【レポート・インタビュー】城之内早苗、『DAM CHANNEL演歌』の五代目MCに就任。中澤卓也からバトンタッチ

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■「先輩方の意外な一面を見ることができた1年でした」
■中澤卓也(DAM CHANNEL演歌 四代目MC)インタビュー


「DAM CHANNEL演歌」の四代目MCを務めてきた中澤卓也。「青いダイヤモンド」でデビューして以来、ジャンルレスを謳い、演歌・歌謡曲のみならず歌の魅力を幅広い年代に伝えてきた25歳の新進気鋭の歌手だ。2020年10月から男性初の「DAM CHANNEL演歌」として様々なゲストを迎えてトークしてきた中澤に、この1年を振り返ってもらうと共に、最新シングル、カバーアルバムのことや、これからの活動について話を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

──『DAM CHANNEL演歌』四代目MC、長い間おつかれさまでした。2020年10月から男性初のMCとして活動してきたわけですが、振り返ってみていかがですか。

中澤:男性初のMCということで、プレッシャーもあったんですよ。男性のMCになってカラオケファンが減ったとか言われたらどうしようって(笑)。でも、男性ならではの言い回しとか、その辺の変化で面白くできたらいいのかなって、何回かやってるうちに思うようになりました。僕のファンの方も「『DAM CHANNEL演歌』いつも見てます」と言ってくださる方が多かったですし、『DAM CHANNEL演歌』を見て初めて僕を知ったという方もいますので、そういう意味ではすごくありがたかったです。

──ご自分でもカラオケに行って見たことはありましたか?

中澤:何度か見ました。何か変な感じでしたね(笑)。でも、「こういう感じで映ってるんだな」って、見た後に収録に行くとイメージも湧きやすかったですし、これが全国で流れているんだなって思うと嬉しかったですね。

──とくに印象深かったゲストの方とか、思い出深いエピソードなどはありますか。

中澤:ほとんどのゲストの方が先輩だったので、一番やりやすかったのが新浜レオンさんがゲストに来た回ですね。プライベートでも仲が良いので、そういう関係にしか出せない空気感があったと思います。あとは、先輩とは現場の楽屋でご挨拶して歌のお話をすることは多くても、「今こういうことにハマっていらっしゃるんだな」っていう話はなかなかできないので、山川豊さんがいらっしゃったときに、立ち食い蕎麦屋さんによく行くっていう話をしていて、「山川さんが立ち食い蕎麦にいたらビックリするだろうな」っていうのが印象に残ってます(笑)。あとは秋元順子さんがダジャレが好きだっていうのも意外でしたし、そういう先輩方の意外な一面を見ることができた1年でした。

──それは中澤さんだからこそ引き出せた素の一面だったんでしょうね。

中澤:いやいや、まだデビューしてもそんなに経っていない僕に対してもそういう風に気さくに話してくれた先輩方がいっぱいいたので、そこは本当に感謝ですね。

──五代目MCとしてバトンタッチした城之内早苗さんもそうした先輩の1人ですよね。MC交代式はいかがでしたか。

中澤:1年前、自分があのビッグマイクをもらう立場だったので、さみしい感じもしましたけど、これで『DAM CHANNEL演歌』のファンがもっと増えて大きくなってくれたらいいなって思いました。

──感慨深さもありましたか?

中澤:もう1年経ったのかという気持ちがあって、あっという間でした。やっと慣れてきたかなという頃に交代式があった感じですけど、ここで学んだことを他の仕事でも活かしてつなげていきたいなと思っています。


──交代式の後には「夏ざかり ほの字組」をデュエットしていましたね。懐かしいなあと思いながら聴かせてもらいました。

中澤:僕は初めて歌わせていただくので聴いたんですけど、サウンドも素敵でカッコイイ感じでした。ただ、シンプルなデュエットに見えて意外と音の感じがむずかしい曲なんですよ(笑)。だから結構緊張しました。

──リハーサルのときに、一回歌ってから「どちらが高い方を歌うか」というような話を城之内さんとしていましたよね?

