【ライブレポート】ロー磨秀、透き通るクラシックの色彩とジャズの歓びを併せ持つ初の本格リサイタル

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(C)Tanay Genco Ulgen

ピアニストのロー磨秀が9月10日(金)、東京・王子ホールにて初の本格リサイタル<The Pianist>を開催した。

◆ロー磨秀 画像

会場となった王子ホールは銀座の中心、百貨店が並ぶ明るい通りの片隅にある。穏やかな照明に照らされるステージにはグランドピアノがぽつんと一台。そこに登場したロー磨秀は黒で統一されたシックな衣装を纏い、柔らかな素材のジャケットが本人の柔和な雰囲気とよく似合っていた。若きピアニストがにこやかに一礼すると、観客からは期待に満ちた拍手があがった。


本公演の1曲目は、ブラームス作曲「創作主題による変奏曲 Op.21-1」。“変奏曲”とは、最初にメインとなるメロディ(主題)を提示し、それを次々とアレンジしていく形式の楽曲を指す。同曲は強いモチーフを描いた曲ではなく、作曲家の理論と美学で進行していく作品だ。それをピアニストがどう解釈し、表現するかがひとつの聴きどころ。王道的で柔らかなハーモニーの中、時折ショッキングな音のぶつかりが出現する意外性も面白い。

そして始まったロー磨秀の演奏は、厳かな印象をもっていた。楽譜や作曲家の意志に忠実に、自己解釈を乗せすぎず、しかし音色の色彩感は豊かに。支配的な題名を持たないこの楽曲を正確に描きつつ、聴いている人々がそこに何かの風景を思い描くことは否定しない、そんな演奏に思える。各変奏(アレンジ)はそれぞれ主となる色合いの異なる抽象画のように描かれて、1音1音に色彩が載るタッチは、絵の具をたっぷり含ませた筆の軌跡のようだった。

続く2曲目はシューマン「子供の情景 Op.15」。こちらは全13曲から成る小曲集で、「鬼ごっこ」「暖炉のそばで」「木馬の騎士」など、タイトルによってモチーフがわかるようになっている。子どもが見る風景を温かく柔らかなメロディで描写した本作は、子どもには楽しく、大人には懐かしい。

ただ、“シンプルなものほど難しい”を体現しているのもこの作品。素朴で愛らしいメロディの中にはひとつのミスタッチも許されない緊張感が隠されている。それを感じさせないロー磨秀の演奏からは、自信と芯の強さが感じられた。

この曲はメロディやハーモニーをひとつずつ手のひらで掴むように、絵本を捲って幼い子どもに語り聞かせるように奏でられていく。ロー磨秀の特徴である打鍵の精度の高さ・タッチの多彩さはシンプルな和音の中によく現れ、第7曲「トロイメライ」の著名な旋律で美しさの極みに達する。全ての音が正確で理想的な響きで配置されている様はまさに職人技。特に各曲のラストを飾る音色は絶品の一言で、13曲それぞれ違った印象を聴かせてくれた。

休憩を挟み、リサイタルは後半へ。ロマン派の楽曲が並んだ前半とは対照的に、後半はドビュッシー、ガーシュウィン、さらにホーギー・カーマイケルのジャズナンバー「The Nearness of You(邦題:あなたのそばに)」のアレンジと、作曲年がグッと現代に近づいた挑戦的な楽曲が続く。


(C)Takafumi Ueno

まずは9月1日(水)発売のアルバム『Mélangé』にも収録されたドビュッシー「2つのアラベスク」から。弦楽器を爪弾くようなアルバム音源から更に熟練された音色は、たとえるならば“青銅のチャイム”のよう。瑞々しく奏でられる旋律は鮮やかに弾け、単色の照明に照らされているはずの舞台を色とりどりに錯覚させる。

音色には“色”という言葉がつくように、それぞれの演奏家は個性的な色彩感を持っている。ロー磨秀の色彩は、様々な“青”に思えた。表現のニュアンスによって色付けられるものではなく、指先から紡ぎ出される音そのものが透明感のある青色で、ゆえにこのアラベスクも、水面に広がる細波のように聴こえる。

それに続く「The Nearness of You」は、本公演唯一のポップスナンバーだ。今回は“feat.Debussy”と銘打ち、ロー磨秀が自らアレンジ。ヴォーカルの無いピアノ・ソロ・ヴァージョンだったものの、冒頭にドビュッシー「月の光」の著名な旋律を引用し、原曲の歌詞を象徴的に彩る“月光”を思わせる粋な演出があった。

前曲までに印象づけられた音色の“青さ”は「The Nearness of You」で一気に深みを増す。眠たげなメロディに描き出された情景は、真夜中、光あふれる無人の表通り。ドビュッシーが持つ冷たい夜風や幽かな霧の雰囲気を借りつつ、きらきらした高音はネオンの煌めき、その残響がハレーションとなって歓びを生み、ひとり愛しい人を想いながら濡れた石畳を踏む気取ったステップを想わせた。


