【プロミュージシャンのスペシャル楽器が見たい】SHOW-YA 五十嵐☆sun-go☆美貴、35個の星と妖精のAria ProII PE-DCシグネイチャーモデル

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SHOW-YAの五十嵐☆sun-go☆美貴(Guitar)が、使用機材について語る。ギター、アンプ、エフェクターなどのこだわり、愛用している理由とは? 音楽に囲まれて育った幼年期、初めて買ったエレキギター、学生時代のバンド活動、SHOW-YA加入の経緯など、貴重なエピソードも満載のインタビューだ。

■「気絶するほど悩ましい」をやって欲しいというので
■「ディープ・パープルもやってくれるならやるよ」と(笑)


――音楽や楽器に興味を持つようになったのは、何歳頃でした?

五十嵐☆sun-go☆美貴(以下、五十嵐):3歳からピアノと声楽をやっていて、クラシック、映画音楽、洋楽は小さい頃から聴いていました。住んでいた相模大野という土地柄もあり、親は私が4歳になるくらいまで米軍キャンプに勤めていたんです。だから洋楽に触れる機会は多かったですね。当時モータウンが流行っていて、テレビで『アンディ・ウィリアムス・ショー』とかをやっていたので、それも音楽に触れる機会になっていました。

――日常の中に音楽がある環境だったんですね。

五十嵐:はい。ピアノの他に鼓笛隊もやっていたので、クラシックは小さい頃から好きでした。そういう環境で育ちながらモータウン、イージーリスニング、映画音楽も聴いている内にFENを聴くようになったんです。ロックがかかる深夜の番組が結構あって、夜の8時台のウルフマン・ジャックの番組とかも聴いていました。

――ギターとの出会いは?

五十嵐:叔母がプロのクラシックギター奏者で父親もクラシックギターを弾いていたので、家に子供用のギターがあったんです。最初は「禁じられた遊び」くらいしか興味がなくて、自分で弾くのはピアノがメインでしたけど、洋楽のロックをいろいろ聴くうちにギターの音に惹かれるようになったんだと思います。

――エレキギターに興味を持つようになったんですね?

五十嵐:はい。新星堂タハラ本店という厚木の老舗の店先に置いてあった白いヤマハのSGが、最初に手に入れたエレキギターでした。中学2年生の12月31日、お正月用の買い出しの時だったのを覚えています。ヤマハのSG50が店の一番前に置いてあって、5万円の定価が2万5千円で売られていました。

――半額とはいえ、なかなかの値段ですね。

五十嵐:はい。でも、その時、父親の勤めている会社の人たちからお年玉を貰っていて、手元に5万円くらいあったんです。母親があれよあれよという間に、そのギターとヘッドフォンアンプを買っていました(笑)。まさに一目ぼれみたいな感じでしたね。12月31日だったので、ギターを始めた日を正確に覚えています。だから毎年12月31日にイベントをやっているんです。

――なるほど(笑)。その頃に好きになった音楽は、どのようなものがありました?

五十嵐:ビートルズ、スタイリスティックス、カーペンターズとかは、家にレコードがあったんですけど、FENで流れる音楽に関してはタイトルを言ったり言わなかったりなんですよね。全米トップ40の番組は土曜日だったかな? タイトルがわからなかったものに関しては、聴いた曲を覚えて店員さんに訊くんです。私が楽器を買ったお店の姉妹店がレコード屋さんで、そこの店員のお兄さんに覚えているフレーズを歌っていましたね。「これかな?」ってレコードをかけてもらって、「これ! これ!」っていう感じで探していました。

――そうやって探した曲は、例えば何がありました?

五十嵐:レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルとかはエアチェックで聴いてわかっていたんですけど、バンド名もタイトルもわからなかったのは、例えば「ライヤラ ライヤラ ラッパッパー」っていう曲でした。「何だろう、これ?」って衝撃を受けつつ、オルガンがめちゃくちゃかっこ良くて。レコード屋さんの店員さんに歌って聴かせたら、フォーカスの「Hocus Pocus(邦題は“悪魔の呪文”)」だったことがありました。あと、FENで聴いて感動したのがクイーンの「手をとりあって」です。『華麗なるレース』が新譜として出た時に、ラジオから「手をとりあってこのまま行こう~」って聞こえてきて、「日本語だ!」ってなって(笑)。海外のラジオ局から日本語が聞こえてきて、しかも好きなバンドの曲だったというのは印象深い思い出です。

――今みたいにネットで調べることができないですから、音楽の情報を得るのは大変でしたよね。

五十嵐:そうでしたね。私は音楽雑誌は、ほぼ網羅していました。あと、当時は新宿に出ることが多くて、洋盤屋さんがあったんです。そういうお店にも足繁く通っていました。

――リスナーとして様々な音楽と触れつつ、ギターにもどんどん夢中になっていったんですね?

