【インタビュー】樽木栄一郎、「今回のライブは、ここから先の、僕の活動の道しるべとなるような形にしたい」

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シンガーソングライターの樽木栄一郎がデビュー20周年を迎え、ニュー・アルバム『tau』を2023年7月12日(水)にリリース、また7月8日(土)には南青山BAROOMにてバンド編成でのライブを行う。「ぜひ旅をしながら僕の音楽に触れてほしい」という言葉通り、全国各地を旅しながらライブ活動を続けている樽木に話を聞いてみた。

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■ホセ・フェリシアーノに出会って
■ポップスがこんなに変化するのかと

──一昨日は広島でライブだったと思いますが、どんな感じのライブでしたか?

樽木栄一郎(以下、樽木) 広島はいつも通りの旅先でよく行く場所なんです。バーみたいなところでしっぽりとした感じのライブでしたね。

──全国各地でライブ活動をしてらっしゃいますが、お客さんの層はそれぞれ違うんでしょうか?

樽木 全然違いますね。子連れの方がいる場合もあれば、若い層ばかりのときもある。僕が行くのはライブハウスではないので、そのお店に集まる方々がライブに直結していて、お店にいつも集っている層がそのまま自分のリスナーになる感じですね。

──ライブをしやすい地方ってありますか?

樽木 やりやすいのはやっぱり広島ですかね。

──地元だけに。

樽木 地元だけに。あとは何回も足を運んでいるような場所で、東京とか……比較的に中国地方もやりやすい。

──早速ですが、BARKSインタビュー初登場ということで昔話を聞きたいんですが、樽木さんはどんな音楽を聴いて育ってきましたか?

樽木 音楽は家族の影響が大きくて、父親が好きなジャズ/フュージョン、そしてビートルズが日常的に流れている状況だったので、そのあたりが最初のルーツになっているのかなとは思います。

──当時、小学校や中学校でジャズ/フュージョン、ビートルズの話をする友達はいました?

樽木 音楽的な観点では、友達はいなかったですね(笑)。

──歌謡曲が流行っていて音楽的な接触はなかった?

樽木 中学校に入ったあたりでやっぱり友達の輪に入らないとまずいっていうのも感じ始めて(笑)、みんなと話せるようにいろいろ聴いてました。進んで聴くのはやっぱりビートルズが多かったけど、こういうの聴いていけば周りの子たちの“モテるライン”に入るんだみたいなものはとりあえず押さえておいて(笑)。

──楽器を触ったのもビートルズ流れな感じで?

樽木 僕の家には楽器が何でも揃っていて、父親がプロデューサーみたいな役割で、家に集まってきた息子と息子の友達にいろいろな楽器をやらせて、今回の課題曲はこれだと言ってコピーみたいなものをやらされる……楽器をしっかり触り始めたというのは、そうやって父親が促してからですね。

──最初はアコギですか?

樽木 最初はドラムなんです。それも父親がドラムを叩きたくて、でも家に急に持って帰っても母親のオッケーが出ないと思って、息子に習わせるという体で……(笑)。だから僕、小学校5年からずーっと先生について習ってたんですよ。ドラムはそんなに好きじゃなかったですし、先生もジャズ系の方で、子供ながらにちょっと厳しかったんですよね。そのときはまだジャズとかは聴いてなくてビートルズが叩けたら喜んだんでしょうけど、いわゆる習い事という感覚でした。その後に、やっぱりやるならギターがいいなというので、家にあったギターを触り始めたわけなんです。

──では最初はビートルズのコピーとかそういうレベルから?

樽木 最初からギタリストに憧れたわけではなく、やっぱり弾き語りだったんですよね。コードを押さえるのが簡単だったし、弾きながら歌ってるのを真似したいという気持ち。そのときにいろいろな曲の歌詞とコードが載っている“歌本”が実家にあったので、それを見て最初に歌い始めたのはフォークソングでした。

──自分ひとりで完結する感じ。

樽木 そうですね。さだまさしさんとか長渕剛さんの若いころの曲とか、最初はコードが3〜4つぐらいで、簡単なのにいろんな種類の楽曲を歌えるというのが僕にとって魅力でした。

──では樽木さんの今のスタイルになったはその頃から?

