【インタビュー】KISAKI、第三期「MIRAGE」の活動を表明「今のV系シーンに新しい布石を残せる活動を…」

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小学生の頃衝撃を受けたX JAPANの影響で、みずからも1993年にヴィジュアル系の世界へ。最初にKISAKIの名前を世に知らしたのが、10代のときに結成した、La:Sadie's(現DIR EN GREYのメンバー4人が在籍)の活動だった。

同バンドの活躍は90年代のヴィジュアル系シーンに多大な影響を与えるが、バンドは短命で解散。その後、1997年にMIRAGEを結成。同じく20歳でレーベル「Matina」を立ち上げ、所属の多くのバンドたちが、ヴィジュアル系というムーブメントを盛り上げてゆく一翼になった。

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MIRAGEは2000年で解散。その後KISAKIは、Syndromeを結成。Syndromeの解散とMatinaのレーベル解体をきっかけに、新たにレーベル「UNDER CODE PRODUCTION」を設立し、みずからもPhantasmagoria、凛-the end of corruption world-と形を変えながらバンド活動を続けてきた。同レーベルは2013年、凛-the end of corruption world-は2016年には解体及び解散。そこからは、KISAKI個人としてヴィジュアル系シーンに影響を与える活動を続けている。KISAKIがリーダーを担うバンドや、みずから立ち上げたレーベルを通した活動は、常にヴィジュアル系シーンの歴史の一部を担ってきたとも言える。

KISAKIは2023年でバンド活動30周年を迎える。折しも2022年は、MIRAGEの結成25周年であり、Matinaレーベルの設立25周年になる。その記念年ということから、MIRAGEが第三期として復活。4月20日に1stアルバム『BIOGRAPH』を発売。5月には大阪と東京を舞台に記念公演を行うことを発表した。KISAKIがどんな思いを胸に今回の行動を起こしたのか、じっくり話を伺った。

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■29年間の活動でMatinaというレーベルと
■MIRAGEというバンドが自分に与えた影響はすごく大きい


──2016年に、みずから率いた凛-the end of corruption world-を解散。以降はパーマネントなバンドを結成することなく、イベントに合わせた様々なスタイルでゲスト出演する形を取り続けてきました。でもKISAKIさん自身、バンド活動をしたいという願望をずっと心の中に持ち続けていませんでした?

KISAKI:バンド活動をやりたい気持ちはあるけど、本気で活動できるメンバーを探そうという行動を起こせなかったのが、正直なところ。それに、凛-the end of corruption world-を解散した時点では一度本当に音楽活動を勇退しようと思っていたので、表だった活動を大きく制限していました。凛-the end of corruption world-の解散以降、いろんな方々からイベント出演の声をかけていただき、自分が納得する形でステージへ立てる内容であれば出演に協力にしてきましたけど、そうでない限りは極力ライブ活動を控え、今も積極的にライブ活動をしているわけではないです。

──今は音楽活動を引退する選択肢は持ってないですよね?

KISAKI:いえ、音楽活動を辞めようと思ったことは何度もありますよ。実際一度引退してますしね(苦笑)でもまたこのシーンに戻ってきたのいうのはかなりの覚悟が必要でしたし、音楽やヴィジュアル系というシーンを僕なりに活性化したい気持ちが尽きてはない。だから、今までの活動の中でお世話になった方々からの誘いについては協力したい気持ちがあったし、その思いを胸に行動してきました。それが、不定期ですがイベントの趣旨に合わせた形でライブ出演を重ねてきた理由です。ステージへ立つたびに音楽活動への欲求という火がついてしまうことも、今のモチベーションへ繋がっていますね。

──なるほど。

KISAKI:自分自身やるならきっちり、完全燃焼するまでやりきりたい性格。だからこそ、納得できる形を取らない限り、正式なバンドを立ち上げて発信することはしませんでした。そんなタイミングで世界がコロナ禍になり、色んな混乱が生じてきて自由が制限されてしまいました。なので自分の出来る事を見つめ直し、目黒鹿鳴館存続のためのクラウドファンディング的な形で作り上げた50バンド収録のコンピレーションアルバム『鹿鳴館伝説』は、まさに僕自身の今の活動姿勢を象徴するもの。あのときは自分の歩んだ歴史の中で培った力を注ぎ込みました。


──そういう活動方針なのですね。2018年には、MIRAGE結成20周年という理由からMIRAGEを一度復活させました。あのときの行動が、今回のMIRAGE復活劇にも繋がったのでしょうか?