五十嵐:はい。バレーボール部だったんですけど、指が動かなくなっちゃうからピアノの先生に怒られていたんです(笑)。そんな中学時代でしたけど、家に帰ったらすぐにギターを手にして朝まで弾いていました。抱いて寝るような毎日。私の感性が一気にそこに行ったんだと思います。


――ピアノをやっていたのも役に立ちました?

五十嵐:そうでしたね。音感はある程度あったので、ベースなのかギターの音なのかはわからないながらも、ラジオから流れてくる曲に合わせて弾いていました。あとは、レコードやテープで聴いて耳コピー。フォークギターをやっていなかったのでコードはわからなかったんですけど、パワーコードは聴き取れていました。ギターを買った時に最初に付いてきた教則本を見ながら運指の練習をしつつ、大体のコードを覚えながらやっていましたね。例えばパープルとかでコードをフルで弾くことはほとんどないじゃないですか? 単音、1度5度のパワーコードの音は、聴き取れるようになっていきました。

――憧れたギタリストは、どなたでした?

五十嵐:いろんな音楽を聴いてきていたので、「このギタリスト」というよりは、「このバンドのこの曲のこのギター」という感じの好きになり方でしたね。だから今でも好きなバンドはすごく挙げられるんですけど、「どのギタリストに影響を受けましたか?」と言われると難しいんです。

――エレキギターを弾くようになった後、バンドを組んだのはいつ頃でした?

五十嵐:うちの中学でバンドをやっている人がいなくて、エレキギターをやっているのは私だけだったんです。私がギターを弾いているって聞いた他のクラスの子から「バンドやりたいんだけど」って誘われたのが最初でした。誘ってくれたその子はフォークギターをやっていて、Charさんが好きだったんです。当時、「気絶するほど悩ましい」がヒットしていて、やって欲しいという話だったので、「ディープ・パープルもやってくれるならやるよ」と(笑)。

――(笑)。他のパートのメンバーも探して、バンド結成に至ったんですか?

五十嵐:はい。私をバンドに誘ってくれた子が、同じ学校の中で「バンドをやりたい」っていう初心者を探してきたんです。それが最初のバンドです。当時、厚木にはスタジオがなくて、公民館みたいなところでやっていました。だから初めてバンド形態で音を出したのは中3の時ですね。ディープ・パープルは「Burn」の他に「Smoke On the Water」もやりました。「Player」とか、楽器雑誌にメンバー募集を出して、学校の外でバンドをやるようになったのも中3の時です。

――高校に入ってからは、どのような活動をしていました?

五十嵐:高校1年生の時には2つくらいバンドをやっていましたね。中学の時のバンドでドラムを叩いていた子も同じ高校だったので、新しいメンバーを集めてバンドを組みました。あと、学校の外でもバンドをやっていました。

――その頃、バンド、ロック、楽器に対する大人の目は、どのような感じでした?

五十嵐:私は中学の時、放送委員の委員長だったんです。お昼休みの校内放送で「ポップスだったらいいかな?」って、まずはサイモン&ガーファンクル、ビートルズ辺りから始めて、その後にキッスをかけたことがありました。「ポップな曲だからいいんじゃないかな?」って。でも、音楽の先生が怒鳴り込んできました(笑)。

――(笑)。高校の先生は、いかがでしたか?

五十嵐:高校は音楽、書道、絵画の選択制で、音楽の授業を受けていたんですけど、先生がカラヤン命だったんです。学校の謝恩会でギターを弾いたりしている私に何かといちゃもんをつけてきましたね(笑)。その先生はちょっと変わっていて、女性の吹奏楽も認めていなかったんです。私の学生の頃は「クラシックはいいんだけど」っていう風潮がまだありました。でも、うちの親は洋楽を聴いていたので、「ロックはだめ」とかはなかったです。私も親にツェッペリンの「Stairway To Heaven」とかを聴かせていましたから。

――高校生の頃の学外でのバンドは、どのような活動をしていました?

