【インタビュー】自死の悲劇「その人がいなくなった不在の重みと、残された人の悲痛」

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9月10日は、「自殺に対する注意・関心を喚起し、自殺防止のための行動を促進すること」を目的としてWHOによって制定された世界自殺予防デーであり、9月10日~9月16日は自殺対策基本法によって「自殺予防週間」と位置付けられ、国及び地方公共団体によって広く啓発活動に力が注がれている。

自死は誰の身にも起こりうる社会的な事象として重大な問題となっているが、ここに孤軍奮闘し、自死にまつわる思いと遺された人たちが味わうことになる無惨さ、その深刻さを説いて回るひとりのミュージシャンがいる。ロゼ・スタイルというロックバンドのバンドリーダーを務める長谷川シンというギタリストだ。


ロゼ・スタイル

1996年に名古屋で結成されたロゼ・スタイルは、2007年にメンバーのベーシストを失った。いきなりの自死だったという。その時から既に16年もの年月が経っているものの、長谷川シンの心は今もなお全く癒えていない。ある意味であのときのまま、そしてあの時の喪失感も和らいでいない。外野からの心ない発言や、心をえぐるような他人の声を必要以上に浴びせられ、色褪せることのない苦しみに耐え忍んできたという。

自死は、本人が亡くなってしまうと同時に、遺された人たちに多大な影響を与える。その事の重大さをひとりでも多くの人に伝えたいと願い、自死とそれによる不幸を少しでも減らしたいと、長谷川シンは自らの経験談を語っている。


長谷川シン

──今や自死問題は、誰の身にも起こり得る社会的な問題となっていますね。

長谷川シン:先日もryuchellさんが亡くなって、もちろんその時はニュースにもなって話題になるんですが、1~2週間も経つと、皆さんもそれぞれ生活のなかでいろんなことがありますから、その話題も薄れていってしまうと思うんです。もちろん、薄れていった方がいいこともあるかもしれないけど、せめて自殺に至ってしまうくらい思い悩んでる人が、実はすごくそばにもいるかもしれないということを、知っていただくきっかけになったらいいかなとは思います。

──自殺を未然に防ぐことが、少しでも増えたらいいけれど。

長谷川シン:僕も専門家じゃないので、心理学の学者でもないし精神科医でもないですけど、ひとりの自殺者には、例えば両親がいて兄弟がいて友達がいて、学校の仲間がいて会社の同僚がいて…遺族じゃないけど自死遺族という言葉で言うとしたら、周りにどれだけいるんだっていう。年間2万人とか亡くなってるってことは、何十万人とか何百万人っていう規模で、仲間を失っているわけです。職場で毎日顔合わせてたのに、ある日突然来なくて亡くなっていたっていったら、それって精神的にも経済的な面でもものすごい損失だと思うんですね、

──そうですね。

長谷川シン:僕らは自殺した方のことを話題にしますけど、その残された人の悲劇というか、その人がいなくなった不在の重みというのは、ものすごく大きいんです。

──それはロゼ・スタイルで味わったことでもあるんですね。

長谷川シン:そうです。メンバーを失ったことで気付いたことです。それまでは僕も、どこか週刊誌の話というか、遠い東京という芸能界で起きてることみたいなイメージだったんですけど、自分たちのバンドでそういうことが起きたことによって、そういうイメージは覆されましたし、身の回りで起きてくる影響を嫌っていうほど味わいました。僕もそうですし、他のメンバーも人生が変わっちゃったというか、それまで通りの生活ができなくなったのは確かなことで、この揺るがない事実というのは、その人が不在になるっていうことの重みなんだと思います。

──メンバーが亡くなった時に感じたことは、悲しみと混乱ですか?

長谷川シン:悲しみにくれて、それ以外の思いは複雑で、言葉で表しきれないと思うんですけど…そうですね。僕たちの場合はツアー中だったんで、混乱が大きかったですかね。最近ですと、神田沙也加さんが札幌の地方公演の最中にホテルで亡くなられましたけど、まさにこの件も、神田沙也加さんにはスポットが当たりますけど、公演の役者さんだったり、同行してるスタッフさんや舞台関係の方とか大道具さん小道具さん…関わってるお仕事の方々が受けた影響や心のケアなどには、ほとんど触れられませんよね。神田沙也加さんが不在という重みは、その後もとてつもなく大きくて大変なことなんだと思うんです。

──長谷川さんは、そこからどのように立ち直ってきたんですか?

