【対談】I.N.A. × KNOCK OUT MONKEY、hideを語る「僕らは正しい選択をしたんだって思います」

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■周りのみんなは止まれなかったんですよ
■もうやらないっていう答えはなかった

dEnkA:僕も昔、お酒飲んで失敗ばかりしてたんですけど、書籍で書かれてるように、hideさんも酔っぱらうと本当に“怪獣ヒデラ”に変身しちゃう感じだったんですか?

w-shun:dEnkAの場合、昔じゃなくて、今でもそうじゃない(笑)?

I.N.A.:まー、hideちゃんはすごかったよね。書籍に書いてあるのはギリギリ言えること。「これなら笑えるだろう」ってところで終わってるんだけど。

一同:ははははは!

I.N.A.:2人で飲んでるぶんにはまだいいんだけど、本にも書いたみたいにレコード会社とかの偉い人から、たとえば「いつまで化粧してやるんですか」とかカチンとくるようなことを言われると、その人の乗ってきた車の上に乗って、本当にボコボコにしたり。


▲I.N.A.

──hideさんと同世代のモトリー・クルーなんかにも通じる逸話ですね。

I.N.A.:ホテルの部屋の窓からテレビを外へ放り投げる的なね(笑)。そういう時代だったんですね。X JAPANなんかまさにそうだし(笑)。

w-shun:バンドマンとは、ロックスターとは、こうあるべき、みたいな話ですね。

ナオミチ:僕もライヴハウスで酒を飲んでたらdEnkAと口喧嘩になって、階段の上からメサ/ブギーのキャビネットを投げつけられましたけどね(笑)。

──それもすごい。他に書籍を読んでの質問はありますか?

ナオミチ:hideさんの楽曲「DOUBT '97」とかで“異なるドラムループをミックス”ってあったんですけど、それ、何回聴いても分からなくて。どういうことなんですか?

I.N.A.:1996年ぐらいの段階って、重ねて音を作る方向にいってたんですね。もちろん異なるループをただ重ねても合わないので、そこは編集で寄せていって1つのグルーヴとして聴こえるようにしたのね。たとえばオーケストラって1人じゃなく何人ものバイオリンが同時に弾くことであの感じを出してるけど、それに近いかもしれない。「ピンク スパイダー」とかではさらに進化して、生のドラムと機械の音を同じように重ねていったんだけどね。hideが“サイボーグロック”って言ってたのはそういうことで。

ナオミチ:それでゴーストノート(ドラムの装飾的な音。それを加えることでグルーヴを増す手法)的な感じも出るという?

I.N.A.:そうそう。その辺はPC画面を見ながら編集できるようになったことが大きかったんだけどね。1stアルバムのときは耳で判断しながらの作業だったから本当に大変で。

ナオミチ:気の遠くなるような作業ですねー。


▲w-shun (Vo)

I.N.A.:もともと僕が20代の頃、マニピュレーターとして仕事を始めたときは耳のみで判断するしか方法がなかったんだよね。音を1ms(1/1000秒)前にずらすとか。あ、「ピンク スパイダー」で一瞬、音が途切れるとこがあるでしょ?

ナオミチ:はい。

I.N.A.:あれはコンピュータを使った編集じゃなくて、僕が手動でやってるんだよ。エンジニアが「無理です」って言うから僕が自分でやって。

一同:うえー!

──そういうところでも昔の経験が役立ったわけですね。

I.N.A.:うん。今ってコンピュータ上であらかじめ用意されたものの中から選んでいけば曲が作れてしまう。だけどそれだと“今、用意されたもの”という範囲にとどまってしまうし、周りに同じことをやってる人がいっぱいいる。その点、ゼロから自分で作っていこうとすれば、そこには自分の発想しかない。だからオリジナルになるし、そこから次につながっていくんだよね。hideちゃんがよく言ってたんですよ。「偶然できたカッコいいものは、なぜカッコいいのか? ちゃんと解析しといてね。そうしたら次も使えるから」って。


▲dEnkA (G)

w-shun:I.N.A.さんって、テクノロジーの進化を含めて音楽制作の過程をずっと見てきてるじゃないですか。その上でこれから先、どうなっていくと思います?

