【インタビュー+レポート】FENCE OF DEFENSEの西村麻聡、凄腕集結のソロライブ開催「音楽は癒しの医療。不要不急ではない」

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8月30日、duo MUSIC EXCHANGEで西村麻聡が<Masatoshi Nishimura Birthday Live 2021「M饗 第63回不定期公演」>を行った。

◆西村麻聡(FENCE OF DEFENSE) 画像

最初は普通のライブレビューを書くつもりだった。けれども本番を観て断念。そこで展開していたのはあまりに予想外の光景だったから。

この日、ステージに立っていたのはベースに日野JINO賢二(Misia etc.)、ドラムに江口信夫(ASKA etc.)、ギターに土方隆行(玉置浩二 etc.)、キーボードに鈴木賢(鈴木雅之 etc.)という、それぞれのパートでトップクラスのセッションマンたち。さらにパーカッションとコーラス2人は外国人。一夜限りのduoクラスの、しかもコロナ下のライブでは信じられないようなメンツだ。さらにはベースを弾きながら歌うのが定番だった西村がボーカルに専念して凄い歌を聴かせてくれた。いや、それ以前に彼はLA在住だったはず…。沢山の“なぜ?”に耐えきれず、翌日本人へのインタビューを敢行。今回はそこで得た言葉を交え、1人のミュージシャンの行き方の中でのライブ、を紹介したい。


   ◆   ◆   ◆

西村麻聡は打ち込みを導入したロックバンドの先駆ともいえるFENCE OF DEFENSEのメンバーである。FENCE OF DEFENSEはTM NETWORKとも親交が深く、また西村は細野晴臣のユニットに参加していたこともあった。その時代時代の新しいものに敏感で常に新鮮さを求めてきた彼は2014年、LAに移住する。

「英語の歌をうたうたびに自分の語学力のなさを痛感していたんだよね。で、一度ちゃんと英語を学びたくなったんだ。日本でやることはやった感もあったしね」──西村麻聡

移住最初の1年は一切楽器に手を触れることなく語学学校に通っていたという。

「そこで友達が出来るたびに、“こんな考え方もあるんだ!”って驚いた。いろんな国の人たちの視点を知らずに死ななくてよかったな、って思ったね(笑)」──西村麻聡


やがて日本から仕事の依頼が来るようになったのをきっかけに、機材を揃えて音楽活動再開。アニメ『蒼天の拳』や『ニッポンノワール』『3年A組』『コントが始まる』といったドラマの音楽を担当するようになる。一方で、ノースハリウッドに引っ越してからは急速にミュージシャンの知り合いが増えたという。

「気がついたら4〜5個のバンドでベースを弾いててね。中でもハイチ人のバンドのパーカッションがすごかった。未体験のグルーヴに、もうアゴがはずれそうになったぐらい(笑)」──西村麻聡

もともとファンク好きの彼が日本で40年以上プロとしてやってきた上で、なお未体験だったグルーヴ。それに出会ってパーンと開けたという。

「そういう人と一緒にやるには合わせようとしてもダメなんだよね。楽器じゃなく心で会話する感じでないと。それは簡単なことじゃないけど、音楽は言葉がないぶんやりやすい。国籍も関係ない。そのことに気付いたのは向こうに行ってから3〜4年経ってからだったけどね」──西村麻聡

日本から仕事を発注されるとLAのミュージシャンを集めてレコーディングすることも多いという彼。その中で出会ったスティールギターの巨匠、グレッグ・リース(エリック・クラプトン等とも共演)もハイチのパーカッション同様、“1音出した途端の凄さ”の持ち主だったそうだ。

「オーディションに受かって向こうの有名なコメディー番組に出たこともあるんだけどね。数回にわたって日本人ミュージシャンだけのバンドをやる、っていう内容で。それが収録当日までなにをやるか知らせてもらえないで、いきなり“〇〇さんが悲しんでるような曲をやってください” “今日は破壊的な曲をお願いします”って感じなの。完全に即興でそれを要求されるんだよね。しかも僕はなぜかギターを弾かされて(笑)」──西村麻聡


話を聞いていると譜面に代表される左脳的な部分ではなく、いかに感覚を開いていくかという右脳的な面で、日本ではなかなかない刺激を受けてきた感じの西村。そろそろ来日公演<Masatoshi Nishimura Birthday Live 2021「M饗 第63回不定期公演」>について聞いてみよう。

「去年2月にFENCE OF DEFENSEでライブをやるために日本に戻ったら、コロナでLAに帰れなくなっちゃったんだよね。その後、何回もライブの予定を変更せざるを得なくなって、ようやく今年8月にフィックスしたんだ」──西村麻聡

ボーカルに専念、というのは?