長谷川シン:気持ちは引きずってます。極端なこと言ったら、別に、今も立ち直ってるわけでもないですし、何かを克服をしたわけでもないですし。バンドをあのまま続けたかったという未練もタラタラですし、もう10数年経ってますけど、そんなに経ったっていう実感もない。1週間後とか1ヶ月後とかから、あんまり変わってない。だから、よく「その先に進みなさい」とか「切り替えなさい」みたいなことを言う人もいるんですけど、全然切り替わっていない。ただ、そのメンバーがいない世の中でそのまま生きてる。だから、それまでのようなバンド活動ができないまま今になっている。

──自分やメンバーや世の中に対して、怒りのようなものは芽生えませんでしたか?



長谷川シン:もう怒りです。ほぼ、怒り。それは亡くなった本人に対してだったりとか、周りのやじ馬…取り巻いてる人たちに対する怒りっていうのが大きかった。その、どうにもできないことへの怒り。

──分かる気がします。はけ口のない怒りは、年月だけでは溶けないものとも思います。

長谷川シン:根深いです。むしろ年月って増幅させる部分もある気がします。外野の人たちの言葉もそうで、初めは「大変だったね」なんて言ってても、そのうち「いつまで言ってんだよ」くらいの感じになってくると、いやいや、そっちはそうかもしんないけど…って、苦痛というか不愉快だった。

──そここそが、まさに遺された人たちの苦しさや不幸ですね。

長谷川シン:もちろん自分自身だけじゃなくて、亡くなったメンバーにもご両親がいらっしゃるし、ご兄弟もいらっしゃるし、お友達だったりいろんな繋がりがあって、その人たちなりの苦しみや葛藤があると思うんですけど、僕らのバンドはCDも出せてレコ発ツアーもできて、とてもいい状況にいて、次にどう繋げるかっていう時期だったんで、そこでこけたっていうのも辛かったんですよね。

──バンドって、ある意味家族以上のつながりがあったりしますからね。

長谷川シン:もうほんと、おっしゃる通りです。一緒にいる時間も全然長いですし、ツアーともなれば3食共にする生活ですから。それが1番辛いですね。普通に目の前にいた人が本当にいないんだっていう、なんか不思議な感じというか、直視できないというか、これほんとなのかなみたいな、夢なんじゃないかって思いました。

──人がいなくなることの大きさ、ですね。亡くなる原因には病気や怪我、事故などさまざまありますが、自死ということの影響や違いはどう感じますか?

長谷川シン:防ぎようのない不慮の事故などは誰が悪いというものでもないですし、病気もそうですけど、自殺するっていうのは、自分の意思だったりとか、どこかに行くだとか、そのための用意をするとか、何か下調べをするとか本人がそういう行動をしていますよね?それを止められなかったというのは、僕ら周りのメンバーの存在が、本人が生きるという理由にならなかったということで…それは辛かったです。そんなもんだったのかなみたいな、最後に思い出す人物の中に含まれてなかったのかなっていう悲しさはありました。

──自死された本人への慈しみと同時に、遺された者へのケアも必要ですね。

長谷川シン:もちろん自殺はやめてほしいんですけど、僕は遺った人たちのための啓発、発信をしたいって思っています。不在というものの影響がどれだけ大きいか。例えば学校でいつもいっしょにご飯を食べてるメンバーが違ったら、その日の空気って全然違うでしょみたいな。いつもふたりで食べている人なんか、その人がいなかったらもうひとりぼっちでしょう?学校を休んだお友達側ではなく、学校に来てひとりぼっちになっちゃった人がいることを伝えたい。不在の重みを伝えたい。

──確かに、そこにスポットはなかなか当たらないかもしれません。

長谷川シン:ですよね。あとね、バンドなんかやってるからそうなるんだよ、みたいなことも言われました。「芸能界って自殺多いもんね」みたいなことを軽々しく言ってくる人もいる。偏見を呼ぶというか、人の生き死にってそんな軽いもんじゃないでしょっていう。そういう意味でも、怒りが大きかったんですよね。

