったばっかりだったのにそれぐらいのキレ方をして。あのとき、俺すげえ怒ってたよな?

レイ:めっちゃ怒ってた(笑)。

西岡:そのライヴのときは挨拶した程度だったんですけど、Twitterで繋がって、そこからちょいちょい連絡するようになって。それで、the satellitesがツアーで京都に来たときに、流れで僕の家に泊まることになったんですけど、正直、泊まりに来るような仲ではなかったんですよ(笑)。たぶん、宿を探していたけど、本当にお金がなくて、そういえばあいつ京都じゃね?ぐらいの感じで連絡したんじゃないかなって。

白石:それだね(笑)。その当時、レイの家の軽(自動車)でツアーを廻っていたんですけど、今日は車で寝るとかマジで無理だ……確かヤス(西岡)って京都だよな……って。

西岡:で、初対面のレイくんも来て、「あ、どうも」みたいな(笑)。

レイ:そのときが初対面だったっけ? 滋賀で話したりしてなかった?

西岡:いや、「おつかれさまです」って挨拶したら無視された。

一同:(笑)。

レイ:ヤバい奴だったんですねぇ……。


──そこから加入するに至った経緯というと?

西岡:僕としては京都でメンバーを探していたんですけど、同世代でバンドをちゃんとやっている人がいなくて。じゃあ、東京の大学に行けば、もしかしたらメンバーも見つかって、バンドできるかなっていう安直な感じで上京を決めたんです(苦笑)。でも、僕が上京する半年前ぐらいに、the satellitesのメンバーも上京してたんですよ。で、自分が上京する前に誘ってもらえて、東京で加入しました。

──そこから東京で活動をしていく中で、佐藤さんが加入されたと。the satellitesのことは知っていたんですか?

佐藤:そこまで深くは知らなくて、ちょっと見たことがあるぐらいの認識でしたね。自分もバンドがやりたくて、いろんなところでサポートをしていたんですけど、なかなか見つからなくて。その当時はthe satellitesのドラムに正式メンバーがいたんですけど、ツアー中にいなくなっちゃったんですよ。それで連絡をしたのが最初でした。

──困っているだろうから助けたかった?

佐藤:いや、助けたいなっていう気持ちはあまりなかったかもしれないですね。困っているなら叩くよっていう気持ちはあったけど、どちらかと言うと、the satellitesでドラムを叩きたいっていう感じでした。で、サポートしたての頃に、九州に2週間行くことになって。そのときに入りますか?って。

──お三方としては、困っていた状況でもあって。

白石:激痩せしましたね。ツアーも20本以上残っていたし、どうしようと思って。で、康平さんが連絡をくれたんで、急な話なんですけど、2、3週間ほど予定空けられますか?って。それで、「ツアー九州編、全部やらせてもらいます」って言ってくれて、もうこの人しかいない!っていう感じでしたね。それが2018年の秋ぐらいでした。

──そして、この度、1stフルアルバム『二〇二〇年十三月ヨリ』を完成されました。アルバムだからこそ意味を持つ作品に仕上がりましたね。

▲『二〇二〇年十三月ヨリ』

白石:いつもは、なんとなく曲ができて、この曲めっちゃいいな、次に入れようぜっていう感じだったんですけど、今回はアルバム1枚を通して、ひとつの物語を描いていくものにしようとは思ってましたね。

──タイトルが表す通り、コロナウイルスのことが問題になった2020年以降のことについて、今の自分の気持ちをしっかりと表したかったと。

白石:そうですね。こういう状況になったことで、辞めていった友達とかもいて。正直、その当時は「逃げやがって」と思ってたんですよ。まぁでも、誰も彼もがそんな強い覚悟で戦っているわけじゃねぇよなと思って。だから、諦めてしまった友達のバンドマンに、いつでも、お客さんでもいいから戻ってこいよって。ライヴハウスから離れていってしまった人達──それはお客さんも含めてですけど──いつでも帰っておいでというのを、最後の「2020年13月より」で伝えたくて。

──そこに辿り着くまでの物語を考えていったんですね。

白石:だから、歌詞を書くのにめちゃくちゃ時間がかかってしまって。生み出すのに苦労した曲が多かったです。

──オケに関してはいかがですか?

白石:オケに関しては、今回はレイにめっちゃ振ったんですよ。歌詞を考えるだけで精一杯になっていたので。

レイ:僕としても、あまりポッとは出てこなかったですね。「生活の全て」とか「夜を越えて」とかは、初めて同期を入れたので、そこはめちゃめちゃ苦戦していて。でも、すべて任せっきりにするのではなくて、自分もちゃんと一緒に考えてやりたいと思って編曲していたし、僕だけじゃなくて、2人(西岡、佐藤)の力も大きかったですね。

──そういったバンド力といいますか、アンサンブルがかっこいい曲も多いですよね。「ムーンナイトダイバー」の間奏の展開とかは、ポストロック的な感じもあって。

レイ:あそこは康平さんのアイデアなんですよ。そこからどんどん広がっていって。

佐藤:普段はボーカルの邪魔をしないようにすることを心がけているんですけど、ここはボーカルがいないので、レイにいろいろ提案してやらせてもらったんですけど。

──かなり叩き倒してますよね。

佐藤:やりたい放題やってますね(笑)。今まではスタジオでセッションして曲を作っていたんですけど、今回から、白石の弾き語りをレイがパソコン上で練って、こういうふうにしたらどう?っていう話ができるようになったんですよ。そこで曲のクオリティがすごくあがったと感じています。



──西岡さんとしては、アルバムなのもあって、歌詞にしろ、オケにしろ、いつもよりも気合い入ってるなと思った瞬間はありました?

西岡:そうですね。自分としても、今まで同期を考えることがなかったし、今作からコーラスもだいぶ力を入れて考えるようになったんですよ。じゃあベースはこうしたほうがいいかなとか、いろいろ考えた部分もありました。

──合わせていて、良い感じになりそうだなと思った曲というと?

西岡:……全部って言ったらよくないですもんね(笑)。どれだろうなぁ。

──でも、わかります。全曲個性的ですし、しっかりと流れが構築されているので、どの曲も必要不可欠ですし。

西岡:僕、ミドルテンポの曲が好きなので、「体温」とか「モラトリアム」とかですかね。

──ミディアムナンバーもお好きなんですね。

西岡:はっぴいえんどとかも好きなんですよ。でも、僕はBUMPをそこまで通っていないので、たまに話についていけないときがあって(苦笑)。毎回スタジオで流してくれるんですよ。これだよ!って。

佐藤:自分もBUMPは通っていないので、あんまり話についていけないことが多いですね。でも、無理やり好きになるのも違うかなと思って(笑)。自分は軽音部に入ってから音楽を始めたんですけど、その頃はELLEGARDENが好きでした。

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