【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第116回「桑折西山城(福島県)卓偉が行ったことある回数 1回」

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伊達家発祥の地、伊達家の原点の城、桑折西山城だ(くわおりにしやまと読みます)。伊達家と言えば正宗公がずば抜けて有名だが、この城は正宗公の曽祖父である伊達稙宗が室町時代の1532年に築城。その後正宗公の祖父である晴宗が山形県の米沢城へ移るまで伊達家の本城、本拠地であった城である。いや〜この城もノーマークであった。来城してみて素晴らしさに痛く感動。何が良いって城が駅近であること。駅のロータリーからすぐ城が見えるってのがたまらない。平成に入ってから発掘調査や整備が進めらて、現在は非常に見学しやすくなっている。ただ今回初めての来城は季節が2月ということもあり城が雪に覆われていたので写真だと土塁や空堀の感じが伝わりにくいかもしれない。雪が積もった状態でも城の造りは壮大であり、素晴らしく良く考えられた縄張りだった。戦国時代の後期に廃城になり、平成の発掘調査が入る前までは畑と果樹園になっていたそうで、ところどころ石垣が組まれているがこれは果樹園の石垣とのこと。当時は土塁と空堀の城である。だが晴宗がこの城を出る時に本丸の出入り口を石垣で封じたという。それはもうここに二度と城は建てません、ここに戻っても来ませんという意味だったとのこと。果樹園に使われるまで本丸には一切入れない状態であったそうな。伊達家のやることはいちいち格好良いな。

この城コラムで何度かお伝えしたとも思うが、私、父方の中島家の末裔は元を辿れば伊達家の家来であったことがわかっており、幕末は仙台を中心に福島、札幌、新潟、岩手、東京に散らばって行った。もしかするとこの城でも中島家が支えていたのではないかと思うと背筋が伸びる想いである。


大手道を登っていくと一番最初の桝形虎口の大手門跡に到着。ここのパノラマ感が凄まじく、正面を見て右手は台場、砲台曲輪が、左手は二の丸の土塁と大地が、斜め左の奥には本丸の土塁が見える。城の真ん中が谷になっており、外から砲台曲輪を登ってもまた谷に落ちるような地形になっている。段になった曲輪は果樹園の時に作られたものか、当時からこういった作りをしているのかはわからないが、整備をするにあたり相当な木を切り落とし、切り株も掘り起こしたそうな。ここ最近の木の整備も5年かかっているとのこと。その力の入れように城マニアとして痛く感動。現在はすぐ本丸に到達出来るように道が整備されていて、本丸の中心部に御殿らしき建物があったことがわかっており、敷石ではなく木で復元されている。これもなかなかの大きさだったことがわかる。本丸の搦手には裏門跡があり、その下にも大きな曲輪、そして搦手道と言える七曲道に続いている。とにかく段になった曲輪が多い。



二の丸と本丸の間には空堀があり、土橋で渡れるようになっていた。これまた二の丸もスペースが広い。この本丸と二の丸をどのように使っていたのかはわからないが、居住空間としては景色も素晴らしいし最高だったのではないだろうか。山自体もさほど高さがあるわけじゃないし、麓には川も流れている。奥州、羽州街道の側に建てられた城ということもあり、威嚇も十分、なくてはならない場所にしっかり建てられた最高の立地の城だということがわかる。現在も東北を繋ぐ国道4号線が当時の城下町を走り、城の麓を東北自動車道が走り、その真ん中を走る東北本線、東北新幹線が何本も通り過ぎるのが本丸から見える。桑折という町は日本の歴史に超重要な町なのがわかる。日本の音楽シーンに卓偉が超重要なのと同じように。。。たまに言う。


二の丸の外にも大きな空堀があるが、外から見た二の丸の土塁も高さが半端ない。この空堀は果樹園の通路になっていたこともあり、一瞬は空堀に見えづらいかもしれないが、山の中でこれほどの幅と長さの空堀がここに存在していること、凄まじい。ここから更に奥へ進むと中舘、西館というこれまたとてつもなく大きな曲輪がある。後に増築された曲輪とのことだが、何が凄いってこの中舘と西舘の間にある縦に伸びた空堀である。両サイドも土塁。ここがある意味桑折西山城の1番の見所なのではないだろうか。どちらの曲輪にも奥が見えないようにする仕切り土塁もあり、スペースもかなり広い。やはりこの時代は戦いにも備えるが居住空間として城を使うという考えが基本になっており、女性や子供が暮らす場所だったのではないかとイマジン。雪の中、隅々まで見学してみるとこの曲輪の外側も全部空堀で覆われていた。そして西舘の先には桝形の門跡がある。発掘調査で大量の石が出て来たとのことなので、門の外も内も石段で出来ていたのではないだろうか?現在は見学しやすく階段が横に付けらていている。下から上っていくと4回曲がらないと西舘に入れない仕組みになっていることも熱い。良く見ると結構急な勾配だ。


中舘にも大きな桝形虎口が設けられている。ここも正面と裏に二つの出入口があるように作られているが、裏は道が途中で終わってしまっているので未完成とのこと。もしかすると愛媛の松山城のように、門の裏にある隠し門みたいなことだったのかとイマジン。中舘も西舘も攻められてはならない場所に桝形の門が設けられているという共通点に気付く。


今回もtvkの城番組ロケで訪れることが出来たのだが、この中舘と西舘を仕切る空堀の中を堀ウォークしてみた。雪の中をである。雪も50センチ以上積もっていたので歩くにもなかなか大変ではあったのだが、どうしても雪の中でマイケルジャクソンのSMOOTH CRIMINALをやってみたかったのだ。50センチの雪に足を取られるといくらでも体重を前にかけることが出来ることがわかり、撮影中に男3人で何度もSMOOTH CRIMINALごっこをやってテンションが上がりまくっていた。そこに今回の撮影許可をもらった役場の歴史担当の方がいらしたのだが、城の撮影と聞いて行ってみたら大人3人で何で何回も前に傾いて笑ってんだよと思ったはずだ。かなり声をかけづらそうにしていた。中島家の末裔、そして先祖の方々も、今の中島の家督をどんな奴が継いでいるのか興味あったと思うがとんでもない不届き者だとしか思わなかっただろう。普通に考えて、43歳のおっさんが、桑折西山城の空堀で、雪の中、マイケルジャクソンのSMOOTH CRIMINALの真似をして、この傾き具合どうですか?と大声を出しながらカメラに叫ぶという絵。

幼稚園児以下。

あぁ 桑折西山城、また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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