中澤:そうなんですよ。ハモりのパートが結構複雑で。研ナオコさんが下を歌ってるパートもあったり上を歌ってるパートもあったりするんです。その辺のパート分けをしていたんです。

──中澤さんのしなやかな動きがトシちゃん(田原俊彦)っぽかったです。

中澤:はははは(笑)。しなやかかどうかはわからないですけど、映像を見たらご本人たちも振付が結構あったので。ちょっと特徴的なところはやってみました。

──まだお生まれになっていない頃のヒット曲ですよね。中澤さんは新潟県長岡市ご出身ということですが、新潟のテレビ番組に出演されていますね。

中澤:そうなんです。BSN新潟放送の番組『土曜ランチTV なじラテ。』で、「中澤卓也の手を握っていいですか?」というコーナーをデビューした当時からずっとやらせていただいているんです。最近はロケに行けないので、一時は東京と新潟を結んでリモートロケとかやっていたんですけど、それも今はできていなくて。BSNのアナウンサーさんが代打でやってくれているんですけども。

──やはり地元には帰りたいですよね。

中澤:不思議ですよね、地元に帰って街の香りとか景色を見ると何か落ち着くんです。それも今はできていないのでちょっとさみしいですけどね。

──今日もステージにヘルメットなどが置いてありましたが、地元にいらっしゃったときはレーシングドライバーを目指していたそうですね。

中澤:小学校2年生から高校1年生までずっとレースをやっていたんです。やっと歌のキャリアがレースに追い付いてきたんですけど(笑)。それぐらいちゃんとやっていたんですけど、レースはめちゃめちゃお金がかかるので続けるのがむずかしくて、高校1年までで終わってしまって。その翌年に『NHKのど自慢』に出て、それがきっかけで歌手になったんです。音楽はもともと好きでしたけど、全然、歌手になるイメージもしていなかったので、まあ、ビックリしましたね。

──「NHKのど自慢」では森山直太朗さんの「さくら(独唱)」を歌ったそうですが、カラオケにはよく行っていたんですか?

中澤:カラオケは友だちと行ったりする程度でしたね。歌を誰かに教わったりとかはしていなくて、本当に趣味の1つという感じで歌ってました。

──今、ステージ衣装から着替えた私服でお話を伺ってますけど、こうして見ても所謂昔ながらの演歌・歌謡歌手のイメージとは違う、ニューウェーブな感じを受けます。

中澤:はははは(笑)。僕は今25歳で、先ほど話に出た新浜レオンさんも1歳下なんですけど、僕ら世代を取り込んでいきたいなと思っていて。僕自身もともとポップスが好きで、自分自身が演歌・歌謡曲を歌おうと思ったときに、どうしても演歌・歌謡曲っておじいちゃん、おばあちゃんが聴くジャンルっていう謎のレッテルがあることを感じたんです。でも今となっては、若い世代の人たちにも届く歌だと思うし、ファッションとか、最近また始めたレースとかをきっかけにモータースポーツ好きな人が興味を持ってくれたりすることも多いと思うんです。だから普段は自分らしく着たい服を着て、ステージに上がったら演歌・歌謡歌手の衣装を着て歌うっていうのも、面白いんじゃないかなって思ってます。

──なるほど、すごく新しいものを感じました。

中澤:本当ですか(笑)。ありがとうございます。

──2021年6月2日に最新シングル「約束」が2タイプ(タイプC「約束/Summer Dreamer」タイプD「約束/Memory」)発売されていますが、「約束」はどんな曲ですか。

中澤:コロナ禍が広がって、人と距離を取りましょう、会わないようにしましょうっていう中でも、でもどこか人とつながりたい気持ちって絶対あるじゃないですか?「約束」は、その気持ちを歌にしたらいいんじゃないかなっていうことで、人とのつながりをテーマにして出来た曲です。サビの〈つながっているよ 会えなくても〉というフレーズにこの曲のすべてがつまっています。なので僕も歌っていてシンプルで表現しやすいですし、シンプルが故にむずかしさもあったりするんですけど、今の時代にとても合っているし、いろんな人に聴いて歌って、愛していただきたい曲ですね。

──「Summer Dreamer」と「Memory」はご自身で作詞も手掛けていますね。

中澤:「Summer Dreamer」は夏らしい歌というか、いつか野外でイベントとかコンサートをやりたいと思っているんですけど、フェスっぽい感じでもみんなで盛り上がれるように歌の世界観は書きました。「Memory」はしっとりしたバラードで、このメロディは師匠の田尾先生(作曲家の田尾将実)が20年ぐらい前に書いていたメロディらしいんです。そのメロディを先にいただいて僕が歌詞を書いたんですけど、もともと「Memory」の方に〈あの夏の午後〉っていう、夏らしい歌詞がついていたんですよ。それを田尾先生にお見せしたら、「この歌詞なら違うメロディをつけたいからもう1回違う詞を書いてくれ」って言われて書いたのが「Memory」の歌詞で、最初の歌詞をもうちょっと夏らしい内容に変えて歌詞をお渡ししたのが「Summer Dreamer」になったんです。何がきっかけで曲が生まれるかわからないから面白いなって思いました。

──「Memory」はトランペットも印象的で、とてもムードのある曲ですね。

中澤:そうですね。曲の進行自体がAメロ、Bメロ、サビという感じじゃないにも面白いですね。歌詞を書くのはすごくむずかしかったですけど。

──歌詞を書くのは、歌手としてデビューするまでの修行時代に覚えたんですか?