I.N.A.:2000年以降、音楽のジャンルもテクノロジーもあんまり変わってないよね。たしかに最近はAIが作ってくれたおかしなものを取り込む、みたいなことはあるにせよ。ただね、今みんながコンピュータでやってることって1970年代にはテープ編集を駆使してトライされていた。発想自体はそこからずっと繋がってるんだよね。その繋がりの中でなにが出てくるか?だろうね。僕が立ち上げた『STOCKS.TOKYO』はそういう蓄積も活かせたら、と思って始めたことなんだけど。

──I.N.A.さん主催のコミュニティ型マッチングサービスですね。

I.N.A.:そう。今まで話したように、音楽でいろいろな実験をしたり、いろいろなアーティストと仕事をして覚えた技術やマインドを、自分一代で終わらせちゃうのはさすがにもったいないと思ってね。2014年に『電脳音楽塾』というコミュニティサロンを立ち上げてワークショップを始めた。で、今回、クリエイターの人達に何かできることがないかな?と思って作ったのが『STOCKS.TOKYO』なんですよ。クリエイターとクライアントをつなぐマッチングサイトでね。クリエイターの人って地方に住んでたら、これまではなかなか全国区の仕事ができなかったけど、コロナを機に在宅やオンラインが普通になってきた。そういう今だからコラボの場を提供しようと思ったんです。よかったらオフィシャルサイトを見てください。


──さて、この春には25年ぶりにhide with Spread Beaverのワンマンライヴが行われます。そのきっかけとして2022年全国公開された映画『TELL ME ~hideと見た景色~』の存在があったそうですね? hideが遺した音楽を世に届けるため奮闘する弟と仲間たちの軌跡を描いた作品でした。

I.N.A.:そうなんですよ。観ました?

w-shun:はい。今日、この取材場所に入ってくる時も、“あ! 映画に使われてた場所だ”と思って。

──映画自体はどんな印象を受けました?

ナオミチ:hideさんが亡くなった後、ライヴを開催するまでの経緯が描かれていたじゃないですか。主役がいない中でのツアーって想像できないですよね。普通だったら絶対無理。中止になってる。それをやり切ったhide with Spread Beaverの皆さん、スタッフさんってすごいなー、って思いました。

w-shun:これまで公開されたhideさんの映画は、ぜんぶ拝見してるんですけど。今回の作品が一番生々しい。hideさんの息遣いが聞こえるような、ファンとしては一番見たかった部分だと思います。あと、同じヴォーカリストとして、hideさんのことを純粋に羨ましいと感じました。自分がいなくなったあともこれだけ長い間、メンバーやスタッフが自分の名前を受け継いでくれてるわけで。周りの方の苦労も分かりつつ、でもほんと“いいなー” “うらやましーなー”って思いますね。

亜太:僕が中学生の時、朝起きて、hideさんが永眠したというあのニュースを見たときは時が止まった気がしました。それが、僕なんかよりもっと近しい人達の反応が映画でリアルに描かれていて、最初のうちはめちゃくちゃ胸が苦しかった。僕も子供がいるので、お子さんを亡くされたお母さんの反応にも感情移入して。そこからどうなっていくのか?っていうのを見るための作品だったと思うんです。最後の楽屋のシーンでヒロシさん (hideの実弟であり、パーソナルマネージャーである松本裕士氏。映画の原作となった『兄弟 追憶のhide』著者)にお父さん、お母さんがかけた言葉がすべてを表してたなと感じました。見終わって僕もI.N.A.さん、松本裕士さんに“お疲れ様でした。ありがとうございました!”という気持ちになって。みんなに愛されたhideさんという人が存在できたのは2人がいて、周りの人がいたから。っていうところを観てほしいと思いましたね。

dEnkA:僕は残念ながらまだ観られてないんですけど、メンバーの感想を聞いて、改めて早く観たいと思いましたね。


I.N.A.:この映画の話が出たのは、もう何年も前のことなんですね。撮影もコロナで1年押したし。最初はhideちゃんの話かと思っていたんだけど、「いや、メンバーやスタッフの話です」って聞いて、「そんなもん、誰が観るんだよ」って感じてたんですよ(笑)。でも、今、KNOCK OUT MONKEYのみなさんの感想を聞いて、“ああ、僕らがやってきたことは正しかったんだ!”ってすごく思えました。振り返ってみるとね、“さあ、これからだ!”っていうときにhideちゃんは亡くなって、周りのみんなは止まれなかったんですよ。もうやらないっていう答えはなかった。でも、こうして映画で客観的に観ると、よくやったなあって思う。正しい選択をしたんだって思いますね。

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