【インタビュー:前編】筋肉少女帯、「この先に何十枚出したとしても、このアルバムはエポックメイキングだったと記憶される」

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■やっぱりツインギターで派手な歌モノ
■景気のいいロックをやりたいなと

──ここでアルバム自体の成り立ちについての話に移りたいと思います。レコード会社から頂いている資料の中に、大槻さんの「深夜にたまたま観てその後の人生を大きく変えてしまった一本の映画との出会い、そんなジワッと来る衝撃を与えたいと思いながら11の筋少の物語を楽曲に練り上げてみました。11回は人生変わりますよ。いい方向にね」という言葉があります。こうした個人的な映画の記憶みたいなものをテーマにしようというのは、いつ頃アイデアとして固まったことなんでしょうか?

大槻:ああ、いや、あのー、最後ですね。逆に言うと、アルバムができあがって、そのアルバムの印象などからタイトルを付けてるんですよ。だから、テーマが先にあったわけではないんです。逆なんです。できあがったものほうにまず歌詞・世界観があって、結果、各リスナーが、それぞれの曲の意図を手繰り寄せて自分自身と向き合うような内容になった気がする、というところからこのタイトルができあがったという感じです。だからタイトルやテーマが先にあったわけではなくて。

──基本的に楽曲先行で作られてきましたよね、これまでも。

大槻:そうです。はい。

──ただ、それでこのタイトルとか文章からすると、それこそコンセプト・アルバムでもあるかのようなたたずまいに見えるといったところがあります。

大槻:あのー、わりと僕のやる作業っていうのは……なんだろう? どういう行程なのかあんまりよくわかってないけど、いわばマスタリングみたいなもので。できあがった音世界をあとでパッケージングするっていうのが僕の役割のひとつだと思うんですね。だから、その部分で思わせぶりなタイトルであるとか、そういうものを作り上げていったっていう感じですね。あのー、やっぱり基本的に楽曲が先なんですよ。楽曲が先にできて、それにひとつひとつ歌詞を作っていって、最終的に浮き上がったテーマというものを見つけ出すというのが作詞者の作業なんですね。だからコンセプトがあるように見えるというのも、結果的にそうなったということですね。わりと毎回そう……でないこともありますが、そういうことが多いです。

──ということは、各曲の歌詞世界というのは、あくまで曲によって導き出されたものだという言い方ができるわけですね?

大槻:そうですね。

──お三方から曲が出てくるなかで、今、ライヴへの渇望感であるとか、むしろ再現性を考えないでもいいという選択肢もあるんじゃないかといった言葉も出ましたけど、提示されてくる楽曲そのものに対して、大槻さんはどんな印象を持っていましたか?

大槻:えーと、まあ、“各自が作ってくる曲だな!”っていうイメージですよね(笑)。

橘高:ふふっ。

──シンプルに言えば、“らしいな”ということですか?

大槻:そうですね、はい。そこはリスナーの方々も期待しているところだと思うので、はい。“なるほどー!”っていう感じですかね。


▲橘高文彦 (G)

──なるほど(笑)。これはお三方に対しての質問なんですけれども、こうした流れの中で“新しい作品像”みたいなものを思い浮かべながら作られた部分も少なからずあったのではないかと思うんです。何かそういった、自分たちの未来像みたいなものを意識した部分というのはありましたでしょうか?

橘高:僕の場合はさっきも言ったように、スタジオワークの画が見えたというのがあって。曲については基本的に“降りてくる待ち”するタイプで、その中で最初に「ボーダーライン」というのが出てきた時に非常に手応えがあって、“ああ、これは他のメンバーもこういうような、ライヴを意識した曲じゃないものが増えてくるのかな?”と思ってたわけです。ちなみに3人ともお互いの曲は、曲出しの当日まで聴かないようにしてるんですね、このバンドでは。それが終わった後で、たまに“バランス的にこういう楽曲が足りないから書き足そう”っていうのがあるんだけど、基本的には我々、いつもアルバムの時には20曲ぐらいが集まるタイプなんで、たいがいはその中からいちばん良いのを大槻君が選曲して歌詞を考えていくというか。そこで大槻君がさっき言ったまとめのコンセプトの作業も含めて進められてくんだけど、今回はまあ「ボーダーライン」的な曲が主軸になりながらそうじゃないものも出てくるという感じになるのかなと思っていたら、次に「無意識下で逢いましょう」が降りてきたのね。面白いもので、スタジオ至上主義的な楽曲が降りてくれば、やっぱりその次にはライヴへの渇望感みたいなものが形になって。これはね、お客さんと一緒にワイワイやってる絵柄と一緒に頭の中で鳴り始めた曲なんで、やっぱり自分はライヴで育ったというか“今回はライヴのことは省いてもいいや”と思いかけては自分がそれくらいライヴを渇望してるんだってことを、あの曲を作りながら思い知らされたというか。やっぱりライヴ育ちの子供だったんだなあって。

──思いがけない“改めての気付き”みたいなものがあったわけですね。

橘高:そこに自分でもびっくりして。ただ、そこから出てきた渇望感というのは、やっぱりすごくピュアなものであるはずだし、これはすごくいいライヴ感のある曲ができたな、と自分の中で思っていて。さっきも言ったように、『レット・イット・ビー』でのビートルズはずーっとスタジオにこもってるんだけど、屋上で「ゲット・バック」をやるシーンがあるじゃないですか。バンドがライヴをやってる喜びに溢れてるシーンが、あそこに切り取られてると思うんですね。いろんな背景や経緯はあったにせよ、あの瞬間にだけはそれがあったというか。ああいったことが、今回の自分のソング・ライティングの過程で2曲目に起こってて。“今から屋上に行ってみんなで演奏しようぜ”ぐらいの気持ちで(笑)。

──今の話で決まりましたね。この曲のビデオを徳間ジャパンの屋上で撮りましょう(笑)。

橘高:そこにお客さんが集まってきちゃう、みたいなね(笑)。

大槻:ちなみにこの「無意識下で逢いましょう」は、僕の中では橘高君がギター・ヴォーカルで歌ってるのを想像して作りました。

橘高:ははははは!

