【プロミュージシャンのスペシャル楽器が見たい】Gacharic Spin はな、マルチな彼女の現在のメインはベルモア ムスタングタイプ

ツイート

2009年の結成以来、唯一無二のサウンドとパフォーマンスを追求し続けているGacharic Spin(ガチャリックスピン)。HR/HM、ポップス、ダンスミュージックなど、多彩なエッセンスを融合させて、高度な演奏スキルに裏打ちされた音楽を鳴り響かせているバンドだ。そして、大胆な進化の歴史にも注目させられる。その象徴的存在なのが、ドラム→ドラムボーカル→ギターボーカルという担当パートの変遷を経てきた「はな」。マルチプレイヤーの彼女に、ミュージシャンとしての軌跡と使用楽器について語ってもらった。

■ベース、ドラム、ドラムボーカル、ギターボーカル
■映画にできそうな楽器変遷を経験中


――お母様が歌の先生、お父様がトランペット奏者ですけど、音楽や楽器に興味がすごくある子供というわけではなかったんですよね?

はな:そうでしたね。家にピアノがあって、雨の日に弾いて遊んだりはしていたんですけど、すごく弾きたがる感じではなかったです。ゲームの1つみたいな感じでした。

――ピアノは小3の時から中学にかけて習ったんでしたっけ?

はな:はい。そこで譜面を読むことはできるようになりました。でも、「なんとなく習ってみたいなあ」っていうので始めたので、すごく好きだったという感じではなかったです。

――所属していた児童劇団のお仕事とかで音楽に関連したものはありつつも、音楽に対する特別な気持ちはなかったということですね。

はな:そうなんです。劇団のレッスンの中で歌ったり、ダンスしたりはあったんですけど。でも、歌に関しては、小さい頃は好きだったのかも。5歳の頃に歌ったテープは残っているので。お兄ちゃん、お姉ちゃんに歌わされて、嫌がらずに歌っていたんですよ。その後は歌うのが嫌いになって、小中学校の合唱コンクールとかも歌わないで済むように、なるべくピアノ伴奏をやっていました。

――5歳の頃に歌っていたのは、どんな曲だったんですか?

はな:宝塚の歌、幼稚園で教えてもらった歌、テレビ番組の歌とかでした。『5歳 はな』っていう音源が今でも残っているんです(笑)。ビブラートの真似っこをしたり、ファルセットをやっていたりとか、意外とこじゃれたことをやっていました。


――バンド「12.ヒトエ」で歌うようになってからは、音楽や楽器に対する関心はいかがでした?

はな:「これ、ドラムなんだ? ふーん」っていうくらいでしたね。でも、高校に入ってから楽器に興味を持つようになって、女子中高生12人で組んだブラスロックバンド「12.ヒトエ」の活動がより楽しくなっていきました。

――芸術系の高校に進学したから、授業でもいろいろな楽器に触れる機会があったんですよね?

はな:はい。授業はドラム、ギター、ピアノがありました。ピアノはジャズの先生で、コードや構成音の大事さをたくさん教えてもらいましたね。今のアレンジに活かせている大切なことを学んだのがその頃です。

――ドラムに関しては同じ高校に通っていた青山英樹さんの影響が大きかったそうですね。

はな:そうなんです。入学してすぐくらいの頃に1人で叩いているのを見かけたんです。すごく楽しそうだったので、「あんなに楽しそうに叩くということは、楽しい楽器なんだろうな」って。ドラムは授業でも習って、学校の中で組んだバンドでも叩くようになりました。ドラムボーカルで3ピースのロックンロールバンドをやっていたんです。

――変わった名前のバンドでしたよね?

はな:江戸サリ番長(笑)。最初の頃は江戸サリバンSHOWで、ちょっと経ってから江戸サリ番長に変えたんです。この前、家で探したら英樹とやっていたメタリカのコピーバンドの学園祭のポスターも出てきました。

――バンドを組んで楽器を演奏するようになった高校時代は、音楽が急速に大きな存在となった時期?

はな:そういうことになりますね。振り返ってみると一番勉強して、一番成長が早かった時期です。

――高校に入る前までの時期について、「無でした」って前におっしゃっていたのが印象的だったんですけど。

はな:無でしたね(笑)。無だったからピアノのレッスンに行っても、成長する気があるのかないのかわからない感じだったんだと思います。でも、上手くできないと、レッスンの場で無言で泣いていたんですよ。だから成長したい気持ちはあったんでしょうけど。


――高校に入ってからは歌も好きになっていました?

はな:まだそこまで好きという感じではなかった気がします。嫌いではなくてカラオケに行ったりもしていましたけど、高校の頃は楽器の方が興味がありました。

――高校の時点で、管楽器以外は演奏するようになっていたということですね。

はな:はい。ベースはまだ弾いていなかったですけど。

――高校を卒業してから結成してメジャーデビューした「アルメリア」でベーシストになったという展開は、なかなか不思議です。

はな:メンバーだった英樹に「きっとできるよ」って言われてベースを弾くようになったんです。

――高校時代に始めたドラムも、すぐに上達しました?

はな:わりと8ビートとかはすんなり叩けるようになりました。でも、ちゃんと研究しないと足腰を壊しそうだなとは思っていましたね。だからGacharic Spinに入った時は、「じっくり練習しよう」って思いながらのスタートでした。ガチャピンの前にKOGAさんと遊びでやっていた「平安」というバンドでもドラムは叩いていたんですけど。

――高校を卒業してからは、専門学校で音楽の勉強をしたんですよね?

