デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロが死去

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アメリカのハードコア・パンク・バンド、デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロが、転倒事故により負った頭部外傷が原因で亡くなったという。63歳だった。

◆D.H.ペリグロ画像

バンドは10月29日、「デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロ(Darren Henley)が昨日、10月28日、ロサンゼルスの自宅で亡くなった。不慮の転倒により負った頭部外傷が原因だった」とSNSを通じ、訃報を伝えた。

ペリグロはオリジナル・ドラマーのTedに代わり、1981年にデッド・ケネディーズに加入。EP『In God We Trust, Inc.』(1981年)に始まり、セカンド『Plastic Surgery Disasters』(1982年)から4枚目『Bedtime For Democracy』(1986年)まで3作のスタジオ・アルバムを制作してきた。

1988年、短期間ではあるがレッド・ホット・チリ・ペッパーズに参加し、彼らのアルバム『Mother’s Milk』(1989年)の曲作りに貢献した。

80年代初めから友人であったレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーは、「俺の大切な友人、ブラザー、寂しくて仕方ない。俺は今日、打ちのめされている。涙が止まらない。でも、俺はどの瞬間もこの先ずっと大事にしていく。1981年、初めてDKでの君のプレイを見て、ぶっ飛んだ。あのパワー、ソウル、無謀さ。君は俺の最愛の友人となった。俺らはたくさんの楽しい時間、喜びを分かちあい、お互いを助けてきた。心の底から愛してる」と、追悼の言葉を送っている。





Ako Suzuki
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