【インタビュー】マイナマインド、アイドルからシンガーへの自然で揺るぎない針路「もっとシンプルな考え方でいい」

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マイナマインドの1stアルバム『GAMBIT』がCDリリースに続いて、配信をスタートした。ほぼ1ヵ月に1曲のペースでレコーディングを実施したという収録全11曲は、フィッシュマンズのカバー「ナイトクルージング」を除くすべてを自身が作詞作曲したもの。R&Bやソウル、ファンクなど楽曲の振り幅は広く、ソングライターとしての懐の深さを感じさせると同時に、それらを歌いこなすボーカリストとしての技量の高さこそ注目に値する。加えて、ライブではエネルギッシュなダンスパフォーマンスや脚立を駆使したステージを展開するのだから、痛快この上ない。

◆マイナマインド (MAINAMIND) 動画 / 画像

3歳よりダンスレッスンを受ける一方で、日本舞踊の藤間流名取という側面を持つ。また、アイドルグループ⼤阪☆春夏秋冬の結成メンバーとして、2022年4⽉30日の現体制終了まで約10年間走り続けた。ソロの本格始動は、その直後のことだ。ちなみにMAINAMINDなるソロ名義は、MAINAという名前に、“自由気ままな気持ち=MIND”を加えた造語だという。

そして完成した1stアルバムは、ソロデビュー以降の配信リリース楽曲を網羅した集大成でもある。“駒を犠牲にする”というチェスの手法であり、日本語だと“肉を斬らせて骨を切る”というニュアンスを持つアルバムタイトル『GAMBIT』には、マイナマインドの“これまで”も“これから”も溢れているようだ。ソロ始動前夜から現在までの道程を訊いたロングインタビューをお届けしたい。


   ◆   ◆   ◆

■挫折しても何度でも立ち上がれる
■今もその途中なんです


──MAINAさんはアイドルグループ大阪☆春夏秋冬のボーカリストとしての活動と並行して、2021年10月にマイナマインド名義のソロデビュー曲「鬼でもない」をリリースしました。当時は、どんなふうにスタートしたんでしょうか?

MAINA:そもそも“ソロでやりたい”という思いは小学生の頃からずっと持っていたんです。始動のきっかけは、ナンバーガール、フィロソフィのダンスやMrs.GREEN APPLEさんなどの発掘/プロデュースをされていた加茂啓太郎さんとの出会いが大きいんですね。

──ソロデビュー曲「鬼でもない」以降現在まで、すべてのソロ作品を加茂さんがプロデュースしていますが、そもそもの出会いとは?

MAINA:大阪☆春夏秋冬のライブをよく観に来てくださっていたんですが、新宿アルタ前で路上ライブをしてたジャズバンドをたまたま私が観ていたとき、加茂さんも私のすぐ横で観ていたんですよ、まったく偶然に(笑)。加茂さんに声をかけたら、「MAINAはこういうのも好きなんだね」「実はファンクとかソウルとかがルーツなので、大好きなんです」「曲も自分で書くの? 送ってよ」という話になって。それから私の曲を聴いていただいたりしていたんです。



──ソロデビュー前の2021年5月、SUNABAGUNの大林亮三(B)さんによるRYOZO BAND名義の楽曲「Night Lights feat. 日向ハル & MAINA」にフィロソフィーのダンスの日向ハルさんとゲストボーカル参加されましたが、そのときも加茂さんが関わっていたとか。

MAINA:はい。ソロを始める前にフィーチャリングという形でハルちゃんと歌ってみようっていうのが「Night Lights feat. 日向ハル & MAINA」で。そのプロジェクトに加茂さんも関わっていたんです。レコーディングのときに加茂さんと亮三さんが音楽的な深い話をしていて、“話についていきたい! もっと詳しく知りたい!”と思っちゃったんですね。加茂さんが本格的にマイナマインドをプロデュースしてくれるようになったのはそこからで、私の誕生日にリリースした「鬼でもない」が加茂さんプロデュースによるソロデビュー曲となりました。

──加茂プロデューサーと偶然の、それも抜群のタイミングでの出会いがあったんですね。

MAINA:はい。ただ、さっきお話があったように、そのときはまだ大阪☆春夏秋冬に所属していたので、ソロとしての本格スタートは、大阪☆春夏秋冬の現体制終了後の2022年5月1日からなんです。今、ようやくソロ2年目という感じですね。

──自身で曲作りを始めたのはいつ頃から?

