【インタビュー】キズ・来夢、「ライヴをすることで生きていくことを赦される」

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9月上旬の某日、キズのフロントマンであり全楽曲の作詞・作曲を手掛ける来夢と話をした。彼らのライヴはこれまでに二度ほど観たことがあるが、彼自身と直接対面するのは今回が初めてのこと。時期的には8月末に世に出た最新シングル「リトルガールは病んでいる。」の制作背景や、10月9日に控えている東京・日比谷野外大音楽堂でのライヴに関することを訊くべきタイミングではあるのだが、今回はそうした話題にとどまらず多方面に話が及んだ。

というか、ちょっとした相槌から話が膨らんだり、単純な事実確認のつもりで投げた質問からバンドの深層が垣間見えるような発言が引き出されてきたり、といったことが繰り返されることになったのだった。ここから始まる約1万8,000字に及ぶ生々しい会話が、あなたのキズに対する興味が強まる切っ掛けになれば筆者としても本望である。

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■自分にとって何より大切なのは明日もキズができる、キズのライヴができるということ

──去る8月6日に広島、9日には長崎での<再望[Peace begins with…]>と銘打たれたライヴを経てきました。どちらも日本の歴史において特別な日にあたるわけですけど、実際、どのような感触を味わってきましたか?

来夢:まず、その当日に現地に行くことってなかなかないじゃないですか。やっぱりなんかすごい空気なんですよ、街全体が。ライヴをやる以前、着いた瞬間にそれを感じました。式典とかもあるだけに警備の人たちの姿が目についたり、ちょっと物々しいというか、これまでにも行ったことのある広島とか長崎のイメージじゃなくて、その雰囲気にちょっと呑まれそうになる部分というのはありましたね。ただ、ライヴ自体はある意味ホントに普通にやったんです。もちろんMCとかではちょっとそのことにも触れましたけど、特に世界に何かを発信しようとか、そういった意図はなく。

──むしろ普段通りであろうとしたというか、意識し過ぎないように努めたところも?

来夢:そうですね。こっちが意識し過ぎると、それをファンに背負わせちゃうことになるんですよ。もちろん世界は平和であったほうがいいわけですけど、僕はべつにそれを声高に訴えるつもりも政治的なことに触れるつもりもないし、何よりそういうものをファンに背負わせたくないんです。何か思うところがあるにしても、それは自分でだけ背負っていればいいはずじゃないですか。だからいかにもそれっぽいことをやったり、それをコンセプトにしたりというのは良くないなと思っていて。もちろん、そのライヴを経て同じ気持ちになってもらうことはべつに構わないんですけど。

──逆に言えばそうならなくてもいいし、観終わった人たちの感触はそれぞれ違っていて当然だということですね?

来夢:違うのが当たり前だし、その人がどう感じたかっていう答えを聞こうとも思わないです。それを経て、「やっぱり戦争にも必要性がある」と思った人が仮にいたとしても、それはその人にとっての正解だろうと思うし、反戦の姿勢や平和を守っていこうというのももちろん正しい答えだと思うし。正直言うと、以前はあったんですよ、みんなに平和を望んで欲しいという気持ちが。だけど俺らがいくらこんなことをやっていたって、どこかの国ではまだ戦争が続いてたりするわけなんで。自分にそれを変える力はないっていう現実を受け入れて、ライヴに関しては楽しむだけ楽しんで、興味を持ってくれる人には興味を深めてもらえればいいというか。あと、僕がひとつ言いたかったのは、もちろん世界平和というのは大切だけども、自分にとって何より大切なのは明日もキズができる、キズのライヴができるということなんですね。それが自分にとっての平和というか。だから、そこにいるみんなの平和もそうだったらいいな、という気持ちではありましたね。


──来夢さん自身、これまでいろいろな音楽に触れてきて、その作り手自身の生き方とか考え方、思想みたいなものに影響されてきたことはありましたか?

