【インタビュー】MADz’s、「Changes」で見せた飛躍「僕らでしかできない込み入った構成の曲」

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Kohjiya(読み:コージヤ)、SHIÓLA(読み:シオラ)、AURAL(読み:オーラル)の3人で構成されるラップ・ユニット、MADz’s(読み:マッドジーズ)。出身である長崎で、幼馴染の3人によって活動がスタートしたこのグループは、中高生の頃から音声ファイル共有サービス・SoundCloudなどに楽曲を発表し、その才能を早くから提示してきた。

◆MADz’s 動画 / 画像

そしてその魅力は、tofubeatsがレコメンドした楽曲で構成される資生堂のWEBプログラム“花椿アワー”での「No Boasting」の起用や、“西九州新幹線開業PR”とのコラボで制作された「We Going On」のMVなどで、着実により広いリスナーに届き始めている。6月に「Changes」、8月には「Chasin' My Dream」をリリースし、弱冠20歳にして更に新たな飛躍を見せる3人組の、これまでとこれからを訊いた。

   ◆   ◆   ◆

■全員がラップできて、トラックメイクできるという
■あのスタンスをお手本にしてる


──まず、3人の出会いから教えて下さい。

Kohjiya:元々、小学校からの幼馴染ですね。ヒップホップを知ったのはSHIÓLAがキッカケだったよね。

SHIÓLA:僕は小学校1年生からヒップホップダンスを習ってたんですよね。それでヒップホップには元々触れてて。

AURAL:それもあってか、SHIÓLAは悪ガキ感があった(笑)。俺とKohjiyaはサッカーのチームメイトで。そういう繋がりですね。

──そんな幼馴染の三人が、音楽を始めようと思ったキッカケは?

AURAL:ヒップホップは聴いてたんですけど、自分たちでもできるかもと思ったのは『BAZOOKA!!!高校生RAP選手権』がキッカケですね。

Kohjiya:YouTubeで見たんだっけ?ラップに興味がない人も、みんな観てましたね。年齢が近い人が活躍してたこともあって、自分たちでフリースタイルこそ始めなかったけど、ヒップホップがすごく身近に感じるようになったんですよね。あとは『フリースタイルダンジョン』。「昨日の試合ヤバかったね」みたいな話もするようになって。それが12歳ぐらい。

──世代的にもそこが入り口だったと。

Kohjiya:それまでサウンド的な格好良さで聴いてたUSのヒップホップとは違って、日本語だから意味が分かるというのが大きかったと思いますね。そこで親近感を感じたというか。それまでは90年代のヒップホップを主にみんなで聴いてたんですけど、そこで現行のラップ、新しくなっていくラップに触れたという意味でも、めっちゃ刺激的に感じて。それで自分たちでも曲を作り始めたんですよね。

──それが12歳ということは中1ぐらい?

AURAL:いや、曲を作り始めたのは小6とか?

──それは相当早いですね。

Kohjiya:最初は、SHIÓLAが知り合いからパソコンを借りてきて、そこに入ってたGarageBandで録り始めたんだっけ?

SHIÓLA:いや、Audacityじゃない?

──いずれにしろ、フリーのDTMソフトで始めたんですね。

SHIÓLA:Kohjiyaがグラセフ(クライムアクションゲーム「Grand Theft Auto」)をやってて、ヘッドセットを持ってたんですよ。

Kohjiya:そのマイクに向かって録ってました(笑)。

SHIÓLA:流石にそれじゃダメだったんで、お年玉を出し合って、めっちゃ安いオーディオインターフェイスを買って、マイクもゴッパチ(SHURE SM58)を買って。それで1年ぐらいやってたよね。

▲L to R:AURAL、SHIÓLA、Kohjiya

Kohjiya:レコーディングについて調べると、「どうもポップガードというのが必要らしいぞ」ということで、親のストッキングをマイクの前に貼ってポップガードにしたり。あと卵ケースを吸音材にしてRECブース代わりにしてたよね。

SHIÓLA:近所に長崎ではめっちゃ有名な茶碗蒸しの店があるんですよ。

Kohjiya:だから大量に卵ケースが捨ててあるんで、それを持ってきて吸音材代わりにして(笑)。だから、他の同い年の子たちとはぜんぜん違う遊び方をしてましたね。最初はビートも作ってたんだけど、やっぱりクオリティが納得行かなくて、それでネットにあるインストのビートを使ってラップしたり。

──当時使ってたビートは?

