【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.140「音楽の日に沖縄を思う」

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7月16日にTBSで放送された『音楽の日2022』の最後に、MONGOL800が「琉球愛歌」を歌った。「忘れるな琉球の心 武力使わず 自然を愛する」という歌詞が響く歌だ。



まさかこの曲を大々的な民法番組で聴ける日がくるとは。そんな思いを抱いた人が日本列島にごまんといたのではないだろうか。ほかにも、モンパチに対するWANIMAのリスペクトがつないだセッションや、安住アナウンサーの中居愛も微笑ましい見どころだったが、25年ぶりに同局に出演した矢沢永吉をさしおいてまでモンパチのこの曲が大トリに選ばれたのには2022年5月15日に沖縄が本土復帰50周年を迎えたことが少なからず関係していると思われる。

関東地方で生まれ育ち、沖縄本土復帰後に生まれた私にとって、沖縄はとても遠い存在だった。10代後半まで接点なく過ごし、バイトしたお金で好きなバンドを追っかけ回していた頃に初めて沖縄の地を踏んだ。

ライブ前にひめゆりの塔へ行くことになり、友人らとタクシーに乗った。その道中、運転手の方から「あんたがた内地の人間のせいで沖縄が戦地にさせられた。多くの人が死んだのはあんたらの先祖のせいだ」とぴしゃり言われた。本当に突然のことだった。

浮ついていた自分に投げかけられたその言葉の威力は凄まじく、只々絶句したのはよく覚えているが、観たはずのライブ含めその日のことはよく思い出せない。90年代後半だったと思う。20年以上経った今も忘れられない経験だ。

その日から、私は沖縄について学ぶことに積極的になった。同じ国にあっても自分の故郷とは大きく異なる歴史を持つ沖縄をもっと知りたい、知るべきだと思ったからだ。さらに20代ではスキューバダイビングにのめり込んだこともあって、大自然とそれぞれの島特有の空気感、異文化に魅了され、毎年のように島へ通い、その地の人たちと語らい、時には宿泊させてもらったりして徐々に沖縄との関係を自分なりに築いていった。


その時期、20代前半で音楽ギョーカイに入った頃ほどなくMONGOL800を知った。うろ覚えだが、当時のボスがバンド獲得に向けて沖縄に通っていた頃に同僚から音源を聴かせてもらったような気がする。結果、ボスはフラれてしまったので仕事での縁はなく残念だったけれど、個人的に『GO ON AS YOU ARE』は本当によく聴いていた。

当時、THE BLUE HEARTSやTHE ↑THE HIGH-LOWS↓、Hi-STANDARDの音楽は身近にあったけれど、それらのバンドに台頭できるような同世代のパンクバンドは日本に存在していなかった。だからこそ、これほど純粋で、どストレートなロックを奏でるミュージシャンが自分の世代から出現したことに喜びと誇りを勝手に感じていた。それから1年も経たないうちに名盤『MESSAGE』(2001年)がリリースされ、作品の大ヒットとともに、MONGOL800の名は全国区に轟くこととなった。2000年以降、資金源を豊富とする会社のバックアップを一切受けずに莫大なセールスを叩きだすという快挙を成し遂げた、アメリカンドリームならぬ、ジャパニーズドリームが存在することを体現した、真に稀有なバンドである。

今回の放送では、2019年のメンバー脱退を経てもなおバンドとして存在し続ける彼らが、沖縄本土復帰から50年が経った今、25年前にリリースした故郷・沖縄を歌う楽曲を通して世に広く問いかけた格好となった。尊い演出だった。

それからもうひとつ。「琉球愛歌」を日々聴いていた25年前よりも心に響いたフレーズもあった。「自分を捨てて誰かのため 何かができる」という歌詞だ。

これまでの自分は、あの日、ひめゆりの塔付近で出会ったタクシー運転手の言葉によって、過去を知ることが自身の課題と捉えていたのだけれど、子を持つ身となった今は自分よりも息子が大切で、何事も次世代への事実の伝承がとても重要と感じている。ただ、私の幼少期とは違い、令和を生きる息子にとって沖縄はすぐそばにあるようだ。


この春、9年ぶりに沖縄の八重山諸島を旅したのだが、その旅以降、家で沖縄出身アーティストの音楽を聴くことや、沖縄について語らうことが急激に増えた。それ以外にも、「オジー自慢のオリオンビール」を隣のクラスが歌っていたのに自分のクラスでは歌えていないと腹を立てていたりする。園児時代に運動会で踊った「U.S.A.」が流れれば今でもどこでも踊り出すし、2018年のフジロックではモンパチを共に観ることもできた。先の番組もしかりで、いい時代だなと思う。この先も平和を願い、音楽の力を借りて自分にできることをしていきたい。

文◎早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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