中澤:いや、歌詞は全然自分で書こうとは思ってなかったんですよ。「いつか詞を書いてみたら?」って言われたのはじつは2年ぐらい前だったんですけど、自分の中で全然乗り気じゃなかったというか(笑)。作詞家の先生に書いていただいた方がいいだろうなって思っていたので。でも、コロナになって全然仕事がなくなって時間ができたときに、ちょっと作ってみようかなって思ったんです。それでその都度自分が良いなと感じた言葉をスマホにメモしておいて、それがきっかけで作るようになったんです。

──ご自分の歌詞で伝えたいテーマみたいなものってありますか。

中澤:自分はまだ25歳で、そんなに人生経験もないですから、作詞家の先生に比べたら言葉の重みが全然違うと思うんです。でもそれが新しさにつながってくれたら逆にいいなと思っていて。作詞家の先生たちにはない世界観を感じていただけたらうれしいですね。

──8月4日には3枚目のカバーアルバム『繋ぐ Vol.3 ~カバー・ソングスⅢ Elements~』が発売されました。「異邦人」「シルエット・ロマンス」といった女性歌手のヒット曲もありますが、選曲はどのようにしたのでしょうか。

中澤:選曲は自分でさせてもらいました。番組で歌わせていただいてファンの人から評判の良かった曲とか、僕自身がYouTubeチャンネルで「歌ごころ」というカバー曲を歌うコンテンツを毎週金曜日の18時に更新しているんですけど、その中で歌って評判の良かった曲も収録しています。あとは、まさかこんな曲を入れさせていただけるとは思わなかったんですけど、野口五郎さんの「琥珀色の日々」もカバーしています。

──野口五郎さんはレコーディングにも参加されたそうですね。

中澤:そうなんですよ。アルバムのアレンジもしていただいて。最初は、テレビ収録でご一緒したときに五郎さんから、「卓也君に合いそうな曲があるんだけど」って言われて。そのお話があったのが去年なんです。やっとこうやって形になって、レコーディングにも来てくださって、目の前で歌わせていただきました。今まで自分の中になかった引き出しを作ってくださった感じもありますし、帰り際に「俺もちょっと歌っていい?」って言ってコーラスを入れてくださって、それで颯爽と帰られるという。スターってこういうことなんだなあ、すげえカッコイイなって思いました(笑)。

──「琥珀色の日々」は、歌い回しがちょっと五郎さんっぽく聴こえました。

中澤:あ、本当ですか?五郎さんに歌を聴いていただいて、僕の特徴である一瞬裏声になる部分を、「逆に出さないで歌ってみてくれる?」って言われたんです。今までトライしたことがなかったことだったので、それで引き出しがたくさんできたということなんですけど、五郎さんに引き出していただいたあの歌い方なので、自分も音源を聴いて新鮮でしたね。

──今後も、カバー曲などを交えつつ既存の演歌・歌謡曲のイメージだけじゃなく、ジャンルレスな歌手を目指していくというのが中澤さんの目標ですか?

中澤:そうですね。僕はデビュー当時からジャンルレスという言葉はすごく大事にしていて。カバーアルバムもVol.1から続いてますけど、全部選曲はジャンルレスをテーマにしているので。それはこれから自分の歌手としての長い人生の中でも、ずっと大事にしていきたいですね。

──今は大変な状況ですが、これから活動していく上での夢はありますか?

中澤:今はコロナ禍でイベント、コンサートがなかなかできないですけど、それでも応援してくださっているファンの方は大勢いらっしゃるので、イベントができるようになったときには、まずはそういう方たちに恩返ししたいなと思います。今年は制限のある中でコンサートツアーを回らせていただいているんですけど、もっと僕が直接会いに行きたいですし、その延長戦上に野外コンサートとかアリーナのコンサートとか、広い会場で演歌・歌謡曲を伝えていくことはもちろん、“中澤卓也という歌”をもっともっといろんな人に伝えていけたらいいなと思っています。

取材・文◎岡本貴之

中澤卓也 リリース情報

『繋ぐ Vol.3~カバー・ソングス Ⅲ Elements~』
発売中
CRCN-20475 定価¥1,800(税抜価格¥1,636)


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