樽木 今振り返ってみると、ですけどね。

──自分で曲を作るようになったのもそのあたり?

樽木 曲を作るになったのもその歌本の流れから自分でメロディをつけてみようという感じで。最初はほぼパクリですけど(笑)。ちょっと変化をつけながら自分の言いたいことを並べるみたいな。

──バンドをやるのはかなり後になるわけですか?

樽木 そうです。バンドも実はそんなに興味がなくて。やっぱりひとりでやってるのがすごい好きでしたね。ただ、中学校に入ってからドラムも叩けてギターもベースも弾けると、当時はだいたいドラムでしたけど、X JAPAN、BOOWY、ZIGGYなどなど、先輩方がやっていたあの辺のコピーバンドを何個も掛け持ちでやってたんです。そうすると、どうせバンドやるならギターやりたいと思って(笑)、同級生に半ば強引にこれ弾けこれ弾けと誘って自分でバンドを組むようになりました。

──ちなみにその後プロを意識しようと思ったのってどれくらいのタイミングですか?

樽木 高校ですね、プロになりたいという感覚が芽生えたのは。周りが受験が始まる中、僕は全く勉強がダメだったので、もうこっち(音楽)でやるしかないんだろうなみたいな、根拠のない自信がありました。

──そのころは曲をたくさん作り貯めてライブで演奏するっていう日常生活?

樽木 高校で組んだバンドが地元では割と有名になったんです。ライブハウスでの動員が何百ってあったんですよ。当時では珍しく他校からメンバーを引き抜いてきた寄せ集めでバンドで、プロモーションもメンバーが各々の高校でしてくれるみたいなラッキーなバンドだった(笑)。それにオリジナルを全曲というのも珍しかったと思う。

──そのバンドはスタイルとしてはフォークロック的な感じだったんですか?

樽木 モテたい一心で、フォークロックからポップスから、そのときに流行ってるものに当てていったので、ぐちゃぐちゃでした(笑)。アルバムを一枚だけ作ったんですけど、とにかく女子たちが何を聴いているかを考えて、ビジュアル系のパクリみたいな曲の次はスピッツ系だったり、かと思えばメタル系だったり、ハードコアだったり……自分の中で1曲1曲コンセプトを決めて……コンセプトと言ってもあのバンドっぽい曲にしてみようという感じで、高校のときはそういうふうに曲を作ってましたね。

──樽木さんのオリジナリティはいつ完成したんですか?

樽木 メジャーデビューちょい前ぐらい。それまではブレてることがコンプレックスで、いろいろ聴きすぎちゃって、結局俺、何したいんだろうみたいな感じの時期がずっと続いてて。地元でバンドとしてのルーツもなかなか見い出せてはなかったんですが、上京してからまたひとりで活動するようになって……とにかく弾き語りでやっていきたいという気持ちがとても強かったので、世界各国のそのシンガーソングライターと呼ばれてる人たちがどんな表現をしてるんだろうとレコードを聴き漁ったんですよ。それこそスティーヴィー・ワンダーやジェームス・テイラーのような超有名な作品から無名なものまで。ただ超有名なものって素晴らしいとは思うけど、繰り返し聴くかと言ったらそうでもなくて、繰り返し聴きたくなるようなものを自分で探そうという中で、ホセ・フェリシアーノに出会うんです。彼のアルバムを聴いたときにガツン!と来たんですよね。

シンガーソングライターというと70年代後半以降の作品はゴージャスに彩られたアレンジというイメージがほとんどで、そこに僕は違和感があったのかな。その点、フェリシアーノのアルバムはスカスカだった。あの人はソロの弾き語りとしての軸がありながら、そこに肉付けをしていくという感じで、スカスカなのに熱量がすごいみたいなところにすごく共鳴して。調べてみたらウッドベースとパーカッションと弾き語りみたいな変則的な構成だけど、ウッドベースにはレイ・ブラウンが入ってたり、ジャズマンの起用を含めてそういうことをやってんだ、と。ポップミュージックに手は出てはいるんだけども、その後ろのサポートやアプローチによって、ポップスがこんなに変化するのか、と驚きでした。

──フェリシアーノに出会ったことがかなりの衝撃だったわけですね?

