【スロー・アンダースロー/リーガルリリー海の短編連載】第11回「茶碗」

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落ちるように眠っていると、聞き馴染みのあるチーンというお鈴の音で起こされた。いつの間にかかけられたタオルケットのぬくもりを感じながら、首に手ぬぐいを巻いた祖母が台所に戻っていくのを逆さまに見る。

寝ぼけた身体に線香の匂いが届くと、このタオルケットを随分昔から使っていることに気が付いた。ごわごわしているけれど、大きさといい重さといい絶妙に昼寝を誘うそれには、いつでも誰かが自分を見守ってくれているという優しい記憶が押し入れの匂いとともに染みついていた。

そんな日々が当たり前だった頃の夏を思い出すと、いつも頭に浮かんでくるものがある。それは私のよりもひと回りかふた回り大きかった祖父の茶碗のことだ。




線香の香りは昔の記憶を誘う。特に夏は祖父の命日があるからかもしれない。彼の死は私にとって初めて身近な、大切な人を見送る瞬間だった。


日々の生活を祖父母と共に過ごしていた私にとって、祖父の死に伴う儀式の一つ一つを受け入れることは、あながち難しいことではなかった。例えば、祖父は毎週何曜日だったか、夕方になると仏壇の前でポクポクと木魚を叩きながらお経を読む人だったし、お盆には鬼灯とナスやキュウリでできた精霊馬を飾り、迎え火送り火と言って玄関先で麻幹を燃やして三回跨ぐのが恒例だった。

彼らにとってそれがどれほどの意味を持っていようが、私にとっては不思議なことでもなんでもなかった。数学の公式と一緒で、「そういうもの」だったのだ。



祖父の身体が家に帰ってきた夜、いや、いつだったかは正直よく覚えていないが、母は夜通し線香の火を絶やさないように見つめていた。
「寝ずの番っていうの。」
そう言いながら蚊取り線香みたいにぐるぐると巻かれた線香を取り出して火をつけた時、なぜそんなことをするのかよりも、連日の慌ただしさから母がちゃんとこの火を守り抜くことができるのか、それだけが心配だった。



そんな私がたったひとつだけわからなかったことがある。というよりも、納得できなかった、というほうが正しいかもしれない。それは祖父の愛用していた茶碗を庭の石で割った時のことだ。いつものように「そういうもの」なのだと茶碗を割った直後、誰かが


「もう帰ってくる場所はないってことだよ」


と言った。その言葉にどうしてそんなに悲しいことが言えるのだろう、こんなことなら先に言ってくれればと、子供ながら人知れず悔しさを抱いたのだ。


数日の間で何度も耳にした「魂」だとか「成仏」なんてものは私にとって心底どうでもよかった。おばけは確かに怖いけど、それでもいいからそばにいてほしかったのだ。

姿は見えなくとも一緒に食卓を囲んで、なんとなくそこに居るような気がしたり、ちゃんと私がいるこの世界に「魂」?なんてものが残っていて欲しかったのだと思う。食器棚に茶碗が無い、そんな些細なことでたった今まで家族だった祖父を追い出したような気持ちになった。



「どうして」で一杯になった頃、ようやく何気なく行っていた風習のことについて考えた。なぜ祖父はお経を読んでいたのだろう。なぜみんなお盆を大切にしているのだろう。炊き立てのご飯を一番に食べさせてもらえなかったのはなぜだろう。




その時に答えは出なかったけれど、大人になった今ならほんの少しだけ分かるかもしれない、そう思った。きっとものすごく単純なはなしで、みんな「愛しているから」なんだろう。「愛していた」んじゃなくて、今も愛しているから。できるだけ思い出したいとか、久々に帰ってくる時くらいはおもてなししてあげたいとか、立派な風習を行う後ろ姿はいつも、そんな素朴な愛を纏っていた様に思う。


そしてもう一つ、ひとり暮らしをしても心配かけないように強がったり、そんなことがあの日茶碗を割ったことに少しだけ繋がっている気がするのだ。

「安心してよ、ほら、ちゃんとやっていけるから」そんな風に、強いふりをして強くなっていく。





いつの間にか線香の匂いはジュワーっという音とともに、揚げ物の匂いにかき消されていた。

台所からは「ご飯どのくらい食べる?」と聞こえ、そんな何気ない声の先に、祖母が手に持つ茶碗を想像した。家を出てからしばらく経つけれど、私の帰る場所は確かにまだここにある。



リーガルリリー 海

スリーピースバンド、リーガルリリーのベーシスト。国内のみならず、カナダ、アメリカ、香港、中国といった、海外でのグローバルなライブ活動も行い、独創的な歌詞とバンドアレンジ、衝動的なライブパフォーマンスが特徴。ドラマParavi「隣の男はよく食べる」主題歌の新曲「ハイキ」を含む、5曲入りミニアルバム「where?」を5月24日にリリース、7月2日にはバンド初となる日比谷野外音楽堂公演を開催した。9月からは全国7箇所を巡るワンマンツアー、12月に対バン企画を実施する。

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