「このところ作曲活動が中心で声を出してなかったから歌いたいな、と。で、歌うならそのことに専念したかった。ズッとジレンマだったんだよね。歌で100出そうとするとベースが70、ベースで100出すと歌が70になってしまうことに。あとLAに行って最初に観たライブが昔から大好きだったけど自分には歌えないと思っていたジノ・バネリ。でも彼は今の自分と同じ歳ですごいショーをやってたんだよね。そのことを思い出して、今回はまず、ボーカリストとして彼の曲をカバーすることを決めたんだ」──西村麻聡

年齢は自分が決めるもの、だとも聞いた。それから今回の人選。同じやるならうまい人と、というのはあったらしい。そして長い音楽生活の中で面識のあった方もけっこういたようだ。

「日本人以外もみんな日本に住んでる人たちでね。コーラスの2人はパーカッションのクリスのツテで出会ったんだ。実はけっこういるんだよ、日本在住の外国人ミュージシャン」──西村麻聡

クリスことクリストファー・ハーディーはあのスティングとも仕事したことのある人物。考えてみれば元メガデスのマーティー・フリードマンも、元ソニック・ユースのジム・オルークも今は日本語をしゃべり、日本に住んでいる。


   ◆   ◆   ◆

さて。当日のライブの話である。これは西村の人生同様、様々な要素がクロスオーバーした独自の世界だった。曲調でいうと半分ぐらいの曲がファンクテイスト。それはアレンジでそうなっているものもあったし、今回の人選で原曲の持つそうした部分が引き出されている場合もあった。FENCE OF DEFENSEのナンバーももともと西村が作ったものが多いだけに、容易にそちら方向へ転化していた。

さらにグルーヴの表現の仕方にまで絞ると、これは非常に興味深かった。真剣な表情で的確に演奏しながら音でノリを出してゆくメンバーと、常に笑顔で身体全体でノリを見せるメンバーに分かれていたのだ。後者は西村とコーラス隊とベースの日野。要はアメリカ生活経験者だ。日野も日本生まれながらニューヨーク育ちで、ジャコ・パストリアスなどともセッションしたことのある人物。笑顔を絶やさないことも含め、やはり“向こうのノリ”というのは確実にあるようだ。ベースを弾いてる日野に「オレにも弾かせてくれ」と西村が迫るパントマイム的な寸劇も、日本ではなかなか見れない類のものだと感じた。

「ほんと、あれが向こうのエンターテイメントの演じ方なんだよね。みんながリスペクトしている場に立っていることがまず楽しい、っていう」──西村麻聡

逆に日本生活が長いクリスは日本のノリになっていたのかもしれない。素晴らしいプレイながら静的な印象だった。


そして歌。数十年にわたるFENCE OF DEFENSEのナンバーからソロ作品、カバーまでを網羅したセットリストだけに、1曲ごとに異なる表情があった。西村の身体の動きもそれに呼応して別人のように変化していた。その中で個人的に特に印象的だったのは、まず1987年に発表されたFENCE OF DEFENSEの1stアルバム収録の「STRANGE BLUE」。今回はアコースティックギターの弾き語り調のアレンジで、そのために考えられたのであろう新たなコード進行も含め、素晴らしいムードだった。そして彼も語っていたジノ・バネリのナンバー「Put the Weight on My Shoulders」。“ボクの肩によりかかって あなたの心の重荷から解放されてください”といった意味のこの歌。それはミュージシャンとリスナーの関係をも感じさせ、西村の熱唱によってこの日の大きなフィナーレを形作っていた。歌い終えたあとに口にした「音楽は癒しの医療。不要不急ではない」というMCと共に。

最後に翌日のインタビューで耳にした今後のことについて触れておこう。

「昨日、あのメンツでやったことで、自分がやろうとしていることが間違いじゃないと思えたんだよね。だからもう一度このメンツで、もっと音楽の深い所までいきたい!っていう欲が出た。FENCE OF DEFENSEともども、年内にもう1回ライブをやりたいね。作曲の仕事とかもこなしつつ。で、可能であれば来年、LAに戻るつもりなんだ」──西村麻聡

取材・文◎今津 甲

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