来夢:影響、ですか……。こうやって考えても憶えてないぐらいなんで、多分影響はされてないですね。アーティストはこうあるべきだろうな、という考えは当然あるんですけど、まったく同じ意志を持った人というのにはまだ巡り合ったことがなくて。僕が戦争とか痛みといったものをテーマにするようになったのは、思想というよりも自分の体験してきた日常に由来してるんですね。海外で過ごしてきた時に自分が受けてきた差別とか、日本の歴史を理由に虐められてきたこととか。イギリスに居た頃に結構そういうことがあったので、それに対する反動もあったんじゃないですかね。だから他の人たちがこういう機会に何かしようとする場合とは動機が違うかもしれませんね。

──しかもみんなの意識を変えたいとか、そういうことでもない。

来夢:それはないですね。どっちかって言ったら、こんなどうしようもない人間が4人集まったバンドではあるけど、それでも8月6日と9日にはそういった現実に向き合っている、何かひとつのものに向き合っているという姿を見てもらいたいというか。それによってみんなにも、日常で何か違うものに目を向けてもらえればいいのかな、と。

──なるほど。というか、そんなにどうしようもない人間なんですか?

来夢:いやー、ホントにどうしようもないですよ(笑)。以前、自分たちがどう見られてるのかが気になって、興味本位でファンに質問したことがあるんです。「このバンドを友達に紹介する時どんなふうに説明する?」って。その回答の中に「各バンドにいるヤバいやつが4人集まったようなバンド」というのがあって、「それだ!」と思って(笑)。自分でもそれがいちばんしっくりきたんですよね。

──ファンの目というのはやはり侮れませんね!

来夢:すごいですよね。結局、なんだかんだ言ったって、僕自身は一回も自分のライヴを観たことがないわけですよ。それはみんなも同じことですけどね。でも、ファンはずっと観てきてる。だから多分、僕よりも知ってますよ、僕自身のこともメンバーのことも。ホントにみんなよく見てるんだなあと思う。


──ヤバい人間の集まり。そういう自覚はあるわけですね?

来夢:ガンガンあります(笑)。

──欠落したところのある人間の集まり、みたいな形容をしていたこともありましたよね。そういう自覚のある人ほど、世の中に普通にたくさんいる“いかにもちゃんとしていそうな人”に欠落を感じてしまう部分というのもあるんじゃないでしょうか? 「あなたたちは立派な大人であるはずなのにどうしてそうなの?」みたいな。

来夢:ああ、それはあるかも。でも、まず僕自身、真面目に毎日どこかに務めるとか、そういうところから無理なんですよ。毎朝8時に起きて、決まったところに定時に行くとか。学校に通うのだって苦痛でしたもん。

──でも今日は、ちゃんとこうして時間通りに取材の場に来ていますよね?

来夢:はい(笑)。でも、それは午後だからですよ。朝だったら来てないと思います(笑)。ただ、とにかく全員どうしようもない人間なんですけど、俺らがやることについて何か言ってくる人というのがいないんです。8月6日と9日のライヴのことについてもそうだし、今回のシングルでも結構過激な表現とかしてるんですけど、誰にも何も言われない。それがすごく不思議で。自分としてはもっと賛否両論が出てきて、「おまえらそんなことするなよ!」とか言うやつも出てくるのを想像してたんですけど。取材も結構受けてきていろんなライターさんと話をしてきましたけど、やっぱ皆さん気を遣って、言葉を選びながら質問してくれるんですよね。そういう傾向は「黒い雨」という曲を出した頃からあるんですけど、そういう日に広島や長崎でライヴをやることについても何も言われずに許されてるというか、それで結果的に俺らにしかできないことになってきてるというか。どうしてなんでしょうね? まあ信念としては、そもそも8月6日と9日について歌おうとしないのは、日本のロックバンドとして恥だと思ってるぐらいのところがあるんですよ。やっぱ、こういうことを主張するのがロックだと自分の中では思っているので。でもなんか、そういうことをするのを赦してもらえたのかなっていう感じはしてます。わかんないですけど。

──誰も何も言ってこないというのは、反対なわけでも無関心なわけでもなく、納得できていて賛成に近い気持ちなんだけど、どのようにその意志を伝えるべきかの判断がむずかしい、ということの表れじゃないかという気もします。

来夢:ああ、そうかもしれない。

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