──ネット上の辛辣な意見で傷つけられる人も後を絶たないし。

長谷川シン:人間ってやっぱり難しいもんで、信じられなくなって、そんな言葉どこから出てくんのかなって思って、人と会うのがもう本当に苦痛になりました。

──人間不信になっちゃうな。

長谷川シン:そういう状態なんで、発破をかけてくれていた人もいると思うんです。今でこそ、そう思えるんですけど、でも当時は無理。ワイドショーの中の出来事みたいにしか思ってない人だらけだったんで、逆に自分のやってきたことが肯定できなくなるというか、メンバーが亡くなったのも俺の生き方がおかしかったんじゃないかぐらいに思ってました。

──そうやって年月を重ねてきた。

長谷川シン:だから、そこは本当に立ち直れてないと思ってます。今でも、バンドをやっていた時の僕を見せられないっていうのが1番辛い、悔しいというか、生意気ですけど「俺、こんなもんじゃないよ」みたいな「ギター持たせたら、どんなもんか思い知らせてやりたい」みたいな。

──立ち直れていないというのは、志半ばで夢砕かれたからなんですね。

長谷川シン:自暴自棄になって事件を起こしちゃう人のことを「無敵の人」って言ったりしますけど、僕も本当に無敵ですよ。ただ、そういう時に僕が言っているのは「無敵の人って、無傷の人はいないですからね」って話。「無傷だから無敵なんじゃないですよ。もう傷だらけだから無敵なんですよ」って言うんです。だから、いつも気を張ってたような気がします。

──メンバーを自死で失った経験から、逆に得たものや気付けたものというのはありますか?

長谷川シン:率直に答えるとしたら、基本的にはないかもしれないです。やっぱ、バンド好きで音楽好きというのが根底にあるので、あのままバンドでいられたらどれだけよかったかって思います。登ってきた途中で梯子を外されちゃったみたいな、戻ることもできないし登れもしない、そういうモヤモヤした感じがずっとしてるだけ。だから得たものっていうのはない。なんか得たものがあったとしても、そんなのいらないからバンドをやっていたかったって思いますね。

──無敵なのに自暴自棄にならず、人の道を踏み外さなかった要因は?

長谷川シン:不在の重みっていう発想に行きついたことはプラスだったかもしれないです。でも「試練とか困ったことって、乗り越えられる人にしか来ませんよ」みたいなとぼけたことを言う人がいますよね?いや、だから、乗り越えられないだらしない人間のままでいいから、メンバーが死ぬっていう試練はいらないですって言いたい。試練って言っちゃうこと自体が軽薄だなって思っちゃうというか、もう自分で死んじゃおうと思うくらい悩んでいる人がいるということを知ったり。でも遺された周りの人がすごく困ったり、今後の人生に多大な影響があるってことは、思い知った。

──長谷川さんの生き方自体も変わりましたか?



長谷川シン:生き方自体は変わってないと思いますし、変わっていないと信じたいし、変わってたまるかと思ってる部分もある。なんていうんですかね…残ったメンバー側が変わっちゃうことが1番悔しいし、いろんな批判をしてきた人たちに対して「変わらないぞ」っていうとこが、せめてものつっかえ棒でもあるし、ロックやってる以上、流儀でもあるような気がします。

──なるほど。

長谷川シン:僕ら、事故物件って言っているんです。賃貸のいい部屋でも「昨日、人が死んでいるんです」というと、じゃあ、他にしますってなりますよね。新しいベーシストとセッションしても、前任の方は?と聞かれ話をすると「何があったんですか?」みたいな、今で言うブラック企業みたいな印象を持たれるんです。ひどい働かせ方なんじゃないか、パワハラがあったんじゃないか、セクハラがあったんじゃないか…みたいな。結局会社が悪い、バンドメンバーが悪いみたいな。

──遺された方は、ある意味、理不尽な被害を受けるんですね。

長谷川シン:一般家庭でも同じで、お子さん亡くなったりすると、なんか家庭環境悪いんじゃないかとか、夫婦の関係が悪いんじゃないかとか、障害があったんじゃないかとか、おおよそ悪いことしか言われないんですよ。

──それは最悪だ。

長谷川シン:幸い僕らは割と平和にやってて仲が悪いわけでもなかったので、どーんと構えてじゃないですけど、堂々としているってことが潔白の証明になるのかなみたいな感覚です。もしかしたらご両親なんかは、バンドなんか演っていたからこうなったんだとか思っていらしたかもしれないし。世の中の大半のイメージからすると、そんな思いもよぎりました。

