“奏でる”闘争心の成層STRATA(デトロイト)レーベルを読む

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「その場所にとどまることも才能だ」。

写真家ジャン・バプティスト・モンディーノの発言は示唆に富む。それはデトロイトという街からジャズやソウルやロックやパンクやテクノの才人、奇人が輩出されたことを知っていれば理解しがたいものではないだろう。彼らが“その場所にとどまる”ことにした理由は個々違うだろうから一律には名言できない。だが行動はみな共通していた。聴衆をアジテートしカリスマの美学をつらぬく。たったこれだけで文化を開き、歴史を刻んだ。

◆『STRATA RECORDS - THE SOUND OF DETROIT REIMAGINED BY JAZZANOVA』 関連動画&画像


STRATA(1969〜1975年)の主宰者ケニー・コックスもデトロイトに生まれデトロイトに根を張りデトロイトの土に還った(2008年没)。ピアニストでもある彼はBLUE NOTEから二枚のアルバム『Introducing Kenny Cox And The Contemporary Jazz Quintet』(1968年)、『Multidirection』(1970年)をリリースしている。通例に従えば、録音場所は“アルフレッド・ライオン(社長)の目が届く”ことが条件だが、二枚のマスターテープにマンハッタンの住所はない、デトロイトのスタジオが代わりに記されている。

『Multidirection』の三年後、STRATAからの第一弾として自身のアルバム『Location』をリリース、そこにも想像力をかき立てられる文字(Location=位置)が並ぶ。それをしてデトロイトと解することが局地的であるなら、広義的には、自分たちの音楽・文化的境位を示すものとも解釈でき、おのずとそれはレーベル名“STRATA”にも結ばれる。亡きケニーに代わってSTRATA再興プロジェクトを監督するアミール・アブドラ(BBE MUSIC/180 Proof Records)が説明する。「社会階級、教育、地層などが一般的だが、ケニーはデトロイトの音楽・文化の層という意味合いをもたせていた。 “The Sound of Detroit”(副題)にはそういう理由がある」。

“デトロイトの音”——ケニーはなにも大見えを切っているわけではない。STRATAには歴史に裏打ちされた真実が、“声なき音”“音なき声”となって作品化されている。自動車産業繁栄の鐘も聞こえてくれば、1967年デトロイト暴動の咆哮もある。耳に心地よいものからそうではないものまで、緊密の序破急が織りなす一幅の絵がSTRATAの強固なメッセージをあざやかに染め出す。

この4月、ジャザノヴァ(ドイツ)が手掛けたリミックスワーク『STRATA RECORDS - THE SOUND OF DETROIT REIMAGINED BY JAZZANOVA』によって長い眠りから覚めた1975年のオリジナルソース『Saturday Night Special』(ライマン・ウッダード)が、まさにそう呼ぶにふさわしい。世界中のヘッズたちが夢中になるのもむりはない。

「このアルバムには言葉にできない神秘的でヴィンテージな匂いがするんだ。映画のサントラのようで、ブラックスプロイテーションが盛んだった70年代にタイムスリップするような感覚にみんなヤられてしまうのさ」。

収録曲「Creative Musicians」では創造神を信じ、地に足をつけ人生の本質について歌われている。その教訓はデトロイトでの日々から生まれたに違いないが、アートに昇華した瞬間、国境を越えわたしたちの胸にすんなり降りる。ベルリンに住むジャザノヴァにリミックスを依頼したのもそのような理由があるとみていい。

「プロジェクトの草案は十年前からあったんだ。ただ現実問題、資金のやりくりに相当時間がかかってしまった。当初こそデトロイトへのこだわりはあったさ、みんなが知っている地元のDJに声をかけるというアイディアがね。でもジャザノヴァにお願いしたのは正解だった」。

アミールは2018年に生活拠点をニューヨークからベルリンに変えていた。短絡的にみればそれが端緒になったのだろうが、いっぽうでは運命だったともいえる。彼らにオファーしたのはコロナ禍に入ってからだったが、文化助成団体に資金調達の申請をした際、この社会災害がかえって有利に働いた。「ここまで手厚い支援はアメリカにはない、残念なことだ」と肩を落とすアミールの背後には、祖国の文化遺産が欧州、日本で先に再評価されるという近年の文化現象すら映し出されている。


音楽では輝かしい物語を描いてきたデトロイトも、視点を転じれば厳しい現実ばかりが目につく。自動車産業の衰退以降、斜陽都市の象徴となってひさしい。2013年には巨額の負債を抱え財政破綻を宣言、さらなる追い討ちをかけられる。新世代の起業家が“新たな金脈”を探るといった明るいニュースも届けられるが、実際に復興までは道半ば。「現実はかなり厳しい」(アミール)。

その“現実”はもうひとつの現実も引き出す。アミールがニューヨークを離れたのも物価の高さが原因だったが、スーパーのレシートがすべての問題を教えてくれるとはかぎらない。トランプ政権以降、国民間の分断・対立が加速し、民主主義の根幹が揺らぐ。見えにくい圧力ほどやっかいなものはないだろう。

それでも右に左にと吹き荒れる星条旗は、このまま多民族国家の道を歩きつづける以外に選択肢はない。STRATAはその史実を何十年もまえからあきらかにしてきた。

「“デトロイトの音”というのは肌の色を限定するものではないんだ。それが証拠に、STRATAのアートディレクターであるジョン・シンクレアと(彼の夫人でもある)カメラマンのレニはホワイト・パンサー党として人種差別に立ち向かう同盟者だった」。

ジョン・シンクレアの経歴といえばまずMC5のマネージャーであり、つぎにホワイト・パンサー党(活動家集団)の創設者。そしてFBIの監視の末、無法に収監されたシンクレアに対し、解放を唱えたジョン・レノンが「John Sinclair」という曲を書き歌った。ここまではよく知られた話だが、STRATAとの深い関係があったことまで多くは語られていない。

同時にこうした情報は、シンクレアを通してSTRATAというレーベルの哲学を読み解かせる。アミールの言にあるように、STRATAにはライマン・ウッダードをはじめラリー・ノゼロ(アルバム『Time』)のような白人ミュージシャンが参加していたが、それは同地のTRIBEや姉妹関係にあったSTRATA EAST(ニューヨーク)のような類似レーベルにはみられない方向性だった。


ジャズの歴史が黒人だけで語られるロジックも歪んでいるが、個人であることからすべてがはじまるジャズの世界にあって、STRATAはそのテーゼをもれなく体現していたことになる。チャールス・ムーアという黒人トランペット奏者の例がわかりやすい。彼はアラバマからデトロイトに移りケニーのグループに合流するが、その間シンクレアと邂逅、彼の薫染を蒙った。MC5のラストアルバム『High Time』(1971年)に参加し、「Sister Ann」という修道女の曲では歌(コーラス)まで披露している。奇妙なロックンロールで、プロトパンクのサビついたギターが、終盤ソロをとるムーアの金の管に呑み込まれていくようなドラマを辿る。それはアミールがSTRATAのミュージシャンについて述べた評言「“奏でる”闘争心」を引き寄せるようでもある。

インタビュー・文=若杉 実


『STRATA RECORDS - THE SOUND OF DETROIT REIMAGINED BY JAZZANOVA』

2022年4月20日(水)
BBE MUSIC / 180 PROOF
OTLCD2600 ¥2,300+税(ボーナストラック、日本語解説付き)

◆BBE Music オフィシャルサイト
◆180 Proof オフィシャルサイト
◆ジャザノヴァ オフィシャルサイト
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