樽木 そうなんです。ギターの技術はもちろん、島国で育った方で(編注:プエルトリコ出身)、南米っぽさもありつつも、すごく“ミックスされた感じ”が自分にはゾクッとしたんです。そこからさらに掘り下げるようになって、中南米あたりのシンガーソングライター──ブラジルだったらジルベルト(ジル)、アルゼンチンのフォルクローレ、キューバのフィーリン──なんかに出会ったわけ。日本だとフォークミュージック=弾き語り、そういうイメージが強かったから、まだまだ日本語でもこういう発展の仕方できるんじゃないかみたいな考え方になっていったんです。


■アルバムは南米の雰囲気を散りばめて
■うまくまとまったかなとは思う

──そういうのを踏まえて新作『tau』は、前作『ett』から3年ぶりとなりますね。どういう考えのもと作られたアルバムなんでしょうか?

樽木 今回はデビューから20周年、旅に出始めて10年ちょっとで、とにかくソロの弾き語りというものに執着をして音楽活動をしてきたんです。自分ひとりでどこまでオーケストレーションできるかをやってきた中で、前作『ett』がその集大成と言うか、いったんここまで僕のやってきた弾き語りはこれですというものを提示をして、そしてそこから次のステージということでさっきのフェリシアーノの話につながるんですけど、今度は少しずつまた自分のルーツを肉付けしていこうという感覚で作ったアルバムなんです。デビューしたときのアルバム『PUZZLE』(2004年)は、とてもゴージャスに作っていただいたんですね。ただゴージャスには仕上がってるけど僕の中ではとても違和感があって……。

──ずっーとフェリシアーノみたいなものに近づけたかったから、やりたいことと本当は違う?

樽木 そうなんです。えらい豪華になっちゃったなと思いながらも、錚々たるミュージシャンの方に参加していただいて、とても良かったんですけど、いつかはリセットした状態でソロの弾き語りを完成させてから、自分の音楽に本当にいるものだけを肉付けしたいという考えはデビュー当時からズーッとあって。で、ようやく『ett』という弾き語りの完成形を出せたので、次はこれに少しずつルーツの肉付けしていこうということで今回発表するアルバムの制作に入ったわけです。では、どのルーツをくっつけるかというところになるんですが、いろいろな音楽を聴いて、今回は南米の雰囲気──ブラジルやアルゼンチン、そういったルーツを自分の今の弾き語りの中に落とし込めたらいいなと、少しずつフレーバーを散りばめて、うまくまとまったかなとは思うんです。

──前作はギターと歌だけのせいもあって、ちょっと寂しげな感じが印象的なんですけど、今回はすごく楽しげな感じだったので、そこはやっぱり南米のフレーバーなんでしょうか?

樽木 そうだと思います。彼らって少人数でもめちゃくちゃ楽しそうに演奏するんですよ。日本人としてはそうはなれないのは分かるんですけど、クロスオーバーミュージックだということを踏まえると、そういう楽しさってどこかしら憧れから来てるものだと思っていて、僕も今回はとことん憧れたものを作ろうと。やっぱり僕はあの混ぜ物、国と国とが混ざって作られた物──ちょっとヒリヒリするような、ちょっと残念なような、未完成の美学というか、もうちょっとこれ足したいなみたいなところで完成としてる、しかもそれを自信満々に披露するというところに、すごく僕は惹かれているんです。70年代の半ばぐらいの各国が混ざりながら、試行錯誤しながら、シンセサイザーの恩恵はまだあまり受けていない時期で、なんとか自力でやってやろうという感覚……ちょっと土の匂いもするような感じが好きなので、それを今回アルバムに参加していただいたミュージシャンに伝えて、僕らの楽器以外は他に上物重ねるつもりはございませんと最初に説明をしてからレコーディングに入ったんです。レコーディングは遠隔操作ではあるんですけど、すごく人間味というのもしっかり表現できてるかなと思います。

──20周年のライブを南青山BAROOMで行いますが、バンド編成ということで、普段の弾き語りと違う雰囲気になると思います。どんなライブになりそうでしょうか?