五十嵐:高校1年の時に目黒公民館で初めてのライブをやりました。いくつかバンドをかけもちしていて、「イーストウェスト」とかにも出たんです。いろんな音楽をやっていましたね。ハードな中でも幅広い要素が入ったものが好きだったので。でも、自分で音を出すと極悪な感じになるんですけど(笑)。

――(笑)。高校在学中にバンド活動が本格化してきて、「プロのギタリストになりたい」という意識が芽生えたんですか?

五十嵐:プロになりたいと思ったのは、中学2年の時です。

――つまり、初めてのエレキギターを手にした時点で?

五十嵐:はい。「絶対これで行く」と。当時、ランナウェイズも出てきた頃だったんです。男女関係なく、女性プレイヤーだからっていうのでもなく、境界線を取り払いたいっていうのはありましたね。

――まさにそういうミュージシャン人生を歩んでいますよね。

五十嵐:そうですね。好きなことは続けられるし、続けることも才能だと思っています。私はあまり才能がある方ではなくて、練習しないと駄目だし、時間もかかるけど、続けることに関しては才能があったみたいです。

■池袋の喫茶店で「君が欲しい!」と言われて
■「こういうの、嫌だなあ……」って(笑)


――学生時代から音楽を続けてきて、SHOW-YAへの加入に至った経緯はどのようなものだったんでしょうか?

五十嵐:高校の時には、たくさんバンドをやっていたんですよね。高校2年の夏休みの1ヶ月間、奄美大島で私以外全員年上と箱バンをやったりもしましたから。そんな中、高校3年の時に高校1年の時に一緒にバンドをやっていた2人から「今やってるバンドで一緒にやらない?」って誘われたんです。3年間で300本くらいライブをやっているバンドで、コンテストもいろいろ出ていました。そのバンドでSHOW-YAと出会ったんです。

――対バンの機会はあったんですか?

五十嵐:ライブを一緒にやることはなかったんですけど、コンテストでよく一緒になっていました。SHOW-YAのメンバーは千葉に住んでいて、当時の私の彼氏のバンドも千葉だったので、SHOW-YAのことはずっと知ってはいたんです。そしてある時、「ライブを観に来て欲しい」という連絡が来て、観に行ったんですよね。

――どのメンバー編成の時期ですか?

五十嵐:その時点でベースがさと、ドラムがmittanになっていました。元々のSHOW-YAはブリティッシュロック系だったり、プログレっぽさもあるイメージだったんですけど、「(You Can Still)Rock In America」とかもやる音楽性になっていて驚いた記憶があります。後のSHOW-YAのアルバムに収録される「TOUCH DOWN」というすごくポップな曲も、その時にやっていましたから。そんなこんなするうちに、連絡が来たんです。寺田が私のアパートにマクドナルドのフィレオフィッシュとハンバーガを持って来て、「SHOW-YAに入らない?」と。

――突然の話ですね。

五十嵐:はい。当時コンテストで会うSHOW-YAはギタリストが2人だったり、ギター、キーボード、ボーカル以外のメンバーがよく替わっていて、ちょうどその時当時のSHOW-YAのギタリストが結婚することになっていたんです。家の用事とかでライブに出られなくなったりすると厳しいから入って欲しいっていうことだったんですけど。

――すぐにOKしました?

五十嵐:半年以上、断っている状態でした。私はプロを目指していたし、前述の理由が“?”だったこと、当時のSHOW-YAは「ギターは1人でいいんじゃないかな?」ということ、プラス、音楽性的なことも断っていた理由だったんです。でも、今の事務所の社長にも呼び出されたりして、池袋の喫茶店で「君が欲しい!」と言われて「こういうの、嫌だなあ……」って(笑)。

――なるほど(笑)。

五十嵐:何度も言われるので、「じゃあ、1回リハに行きます」と。でも、リハに行ってみたらギタリストがいなかったんですよ。「ええっ、ギターいない? じゃあ真剣に考えないと」ってなって、「何回か音出ししましょうか?」という話になりました。そして、そこから3、4ヶ月経った11月に寺田の家に行った時に「じゃあ、やります」と。

――試しに音を一緒に出すうちに、「このバンドでギターを弾きたい」と感じたんですね?

