【インタビュー】元ZIGGYの大山×元WILD STYLEの有待によるShammon、本田兄弟を迎えて22年ぶり新作発表「キャリアを全うして死にたい」

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元ZIGGYの大山正篤(Dr)と元WILD STYLEの有待雅彦(Vo)が1998年に結成したユニットがShammonだ。心に染みるポップスロックを核にしたエモーショナルな音楽性や、コンポーザー/プレイヤーとして秀でたスキルを備えたふたりは、上質な大人のロックを聴かせる存在として2020年、<Shammon RS20>なるライヴタイトルを掲げ、コロナ禍の中で攻めの活動を続けている。

◆Shammon 画像

「ゆりかご」は'90sミュージックが持つ普遍的な魅力を打ち出した彼らの最新シングルだ。サポートを務める本田毅(G/PERSONZ)、実弟の本田聡(B/サトホンドットコム / Rittz)がレコーディングに参加したことも注目に値する。結成からマイペースな活動を行っていた彼らが、再び攻めのモードに転じた理由はもとより、出会った当時を振り返ってのエピソード、2000年のアルバム『Shammon』から22年ぶりのシングル、レクイエムとして制作したという楽曲「ゆりかご」に込めた思いを軸としたロングインタビューをお届けしたい。

   ◆   ◆   ◆

■そろそろキャリアも終わりになる
■もう一回きちんとやりたいと話しました

──大山さんと有待さんのおふたりはどんなふうに知り合って、Shammonを結成されたのでしょう?

大山:俺は1998年に、ISSAY(Vo)君、広瀬“JIMMY”さとし(G)さん、HAL(B)さん、俺の4人で“新しいバンドをやろう”ってプレライブを下北沢で開催したことがあったんだ。そのライブを有待が観に来ていたんだよね?

有待:そう。僕はJIMMYさんが観たくて行ったんです。そうしたら、“あっ、ZIGGYの大山さんがいる!”と(笑)。ライブが終わった後、打ち上げにお邪魔させてもらったんですけど、一番怖そうじゃない大山さんの隣に座って。「ZIGGY、聴いていました。僕も歌っているんです」と挨拶させてもらって、割箸の袋紙に自分の電話番号を書いて渡したんです。そのときはそれっきりだったけど、1年以上経ってから大山さんから電話が掛かってきたんです。

大山:俺がLaputaというバンドのプロデュースをしていたときに、ヤギハシカンペーさんというマニュピレーターでキーボーディストが来ていたんだ。そのカンペーさんと一緒に仕事をしていたら、彼がすごく俺のことを気に入ってくれて、「大山君を僕がプロデュースしたい。メーカーもすぐに決められるし、事務所もいいところがあるから」という話になった。「でも俺、歌えないっスよ」と答えたら、「いや、歌は別に入れますから」と言われて、「なんだよ」っていう(笑)。俺は歌う気満々だったから(笑)。その話が出たとき、“何年か前にイケメンのボーカリストに連絡先をもらったような気がするな”と思って、財布を探したらあったんだ。

──箸袋が、ですか?

大山:そう(笑)。「試しに電話してみましょうか」と言って電話したら、偶然にも有待がすぐそばで飲んでいたんだ。三軒茶屋だったよね?

有待:そう。三軒茶屋で飲んでいたら、電話がかかってきた。

大山:「今から来れる?」と聞いたら「30分くらいで行きます」と言って来てくれて、そこからはトントントーン!と話が進んだ。有待の歌をちゃんと聴いたことはなかったけど、WILD STYLEはカメリアダイアモンドのCM曲をやっていたから。ということは、そこそこ歌えるだろうし、大丈夫だろうと思ったんだ。そういう流れで、1998年にShammon(当時はSham-on名義)を結成したんだ。


──おふたりの縁を感じます。最初からバンドではなく、“ボーカルとドラムのユニットをやろう”ということで話は進んだのでしょうか?

大山:うん。俺は当時30代後半で、今となっては笑っちゃうけど結構焦っていたんだ。これからギターを見つける、ベースを見つける、みたいなことをしていたら、“あっという間に40歳になっちゃうよ”、“40代のロッカーなんてダサいよ”と思っていた、当時は。だからユニットでいいじゃんと。実際ユニットも増えてきていたし、俺と有待はふたりとも曲も詩も書ける。キーボードはカンペーさんがいるし、ギターとベースはサポートでいい。ユニットということに全く抵抗感はなかったね。

有待:僕もバンドにこだわりはなかった。ミーハーだったから、ZIGGYの大山さんと一緒に音楽をやれることが嬉しかったし、ドラムとボーカルのユニットというのは当時いなくて、珍しくていいんじゃないかなというのもあった。だからユニットでいいというか、ユニットがいいんじゃないかなと思いました。

──たしかにドラムとボーカルのユニット自体が個性といえますね。Shammonを結成した時点で、目指す音楽性も見えていたのでしょうか?