(C)Tanay Genco Ulgen

そしてリサイタルは終盤へ。ここで選曲されたガーシュウィン「3つのプレリュード」は、“クラシック音楽”とハッキリ言い切れない作品だ。ガーシュウィンはジャズの技法をクラシック音楽に持ち込んだことがよく語られる作家だが、同曲はクラシックともジャズともつかない性格を持つ。そのため演奏者の音楽の好みが出やすいのも魅力のひとつだろう。

前曲でも示されていた通り、ロー磨秀はクラシックのみならずジャズにも通ずる音楽性がある。陽気に始まった演奏は、「本当にリサイタル前半の厳格なピアニストと同一人物なのだろうか?」と疑うほど奔放だった。しかし激しい連打や高速のパッセージで演奏が“崩れる”ことは一切無い。クラシック音楽の技巧を下地に踊りまわる音楽は、さながら古いミュージカル映画のようでもある。

快速に駆け抜ける第1曲から、シンガーソングライターとしても活躍するピアニストの“歌心”が際立つ第2曲はたっぷりと官能的に。第3曲はフリージャズ感を強く持つ一方、どこかショパンの作品のような美しさもある不思議な作品で、弾く人によっては格調高く響くのだが、ロー磨秀の演奏は“泥酔した名ピアニストが酔い任せの上機嫌さで心地よく鍵盤を叩いている”という雰囲気だった。楽器自体の音響をフルに活かした大音量とわくわくする疾走感に、観客は静かに熱狂する。

そして本編のラストを飾ったのは、ガーシュウィンの名曲「ラプソディ・イン・ブルー」。オーケストラ版の印象が強い同曲は、2台ピアノ版を経て管弦楽版が制作され、後にピアノ・ソロ版が完成したとか。

そんな「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏だが、今回の演奏は「オーケストラ版を過度に意識せず、ピアノ・ソロ作品として表現する」という風に感じられた。管弦楽版では様々な楽器の音色が飛び交い賑やかに鳴る狂乱的な場面も、ロー磨秀の指先は騒がしい雰囲気はそのままに、メロディラインがバラバラにならないよう、しっかりとまとめ上げる。これだけの音量と本楽曲特有のドタバタ感を演出しつつ、ヒステリックに聞こえない技巧はお見事だ。

人々の騒めき、都会の雑踏、汽車が駆け抜ける轟音、その中に響く様々な音楽。「ラプソディ・イン・ブルー」は、作曲家が生きた時代の騒がしさを煮詰めたような作品だ。時折光のように美しい旋律が降り注ぎ、再び喧騒に呑まれ、それでもまた音楽が沸き上がる。色彩豊かな音色は絵画的に楽曲を描き、やがて熱気の頂点に達して、本編は華々しく終了した。

鳴り止まない拍手に呼ばれてステージに再登場したロー磨秀は、アンコールとしてこの夜を祝福するかのようにドビュッシー「月の光」を披露。マイクを持ち、リサイタルに集まった観客への感謝の言葉を丁寧に語ると、本公演最後の楽曲として、大好きな作品だというドビュッシー「沈める寺」を紹介した。

「沈める寺」は神秘的なハーモニーの平行移動によって、海底に沈んだ大聖堂が浮上し、やがて再び水の中に消えて行く様子を表している作品だ。水底に差し込む光、華やかな聖堂から響く鐘の音、それらが飛沫も上げずに消えて行く様を音色で描きながら、公演は静かにクライマックスを迎える。深く響く最後の音に観客たちは呼吸を忘れ、この日のステージは歓びに満ちた静寂の中で幕を下ろした。

初の本格リサイタルということで、ロマン派の作品を前半に、ポップスを含む近・現代の作品を後半に置いた本公演。前半では楽曲の緊張感につられて会場の空気も張り詰めているように感じられたが、後半ではホールの音響と演奏がよく馴染み、ピアニストの表現力も花開いていた。アーティストとしてクラシックとポップス、ふたつの顔を持つロー磨秀は、観客の期待も他のピアニストとはひと味違ったものになっていくだろう。新たな船出の舞台となった今回の公演から、個性がより輝く次のステージにも期待したい。


(C)Takafumi Ueno

文◎安藤さやか(BARKS編集部)

■公演情報

<ロー磨秀「The Pianist」>
2021年9月10日(金)東京・王子ホール
【プログラム】
J.ブラームス:創作主題による変奏曲Op.21-1 ニ長調
R.シューマン:子供の情景 Op.15
C.ドビュッシー :2つのアラベスク
ホーギー・カーマイケル:The Nearness Of You feat.Debussy
G.ガーシュウィン:3つのプレリュード
G.ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー

◆ロー磨秀/マシュー・ロー オフィシャルサイト
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