KISAKI:いえ、あれは完全に限定したイベント出演のみでの復活でした。でもあの活動以降もライブ出演や楽曲提供の話をいただいて活動していく合間に、MIRAGEのメンバーとはちょくちょく会ってはいたんですよ。今回のMIRAGEの復活に際しても、『鹿鳴館伝説』の制作以降、別のクラファン企画でソロ名義で音源の制作の為にAKIRAに歌ってもらっていた中で、彼の口から「MIRAGEが2022年で25周年を迎えるから、MIRAGEで何か出来たらいいですね」という言葉をもらったことがきっかけで、今回の構想を練っていったんです。

──そういう背景があったんですね。

KISAKI:加えて、2023年が自分のバンド活動30周年に当たる年であり、僕が立ち上げたレーベル、Matinaも今年立ち上げから数えて25周年を迎えます。ここまでの僕自身の29年間の活動の中、MatinaというレーベルとMIRAGEというバンドが自分に与えた影響や、世間での反響がとても大きく。KISAKIという存在をヴィジュアル系というシーンの中で大きく際立たせたきっかけになったのが、MIRAGEとしての活動だったと言えます。だからこそ、25周年という記念の年を祝うためにMIRAGEを動かすのなら、過去の音源の再録だけではなく、新曲も加えて華やかに彩ろうと思い、コンピレーションアルバム『鹿鳴館伝説』の制作を終えて以降、つまり2020年頃からじっくりと時間をかけながら水面下でMIRAGE25周年へ向けての動きを構築し続けていたんですよね。

──今回、MIRAGEのメンバーとして覇叉羅~JILSの舜と[zo:diaek]のYOMIも迎え入れました。

KISAKI:当初はAKIRA、YAYOI、KISAKIとオリジナルメンバーのみで制作を進めていて、もしライブ活動を行うならサポートメンバーを迎えてと考えていたんです。でも、AKIRAから「せっかく25周年を記念してMIRAGEが復活をするなら、正式にメンバーを加え、5人のMIRAGEとしてしっかり活動したいですね」と提案があって。その気持ちを受け止め、自分も絶大な信頼を寄せる同世代の仲間であり、僕自身やMIRAGEのことをしっかり理解したうえで本気で活動に参加してくれるメンバーと一緒ならその選択肢もあるなと思って同じ時代をずっと生きてきたライバルでもあり付き合いの長い友人、舜とYOMIにメンバー参加を提案。二人ともか快諾してくれたことから、今回の第三期メンバーでの活動になりました。 4月20日に発売するMIRAGEの1stアルバム『BIOGRAPH』も、すでに半分以上楽曲制作を終えてたとはいえ、途中から2人にも参加してもらっています。


──そうは言っても、実はMIRAGE自体の活動は1997年から2000年までの3年間だったんですよね。

KISAKI:そうなんです。さらにその中でも、ヴォーカルがTOMOからAKIRAへ変わるというメンバーチェンジもありました。ただ、その3年間の活動内容がとにかく濃かったバンドでしたね。MIRAGEは、ライブを年間100本以上したり、メジャーレーベルから2枚のミニアルバムをリリースしましたし、テレビ番組やCMのタイアップ曲もやらせてもらったり恵まれていました。しかもMIRAGEの活動と並行する形で、みずからMatinaというレーベルも設立した時でもありますし。だから、自分でもMIRAGEへの思い入れには強いものがあるんです。2000年の解散からそれぞれの活動があったので10年以上連絡は取ってなかったですけど(苦笑)

──今回のMIRAGE復活劇のニュースは、ネット上でもだいぶ話題になっていましたよね。

KISAKI:先ほども話に出ましたが、過去にもMIRAGEを限定復活していた時期がありましたけど、そのときよりも今回の反響のほうが遥かに大きいです。当時、MIRAGEを応援していたファンたちからはもちろん、MIRAGEに影響を受けたバンドたちも復活を喜んでくれて、さらにそのバンドのファンたちもMIRAGEに興味を持ってくれるなど、幅広い世代から反響が生まれているように感じています。

──まさに、伝説がふたたび動き出す…だ。

KISAKI:もちろん、動くからには期待へ応えるのはもちろん、結果もしっかり残そうと思っています。

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