【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第117回「姫路城(兵庫県)卓偉が行ったことある回数 5回」

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日本の歴史建造物の誇り、世界文化遺産にもなっている日本の名城、姫路城の紹介をとうとうしてしまう。いや、むしろ姫路城を敢えて紹介せず今日まで来た。姫路城だなんてそんなベタな!と城マニアの方々に思われてもなと考えていた。よっぽどマニアックな城を紹介した方が城マニアの方々に「たくちゃんわかってるね~」と言ってもらえると思ってもいた。

それは音楽は何を聴くの?と聞かれて「カーペンターズです」と答えて「いや、きみね、わかるけどさ、そんなど真ん中の音楽よりさ、もっと他にも音楽聴いた方が良いよ」的なニュアンスに近かった。でも今ならば、今の自分ならば、素直にカーペンターズが好きなわけだ。確かにガキの頃に聴いて素晴らしい音楽だと思ったはずなのに、思春期になるとどうしても良い意味で偏った音楽やバンドを聴きたくなる時がある。インディーズPUNKシーンを聴き漁ったり、イギリスのバンドばかり聴いたり、60年代70年代のアメリカのSOULに入れ込んだり、ヒップホップしか受け入れられなくなったり、ニューウェイヴしか聴けないぜってなったり、10代の頃は特に極端に偏る時がある。よってスタンダード、王道、直球のストレートを避けてしまうのだ。

姫路城が日本の城の王道かと言えばそれはそれで違うのだが、現在日本に残っている城で、当時の面影をわかりやすく残しているのは間違いなく姫路城と言えるだろう。大政奉還後もその美しさに地元の庶民が壊す事を拒み、解体を免れた事、第二次世界大戦の空襲をほぼ受けなかった事、とにかくリンゴ・スターと同じくらい運が良いとしか言いようがない、日本の誇るべき城だ。

かなり遠回りしたが、満を辞して紹介したいと思う。Psycho le CemuのヴォーカルのDAISHIくんは姫路出身、あの姫路城が常に見える街で育ったことが羨ましく、DAISHIくんに姫路の人にとって姫路城とはどんな存在なのか聞いてみたところ「いつでも振り向けばそこにあるもの…かな」と言われていた。「藤井フミヤさんのTRUE LOVEで、振り返る~といつもきみ~が笑ってくれた~ってあるやん?あれ、あの感じ」彼は続けた「自分の心が汚れる時あるやん?自分の心が荒む時あるやん?でもそんな時でも姫路城の天守ってめっちゃ綺麗やん?それで嫌になんねん、なんで姫路城はこんなに綺麗やのに俺の心はこんなやねん…ってなるねん、わかる?」


前置きが長くなった。ピンク・フロイドかレッド・ゼッペリンかと言うくらいいつAメロが始まるんだよと自分で思う。

姫路城を語る。いや、もう語らなくて良いだろ。とりあえず観光してくれ。これに尽きる。よって今回のコラムもこれにて終了でも良いではないか。この城は説明をする必要がないほど、美しく、そして現存している天守を始め、櫓、門の数が凄まじく多い。本来の城はこれ程の櫓や門があったわけなのだが、どうしても明治になり解体をしたり、払い下げられたり、空襲で燃えたりして、石垣だけになって今に至る。それを初心者がイマジンするのは大変なのもわかる。だが姫路城は城の中心部の建造物の現存具合が半端なく多いのである。当時から現在まで修復はしてもこれだけ綺麗に残っている。まさにタイムスリップだ。イマジンの必要がないのである。それが凄いと思うわけである。よって説明するより観光、そして見学、これで十分伝わると思う。


私が初めて姫路城に来城したのは小学2年生の1987年初頭だったと記憶している。世界遺産になる前の姫路城だ。平成の大修復後に真っ白で綺麗になり過ぎて嘘くさいなどと言う声も上がった姫路城だが、完全なる当時のままの作業で修復したわけなのでそれを言ったらお終いよ。私が初めて見た姫路城は昭和の時代に修復をしてずいぶんと時間が経過していた頃の姫路城で、白壁も燻んでおり、ヒビも所々に入っているのも確認出来た。門の木も腐っている部分が見えたし、石垣もいくらか崩れている部分もあった。だがその感じがまた凄く良かったのを覚えている。どれくらいのスパンで修復していくのが良いのかはわからないし、綺麗な姫路城も圧巻で素晴らしいと思うが、汚れが若干目立ってきたヴィンテージ的な姫路城も味があってむしろ美しいと思うのは私だけだろうか?姫路駅からの眺めはもちろんだが、とにかくどの角度から見ても美しいのだ。初めて来た時も親父の運転するマツダファミリアのハッチバックで城の周りの道を一周した記憶がある。