大槻:もう、ライヴで僕がちょっとお着替えタイムになって……(一同笑)。

本城:そうだったんだ(笑)!

大槻:橘高君が主導で歌ってる図、それしか考えてなかったです。

橘高:ライヴでは大槻がちゃんと歌うんだよね?

大槻:でも、自分が歌うことをまったく想定せずに作りましたね。

──ライヴへの渇望が曲になり、ライヴでのお着替えタイムを想定したフロントマン。すごい話です(笑)。

橘高:こちらはそんなつもりはなかったですけどね。ライヴの時も僕は歌いませんけど(笑)。

本城:ははは!

橘高:まあ、そんな2曲が降りてきたら、あとはもう自分のライフ・ワークみたいなもので、ヘヴィ・メタルですよね。僕はヘヴィ・メタル人生を歩んできて、“一生ヘヴィ・メタルの十字架を背負って生きていくぜ!”って宣言してきたタイプなんですけど、毎回自分の書く“橘高メタル”っていうのを自分が聴きたいんですよ。それをずーっと最大のライフ・ワークにしてるぐらい、ある意味、いちばんの修行であり、完成した時の達成感も含めて大事にしてるところなんですけど、今回はどうなるかなと思ってたところでできたのが「大江戸……」なんだったっけ、あのタイトル(笑)?

──「大江戸鉄炮100人隊隠密戦記」ですね?

橘高:そう、それが来て。これはいわば、コロナだろうがライヴがあろうがなかろうが、一生こういうのを書き続けていきたいっていう曲なんです。ギター・プレイも含め。なので、これを作った自分自身のやりたいことっていうのが満たせたんで、それ以外にもあと2曲ぐらい書いてたんですけど、結果的にこうして自分の中で違うバランスの3曲が選ばれたから、“ああ、よかったな”と思ってて。

──というわけで、こちらから質問を振るまでもなく、橘高さんはご自身の曲についてすべて解説を終えてくださったわけなんですけども(笑)。

橘高:あはは! ごめんなさいね。


──いえいえ、話の流れを作ってくださりありがとうございます。本城さんはいかがでしたか? 今回、曲作りにあたって、次の段階に進むための曲とか、進化系を形にするんだといった意識とか、そういったものはありましたか?

本城:ええと、次の段階を意識するというよりは、これは毎回のことなんですけど、ここまでの話からもおわかりのように、それぞれの作家のカラーというのがやっぱりあると思うんです。その中で僕が思うのは“前回の自分とはちょっと違う、またなんか新しいことはできないかな?”ということで、それが僕の毎回目指すところであり、モチヴェーションでもあるので。将来、何十年先に繋がっていく進化というのではなく“間違いなく前回とは違う自分”みたいなものが作れればなって毎回思うんです。で、さっきも言ったように、去年コロナに入った頃すぐ作ってみた曲ではなく、コロナの時期を1年以上経験して、そのうえで一体自分にホントに何が降りてくるのか、何が自分の中から出てくるのかっていうのがあるわけですけど、実際、僕は楽器を持って曲を作ったりするタイプじゃないんですね。ホントに鼻歌とか、それこそ夜お酒を飲んでて、パッと閃いたものとかを常に持ってるレコーダーに吹き込んで、それをどんどん膨らませていくっていう作業なんですけど、毎回。そんななかで今回は自然に“こんな時期だけど、明日も絶対あるんだよ”みたいな気持ちで常にいたかな、と。自然とそういう曲ができてきたかな、とは思ってます。

──さきほどの話にもあったように、ネガティヴなほうに思考が向くことを想定していたら、ポジティヴなものが出てくる結果になったわけですよね。

本城:そうですね。自分はやっぱり最終的にというか、実のところはポジティヴなものを求めてたのかなとは思います。で、まあ、各曲についての話をするならば、「楽しいことしかない」が象徴的で。こんな時期を超えて、こんな時期の筋少だからこそ、というか。やっぱり筋少ではツイン・ギターで派手な歌モノ、景気のいいロックをやりたいなって思ってしまうわけです。そうしたら、もう自然に“ここで橘高君がこういうギターを弾いて”みたいなイメージがどんどん膨らんできて。そこでデモ・テープを作るんで、僕が橘高君のパートも全部弾くことになるわけなんですけど、スケッチのように。で、全部弾き終わって“できたー!”と思って、この曲が選ばれて、いざレコーディングに入って自分のパートを弾こうと思ったら、あまりにも弾く分量が少なくてですね、“え、これでよかったのかな?”ってちょっと思ったりもするぐらい、すごくツイン・ギター・パートに意識が行ってた曲ですね、これは。なので、それを橘高君がものすごく高みに上げてくれたので、非常に満足してます(笑)。

橘高:ツイン・ギター・パートとか言ってるんだけど、俺がひとりでツインやるから、おいちゃん(=本城)の弾くのが少ないのよ(笑)。

本城:そうなの、そうなの(笑)。

橘高:だから、すごい設計図が提示されてくるんだけど、自分がそこ弾かないのに一生懸命“こういうのが欲しい”とか(笑)。

本城:そうなんですよ。そこはちょっと本番のギターを録ってて、自分でもすごくびっくりしたところでした。

──なるほど。曲作りの設計と施工は別物って感じでもあるわけですね?

本城:そうですね、別物ですね。

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