【スロー・アンダースロー/リーガルリリー海の短編連載】第10回「花瓶」

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その二人はとてもじゃないけれど仲睦まじい夫婦には見えませんでした。というのも私を含め街の人間は皆、二人が結婚して五十年、親しげに会話しているのをろくに見たことが無かったのです。


魚屋で彼女が「蟹は嫌い?」と聞くと、彼は「飽き飽きだ。」と答える。花屋で彼が「何買いたい?」聞くと、彼女は「ダリアいっぱい。ま、期待はしないわ。」と答える。

そんな会話には言葉の節々に違和感があり、傍から見ている人間が冷たい印象を受けるのは当然のことでした。もちろん、それぞれが他の人間とは和気あいあいと話している、そんな瞬間を見ることは多々ありました。けれど二人揃った途端にどうもぎこちなくなる、そんな不思議な雰囲気をもう何十年も纏っていたのです。



彼女が私の隣に入院してきたのは夏の終わりのことでした。どれだけ天気が悪くても彼女のところには毎日の様に彼がお見舞いにやってきます。けれど二人は、長い沈黙の後、ほんの少しの会話をするだけでした。そして、それはやっぱり不思議な空気感を醸し出していたのです。

ある時彼女が「愛妻家になりたい?」と訊くと、彼が「確かに、なりたいな」とだけ答え、またある時、花を持って来た彼が「はい、ダリア」と渡すと、彼女は受け取ってから少し考えて「秋が来た。久々に街が見たいわ。」と言い二人で病室を出ていくのでした。



「旦那さん、毎日お見舞いに来てくれて優しいですね。」そう声をかけると、彼女は「マメすぎるんです」と微笑みました。

それから初めて彼女が私の六個上で今年七四歳になるというのを知り、子供がいないことや昔はスチュワーデスをやっていたことなんかも話してくれました。お見舞いでもらったカステラを分かち合えば、私たちは思っていたよりもすぐに打ち解けることができたのです。


「うちの旦那なんて変な病気を貰いたくないからなんて言って全然来てくれないわよ」
「いいじゃない、来たって特別何するわけでもないんだから」
「実はずっと気になってたんだけど、家でも二人はあの感じなの?」
「ああ…。もちろんずっとじゃないけど、あれ昔二人で作ったゲームみたいなものなのよ。」

二人は今よりうんと若い頃、愛し合ってはいたもののお互いに恥ずかしがり屋だったためにうまく愛情表現をすることができなかったそうだ。改まって愛の言葉を言うことも、スキンシップをとることも難しく、けれどどうにかこの思いを伝えたいと思った彼がある日こんな提案をしました。

「aiを使って伝えるのはどうだろうか…。そうしたらどんな時でも君に愛を伝えられると思うんだ。」それから二人はお互いだけが分かるように、会話の中に母音がaiになる言葉を織り交ぜて愛を伝えるようになったのです。

「ほら、マメでしょう。だからもう何十年もこうなの。彼にはこの話をしたこと内緒ね。」

私には恥ずかしそうに話す彼女が少女のようでとても可愛らしく見えました。


そんな二人のことを知ってからというもの、数メートル先から耳に入ってくる言葉の全てに愛が溢れているようで温かい気持ちになりました。私が、いやもっと言えばこの街の人間みんなが気づかずに、何十年もの間二人だけの言葉で愛を確かめ合っていたなんて、これほどロマンチックなことがあるでしょうか。




彼女の容態が悪くなったのはそれからすぐのことでした。ついこの間までふっくらとしていた頬も肌の血色も、まるで花が枯れていくように段々と消えていったのです。二人が最後に会った日のことは今でもはっきり覚えています。


窓際の花瓶には色鮮やかな花が何本か挿してあって、不釣合いなくらい生き生きと咲いていました。それはベッドに横たわる彼女の生気を奪って輝いているようにも見え、少しだけ怖くなりました。

その日も彼はいつも通りやってきました。手にはまだ蕾のダリアが一本。彼はいつもお見舞いに蕾や、まだ満開ではない花を持ってくるのでした。きっとこれから枯れる花よりも、これから咲く花を彼女のそばにおいてあげたかったのでしょう。


彼女は細い声で言いました。
「明日にはいない。」

彼はしばらく何も答えませんでした。それから長い沈黙の間中彼女の手握り、最後に「…何が終いだ」と言って出て行ったのです。


この日のことを思い出すと、今でもどんな気持ちになればいいのか分からないのです。あまりにも悲しい別れだったのか、あるいは二人らしく最後の愛を送り合えたのか。

そして彼が帰ってすぐ、「もし彼がひとりになったら渡して」と私に小さなメモを授けました。




「明日にはいない。」そう言ったけれど、彼女が息を引きとったのは次の日の朝でした。荷物を片付けに来た彼に例のメモを手渡すと、しばらく顔を伏せて、膝からすとんと落ちるようにしゃがみ込みました。


そして次に顔をあげた時には目に涙をたっぷり浮かべて「なに、再会は近い。」と泣きながら笑ったのです。



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泣き足りない愛妻家 さんへ

幸い、ダリア以外咲いたみたい。

会いたいわ。
意外かしら?

          M
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―――――――――――

aiaiaiaiaia ***

aiai,aiaiaiaiaiai.

aiaia.
iaiaia?

          *
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リーガルリリー 海

スリーピースバンド、リーガルリリーのベーシスト。国内のみならず、カナダ、アメリカ、香港、中国といった、海外でのグローバルなライブ活動も行い、独創的な歌詞とバンドアレンジ、衝動的なライブパフォーマンスが特徴。ドラマParavi「隣の男はよく食べる」主題歌の新曲「ハイキ」を含む、5曲入りミニアルバム「where?」を5月24日にリリース、7月2日にはバンド初となる日比谷野外音楽堂公演を行う。

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