はな:はい。そこで初めてパソコンを使った打ち込みをするようになりました。

――バンドに関しては「アルメリア」の後に「The Spade 13」でもベーシストとして活動して、その後がGacharic Spinでドラマー。そしてドラムボーカル、ギターボーカル……っていう変遷がドラマチックです。

はな:映画にできそう(笑)。

■Gacharic Spinで本格的にドラムに

――Gacharic Spinでは、ずっとドラマーでしたよね。ドラムに関しては、どういうこだわりを持ってきました?

はな:最初は見た目からでしたけど、高校の頃からTAMAのハードウェアの頑丈な安定感が好きでした。だからペダルとか細かい部品は、当時からTAMAのものをたくさん使っていましたね。スネアに関してはパワーダウンしちゃうのかもしれないですけど、ずっと13×4、ちょっと小さめのものを使っていました。ボスボスした音になるのが嫌だったり、そういうこだわりは昔からありました。


▲人生初、自分で買ったドラム

――スネアのシェルの好みは?

はな:スチールです。木よりもパーン!って鳴るのが好みでした。


▲日本では珍しいノースドラム

――Gacharic Spinではアクリルのドラムセットを叩いていましたよね? LEDが光るやつ。

はな:あれはラディックのドラムセットですね。でも、叩くスネアはアクリルではなかったです。

――2バスを叩いていたこともあったと記憶しているのですが。

はな:DOLL$BOXXでTAMAの2バスのセットを叩きました。2バスは22インチ。それ以外ではツインペダルが基本でしたね。DOLL$BOXXも最初は1バスで、たしか『良い子の日』(※2018年4月15日にTOKYO DOME CITY HALLで行われたTOUR 止まらない 2018 FINAL ~良い子(415)は真似しないでネ~)の時に初めて2バスを叩いたんです。「2バスとツインペダルって全然違うから大変だよ」って脅されていたんですけど、意外と大丈夫でした。良い意味で鈍感なのかも(笑)。


▲寺田リックスピンやDOLL$BOXXで使用。主にレコーディングで使用していた。

――(笑)。ドラマーってセッティングの角度とかに敏感な人が多いですけど。

はな:スネアに関してはそういうのが少しありますけど、昔より何でも平気になっていると思います。今はゆったりとドラムやギターボーカルの練習ができるようになっているので、上手くなっているんです。だからそうなってきているんでしょうね。

――ドラムに関しては、Gacharic Spinでのドラマー時代の後半辺りで改めて勉強していましたよね?

はな:活動9年目辺りですね。そこで初めて先生からちゃんと習って、フォームを180°変えました。独学でやってきて間違っていたことをそこで矯正したんです。

――ダイナミックなドラムプレイと歌をずっと両立させていましたけど、あれは並大抵の人にはできないことだったと思いますよ。

はな:やればみんなできると思います。

――無理です!(笑)。

はな:体力さえ付けばできると思います。苦しいは苦しいんですけどね。

――もともとはドラムだけだったのが、途中からドラムボーカルになったわけですけど、最初からすぐにできました?

はな:最初はひどいものでした。体力も足りないし、ドラムも歌もどっちも不安定になっちゃうし。


――海外公演でドラムボーカルのスタイルを固めていったんですよね?

はな:海外に行く前にサポートボーカルツアーで日本国内を回っていた時期もちょっと歌っていました。そのちょっとでさえ結構大変で、「ドラムボーカルって大変なんだなあ」って。その後にフランスを回りながら少しずつ成長していって、「もしかしたらこれで行けるかも」ってなっていった感じでした。

――ドラムに関してはTAMAからオリジナルのスティックが発売されていますが、これのこだわりはどの辺りですか?

はな:見た目のかわいさもそうなんですけど、ナイロンチップで、音圧が大きいバンドの中でもライドシンバルとかの細かいフレーズが抜けるようにしています。太さに関しては太くも細くもないくらいですかね。太い方が重みでパワーを出せたりするんですけど、歌も歌わなきゃいけないので、あんまり振り回されるのは嫌なんです。


――yuriさんは学生の頃にはなさんモデルのスティックを買ったことがあったみたいですよ。色がかわいかったので買ったらしいです。

はな:それはありがとうございます(笑)。水色は多分、今のところ日本では誰もいないと思います。海外にはあるのかもしれないですけど。

――ドラムのセッティングなどに関しては、大切にしていることはありますか?

はな:私は歌も歌うので、メインのシンバルは伸びは良いけどうるさくないものをセレクトしています。Kジルジャンですね。ハイハットもそうです。アンサンブルのことを考えてシンバル類を選ぶ人もいると思うんですけど、私の場合はマイクの被りも考えないと音がうるさくなっちゃうんです。聴いている人にとってうるさくならないようにしています。

――第5期のガチャピンになってからドラムを叩く機会は少しレアになってきていますけど、久しぶりに叩いてみるとどんな感覚ですか?

はな:おもちゃに触っている感じですね。昔以上に楽しいです。叩くフォームを変えちゃったし、違う楽器に触っている感覚になっているから、新しいし、楽しいです。第5期のメインの形はギターボーカルですけど、これからもたまにドラムを叩くかもしれませんよ!?

――第5期になってからの変化は、プレイのフォーム以外に何かあります?

はな:ビーターをちょっと重くしました。今まではパワーで踏んだり叩く感じだったんですけど、今は振り子を意識するような感覚でやるようになっているので、ビーターの好みもそうなっていますね。

◆インタビュー(2)へ
この記事をツイート

この記事の関連情報

*

TREND BOX

編集部おすすめ

ARTIST RANKING

アーティストランキング

FEATURE / SERVICE

特集・サービス