【インタビュー】goomiey、新体制後初のミニアルバム『Be』が物語る「ロックンロールは生活の中にあるもの」

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茨城県水戸の女子高生3人が2017年に結成したガールズロックバンドが、goomieyだ。2000年代以降の日本ガールズロックバンドの系譜を受け継ぐ音楽性や、Z世代ならではの世界観が歓迎され、結成からわずか1年後の2018年11月、地元のライブハウス水戸LIGHT HOUSEでワンマン公演を成功させた彼女達はその後、My Hair is Bad、BLUE ENCOUNT、G-FREAK FACTORY、LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERSなど、名だたるライブバンドと同じステージに立ちながら、ライブハウスシーンでめきめきと頭角を現してきた。

◆goomiey 動画 / 画像

その後、直面したコロナ禍やメンバーの脱退という危機を乗り越えながら、平山舞桜(Vo, G)が精力的に活動を続けてきたことは、今回、彼女が語っているとおりだが、2023年3月、新たに鎌田あかり(B)、おり(Dr)を正式メンバーに迎え、新体制になったgoomieyが8月23日、3rdミニアルバム『Be』をリリースした。

アルバムリリースに先駆けて先行配信した「運命」「ロックンロール」も含め、『Be』の全7曲からは新生goomieyをアピールしたいという3人の意気込みが伝わってくるが、このインタビューからは、フロントウーマンとしての平山の向こう意気や、絶妙に通じ合う3人のグッドバイブレーションを、ぜひ感じ取っていただきたい。


   ◆   ◆   ◆

■全然想像できなかったんです
■楽器を持って歌っている以外の自分の姿が


──3rdミニアルバム『Be』を完成させた現在の心境から聞かせてください。

おり:この3人になってから、初めてリリースする(ミニ)アルバムなんです。「運命」と「ロックンロール」はアルバムに先駆けて、配信だけでリリースしていたんですけど、それも含めて、一番自分達らしさを出せる楽曲を詰め込みたいと思いました。マスタリングが終わって、全曲通して聴いたとき、“これこそgoomieyだ”と感じられたんです。ベースのあかりん(鎌田あかり)は体調を崩して、マスタリングに立ち会えなかったんですけど、終わってすぐ…。

鎌田:LINEが来ました。

おり:舞桜ちゃん(平山舞桜)とLINEを送ったんですよ。

平山:「名盤が出来たよ!」って(笑)。

おり:それくらい興奮していたんです。アルバムリリースすることを発表した時から、「名盤です」「名盤です」って言ってきたんですけど、本当に名盤なので、できるだけ多くの人に聴いてほしいです。

──かなりの自信作になった、と。

平山:はい。アレンジは全員でしているんですけど、全曲の作詞作曲をしているのは私で、おりちゃんも言ったとおり、本当に今のgoomieyを詰め込んだアルバムになっていて。これまで出してきた(ミニ)アルバムももちろん自信作だったし、作るたび、更新してきたと思っていたんですけど、今回はそれよりも2倍3倍の自信があるんです。たとえば、歌詞が伝わりづらいと言うか、共感されにくいと自分でも思うところが以前はあったんですけど、今回は、ちょっと大人になったのか、一人暮らしを経験したからなのか、上京したお陰で、茨城にいる時よりも外に出る機会が増えたこともあって、歌詞への向き合い方が変わったんです。歌詞もおもしろいものになっていると思うので、聴いてもらえたらうれしいです。


▲平山舞桜 (Vo. G)

──鎌田さんはいかがですか?

鎌田:言いたかったことはほとんど二人が言ってくれたんですけど(笑)、曲を作るときって、最初のデモは舞桜ちゃんが弾き語りで持ってきてくれるんですね。今回、たくさんデモがある中で、「これをやりたい」「あれをやりたい」と選んだ7曲なので、本当に自信があって。すでに何曲かライブでもやっているんですけど、お客さんの反応がすごくいいんです。だから、他の曲も聴いてもらえたら、さらに歓んでもらえるんじゃないかと思っています。

──ライブでやっているのは?

鎌田:「ロックンロール」「運命」に加え、「ブリーチ」もやってますね。

平山:1曲目の「情けない日々」を、この間、東京と大阪、あと水戸でもやったんですけど、お客さんから「新しい曲が一番良かった。今のgoomieyっぽい」って言ってもらえて、ちゃんと伝わってるんだって思いました。

おり:うん、すごくうれしかった。

──この3人になってから初めて作ったミニアルバムが自信作になった、このタイミングだからこそ敢えて聞きますが、2021年3月に前のベースとドラムが脱退して、平山さん一人になってしまった時は、どんな心境だったんですか?

