【対談】椎名慶治×田澤孝介が語る、<VOCAL SUMMIT>と歌い続けるということ「闘わなあかん」

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■やってきたことが丸っきり通用しなかった
■“ホンマや…俺、全然上手ないわ”と

──おふたりとも'90年代から音楽活動を始めて、長いキャリアを積み重ねてこられました。ヴォーカルスタイルのターニングポイントを挙げていただくとすると、いつになりますか?

椎名:僕はSURFACEでのデビューが'98年で、その年の11月に出した3rdシングル「さぁ」は、自分のもともと持っていたレンジ感を越えてしまってキーが高すぎる曲だったんですね。ファルセットではなくて地声で“D”の音を出さなきゃいけない。僕のトップ(音域の中で出せる最も高い音)はそんなに高くないのに、そこまで出さなきゃいけない曲を自分でつくったおかげだったり、なおかつ曲がヒットしたおかげだったりで、テレビで歌うことになり、ライヴで披露することになり。その時に何が起こるか?というと、喉を壊すんですね。デビュー翌年の'99年にはもう喉を壊して入院。僕のターニングポイントはまずそこですよね。

──ものすごい試練ですね。

椎名:はい、いきなり。“明日もライヴがあるから、今日はこのぐらいで抑えておこう”とか計算するよりも、“今日で喉が壊れてもいい”というガムシャラなスタンスでいくほうがカッコいい、とは今でも思うんです。でも、それを本気でやっちゃダメなんだなって。“どこかで冷静な自分もいる中で、それでも楽しんでいる自分が必要なんだ”ってことを、デビューしてたった2年で思い知らされたのが、ひとつ目のターニングポイント。二回目のターニングポイントはSURFACEの解散(2010年)。12年の活動に終止符を打ったことは大きな変化でした。そして三回目は、JET SET BOYSというバンドを組んだ時。このバンドではBARKSさんにもすごくお世話になったんですが、BOØWY の高橋まこと(Dr)さん、REBECCAの友森昭一(G)さん、LÄ-PPISCHのtatsu(B)さんというすごいメンバーに囲まれて、生音だけの音圧が凄まじいバンドサウンドの中で、それに負けないヴォーカルスタイル──それまでの自分のスタイルとは違って、腹から声を出すやり方を学んだのがそこでした。だから、僕にとってはヴォーカルのターニングポイントは三回、変えなきゃいけない/変わらなきゃいけないというタイミングがありましたね。

──その都度、メンタル的な辛さ、不安もありましたか?

椎名:それはもちろんあります。単純に喉を壊した時が一番不安でしたよね。デビューしてすぐ売れたのに、翌年すぐ休まなきゃいけない。夏から15本ぐらいのツアーが予定されていたのに、飛ばすしかなかった。その負債とかも含めて、やっぱり23歳には抱えきれなかったですね。辞めようと思った時もありましたし、“もうこれで終わるんじゃないか?”とか、すごく考えていました。以降も売れる/売れない問題というのはずっと付きまとっていますけど、あの時を超える不安はそれ以降なかったです。


▲田澤孝介(Rayflower / fuzzy knot)

──逆に言うと、すごく早い時期に大きな困難に直面したからこそ、得られた強さもあるんでしょうか?

椎名:だからこそ、今いられるのかもしれないですよね。

田澤:いやぁ、すごい。結局、“辞めないでいる”というのはもう才能なんですよ。今、“自分ならどうだっただろう?”と想像しながら話を聞いていたんですけど、たぶん辞めてるはず。“神様は乗り越えられない試練を与えない”とかよく言うじゃないですか? あれは結構マジなんですよ。僕もどちらかと言うと、“今日声が出なくなってもいいから全力を出そう”と思っていたし、Waiveの初期の頃は、まさにそう。その日のライヴをなんとなく乗り切るようなことはしたくなかった。アンコールの最後の曲なんてたぶん、それまでに声が枯れてしまっていて、ちゃんと歌い切れたことないんじゃないかな。「いつか」という曲ができて以降は特になんですけど、その曲がラストナンバーのセットリストだと、丸っと歌い切れないんですよ。それでもいいと思っていたんですよね。

──ペース配分するよりも常に全力で。

田澤:ただ、そういう気持ちを持った上で、最初から最後まで予定されているプログラムを“まずはちゃんと見せる”というアベレージを保つことが、エンターテイナーとしてのプロのお仕事じゃないか?と気付いた。それはわりと最近のことで、ここ10年ぐらいかな。だから、与えられた試練に比例して収穫があるんだとしたら、椎名さんが23歳でそれを収穫できたのはすごい。それが簡単に乗り切れるものではないということも容易に想像がつくので。人のバックボーンって、こうやって紐解いていかないと見えないじゃないですか? 外側から見ている椎名さんの振る舞い、キャラクターからは微塵も感じさせないけど、その奥にはやっぱり、そうなったバックボーンがあるんですよね。冒頭の話もそうですけど、「期限守らんのがロックや!」と口では言いながら、実はそれは、ロックをそうやって楽しんで見ている人に対してのエンターテインメントの提示の仕方なんですよ。実は一番周りのことを見ているし、バランスを取っている。というところで、椎名さんは生粋のエンターテイナーですよ。僕は、椎名さんとやり取りを繰り返す中でそう感じるようになったんですけど、今、お話を聞いていて、点と点が繋がった気がしました。