五十嵐:そうですね。寺田の声はずっと好きだったんですけど、やはりリズム隊の存在が大きかった。ギターもリズム楽器なので、「リズムのタイム感はどうかな?」っていうのは重要なんです。あとはみんなの音楽に対して真面目なところに惹かれました。

――加入してくださって本当に良かったと、ファンのみなさんは思っているはずです。

五十嵐:メタルっていう点だと「もっと速弾きできるギタリストの方が良かったんじゃないかな?」って、今の時代になってみると思いますけどね(笑)。私はどちらかというとソロを弾きたいタイプではなくて、リズムギターをやりながら身体で表現するスタイルなので。

■白は黒と較べると少し丸い感じ
■極悪さがちょっと控えめなんです



――では、そういうプレイスタイルを支えている機材のお話に移りましょう。ギターは、Aria ProII PE-DC☆sun-go☆ SHOW-YA 五十嵐美貴シグネイチャーモデル。ボディカラーは白と黒がありますが、どのような特徴がありますか?

五十嵐:私は手が大きい方ではないので、下の方のカットを深めにしていて、24フレットまで弾きやすいようにしています。メイプルトップ、マホガニーバック、スケールはミディアムスケール、24フレットですね。



――24フレットは、SHOW-YAでギターを弾く上で欠かせない仕様ですよね?

五十嵐:そうですね。一番売れた曲(限界LOVERS)で24フレを使っちゃっているので(笑)。22フレで2音チョーキングとかはきついですから。

――ロック式のブリッジで、Dチューナーが付いていますよね?

五十嵐:はい。SHARA(EARTHSHAKER 石原愼一郎)とのmintmintsでドロップDを使う曲があって、その時に付けてもらいました。




――ネックのグリップは、どのようなタイプですか?

五十嵐:かまぼこです。ずっとSGやレスポールで来たので、幅が広いときついですね。

――ボディの模様が綺麗ですね。

五十嵐:以前はサソリだったんですけど、今は妖精です。私が作った曲「FAIRY」をモチーフとしていて、星は35個です。Aria Pro IIの担当さんがこだわってくれました。

――「sun-go」という意味ですね?

五十嵐:はい(笑)。あと、仕様的なところで普通と違うのは、ピックアップセレクターの位置ですかね? 下側に付いていると操作できないんです。昔からピックアップセレクターがこの位置のギターを弾いてきたので。あと、ボリュームノブの位置も普通と逆だと思います。これ、リアピックアップから近い方のノブがリア用なので。リアピックアップから近い順で言うと、リア、フロント、トーン。ここにリア用があるのは、サソリのギターを使っていた時からずっとそうです。

――エスカッションが妖精の模様の色と合わせてあるのも、すごくお洒落です。

五十嵐:売られているエスカッションの色で気に入るものがなかったんです。だから妖精ちゃんと一緒の色で塗っていただきました。

――白いギターと黒いギターとでは、どのようなキャラクターの違いがありますか?

五十嵐:白は黒と較べると、少し丸い感じがします。サソリの時もそうだったので、もしかしたら塗料の影響なのかもしれないですね。黒と較べると極悪さがちょっと控えめなんです。ほんのちょっとの差ではあるんですけど。




――楽器って、同じ仕様でも個性が出ますよね。

五十嵐:そうなんです。シグネイチャーモデルを作った時も、やっぱり1本1本がちょっと違っていました。私の場合、アンプ、ピックアップ、ギターで基本の歪みの音を作るので、必ず同じアンプ、スピーカーで試すんですけど、「同じだ」と感じたギターは1本もなかったです。海外の工場でレスポールとかをいろいろ弾かせてもらった時もそうでした。1本1本を手作業で作っていて、木の特性もそれぞれで違うからなんでしょうね。

――白のギターのヘッド裏の番号は「35100」ですが、理由は?

五十嵐:sun-goなので(笑)。


――やっぱり(笑)。ストラップがビスでしっかり固定してあるのは、ギター回しのためですね?

五十嵐:そうです。外れてしまうとケガ人が出るので(笑)。これは回すことを重視したストラップで、余程のことがない限り大丈夫なようになっています。でも、さとはツアーの前のお正月にベース回しを家族に見せて、メインのベースを折ったんです(笑)。ゲネプロの前々日で、あの時は大騒ぎでした。屋外で回して、石にぶつかったらしいです。

――なかなかレアなアクシデントです。

五十嵐:そうですよね(笑)。さとはタッパがあるので、ある程度縦に回せるんです。でも、ベースは長いので、背が低いと横に回さないといけないんですよ。さとは背が高くて、ちょっと油断したのが原因だと思います。

