【インタビュー】お風呂でピーナッツ、一度聴いたら忘れない声と音楽がここにある

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お風呂でピーナッツ。なんだそりゃ?と思いつつ、一度聴いたら忘れないインパクトを持つネーミングと同じくらい、一度聴いたら忘れない声と音楽がここにある。バーバリー、ディオール、ケンゾーなど人気ブランドから引っ張りだこの売れっ子モデルにしてシンガーの樋口可弥子、ジャズバンドからJ-POPまで、サポートもソロ活動も活発にこなす作曲家&ギタリスト・若林純。高校時代の同級生が組んだユニットが、今新しい時代の風を背に受けて大きく羽ばたこうとしている。配信リリースの新曲「後夜」(こうや)のエピソードを中心に、お風呂でピーナッツとは一体何者か?を解き明かすBARKS初登場インタビュー。チェックしてほしい。

■やっぱりJ-POPは歌詞を載せて歌うという面で
■人肌感があるのがベストなんじゃないかな


――二人は高校の時に出会ってるということは、かなり長い付き合いですよね。

若林純(以下、若林):本当の出会いで言うと高一とかになるんで、かれこれ7、8年? 高校卒業後にユニットという形で再結成してからは、4年ぐらいですかね。高校卒業と同時に、しばらく活動していない時期があって、僕はジャズシーンでビッグバンドとかでやっていて。J-POPシーンで音楽をやりたいなと思って、ユニットでやらない?と誘って、戸塚のライブバーみたいな小さいところでライブを始めて、という感じがスタートです。

――始めた頃から、音楽性はそんなに変わってないですか。やりたいことというか。

若林:そうですね、一番最初に書いた曲が、それこそ『スーパー銭湯』に入っている「海の影」という曲で、歌ものを書いたのはほぼ初めての曲です。そんなに大きくは変わってないですけど、やりたいことはちょっとずつ広がっている感じです。



――若林さんのルーツにはジャズ、ロック、J-POPとかいろいろあるみたいですけど、お風呂でピーナッツ的に何かキーワードはありますか。

若林:あまり特定のルーツは置きたくないんですよ。ジャズバンドです、ロックバンドです、と言いたいわけでもなくて、可弥子とやっている以上、というか、お風呂でピーナッツとしては、ある程度J-POPシーンというものを視野には絶対入れつつ、という感じですね。

樋口:私は高校生の頃にすごい東京事変が好きで、コピーバンドをやっていました。あと共通するところって何だろうね?

若林:全般的に趣味はそんなに違わないと思う。それこそ明確なものがあるわけじゃないですけど、ジ・インターネット、サンダーキャットとか。

樋口:その二つは大きいですね。

若林:あと高校時代には、ポストロックのtoeとか、あのへんのコピーもしましたし。これというルーツはないですけど、(二人は)そんなに離れてはいないと思います。

――それにしても、可弥子さん、本当に良い声。もともと何かやってたんですか。

樋口:いえ、ボイストレーニングもやったことがなくて、小さい頃からお風呂で一人で歌っていただけです。高校生の時に軽音部に入って、バンドを始めたのが初めて人前で歌う場で、それ以前は何もやってなかったです。

若林:だんだんうまくなってる感じはあります。

――シンガーとして憧れてる存在とかは?

樋口:それが、あまりいないんですよね。でも宇多田ヒカルさんの歌の情緒の付け方とかが職人芸だなとずっと思っていて。宇多田ヒカルさんって、完全に歌を楽器として扱ってはいないけど、人のぬくもりを感じさせる歌い方でありつつ、曲によって調和されるようにすごくうまく歌ってらっしゃるなと思うので、そこが目標ではありますね。完全に声を楽器として使うのも面白いと思うんですけど、やっぱりJ-POPは歌詞を載せて歌うという面で、人肌感みたいなものがあるのが、私の中ではベストなんじゃないかな?と思うので。J-POPというか、ポップスを歌う限りは、そのぐらいのバランス感をうまく使い分ける技術をつけたいなとは思っています。

――話を戻して、二人で再始動する時に、バンドじゃなくてユニットで行こうとなった理由は?

若林:それもけっこう流れだったんですけど、まずライブをしたいなと思った時の会場がライブバーだったので、バンドでやるのも大変だからって、ユニットで1年間ぐらいやっていたのかな。

樋口:うん。でもちょうど始めたぐらいから、私が海外に行き始めたんで。最初にスペインに行って、ビザの関係で1、2か月だけ戻って来て、またスペインに3か月行くみたいな生活を1、2年していたので。結成してからあまりライブもできなくて、随時連絡は取っていたんですけど、そんな感じで1、2年ぐらいやってたんじゃないかな。『スーパー銭湯』が出るまで。

若林:その後、いろいろ機会があった時に、バンド編成にしたいということになって、自分の個人の活動のほうで繋がったミュージシャンに来てもらって、バンド編成でのライブをするようになったんですね。


▲『スーパー銭湯』

――だんだん完成されていくバンド。

若林:始めた時には、まさかこんなに長く活動するとは思っていなかった。とりあえずこのライブ一緒にやろうよ、ぐらいの感じだったので。

樋口:私も、音源を出せるとは思ってなかった。

――あの『スーパー銭湯』って、今振り返るとどんな作品ですか。

樋口:作っている時に二人で、名刺代わりのものになればいいねと話していました。音楽性の面では若林くんに頼り切りではあるんですけども、その時に出来た最大限のことを詰めたアルバムだなと思います。

若林:一作目だから、“こういう人たちですよ”と見られる作品になると思ったので、尖ったことをしようじゃないけど、変拍子をやろう、ラップも入れてやろう、サックスソロも入れてやろうとか、とにかく尖ったことをやろうぜという意識はありましたね。

――あれ? J-POPをやりたかったんじゃないですか(笑)。

若林:そうなんですけど(笑)。あの時に普通にJ-POPをやっちゃうと、埋もれるなと思ったので。わりと変なことをやろうという感じですね。

樋口:若林くんとよく話すのが、良くも悪くも私の歌い方がすごいJ-POPだと思うんですよ。私はずっと、母親が好きだったドリカムを聴いて育ったので90年代とかの歌い方がやっぱり出ちゃう。どういう曲調でも私が歌うとポップスっぽく聴こえるのかな?という話はしてたよね。

若林:それはある。可弥子が歌うと、めっちゃ王道のポップスになるんで。

――すごい納得。彼女が歌えばポップスになるから、若林さんはどんなに尖ったことをしてもいい。

若林:そんな感じはあるかもしれない。変に丸めすぎても面白くないし、やってみたいことがいろいろあるんですよ。表現の幅がめっちゃあるので、それを見せられたのは良かったと思います。しっとりしたジャズテイストのものから、叫ぶような激しいものまで、一作目で出せたのは良かったなと思いますね。

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