椎名:ありがとうございます。俺の話はもういいから、田澤くんのターニングポイントの話を(笑)。

田澤:やっぱり環境が変わった時ですかね(笑)。だから、まずはWaiveが解散した時。

椎名:5〜6年ぐらい活動してた?

田澤:2000年にデビューして2006年に解散なので、BOØWYと同じくらいの活動期間で(笑)。僕にとっては、その後のストロボというユニットが、まず一回目のターニングポイントですね。それまでやっていたことが丸っきり通用しなかった。レコーディングでOKをもらえなくて、ブースで泣いていたくらい。「お前は“上手い”と言われてきたか知らんけど、俺らの要望に応えられへんやつの何が上手いねん?」と言われたんですよ。ブースの中で“ホンマや…俺、全然上手ないわ”と思って。

椎名:うわ、ショックだわ~。挫折感を味わうよね。

田澤:今思い返したら、あの頃は結構やさぐれてたかもしれない。音楽がおもしろくなかったです。とにかくOKをもらうための毎日だったから。でも、 “どうやったらOKをもらえんのやろ?”の中に、僕がヴォーカリストとして伸びるヒントがたくさんあった。その頃“おもんないわ~”と思ってやっていたことの全部が、今に活きている。だからあの頃にあれを経験していなかったら、俺の今はないんですよ。

──そこで辞めずに乗り越えられたのは、“歌いたい”という気持ちが強かったからですか?

田澤:そんなカッコいいものでもなくて。せっかくの機会やから言いますど、 “自分がなかった”のかもしれないです。 “辞めたい”とも別に思わなかったんですよ。だからホンマに自分がなかったんやと思います。逆に自分があったら、 “こんな環境でやってられっか! 辞めてやる!”と言えていたはずなんですけど。そこも自分の弱さでしたよね。

椎名:よく乗り越えたよね。それが何年続くの?

田澤:1年半です。OKをもらうための修業がだんだん実を結んでくるにつれて、まるで洗脳が解けたみたいな感じで気付いたんですね、“俺、無茶苦茶言われてないか?”と。ある時、いわれもないイチャモンを付けられて大喧嘩をしたんですよ。その後、社長に呼び出されて話し合いの場に行くんですけど、自分の中で辞める覚悟が決まっていたのがデカくて。深く自分と向き合った時、“これで無茶苦茶になっても、自分が決めたんだから責任を取れるよな、俺”と思えるようになってからは早かった。“辞める”という意志を貫きましたよね。

椎名:へ~! 本当に、人に歴史ありですよね。興味深いなぁ。

田澤:一回目のターニングポイントでは、覚悟を決めること、歌のいろいろな技術、ブースを盛り上げるとか人を笑わせるための心構えや気概みたいなものは習ったと思います。その時の社長に「お前が笑ってたら場が盛り上がるし、ほっこりさせるような力がお前にはあるから、笑っとったらええねん」と言われたんですよ。それは僕に響いたし、今も残っていて。決して、自分に嘘をついてピエロになるという意味ではなくてね。まぁ結果論ですけど、いろいろと試練を与えてもらったのは良かったなと思います。


▲<VOCAL SUMMIT CLASSICAL>

──ストロボとしての活動の裏にはそんなことがあったんですね。

田澤:そう。ふたつ目のターニングポイントはRayflowerですかね。それまでは声をガッと張るというか、とりあえず力で押している歌い方だったんですけど、Rayflowerはバンドとしての音数がすごく多くて、いわゆる音域に居場所がないというか。要は全部の楽器がずっと鳴ってるから、歌がマスキングされてしまって、力に力で対抗しても負けてしまうんです。だから「どうもヴォーカルが抜けてこないね」という状況が3作品目ぐらいまで続いたんですよ。どうしようかな?と模索していたんですけど、レコーディングをしている時にふと閃いて、「逆をやってみますわ!」と。つまり全く逆のペチャンコの細い声にしたら、その途端に抜け始めたんです。そこからは自然と、力で押すのをやめていくようになりました。

──新たな歌い方を獲得したという感じでしょうか。他のプロジェクトでは力を前面に出した歌唱法も続行中ですもんね?

田澤:そうですね。いろいろなプロジェクトをやっているからこそ、挑戦できたんだと思います。

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