平山:脱退発表は2021年3月なんですけど、コロナ禍があったので。前のメンバーとやった2020年12月の最後のワンマン以外は、2020年からもうほとんど活動していなかったんですよ。その頃にはもう脱退の話が出てきていて。でも、やめるって聞いた時も、「やめないでほしい」とは私の性格上、言えなかったんです。やめちゃった二人は人間として大好きな子達なので、やりたいことが他に見つかったんだったら、私はその後押しをしてあげようと思いました。でも、“私はまだgoomieyを続けたいから、goomieyを続ける。別の道に進むことになっちゃうけど、お互いがんばろう”ってことになって、じゃあ一人でやろうって2021年に上京してきたんです。サポートメンバーも見つかっていない状況にもかかわらず、前作のEP(『ワンセンス』)のリリースと、リリースツアーが決まっていて、“どうしよう”と思いながら、なんとか周りの力を借りて、ここまでやってこられました。

──平山さんは音楽をやめようという気持ちは、これっぽっちもなかったわけですね?

平山:なかったです。一瞬、頭を過ったんですよ。二人がやめるタイミングが20歳の時で、周りは専門学校を卒業して、就職するとか、さらに進学するとか、そういう子達が多くて。そういう道もあるのかなと考えてみたこともあったんですけど、全然想像できなかったんです、5年とか10年先まで考えたとき、楽器を持って歌っている以外の自分の姿が。だったら、続けようと思いました。自分にとって、一番しっくり来る場所がバンドだったんです。


▲3rdミニアルバム『Be』

──それで上京後、おりさんと鎌田さんに出会って、まずはサポートを頼んだ、と?

平山:いえ、二人がサポートしてくれたのは2022年7月からなんです。2021年からそれまでの間は別の子達がサポートしてくれて、その子達に助けてもらいながらツアーを回ったり、ライブをしたりしていたんですけど、その子達がやめることになったので、また一から探すことになったんです。

──二人とはどんなふうに出会ったんですか?

平山:おりちゃんは最初の(ミニ)アルバム(『Arms』)を出した時のリリースツアーに、別のバンドで出てくれて、対バンしたことがあったんです。そのバンドが解散したことは知っていたので、何しているんだろう?と思って、SNSを見たら、サポートをやっている、と。それで、サポートの数を増やす気持ちはあるのかなと思って、共通の知り合いに聞いてもらったら、なぜか「おまえは音楽で生きていく覚悟があるのか?」というふうに伝わっちゃったみたいで(笑)。

おり:突然、そんなふうに言われて、“え、私、説教されるのかな”って思いながら、「一応、あります」って(笑)。

平山:その後、私が直接連絡して、おりちゃんと会ったんですけど、最初の質問のハードルが高すぎて、“会った時に何を話せばいいんだろう?”ってドトールでコーヒーを飲みながら、「あ、お久しぶりです」って。

おり:「お元気でしたか?」みたいに。

平山:変な雰囲気になっちゃって(笑)。本当は最初から正規メンバーとしてお願いしたかったんですけど、お互いにやってみないとわからないから、まずはサポートで入ってもらって、その後、「気持ち的に入りたいと思ってもらえたら、入ってほしい」ということをお伝えして、入ってもらうことになりました。

──その後、鎌田さんがやはりサポートとして加わった。

平山:はい。鎌田さんは先輩のORCALANDってバンドのメンバーさんからの紹介です。「ベースのサポートを探しているんですけど、誰かいい人いませんか?」と聞いたら、「マジでいい奴がいるから」ってその場で電話してくれて、その後、下北沢でね。

鎌田:そうだったね。

平山:待ち合わせたんですけど、“絶対バンドはやっていないだろう”ってお姉さんに声を掛けられて(笑)。

鎌田:普段、ライブの時はジャージとかTシャツとかなんですけど、私服は全然違うんですよ(笑)。

平山:でも、カフェでどんな音楽を聴いてきたのか話しているうちに、私が一人で盛り上がってしまって、「鳥貴族ってあるんですけど、お酒飲みますか?」「飲まないです」「でも、一杯行きましょうよ」ってお酒を全然飲まない鎌田さんを無理やり連れていって。楽しくお話して、「じゃあサポートお願いします」って入ってもらったんです。

◆インタビュー【2】へ
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