【インタビュー】逹瑯(MUCC)、ソロプロジェクト第二弾を語る「“ふざけんじゃねえよ”から入りたかった」

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■歌詞にはドキッとするワードを入れたい
■ということに結構頭を使うんです

──最初にあった、“男臭いけどちょっと女々しい”というイメージは、そもそも何が元になって生まれてきたのでしょうか? 

逹瑯:歌い出しは絶対、“ふざけんじゃねえよ”から入りたかったんですよ。なんか、昭和っぽくてよくないですか(笑)? “何に対して「ふざけんじゃねえよ」って言ってるのかな?”みたいなところからイメージが広がっていって。たまたまその時期に、失恋でめちゃめちゃウジウジしてる知り合いの男がいて。もうちょっと男らしくスパッと、こんな感じで言ってくんねぇかなっていうイメージで、メロディーに言葉を付けていってたんです。

──主人公に寄り添うというより、ハッパを掛ける感じですかね?

逹瑯:うん。これぐらいの哀愁感が好みなんだけど。お前ウジウジし過ぎだよ!みたいな(笑)。女々しいんだけど虚勢を張ってるぐらいの感じがいいなぁって。

──逹瑯さんご自身はこういうタイプではないんですか? 

逹瑯:俺はもうちょっとドライかもなぁ。

──スパッと割り切って進んで行ける感じでしょうか?

逹瑯:俺はね。去っていくものにしがみついたところで、なにも意味ないじゃん?という感じがするので、諦める。


──ミュージックビデオでの描き方も含め、恋愛の話として歌詞は読み取れるんですけど、それだけではない未練が描かれているようにも感じます。例えば、SATOちさんがいた頃のMUCCの形であるとか……過去の、まだ心が残っているものに対する逹瑯さんの想いが投影されているのかな?と。どうでしょうか?

逹瑯:曲って、完成して誰かが聴いた時に、その人がどう想像するのか?という解釈の余白があっていいと思うんですよ。歌う側もそうで。そのほうが後々時間が経ってから同じ曲を歌った時に、“あの当時はこう書いてたけど、今の心境や状況に変わるとちょっと受け取り方が変わって、こっちに当てはめて歌うこともできるんだなぁ”っていうのがあるし、余白の部分が活きてくるんです。聴いた時にその人が自分の経験に当てはめることができたり、“その時は全くそう感じてなかったけど、今の状況で聴いたらここが刺さるな”みたいなのが出てきたりするから。どうとでも取れるよねっていう歌詞が結構好きかもしれないですね。

──あえてそうしている、と。

逹瑯:昔からそうで、“この曲はこういうイメージで、こういう想いを込めて自分は書いてる”って、一から十まで全部説明しきるのがあまり好きじゃなくて。だから、自分のイメージを絶対に100%みんなに理解してもらったうえで聴いてほしいという感じでもないんですよね。好きに聴いてくれっていう。

──じゃあ、“そんなつもりで書いたんじゃないんだよな、誤解されたな”というズレも受け入れる?

逹瑯:誤解もなにも、正解も不正解もみんななにも知らんじゃん?っていう(笑)。まぁ、インタビューでしゃべっているっていう発信はありますけど。

──なるほど。逹瑯さんには、独特の温度感がありますよね。ちょっと突き放しているというか、こちらとしては煙に巻かれる感じというか(笑)。

逹瑯:そうですか(笑)? 答えは聴く人が考えてほしい、というか。これは好みの問題なんですけど、俺は人の曲を聴いていてもそこが楽しいんです。映画なんかは特に、“これってこういうことなのかな?”って考えられる余韻を残した作品が好きだったりするので。目で観て全部答えが出ちゃうと脳味噌使わなくないかな?と思うんですよ。じんわり脳味噌の中に染み込んでいく感じが好きなので。

──歌詞の表現も印象的で、“心臓 瞬間を止めてくれよ”というフレーズが文学的です。これ、心臓に直訴しているわけですよね? どうやって閃いたんですか?

逹瑯:全然覚えてないですけど(笑)。歌詞を書いている時は、“ドキッとするワードを入れたいな”ということに頭を結構使うんです。その言葉で譜割りもバシッとハマッた時は、パズルがピタリと揃ったような感覚があって気持ちいい。強烈な言葉と柔らかい女々しい言葉とのバランスやさじ加減が、今回はすごく難しかったんですけど、その中で綺麗にハマッた一節じゃないかな。


──逹瑯さんの歌唱表現にもさらなる進化を感じました。例えば“会いたいもう1度”という歌詞からの2行は、想いを切なく吐露したかと思えば、その後激しくなっていく。その感情の振り幅に圧倒されました。

逹瑯:あそこはAメロなんだけど、ガラッとイメージを変えていて。メロディーも少し変わるし、「ちょっと柔らかい感じのアレンジにしたい」という話を大島さんともしていて。そうなるとやっぱり歌い方も変えたいし、歌詞のテイストもちょっと変えたくなったんですよね。女々しいのを隠しながらずっと虚勢を張っているんだけど、そこだけ本音がポロリと出ちゃった、みたいな感じがいいなぁと思っていて。音数もガンッと減るので、繊細なタッチで歌ってもちゃんと聴こえるというか、乗せられるし。そういう感じで歌ってたかな。

──ジャジーなアレンジから戻って来る時の、“笑い話さ 願ったままの ハッピーエンド”というフレーズも、歌詞と歌い方の相乗効果で、複雑な心情が鮮やかに表現されていました。

逹瑯:空気感がバーッと変わった後、元に戻るところのあのメロディーにはどういう歌詞を乗せようかな?とずっと考えていたんです。“こういうところに乗る言葉で、曲が良くもなるし超ダメにもなるし”と思って。そこにハマッた言葉は自分でも結構気に入ってるんですね。パチンとハマッた時はすごく気持ち良かった。

──これまでにないプロセスを経て生まれた歌詞であり、曲なんですね。大島さんとのコラボレーションを改めて振り返って、今どんなことを思いますか?

逹瑯:最初の段階で一体どこまで想定して作業に入ってるんだろう? たぶん完成形が頭に鳴りながらやっていたんだろうな、すごい人だな、と思いますね。音がどんどん積み重なって隙間が埋まって構築されていくので。やりながら“ここにこういう感じの音、入~れよ”じゃなくて、最初から設計図が出来てるんだろうな、全体的に。それがすごかった。

──アーティストとして学んだり、刺激を受けたりする部分もきっとありましたよね?

逹瑯:もうね、全然レベルが違うので、学ぶところなんかないっすよ(笑)。なんだか分かんないけどすごいな!みたいな感じなので。ライヴハウスで初ワンマンやりましたっていうバンドの子が、L'Arc-en-Cielの東京ドーム公演を観に行って、“ライヴの勉強になりますか?”と訊かれる、みたいな感じに似てるというか(笑)、“勉強になったなぁ”と思わないはずですよね。25年ずっとバンドをやってきているけど、俺は自分で曲を構築したりするのを真ん中に立ってやってきた人ではないし、細かいアレンジとかはメンバーに任せてきた。さらにその世界に特化している人の仕事ぶりを見て、“勉強になるなぁ”という感じでは全くなかったですね。すごいや!っていうだけで。

──これからも大島さんとご一緒する可能性はあるんですか?

逹瑯:俺としてはやりたいですね。忙しい人なので、スケジュールが合えばですけどね。

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