──ある種のストレスを受けながら生きている現代人である以上、やっぱり誰もが他人事ではないですね。

長谷川シン:そうなんです。お家に帰ったら家族の誰かが死んでいるかもしれないっていう、それぐらい他人事ではないということを知ってほしいんです。



──ひとりでも自殺者を減らす方法というのはあるのでしょうか。

長谷川シン:…今思うのは「そういうストレスを与える側にはならないでいよう」ということ。それは常に思います。パワハラもそうですけど、明らかに相手を追い込んでるって分かっていて行動を取っている人っているじゃないですか。公共の場で職員の方に高圧的なクレームを入れたり。

──人間は社会を作って生きていく動物ですから、コミュニティを大切にしないと環境を壊すことに直結しますね。

長谷川シン:ストレスはそれぞれにありますけど、せめて人と人とのコミュニケートの中では、そういうのはやめていこうよっていうか、避けていきましょうと思っているだけでも違ってくると思うんです。情報過多なのも問題ですよね。

──どういうことですか?

長谷川シン:例えば新型コロナウイルスが蔓延したとき、エレベーターのボタンから感染しないように「端っこを押しましょう」という情報が出回って、みんなが端を押すようになる。もう意味ないですよね。防犯の観点から「独り暮らしの女性はコンビニではふたり分買ったほうがいい」とニュースで報道するから、お箸を2つもらってたりして、逆にその時点で独り暮らしじゃないかと悟られる。そういう情報って、そっとしておいたほうがいいんですよ。なんでそれ言っちゃうのかな、みたいな。放っといてくれと思います。

──愛をもって放ってあげる。いたずらに干渉しない。とても大事なポイントですね。

長谷川シン:放っとけばいいんだって僕は言ってるんです。でも「放っとけばいい」っていう言葉自体に反応されて「放っとけばいいって、どういうことだ」っていう方がいる。

──難しいなあ。

長谷川シン:僕が子供の頃にだだをこねて、部屋に閉じこもっちゃったときに、祖母は「出てきなさい」とは言わないんですよ。「うわ、こんなところにこんなお菓子あった」とか「買ってきたケーキ、みんなで食べようか、シンくんはいないみたいだから、今のうちにみんなで…」みたいなことを聞こえるように言うんですよね。もう、悔しいけど出ていくんです(笑)。子供の時のしょうもない話ですけど、実社会でも同じですよね。報道陣が駆けつけて警察が取り囲む。「周りは包囲されてる、出てきなさい」って言って出てくるわけないじゃないですか。マスコミも帰って、「もう今日は無理だな」って警察も帰っちゃうふりして、誰もいなくなったら犯人も出てきますよ。そういう意味の放っておくです。それは、ストレスを与えないということと繋がっているんですよね。

──イソップ寓話の「北風と太陽」みたいなものですね。

長谷川シン:そうですね。コートをどう脱がせるか。



──この記事の長谷川さんの言葉から、ひとりでも気付きや思うことがあれば嬉しく思います。

長谷川シン:いつも言っているんですけど、もうそのままでいいよ、ありのままのあなたでいてよって思います。少なくとも僕は味方だよって言いたいです。執筆した本「路地裏の劣等感」にも書いているんですけど、完璧なやつなんていませんから。だってね、完璧なやつなんて僕は大嫌いだけど、僕から嫌われているという時点で、既に完璧じゃないでしょ?だから、完璧な人なんていないんです。だから、みんなそのままでいいんですよ。周りも放っといてやれと思います。放っといてあげるからこそ、その人の力が発揮できることもあるし、自分らしく自分のことに打ち込めるっていうこともある。それは遊びでも仕事でもそうです。

──同意します。

長谷川シン:僕に対してもね、僕が変わっちゃったりすることを期待してるやつもいたりするんですよ。メンバーに死なれてバンドがなくなっちゃって、なんか哀れな感じでとぼとぼ歩いていた、みたいな。それは悔しいんで、僕はバンドをやってた時のままの自分でいたいなと思います。いい歳して肩で風切って歩くわけじゃないですけど、平常心を保って、保ってるとこを見せてやりたいって思いますね。もう、怖いものはない、失うものもないよみたいな、10代の時と変わんない感じでね。普通の人生を送れない運命だったんで、そこらへんのやつには負けないよっていう気持ちはあります。

取材・文◎烏丸哲也(JMN統括編集長)

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