――ギターやベース回しは、安全第一ですね。

五十嵐:はい。遠心力で回しているので、ストラップが外れると誰かにぶつかってしまう危険性が大きいですから。

――ギターは、アコースティックのAria The Sandpiper VSP-DON CUSTOMの写真も撮らせていただきました。

五十嵐:これ、ベンチャーズモデルなんですよ。鳴りが良過ぎるとライブだとハウっちゃうので、ボディが薄めになっています。ピックアップはピエゾとボディに付いているものの2種類。ライブで使うアコギはボディが鳴り過ぎると、他で出している爆音を拾ってハウっちゃうんです。かーくん(諸星和己)のバックの時もバンドサウンドでアコースティックを弾く曲があって、結構軽快な曲なんですけど、モニターから出る音をアコギ以外消してもらっています。そういう点で、このベンチャーズモデルは、すごくバランスが良いです。



――ライブで使っているアンプに関しては、ヘッドはマーシャルJVM410H、キャビネットは1960BDMですね。

五十嵐:はい。JVMは自分のギターと合わせると、アンプ直で欲しいベーシックな歪みが得られるんです。リヴァーブ、コーラス、ディレイとか以外はアンプ直で全ての音色を作れるところが最高に良いです。

――あと、足元のペダル類ですが。

五十嵐:ボリュームペダルは足をのせた時に転がっちゃうことがあるんですが、このブルーのパーフェクトボリュームは転がりにくいんです。動きながら使うものなので、ある程度の耐久度があって、安定しているのが良いんですよね。これはギターテックさんに薦められて使うようになりました。


――エフェクターは、ディレイのコルグSDD-3000 PEDAL、ズームMS50G-Multistompを使っていますね。

五十嵐:はい。ズームのストンプで使うのは上モノ系の音ですね。「Rolling Planet」や「ギャンブリング」でピッチシフターとして使っています。

――マーシャルのチャンネル切り替えのスイッチは、クランチのところに「BLUE ROSE」と書いてありますね。この写真の時、たまたまそうだったんでしょうけど。

五十嵐:メインの音以外はセットリストによって変わるんです。その時はクランチチャンネルにメモリーさせていたのが「BLUE ROSE BLUES」だったんでしょうね(笑)。私が踏み間違えるといけないので、ギターテックさんが書いてくれるんです。ディレイには「踏んじゃだめ!」って書いてある時もあります。1回踏むと何度も踏まないと元に戻らないのがあるので。

――機材類に関して、他に何か触れておきたいことはありますか?

五十嵐:アンプ、キャビ、ギター、ディレイ、ストンプがあれば、自分の音を作ることができます。これが私の基本セットということですね。

――ピックはティアドロップ型ですね?

五十嵐:はい。片面には星とギター、表には妖精の絵がプリントされています。3種類あって、私も使い分けています。青いのはアコギ用で、0.7mmです。色によって厚みが違うので、間違えないようになっています(笑)。

――(笑)。様々なシンガーのバックでギターを弾く機会もありますが、SHOW-YAだからこそ感じていることは何かありますか?

五十嵐:SHOW-YAは1998年から2005年までの間にブランクがありますけど、ブランクを感じさせないというのは、苦労を共にして、一緒にいろんなことを乗り越えてきたからなのかなと。作り上げた基礎があったから、数年のブランクを挟んでも「しっくりくる」って感じたんだと思います。やっぱりみんなかっこ良いんですよ。ギターを弾いていて一番幸せだなと感じるのは、バンドのメンバーを見た時に「かっこ良い」って感じられること。ミュージシャンなんて、「自分が一番かっこ良い」って思っているものなんです(笑)。でも、一緒にやっているメンバーに対して「うわあっ! かっこ良い!」ってなれたら、それは最強だなと思います。

取材・文:田中大

ライブ・イベント情報

<NAONのYAON 2023>詳細
【会場】日比谷野外大音楽堂
【日時】2023年4月29日(土・祝) 14:00開場 / 15:00開演
【出演アーティスト】
SHOW-YA、千秋、松本梨香、JILL(PERSONZ)、相川七瀬、土屋アンナ、渡辺敦子(ex.PRINCESS PRINCESS)、富田京子(ex.PRINCESS PRINCESS)、NEMOPHILA、Gacharic Spin、Lonesome_Blue、PARADOXX、菅原潤子、池尻喜子(池尻家)、ハタイク、AZU、YUI、大竹美希
<オープニングアクト>
Faulieu.
Caprice Me
【チケット】全席指定 8,000円(税込)
★4/1(土)10:00~イープラスにて一般発売開始★
https://eplus.jp/naonnoyaon/
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