【インタビュー】BREAKERZ、15周年の起承転結を語る「前しか見てなかった。奇跡だなって思います」

ツイート

■やっと立てた!っていうよりも
■このまま武道館まで突っ走ろうぜ!って

──月日を重ねて、進化や成長を遂げていったBREAKERZですが、初期はやっぱりギラギラしていたと思うんです。今振り返ると、尖ってたなと思うエピソードはありますか?

SHINPEI:僕は、“ロックンローラーはレザーのデカいバッグだろ”と勝手に思ったので、バッグの中にダンベル入れてスタジオに行ってました(笑)。だから、めちゃくちゃバッグが重かったですよ。アクセサリーもムダにジャラジャラつけて、それが自分のスタイルだって思ってたんです。

DAIGO:SHINPEIはまっさらな状態から始まったからね。もともとB'zさんが好きで、ギターが好きだったんだけど、スタイルに関しては模索してたんですよ。それでサングラスをかけたり、エクステつけたり。あと、いつもビスコを持っているキャラクターだった(笑)。

SHINPEI:確かにビスコは買ってましたね。

DAIGO:それを謎に配るっていう……若さですよね(笑)。

──黒いレザーバッグを持って、アクセサリーを大量につけてるのに?

DAIGO:そのギャップね(笑)。当時はいろいろなことやってた。

AKIHIDE:面白かったですね。

DAIGO:SHINPEIの吸収力はまるでスポンジのようなんですよ。すぐに自分のモノにするというか。だから、いちばん伸びしろがあったのはSHINPEIですね。


▲AKIHIDE (G)

──DAIGOさんも尖っていたと思いますが、竹下登元首相のお孫さんであることを解禁したことも大きかったですか?

DAIGO:そうですね。BREAKERZはいろいろなキッカケがあって、みなさんに聴いてもらえるようになりました。だけど、僕とAKIHIDEさんは、終電にようやく間に合った感覚でしたよね。

──なるほど。

DAIGO:尖っていたエピソードとはちょっと違いますが、当時はライブがすごく長かったんですよ。自分たちがやりたいから“もう1曲、もう1曲”って何曲もアンコールを追加しちゃうみたいな。あれはちょっと若かったなと思います。

AKIHIDE:トリプルアンコールとか普通にやってましたからね。

DAIGO:ライブハウスで普通に3時間ぐらいやってたから、お客さんも疲れてたんじゃないかな(笑)。楽しかったですけどね。

──それぐらいファンに曲を届けたかったわけですよね。

DAIGO:遅咲きってそうなりがちなのかもしれない(笑)。少しでもファンの方々と一緒に長く過ごしたいっていう想いが強かったんです。「ライブが長い」ってスタッフさんからも言われていたんですけど、「俺たちのやり方だから」って貫き通してました。あの頃があって今があるから後悔はしてないですけどね。ライブ終わってるのに6曲ぐらいやったこともありましたよね?

AKIHIDE:そう。セットリスト上は終わってるのに。

DAIGO:燃えちゃってね。

AKIHIDE:会場も盛り上がってましたね。

──AKIHIDEさんが振り返って思うことは?

AKIHIDE:尖ってたとは違いますけど、当時はミュージックビデオの撮影時間が長かったんですよ。僕らにもいろいろなアイデアがあって、それを具現化しようとしてくれるスタッフさんがいて。「WINTER PARTY」と「Angelic Smile」(2008年発表)のミュージックビデオは24時間以上かけて2曲分を撮りましたからね。今はあんな撮影はできないなと思いますね。それと結成当初は僕とSHINPEIはライブでしゃべらないスタイルだったんですよ。いつからしゃべり始めたんだっけ?

DAIGO:ライブやり始めて2ヶ月ぐらいしたら、もうしゃべり始めてましたけどね(笑)。我慢できなかったんでしょうね。当時の社長が「2人はあまりしゃべらないようにしよう」と言ってたんですけど。

AKIHIDE:今は3人ともしゃべりたくてしょうがない(笑)。


▲『BREAKERZ BEST -SINGLEZ-』初回限定盤

──はははは。さっきの長かったライブの話に象徴されるように“やってやるぞ”感があったんでしょうね。

DAIGO:そうですね。2007年8月にSHIBUYA BOXXでライブ始動して、2009年7月には日本武道館でワンマンをやっていたので、結成2年で、巻きで駆け上がっていった感覚はありました。SHIBUYA O-WEST、恵比寿LIQUIDROOM、SHIBUYA -AX、Zepp Tokyo、渋谷公会堂、ってバンドとしてステップを踏んだ上での武道館だったんですが、なかなか、ああいう勢いは体感できないと思うんですよ。バンドをやっていても叶わないことは多々あるので、追い風みたいなものを感じていたのが、その頃ですね。

──2009年3月には初の全国ホールツアーを開催し、アニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマに起用された「Everlasting Luv/ BANBINO 〜バンビーノ〜」がヒットして初の日本武道館ライブを開催。その後、4年連続で武道館のワンマンステージに立っています。このあたりを起承転結の“承”とすると、日本武道館という一つの大きな目標が達成できた年だったのでは?

DAIGO:そうですね。アルバムとかミニアルバムをリリースしてきたBREAKERZが、2008年にやっとシングル(「SUMMER PARTY/LAST EMOTION」)を発売して念願のチャートTOP10に入って。早いペースでリリースして『名探偵コナン』のテーマ曲を作らせてもらえるようになった。そこから一気に武道館公演でしたからね。武道館は本当に特別な場所で、僕が憧れていた氷室京介さんがBOØWY時代に「ライヴハウス武道館へようこそ!」って名言を残した場所ですし、そこに単独で自分たちが立てることがすごく嬉しかったです。今、振り返るとイケイケだったなって気はしますね。

──イケイケな時の心境をもう少し教えてください。

DAIGO:“やっと立てた!”っていうよりも、勢いに乗ってるから“イケるだろ”みたいな。成功するかな?っていう不安はなかった気がしますね。“このまま武道館まで突っ走ろうぜ!”って。

◆インタビュー【3】へ
◆インタビュー【1】へ戻る
この記事をツイート

この記事の関連情報