Kohjiya:色んなビートに乗ってましたけど、覚えてるのはZEEBRAさんの「Street Dreams」、韻踏合組合の「一網打尽 (REMIX) feat. NORIKIYO,SHINGO★西成, 漢」……そのRECでAURALが入ったんだよね。最初は俺とSHIÓLAでMADz'sを組んでて、俺とAURALはそれとは別にJUNK BROSというユニットをやってたんですよ。それでMADz'sで「一網打尽」のビートジャックをしようと思った時に……。

AURAL:「“一網打尽”やるにはメンツが足りないから入ってよ」と声かけられて(笑)。

Kohjiya:人数合わせだったっけ(笑)。それで「だったらもう一緒にしよう」と言うことで、3人でMADz'sになったんですよね。

SHIÓLA:あとDAS EFXのビートとかにも乗ってたね。

──最初に乗ってたのは、かなりBoom Bap系のトラックだったんですね。当時はどんな内容のラップをしてたんですか?

Kohjiya:子どもだし、ボキャ貧だから、バトルとかの常套句みたいことばっかりだったと思いますね。「俺はカマすぜ!」みたいな。「稼ぐ!」とか(笑)。

──中学生なのに(笑)。それは人に聴かせたりしてました?

Kohjiya:YouTubeにアップしてましたね。

SHIÓLA:で、中1の後半ぐらいから、長崎のローカルの先輩とかからちゃんとビートを買って、それにラップを乗せてSoundCloudに上げたり、CD-Rに焼いてクラブで売るようになって。

Kohjiya:最初はフリーでCD-Rを配ってたんですけど、クラブに来る音楽好きなおじさんとかが、「頑張ってよ!」って買ってくれたりしたんで、「あれ、これは売れるのかな?」って(笑)。

──多分、僕も買うと思う。中学生が自分たちでRECして売ってるなんて、おじさんにしたら可愛すぎる(笑)。

Kohjiya:で、それで500円ぐらいで売ってて。

SHIÓLA:150枚ぐらい売れてたよね。

──なかなか儲けましたね(笑)。それは長崎のクラブですね?

Kohjiya:そうですね。市内のクラブのデイタイムのイベントでしたね。

SHIÓLA:ヒップホップのイベントがあって。初めてライブしたときが中2か中3だったんですけど、その時のスペシャルゲストがKEIJUさん、当時はYOUNG JUJUさんだったんですよね。

Kohjiya:CD渡したよね。ガチガチになりながら(笑)。「聴くわ!」って言ってくれて。

SHIÓLA:でも「毎日クラブに」みたいな感じでは全くなかったですね。

Kohjiya:年齢的に夜のイベントには入れないし、みんな受験の時期やったから、クラブとかでライブするのを目指すよりも、制作とかSoundCloudにアップするのを頑張ろうと。

AURAL:あと、SPでビートを作ってるのをYouTubeに上げたりしたよね。

▲AURAL

──SPって、ヒップホップの名機である「Emu SP-1200」?

SHIÓLA:じゃなくて「ROLAND SP-404 MK II」ですね。みんな1台ずつ持ってて、俺ら。

Kohjiya:なかなかレアいと思いますよ、そんなグループ(笑)。

──中学生のグループで全員がSP-404を持ってるのはなかなか聞いたことがないね(笑)。

SHIÓLA:お金貯めて買ったよね。当時はそんなに高くなくて。

Kohjiya:バイト禁止の学校だったんですけど、引っ越しの日雇いを3回ぐらいやって買う、みたいな。

SHIÓLA:イベントの設営とかやってたよね。中学生なのに「高校生です」とか言って潜り込んで(笑)。

──全員がトラックメイクにも興味があったと。

Kohjiya:僕らはめっちゃFla$hBackSに影響を受けてるんですよね。だから全員がラップできて、トラックメイクできるという、あのスタンスをお手本にしてるし、個人でも全部できるようにしよう、という会話を中学生の時にしたのを、めっちゃ覚えてます。

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