MAINA:中学を卒業するときですね。親にギターを買ってもらって作詞作曲を始めました。小さい頃はピアノを習っていたんですけど、まったく覚えてなくて(笑)。お父さんがギタリストだから教えてもらえるし、ピアノよりも手軽にどこでも曲を作れるなと思って。

──当時はどんなギターを弾いたり、どういう曲を作っていたんですか?

MAINA:J-POP風の曲を作ってました。ちゃんとAメロがあってBメロがあってサビがあって、コード進行はコードが4つくらいしか出てこない感じだったと思いますけど(笑)。そのときはソロ活動をしたくて、いろいろなレコード会社のオーディションを受けに行ってたんですね。歌とダンスで一次選考を通ったのに、二次選考で弾けもしないギターを背負って東京に行って。「私、ギター弾けます!」って言ったもののやっぱり大して弾けず、めちゃくちゃ落とされたという思い出があります(笑)。


──その選択は果たして正解だったんでしょうか(笑)?

MAINA:ですよね(笑)。でも、よかったこともあって。オーディション会場では審査に呼ばれるまで、大部屋で参加者それぞれが特技の練習しながら自分の番を待ってるんですね。ダンスや歌、ピアノの練習をしている子が多いなかで、私は大部屋の端っこで、弾けもしないギターをかき鳴らしながら歌っていたんです。そうしたら、なぜか周りに男の子も女の子も集まり出して。「あなたの歌声、なんかいいよね」って言われたり、「もっと歌って!」ってライブみたいなことになったり。当時、コードはCとGしか知らないみたいな感じだったんですけど(笑)。そのときに音楽の楽しみ方を教えてもらうことができたんです。おかげで今も音楽をやっているのかなって思います。音楽をやっている者同士の絆みたいなものも感じて、みんなで上がっていけたらいいなと思っているんです。

──いろんなタイミングで次につながる素晴らしい経験をしていますね。たとえオーディションには通らずとも次の目標を迎えたり。

MAINA:実際は、友だちの上京をたくさん見送ってきたり、売れていく子の背中を押したりもしてたから。それはめっちゃ悔しかったし、嫉妬や妬みもあったんです。でも、そんなときに手を貸してくれる人がめちゃくちゃいたんですよね。人に恵まれているのかなって思います。その人たちのためにも頑張らなって思えるから、挫折しても何度でも立ち上がれる。今もその途中なんです。

──それがまさに「VICTORY」(2022年7月配信)という曲になってますね。

MAINA:そうなんです。自分の経験を活かして書いた曲が「VICTORY」です。



──曲作りを始めたときはJ-POPだったそうですが、MAINAさんのルーツはもう少し違うところにありそうですよね。最新アルバム『GAMBIT』を聴いても、ダンスミュージックやソウルを中心に、グルーヴのある歌を聴かせています。

MAINA:母の影響で3歳からダンスを始めたんですけど、レッスンする時の曲が'80年代や'90年代のブラックミュージックだったり、TLCやフージーズ、カーティス・メイフィールドとかだったんです。それと、さっきもお話したように父がギタリストだったので、物心がつく前から家ではブルースやファンクが流れていて。そういう音楽を小さい頃からずっと聴いてきたので、逆に初めてギターを持ったとき、“え? ブルースってどうやって弾くん!?”ってなっちゃって(笑)。

──最初に覚えるコードでブルースは弾けないかも。

MAINA:ギターの教本を開いたとき、最初に出てくる曲はJ-POPでしたし。何年か経って父に訊いて、「ブルースのコード進行っていうのがあるんだ! テンションコードを使うとこんな響きになるのか! だから全然できひんのか!」と初めて知って。なぜかポップスみたいな曲ができるんだよなーと思っていたら、そういうことだったのかと。

──ということは、小さい頃から触れていたような音楽をやりたい、という思いがあったわけですね。

MAINA:でも、技術が全然追いついてなかったっていう。今でもそんなところはあるんですけどね。J-POPとかシティポップとかももちろん大好きなんですけど、育ってきたルーツがあるからなのか…思い浮かぶメロディ自体はソウルとかダンスだったり。それも“こういう曲を書こう”と意識したものじゃないんです。ソロになって驚きましたね、それには自分でも。

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