姫路城の歴史は古く1333年に赤松氏が築城。1580年には豊臣秀吉が三層の天守を建てる。徳川幕府の天下統一後の1601年に池田輝政が入城し9年の歳月をかけて大改築を行なった。この時に今の80%の姫路城が出来上がったと言っていいだろう。その後1617年に本多忠政が入城し三の丸と西の丸を増築。これで完成となる。最後は酒井氏が治め幕末となり、その後の昭和6年、1931年に国宝となり、1993年に世界文化遺産となったわけである。三の丸の外、今の城下町も道の整備で当時の城の面積は縮小されてはいるが、ほぼ当時のままここまでの規模で現存しているという意味で日本一と言える。これは世界に誇れる城だ。どこを切っても素晴らしい。溜息しか出ない。何度来ても感動する。いつか私のファンクラブ旅行で来たいものである。


今回は姫路城の細かい部分を敢えて説明しない。これは中島卓偉のライヴと一緒で「行けばわかる、見ればわかる」こう言っておきたいと思う。姫路城の思い出でアホな話が一つあるとすれば、初めて来た時に、菱の門に入る前、いわゆる三の丸のスペースだったと思うのだが、ここにトイレが一つあり、見学を始める前に親父がここで大便をした。それを兄貴と二人外で待っていたのだが、途中で親父が「うわー!やっちまったー!」と大声を出した。当時は和式の便器で、親父は頭の上に乗せたサングラスを自分の大便を流す前に自分の大便の上に落としてしまったらしい。とりあえず親父は洗面所で石鹸で洗いまくっていた(当時の石鹸はネットに入ってぶら下がっていた)親父アホだなと兄貴と大笑いした。そこから今度は2000年代、3度目の姫路城に私のテンションはブチ上がっていた。この日は姫路Bataというライヴハウスで私のライヴがあり、そのリハーサル前にスタッフとメンバー全員で姫路城観光をしようとなったのである。とにかく私のテンションはブチ上がっていた。だが菱の門を潜る前にどうしても大便がしたくなり、私は当時親父が大便をした同じ便所に入り思いのままにブチまけていた。まだこの時もこのトイレは和式だった。私の目は日中の光に弱い。常にサングラスをしているわけだが明るい場所から暗い場所に移動してもサングラスをしている方が目には優しかったりする。よってサングラスをしたまま大便をしていた。ブチまけが終わり流そうと思うと捻って流すノブが見えない。サングラスをしてるからかと頭に乗せてノブを捻ろうとした瞬間サングラスがてめえの大便に落ちてしまった。私は叫んだ「うわー!やっちまったー!」その後に洗面所で綺麗に洗ったが何か気に入らず、外のゴミ箱にそのサングラスを葬った。

親子のシンクロ&デジャヴ。

あぁ 姫路城、また訪れたい…。

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皆様へご報告(離婚ではない)

この度、私、中島卓偉は、職務質問されても名前を出すと一発で信用してくれる大手事務所、天下のアップフロントグループを超円満に退社し、独立することになりました。10年近く書かせていただいたこの城コラムも今回で117回目。いすゞ117クーペ 好きにはたまりません。これまでに117の城を紹介したのかと悦に入ります。最初は自分が行ったことのある城を紹介しておりましたが、それじゃ足りなくなり、tvkのロケと絡めてまた紹介していく城が増えて行きました。ですが独立と共にこの3月でtvkの番組も終了、まだまだ紹介したい城は山ほどあるのですが、さすがに80年代に親父に連れて行ってもらった城を今紹介するにはもう一度観光しないと書けないところもあります。30年以上前のことを想像しながら書いても現在では復元整備も進んでるでしょうし、そこはちゃんとリアルで書きたいと思うわけでして、よって、一旦このタイミングでこのコラムをバンドで言うところの充電期間、活動休止、的な形にしたいと思っております。何より今後もこのコーナーを続けて構わないと言ってくれたBARKS様、マジで感謝です!本当にありがとうございます!ってなわけでまた書きます。とりあえず今日まで読んでいただき本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願い致します!

今後の職務質問でよっぽど信用されなくなる可能性が高い中島卓偉より

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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