樽木 ここから先の、僕の活動の道しるべとなるような形にしたくて。これまで10年以上、僕はひとりで旅しながら弾き語りをして各地を回ってきてるので、皆さんもソロの弾き語りの人というイメージがついてると思うんです。先ほど説明したように、作品としてもこれから肉付けを楽しんでいきたいという時期に入っているので、そのご挨拶というか、これからこんな形で仲間とも作っていきますよ、というのがしっかり伝わればいい。

あとはデビュー当時にやったライブがバンド編成だったんです。渋谷JZ Bratで豪華にやったんですけど、そのときから20年経って今の自分の“バンド感覚”を表現できればいいなというのもある。当時青々しかった、エセAORみたいな感じ、それに僕はずっと違和感があって、完成されてるものの真似じゃなくて、こんなの聴いたことないじゃん!という日本人の音楽を作りたかったのに、それができなかったという思いが今でも残ってるから、自分を納得させるための20周年記念ライブでもあるんです。すごく気心の知れた、信頼をおいているミュージシャンだけを募って、弾き語りに割と自由に肉付けしてもらったような、7割ぐらいの即興演奏みたいな、そういう形も披露できたらいいですね。

──弾き語りの面白さとバンドの面白さってやっぱり違いますか?

樽木 全然違いますね。技術的なことを言うと、弾き語りのときは自分の中でバンドだと思ってやっていて、なので皆さんにもそれが感じていただけるように、これまでずっと弾き語りに執着してやってきた。バンドになるとひとりで全部をやっていた部分が解放されるので、アプローチ自体が全く違うものになると思う。なので楽曲が一緒なのにすごく違った感覚のサウンドを聴かせれるんじゃないかと思ってます。

──いつも樽木さんの弾き語りを観ている人も、今回のライブを見たらびっくりっていうところありますか?

樽木 全然違うと思うし、弾き語りのライブのときはひとりでグーンと入り込んで2時間ぐらいワンステージやるので、落ち着いたトーンと曲の“運び”みたいなものを気にしながら、噺家に近いような感じで、進めるんです。なので、そういったものとは別物──暗かったやつが明るくなったっていうぐらいの思う人もいるかもしれないですね。

──最後にファンの皆さんにメッセージを。

樽木 コロナの状況からもようやく回復しつつあり、皆さんも解放されたこともあって、ここから先はちょっと旅人になってみませんか?という提案をしながら、僕も普段と同じように旅を続けようと思っています。地元に樽木が来るというのじゃなくて、あそこにいるから観に行ってみようか、という感覚になってもらえるような、お客さんたちの意識も持っていただけると、すごく面白い混ざり方をするんじゃないかなと思っていて、地元にいるのを待つだけではなく、ぜひ旅をしながら樽木の音楽に触れてほしい。

▲CD
▲配信

『tau』

2023年7月12日(水)
FCRCD-013 3,300円(税込)

■収録曲
01 Linto(Alternative mix)
02 風窓とワルツ
03 メメント
04 ひねもす
05 amanos
06 ミズ ノ カゾエウタ
07 セツナ(Alternative mix)
08 Roro M244
09 虹色ジャーニー
10 Luz de...n

■参加アーティスト
樽木栄一郎 (Vocal&Guitar)
千ヶ崎学 (Bass)
宮川剛 (Drums)
島裕介 (Trumpet)
黒川紗恵子 (Clarinet)


<樽木栄一郎>

2023年7月8日(土)
開場 18:00 | 開演 19:00
■料金
 前売 6,000円 | 当日 6,500円 (ドリンク代別途)
■出演
 樽木栄一郎 (Vocal&Guitar)
 千ヶ崎学 (Bass)
 宮川剛 (Drums)
 島裕介 (Trumpet)
 and more
■会場
BAROOM
東京都港区南青山6-10-12 1F
六本木通り南青山七丁目交差点角
・「表参道」B1,B3出口より 徒歩約10分
・「渋谷」東口/都バス01系統「新橋」行き青山学院中等部前バス停下車 徒歩約3分
■チケット発売日
 5/24(水) 18時
■チケット発売URL
 https://taruki230708.peatix.com

◆樽木栄一郎 オフィシャルサイト
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