【インタビュー】プッシュプルポット、最新作『生き抜いたその先で』から見えるバンドの信念「“生きることを歌っていたんだ”と気づいた」

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石川県金沢市発のロックバンド・プッシュプルポットが、3rdミニアルバム『生き抜いたその先で』をリリースした。

◆『生き抜いたその先で』トレイラー映像

本作には、ギリギリの状況も覆せるようなエネルギーに満ちた「バカやろう」をはじめ、これまでの彼らにはなかったポップなラブソング「君が好き」、心地よい浮遊感を湛えたメロウでノスタルジックなナンバー「緑色の自転車」、“死んでしまいたい夜があったから”こそ生まれたリード曲「生きていけ」など、新たなアプローチへの挑戦やバンドの信念が窺える全7曲を収録。

今回はメンバー全員にインタビューを実施。色とりどりの楽曲が詰まった新作の話に加え、金沢のバンドである彼らが抱く能登半島地震を受けての心境、そして開催中のツアーについてと、幅広く語ってもらった。

   ◆   ◆   ◆


◾️音楽やライブって、きっと精神面の支えになる

──プッシュプルポットはメンバー4人とも金沢在住なんですよね。

全員:そうです!

明神竜太郎(Dr, Cho):今日も朝6時半くらいに出発してきました(※インタビューは1月下旬に東京で実施)。

──新作のリリースツアーのタイトルが<ハイエースで一騎駆けツアー>(昨年12月から開催中)ですけど、こういうときの移動も……?

山口大貴(Vo, G):もちろん、ハイエースです。俺らはその選択肢しかないもんな?

明神:そうそう。たまには飛行機や新幹線で来たいですけどね(笑)。

──ツアーも行なわれていた中で能登半島地震が起こってしまい、何かと大変な状況が続いていると思いますけど、みなさんのご自宅などは大丈夫でしたか?

山口:僕らはみんな危険区域外だったので、家の被害もなかったんですけど、明神の友達は何人か影響があったよね?

明神:能登町や珠洲市に帰省していて、そこから出られなくなっちゃった友達がいたんです。“車移動も混んでて無理だ”“道がぐちゃぐちゃで通れるのかもわからない”みたいなLINEがリアルタイムで来て、事の重大さを知る感じでした。


──センシティブな話題で恐縮なんですが、金沢のバンドであることを掲げ、岩手出身の山口さんが実際に体験された東日本大震災のことを綴った「13歳の夜」という曲を歌ってもいるプッシュプルポットなので、4人が今どんな心境なのかを少し伺えたらありがたいです。

山口:正直、この状況で“ツアーを続けるのはどうなんだろう?”とも思ったし、まだ完全に切り換えられたわけでもないんですけど、いろいろ考えた上で、やっぱり自分たちがやるべきことはライブだなって。僕らの演奏で来てくれる人たちが笑顔になってもらえたり、会場で声をかけること、メッセージを伝えることもできたりしますから。こういう取材も含め、ジッとしているよりも動くほうがいいじゃないですか。プッシュプルポットの音楽が被災者に知ってもらえて気晴らしになる可能性もゼロじゃないし。

桑原拓也(G, Cho):僕も自分がやれることをやろうと思ってます。物資を届ける作業をお手伝いさせてもらったりもしたんですけど、今は目の前のツアーをはじめ、プッシュプルポットのライブですね。音楽を必要な人が少なからずいるはずだから。

堀内一憲(B, Cho):1月22日に金沢vanvanV4で開催されたイベント<幡ヶ谷再生大学 石川キャンパス>を観に行ったんですけど、今までの支援活動も踏まえてBRAHMANのライブを目の当たりにしたら、ものすごく刺さるものがあって。僕らのような後輩バンドにも“何かしたい!”と思わせてくれましたね。

(※BRAHMANのボーカルであるTOSHI-LOWは、東日本大震災後にNPO法人“幡ヶ谷再生大学復興再生部”を立ち上げ、全国各地の被災地で復興支援を行なっている)

山口:金沢のバンドとして発信できることがあるよね。被災地の救援活動に役立てるため、ツアー先のライブ会場に募金箱を置かせてもらっているのもそうだし、やれることは引き続き模索中です。

明神:「13歳の夜」で歌われている“突然すべてを失ったこと”は、ぐっち(山口)の経験なので、僕はこれまで想像することしかできなかったんですけど、家がなくなってしまったとか、身近でつらい報告も聞いたし。まだ地元に住みたいという人、逃げてほしいと心配する人の気持ちが交錯するさまも肌で感じる瞬間があって……。



──その中で「13歳の夜」への向き合い方がまた変わったり。

明神:しましたね。自分たちが被災者の方をいちばん支えられる方法は、やっぱりライブや曲作りだなという考えにもなっていったかな。ぐっちは東日本大震災で避難したときのラジオから流れてきた音楽がきっかけで今があるんです。「同じような境遇の人を救いたい」ともよく言っているので、僕もそこに力を添えたいなと改めて思ってます。

山口:被災していない側になってみて、無力感やもどかしさも味わいましたけど、過去の自分が音楽で救われたように、僕らの曲が少しでも前を向くきっかけになれば。そうなることを信じて、今は活動してますね。

──ちなみに、山口さんが避難された際にラジオで聴いた音楽って何の曲だったんですか?

山口:これがまったく覚えてないんですよ(笑)。当時は音楽にまったく興味がなかったし、特に調べもしなかったから。ただ、暑苦しい感じのロックだった気がします。歌詞がどうこうじゃなくて、そのサウンドに触れて“なんかすげえな!”と思った。周りの被災者たちがほぼ無表情で過ごしていただけに、楽しそうな曲のおかげでちょっと笑えたというか。僕にとっては「大丈夫?」と言われるよりも、よっぽど救いになったんです。

明神:音楽やライブって、きっと精神面の支えになるよな。

山口:うん。今やってるツアーもすごく楽しくて、自分たちも救われてるからね。新曲を演奏することにドキドキもしていて、いいペースで成長できています。

桑原:新曲に関しては、僕らもお客さんも馴染んでいってる途中って感じです。

堀内:試行錯誤を繰り返しながらね。

明神:ライブのあと、反省会もめっちゃしてます。ぐっちが震災のことを話すときの言葉選びも「ちょっと綺麗事に聞こえちゃったかもしれない」とか、「気を遣いすぎないで、もっと正直に言ったほうがわかりやすいと思うよ」とか。

山口:東日本大震災をほぼ知らない若いお客さんもいたりするので、僕らが伝えられることはまだまだあるんだろうなと思いますね。

◆インタビュー(2)へ
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