大山:音楽性は見えていなかった。俺は有待に「どういう音楽が好きなのか?」って聞いたんだよ。そうしたら「ウィンガーが好き」だと言ったから、それは聞かなかったことにして(笑)。俺的にウィンガーとかはなかったから。俺の中には絶対に湿り気は出していきたいというのがあって、カラッとしたLAメタルみたいな路線はダメだなと思っていたんだ。ぶっちゃけね、演歌ロックでいいなと思っていた。ポップス演歌ロック。水商売の女の子が仕事が終わって家に帰ってきたときにラジオとかからShammonの曲が流れてきて、“ああ、なんかこの曲染みるな……”みたいなものをやりたかったんだよね。

有待:僕もそういう路線はいいんじゃないかと思っていたんです。だから、音楽性について深く話し合わなくても自然と固まっていきました。

▲シングル「ゆりかご」

──演歌ロックや歌謡ロックは難しい部分があるかと思いますが、Shammonのサウンドは洗練されていて、すごくいい形で提示されていますね。では、ここまでの話を踏まえて、8月24日にリリースされるニューシングル「ゆりかご」について話しましょう。まず新作としては、2000年リリースのアルバム『Shammon』以来、22年ぶりとなります。

有待:このタイミングでシングルを出すことにしたのは、2年くらい前、“自分はずっと歌ってきたけど、そろそろキャリアも終わりになるな”と思ったんです。ここ数年のShammonはマイペースで活動してきたけど、最後になりそうだから、「もう一回きちんとやりたいです」という話を大山さんにしました。

大山:それまでは2人だけのShammon(Z)名義によるアコースティックライブを年に何回か実施していたんだけど、有待が「バンドスタイルでライブをやりたい」と言ってきたんだ。

有待:ミュージシャンとして当たり前のことをちゃんとしたいなと思ったんです。だから、バンド形態でライブをやりたかったし、メンバーも「ずっとサポートをしてもらっている本田毅さんと弟の本田聡さんにお願いしたい」と言いました。それで、じゃあやろうということになったけど、その矢先にコロナが起こってしまったんです。2020年5月に予定していた初回ライブも、コロナ感染が拡大していたから悩んで悩んで、結局飛ばすことにした。そうしたら、大山さんに「ヘタに有待がやる気を出したから、世の中がこういうことになった」と言われました(笑)。

大山:ははは! 有待はダミアンだから(笑)。彼がやる気を出すと、ろくなことがないんだ(笑)。

有待:コロナも僕のせいになった(笑)。コロナが起こってしまったけどライブをしたくて、配信ライブを重ねていったんですよ。そういう中で「アイテムを作ろうか」という話になって、そのときに「俺、曲がある」と言ったんです。“♪ラララ~”で歌ったデモを大山さんに渡したんですけど、それが今回のシングル収録曲「パステルの石畳」です。

大山:俺は音源を作る気はなかったけど、今までリリースしたアルバム2枚分(Sham-on名義含む)の曲だけで何度かライブをすると飽きてくるんだよね、ミュージシャンの性として(笑)。

有待:“レパートリー、少なっ!”っていう(笑)。

大山:そうそう(笑)。だから、新譜を作ることには賛成だった。“音源を作るなら俺も1曲あるな”ということをふと思い出して、シングルを作ることにしたんだ。

有待:そうやって2曲が揃って、僕の曲を大山さんがリアレンジしてくれて、ライブと同じメンバーでレコーディングしました。

──音源にも本田兄弟のお二方が参加されているんですね。彼らとはどんなふうに知り合ったのでしょう?

大山:もともとは俺だね。俺は19歳で東京に出てきて、その頃いつも新宿LOFTに溜まって遊んでいたんだけど、そこでタケちゃん(本田毅)と知り合った。当時から仲良くしていて、Shammonを始めたときも「ギターを弾いてよ」とお願いしたんだ。タケちゃんはShammonを気に入ってくれているし、ギターアレンジに関してもう天才というか、本当に信頼できる。だから、いつもギターレスのデモを「煮るなり、焼くなり、好きにして」って渡すと、完璧なものが返ってくる。今回もそういうやり方で2曲ともギターパートは彼が考えてくれました。

──肩書はサポートですが、ほぼメンバーのような存在といえますね。

大山:そうだね。

◆インタビュー【2】へ
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